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銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

故・栗原勝弁護士は、法律とは、被害を受けた人を救う為にあるのですと、その根本を教えてくれたが、現実には反対の事が、数多くある

2022-09-22 11:41:53 | 政治

 これは、前報

益山重夫元海軍参謀の、葬儀の日、瀬島隆三元陸軍参謀は、私から6mの位置で、威圧をして来た。脅かすつもりだった模様

2022-09-21 23:13:28 | 政治

の100%の続きです。尚、総タイトルは、どんどん変えていきます。一番最初は、【実印とは重要だ。騙されて押す事になって、保証人にでもされたら破産をする、と言うのが母の考えだった】その後二番目のものとして【1978年に、私を助けてくれた、超一流弁護士さん一族の、その後を語って置きたい】を上を上げ、次に今、総タイトルとなっているものを上げ、次の予定として【笹井芳樹氏は自殺を偽装した他殺である。盗聴が仕掛けられていて裏切る気配を感じたから、CIAが殺し】を四番目のものとして使うつもりが、今22日の午後二時には、あります。その後23日の午前零時から、加筆を始めます。

 尚、とてもまずいところ・・・・有名な弁護士さんが、法務局の職員を木っ端役人目と、おっしゃったところ・・・・で、中断をしたと思います。しかし、丁寧な説明を、*+*+*+*+*+*以下に置き、皆様の誤解を解くことにいたしましょう。

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副題1、『北久里浜の水道山を、ただで私有化した、実質的な大詐欺事件である、地籍変更届は、5月ごろから、準備されていた可能性が高い。で、法務局での審査の結果、地境地主の一人である、日吉に住んでいる私の母の実印が、必要だと、法務局が、益山夫妻に言ったらしい。

 益山夫妻は、私たち夫婦が住んでいる(現在の地番、根岸町2の27の34)が、全部私の連れ合いのものだと、考えていたらしいが、そこを買った当時

 まだ、32歳だった私たちに、京急北久里浜駅から10分以内で到着できる60坪を買って、家を新築するほどの蓄財は無くて、まず、30坪を買ったのだが、母が、同じ平面にあった隣の30坪を買ってくれていたのだった。

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副題2,『私の姿は、典型的被害者像であると、日本橋・兜町の有名弁護士さんは、お考えになっていた。つまり、・・・・・私の方が、平均以下の弱さの人であり、したがって、餌食になりやすいので、そういう外見を持ち、そういう態度で、生きている、私の方が悪い・・・・・という考え方だ。この北久里浜の、実質的大詐欺事件でも、もっとも、主要な登場人物、〇滝家夫婦は、私をその種の弱い人間だと、みなしていた可能性が、高い』

 上の写真左側は、私の父で、右が主人だ。これは、事件が起きる4年前の写真で、いよいよ家の建築に取り掛かると、いう時期のスナップだ。主人が抱いている子供(1973年の秋だから、2歳には、まだなっていない)が、その後、時間を経て3歳になった時期に、西隣の〇滝家が、幼稚園の月謝を出すのを渋って、上の写真内で抱かれている「(あそこ=わたくしの)子供の遊び相手をさせれば、川崎さんが、面倒を見てくれるわ」と安易に考えて、2歳も年上のお嬢ちゃんを毎日遊びによこしたのが、この経済的事件の、一つのかなめとなっている。

 というのも、このお嬢ちゃんが、毎日お菓子を盗み食いをするのだった。叱っても叱っても、言うことを聞かない。何か月にもわたって、私は苦しめられた。

 ここで、前報の最後の方に出てきた、「典型的被害者像」という語彙が生きて来る。この北久里浜の事件が、容易ならざるものだと、判ってき始めて、私は、超優秀な弁護士さん二人に助けを求めた。その時、年上の男性弁護士さんに接触をした。その家のお嬢さんと国際キリストきょう大学時代、寮の同僚であるという縁を頼って、助けを求めた。のに、最初の夜は、テレビの、プロ野球中継を見たまま、こっちを振り返りもせず、「明日オフィスに来なさい」と、おっしゃった。で、最初の日には無駄足となった。弁護士さんが、私をバカにしているのを知って、その夜は、本当に悲しかった。

 それは、この弁護士さんが、私を、最初は、典型的被害者像だとみなしていて、・・・・・そんな詐欺に引っかかるのは、私の方が悪いのだ・・・・・と、お考えになっていたからだった。で、簡単に、「こんなのは、内容証明一本、法務局に出しておけばいいのですよ」と言われる。一般人である、私は、国家の一部である、法務局の瑕疵をつき、その責任を問うと、言う内容証明を書いて出せばいいと、言う手法には、大いに面食らった。そして、ぎょっとした顔をしていると、

 「なあに、木っ端役人なんて、気にすることはありません」とおっしゃった。ただ、どういう風に書けばよいかとまでは、教えていただけなかった。

 ここで、緊急事態に達したので、いったん、パソコンから去ります。で、12時間目に戻ってきました。したがって、続きを、書きましょう。

*+*+*+*+**+*+*+*+**+*+*+*+*  

 で、時刻としては、23時の午前零時に戻ってきました。弁護士さんは、私があまりにも憔悴しているので、木っ端役人目とおっしゃったのですが、それは、実は盗聴をされていたのでした。複雑怪奇、奇々怪々のお話です。瀬島は、兜町の弁護士事務所にも盗聴器を仕掛けていたのでした。

 だから国際キリストきょう大学の1962年入学組切って、最も誠実だと他の人から言われる友人SNさんが、小説化したこのお話を読んで「事実は小説より奇なりね」といったほどの、挿話が連続して起こります。でも、それを説明する前に、弁護士さんを助ける文章をここで、挿入しないといけません。

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副題3、『1970年代の日本は経済的に大繁栄をしていた。今とは、比較にならないほど、中流階級が豊かであり、国は安定しており、人々の出世欲は、一流企業の部長になることへ向けられていた時代だった。国家は世界第二位を誇る外貨保有をしており、海外を渡り歩く駐在員は、yellow jew とか言われて、嫌われていたのだった。そして、駐在員の方も、現地人を内心では、小ばかにしていた時代だった』

 トレンドというか、流行というのが本当にあるのです。戦前や、戦時中は、軍の将校になるのが、少年たちのあこがれの対象でした。海軍兵学校とか陸軍大学を出れば、必ず、少尉から始まって、階級を登って行かれます。対象となると数が少ないので誰でもなれる階級ではないが、少佐程度だったら、確実に出世できたものです。学歴さえあればね。実家が貧乏であろうが、金持ちであろうが、確実に出世できて高いお給料をもらえたのです。

 しかし、敗戦で、その制度は消えました。今、自衛隊に入っていても、あの時代ほどの名誉や、収入は見込めないでしょう。

 で、次の時代に、人々の出世欲の対象となっていたのが大企業の部長職でした。社長となるのは、それは、数が少ないので、確実なことではないが、部長なら狙えます。そういう時代に、兜町で、企業の顧問弁護士をしていた、友人の父君は、日本全国を俯瞰していて、しかも東大卒なのに、官僚を目指さなかった人ですから、いくばくかの、反骨心もあるとても頭の良い人だったのです。だから、役人が悪いことをしているのだから、叱る意味で、ああいう言葉・・・・木っ端役人・・・・が出てきたのでした。

 しかし、この会話は、盗聴をされており、したがって、瀬島隆三は、彼の手下の中で、最も優秀な人間を、関東法務局横須賀支所に送り込んだのでした。ただし、小さなお断りを言えば、今は、そこは、横浜法務局、横須賀支所と名義変更をされており、かつ、建物も変わっています。

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副題4、『ある日、と言っても、最初の日からは、二か月は過ぎていたころ、法務局に行くと、不思議なしつらえが作ってあった。普段とは、全く違っていた。部屋の奥の方に、学校の教壇みたいな、一段高い場所が設置されており、そこに、薄いブルの開襟シャツ姿の、中年の男性が、三人か、四人、机を並べていた。私は、それを支所長、次長、課長だと思い、私を威圧する為に並んでいるのだと考えた。

 ところで、ここで、当時の法務局の建物を解説させていただきたい。入口は、一番低い構造になっていて、そこで、訪問者は、申請書を書いたり、印紙を買ったりする。次に床が10cmぐらいたちあがった100平米ぐらいの、スペースがあって、そこにデコラ張りの長テーブルとパイプ椅子が置いてあって、そこで、お金を払ったのちに、順番で、呼び出しを受けた人は、台帳の閲覧ができるのだった。なお、今はデータが電子化されたので、閲覧という言葉だけは残っているものの、黒い表紙の、厚いファイルを、持ってきてもらって、薄い和紙を、一頁づつ、めくりながら、調査をするということは、行為としては、消えている。ともかく、その部屋は、公立の図書館の勉強部屋をご想像いただくと、ぴったりと当たっている。

 ところが、その日に限って、4つぐらいの数の長テーブルが、どけられていて、代わりに、ヨーロッパで、買ったみたいな、豪華なデスクが置いてあった。イギリスのドラマでは、よく貴族の館が出てくるが、あれに登場する様なものだった。幅が、160cm奥行きが80cm、両袖机という形で、ニスで、ピカピカに塗られているのだった。そこに座っている男性に、会って話をする様に法務局の女子事務員に命令された。

 で、向こうにいる男性だが、40代だと、思われる、超おしゃれな人間だった。グレンチェックのジャケットは銀座で、オーダーしたものであって、中に絹のカラーシャツを着ており、上等なネクタイを締めていた。

 この同じ人間が、30年後大船に現れる。そして、横須賀法務局内と同じく、私を脅かしてきたのだった。この人間が警察庁所属か、それとも、民間人かは迷うが、たぶん民間人だと思う。そして、伊藤忠勤務だと思う。表の姿は、そうである。しかし、この人物は、裏の世界では、瀬島機関の一員として、行動をしていたのだった。

 私は、そのころ、自宅で、パソコンを使えなかった。一晩で、50回以上の破壊工作を与えられるので、外の喫茶店とかレストランとか図書館で自分の文章の、まとめ本として、将来、出版したい本の編集を行っていた。それは、マイクロソフト・ワードへのかくしファイルというものを入れられているせいか、または、尾行のせいか、錦糸町まで、遠出をしても、把握をされて、3600円分のビュッフェ代がゼロになってしまうほどの攻撃を受けた。つまり、その夜レストランで、仕上げた2時間分の編集後の文章が、システム異常を利用されて消えてしまったからだった。往復の交通費、また、体力の消耗を考えると、目も当てられない攻撃だった。そういうものを毎日毎日浴びせられていたころだった。

 で、大船のミスタードーナッツで、仕事をしていても、一時間もたつと、攻撃が始まるのだった。そういう攻撃の一つとして、あの30年前、法務局に現れたのと、同じ男が、また、表れたのだった。

 彼は、その時には、もう、伊藤忠は、定年退職をしているせいか、または、瀬島龍三が死んでしまったせいか、以前ほど、金持ちではないみたいだった。

 彼が言うのには、「お隣の白井達雄さんを、私はよく知っています。あの人は、日本三大設計会社の重役ですよ。そして、浜銀鎌倉支店を設計したのは、彼ですよ」と。或る程度の会話を経たのちだったが、私が、彼と、そのお友達(ただし30歳は年下である)の会話を聞いていたら、口をはさみたくなる様な建築の話をしていたので、つい、「最近引っ越してきたお隣の白井達雄さんという人は、非常にユニークな、家を建てたのですよ。考え抜かれた設計です」というと、上の言葉が続いて出てきたのだった。

 今度の言葉もCIA特有の脅かしだった。ただし、それでもこれがヒントになり、京アニ放火事件が起きたときに、白井達雄さんが、松田平田設計事務所の重役にして、横浜支店長であることが分かった。神様は、確実にいらっしゃる。それ以前に、二人には、数々のひどいことをされてきたが、その日以来、常に、松田平田設計事務所の重役にして、横浜支店長の白井さんが・・・・・という冠言葉をつける様にしている。

 しかし、天然パーマで、超おしゃれな彼が大船のミスタードーナッツに30年ぶりに、現れたことにより、突然に白井さんが、彼ら、瀬島龍三と、益山一派の、回し者であることが確実になった。それで、ずいぶんと気が楽になった。たぶんあの美麗マンション【ルネ北久里浜=そらヒルズ】と、【ララ横浜】の二つは、白井さんが、設計したもののはずだ。白井さんは、仲野通巳吉にも杉本俊一正子夫妻にもあったことがあるはずだ。ここに引っ越してくる前にだ。

 超おしゃれな彼は、法務局では、あたかも、法務局内では、とても偉い人だという、認識を他の人に与えて、かつ、綿k氏に対しては、益山夫妻が、今行っている地積変更届を、邪魔するなと、言う脅かしをかけて、来ているところだった。

 私はこの男が、法務局内で、言葉だけは丁寧だけど、益山一派の、味方をして、私に調査をやめよと、言うのには、全く納得していなかった。7月の時点では、おろおろしていた私だが、調査を重ねれば重ねるほどに、彼らの悪辣さがわかるから、ずっと、しっかりしてきているのだった。

 でも、奇々怪々な連中だから、公正で、公平であるべき法務局のメンバーを自分たちの、味方にするのはありだと判断をした。

これは、2022年に入ってからも、繰り返されるのだった。法務局神奈川支所は、私だけを長時間待たせて、謄本を五時2分に渡すという形で、苛め抜いたのだから。こっちは生活保護費の不正受給の問題で、必要な謄本だったが?

 CIAが絡んでくると、似た様なケースがあっちこっちで、繰り返されるので、被害が永遠に減らないので、彼らの悪を、また、また、追及することとなる。

 すみません。これも、まだ全くの途中です。しかし、午前、3時になったので、就眠します。

 

 

@@@@@ここが第一の書きかけ中の最先端です。

益山重夫という人は、元海軍参謀なので、陸軍中野学校で履修をした可能性が高く、したがって、元陸軍参謀、瀬島龍三と親しいのだが、問題は、近隣の住民にまでそのスパイ作戦を実行することだった。で、あの当時、あの山に住んでいた11軒の人間の家、すべてに盗聴装置が仕掛けられていたのが、今では、はっきりとわかる。

 私自身は、1978年の9月には、自分の家に盗聴が仕掛けられていたのには気が付いていたが、西隣の原正芳家(夫婦そろって、横浜税関勤務、長兄は、当時横須賀市議だった。そして、正真正銘の戦前からの地主である。現在仲野通巳吉が、この近辺で、地主待遇を受けているらしいが、それは、嘘中の嘘である)と、その南側の、〇滝家、さらにその南側の佐藤家に、盗聴装置が仕掛けられていることは、気が付かなかった。だが、その後の流れを見ると、それが確かだと、思う。

 それは、残念なことに、1984年に、こちら、鎌倉雪の下に引っ越してきてからも続いていて、まず、一番最初に、安野家に、盗聴が仕掛けられたと、考えている。で、安野夫人が敵対者であることが、発見され、したがって、彼女がCIAの重要な道具となっていく。しかし、この話は、今は、語りたくないので、先へ進もう。

 

 

@@@@@@@ここが第2の書きかけ中の最先端です。

副題3、

 で、1978年7月末の夜遅く、益山智恵子さんが、「お母さまの実印をもらってここに押してくださいな」と、厚さ0.7mmほどの立派な申請書を持ってきた。表紙は白い厚紙であり、中に、大きな図面が入っていた。表紙のタイトルは、地籍変更届けとあった。人を信じる私は、それが、大詐偽事件(ただし、書類上は整っているので、犯罪としては立件できない)の、道具だったのだけど、益山夫妻を、つゆほども疑わず、母に電話をかけて、「何日に、日吉に行ったらいいかしら?」と、質問をすると、母は怪訝な声で、「おかしいわね。実印を押すなんて、めったなことではないわよ。何の目的のためなの?」と、聞いてきた。

 で、私は、益山智恵子夫人が言った通りに、「彼らが持っている私道部分を横須賀市に寄付するんですって」と答えた。すると母が、「道路を市に寄付するんですって、しかも、その道路は、私たちの所有ではないわね。それなのに、どうして、私の実印が必要なのかしら? おかしいわね、その話」という。

 母は、ある程度以上の資産家だったので、・・・・私が、だまされて、親である自分の方が、保証人にでも、されたら大変だ・・・・・と、言う懸念があったみたいだ。で、押し問答の末、私は、自分で、書類を開いて、検討をし始めた。

 

@@@@@@@ここが第三の書きかけ中の最先端です。

まだ受理されて、その土地が彼の会社大建産業にわたっていなかった、

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