今日のブログは、テーマを、政治的な方向に発展をさせることもできるのです。が、鎌倉市役所の吏員さんへの、尊敬の念を優先するので、政治的には発展をさせないで、終わらせておきたいと、思います。日常生活のすべてで、政治が、顔を出す、私こと、鎌倉市雪ノ下の住民ですが、この章だけは、普通のお話のレベルで、終わらせておきましょう。なお、夜の九時過ぎに文末に、副題7を書き加えています。そして、夜の11時半に推敲も終わりました。それで、恒例の△印を総タイトル横に付けておきます。
副題1、『本年の四月いっぱいの、私は、心労の果てと言う、状態だったのだが、それでも、労働だけは、一杯やっていて、座業の人として、後退していた筋肉は、結構なレベルで、回復をした模様であり、これは、一つの幸運だったと、思っている』
さて、わが家では、4月9日に、主人が心臓に詰まった血栓で、緊急に手術を受けて、50%の確率で、命が助かったのですが、その一週間後に、小さく砕かれた血栓の、一粒が、脳にとんだのでした。つまり、血栓とは、肉屋で買うレバー状に既になっていると見え、点滴や錠剤で、血液をサラサラにする薬を飲んでいるとしても、溶けることはなく、心臓の動脈と言う太い場所で、詰まったものですから、蹴散らせても、砕けた粒は結構大きくて、脳の、一部の血管を、再度の障害として、詰まらせたのでした。
ただ、二か月後の実情を言うと、当時の心配や予想を覆して、素晴らしい回復を見せており、本日も本人は、午前中は、病院へ一人で行っている処です。ここまでの状況へ至ったのは、神様のご援助だったと、考えており、心から感謝しております。
しかし、4月いっぱいは、・・・・・心労の果て・・・・と言うほどの、苦しみに私は見舞われておりました。だけど、滅入っているだけと言うのでは無くて、体は、活発に動かしておりました。で、重労働をしたせいで、体重は、五キロ以上減りました。太ももが左右でくっつかないで、間がすくほどに、体重は減りましたが、体を活発に動かしたおかげで、筋肉は、相当に動かせる様になりました。しかし、だからと言って体力が回復するわけでもなくて、昨日など、料理、片付け、園芸、録画ニュースのちぇっく、鎌倉市内への買い物という普通の仕事をしただけなのに、夜の九時から朝の8時まで、11時間も寝た始末です。その前の睡眠が、4時間だったので、こう成ったのかもしれませんが、それにしても、「たったあれだけで!」と言うほどの軽い労働で、起きてから13時間目に眠くなり、しかも、11時間も、寝続けるとは、おや、おやと言うほどの、小さな、体力ですね。
しかし、今の事ではなくて、四月中には、もっと激しく、しかも、集中的に労働をしたのが事実です。それと、いうのも当時は、『これは、引っ越しをしないといけないだろう』と、思ったからなのでした。引っ越しは、全荷物を、動かすのだったら、引っ越し業者に、お任せすればいいのですが、この雪ノ下の家をキープして置いて、個人的な美術館(33坪と言う小さい家の一階部分、16畳と、12畳を使う)にしたいと思っている私は、この家を他人に貸したり、売ったりするつもりが無いのです。或る程度、主人が回復したら戻ってくるつもりだったので、一部の荷物だけを、北久里浜の家(=30年前に住んでいた空き家)へもっていくつもりだったので、荷物づくりは、自分で、考えながら、作らないといけないのでした。
『物をためるのが、文化に繋がるのだ』と、考えている私は、30坪の家中にモノがあふれているのですが、今般、美術(特に創作)に関する特殊なものは捨てようと決意しました。で、大型キャンバスの類は、一切を始末しようと考えました。それは、公募団体展と、コンクールに応募する道を絶つと言う事ですが、それで、いいでしょうと、決意をしました。
13年前に逗子のアトリエ(=古いマンションの一階部分、24畳分を借りていた)をたたむ際に、逗子市に3万8千円も支払って、一回捨ててきているのですが、この鎌倉にもいくばくかは残っていたのです。白いキャンバス類(ロール状になっている)は、一度、今、旺盛に活躍中の、画家に取りに来てもらって、その人にあげたのですが、木枠とカリブチというモノが、残っておりました。木枠というのは、日本では、杉の木でできていて、細工がしやすいので、私がいろいろ、細工をして使っております。特にカンナがかかっているので、使うのに便利です。外国のものは、松の合成材でできています。
しかし、カリブチと言って、100号とか、130号の油絵を、公募団体展とか、コンクールに出す時に、『付けなさい』と、命令される額縁は、金属でできているので、女性には、始末しにくいものです。しかも長いです。
で、どうしようもないので、粗大ごみとして出すことに決めました。
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副題2、『とがった金属棒を、粗大ごみとして出す時に、私は、防御策として、軍手を使ったのだった』
カリブチと言うのは、100号用で、一本が、170cmぐらいの長さがあり、分解して、一本ずつにしてしまって置く様にできていますが、組み立てる時の為に、端末が、45度で、鋭利に、とがっているのです。ちょっと危ないです。私などは、扱いに慣れているので、とがっていることを忘れませんが、慣れていない人だと、先がとがっていることを忘れて、扱う可能性もあります。
美術品を扱う専門の、運搬業者さんは、このかりぶちが、組み立て後で、90度の角度になっている場合でも、保護材を当てます。その保護材は、小道具として、すでに、作ってあるほどです。それをトラックの中に数十個入れて置いて、絵を取りに来るのです。そして、帰りでも、画家の自宅にまで、それを付けたまま、運んで来て、玄関先でそれを外すほどです。その小道具は、段ボールでできているので、それを見ている私は、カリブチを粗大ごみで出す際には、彼等の真似をして、先端を段ボールで囲もうと、思っておりました。しかし、超忙しいので、段ボールで、小道具を作っている暇はないので、その作業は、ぎりぎり最後にやることとして、とりあえず、軍手を先端にさして、とがった部分をくるんで置くことにしました。丁度、一本につき、一つ分の、軍手で、巻き込むとサイズ的に、ぴったり合うのです。で、長いものの、先端に軍手をまとわせて、短いものは、そのまま、見える様にしておきました。その方が、長いところの切っ先の鋭さも想像も、できますので、却って安全だと、判断をして、全部をひもで、括っておきました。
さて、皆様は、ご存知でしょうか? 軍手というモノはとても安いものです。ホームセンターで、軍手を買おうとすると、10組が、束になっていて、350円ぐらいで手に入ります。我が家では、もらったもの、それから、何回か、足りないと思って、買ったものなど、全部合わせると、30組近くあったのです。これは、木工や園芸をしない、都心(特にマンション)に住んで居る人とは、まるで、違う体制でしょう。それらを、中くらいのレジ袋に入れて、まず、玄関先に一袋置いておきました。南側のヴェランダにも、他の一袋を作って置いておきました。
さて、集中的な労働の結果、8個ぐらい、粗大ごみができあがったので、鎌倉市の職員さんに取りに来てもらいました。我が家は、石段を、敷地内まで入れると、下の、平地で、車の停められる場所から、150段ぐらい上がらないといけないので、5,6人のスタッフさんが来ました。
私は、南側やら、東側に、飛び回って、「ココにも、粗大ごみが、置いてあります。これをもっていってください」とか、言っていました。すると、北側の、自分の目には見えない位置から、「この軍手、もらって行って、いいですか?」と言う声が聞こえました。私は、「はい、ハーイ」と答えました。
そして、瞬間的に、『そうだね。あの人たちにとっては、軍手は、必需品だもの。玄関先に、一山、レジ袋に入って置いてあったら、ああ、これは、捨てるつもりだな。それなら、自分たちで、使いましょう。もったいないし。と、思ったのでしょうね』と、判断をしました。
そして、みなさんが帰ってから、家の周辺を、感慨深く思いながら、点検しました。『うーん、日常的な生活を送っていると、こういう風に、根本的に片付けるという気持ちには、なかなかならないものですね。主人が、心筋梗塞と言う思いがけない病気になったおかげで、覚悟も決まったので、ここまで、できました。だいぶ片付いたわね。でも、後、2,3回は、来てもらわないといけませんね』と、思っていたのです。
以前のブログで、主人が病気になった途端に、私は自分の男性的な部分が、頭をもたげたと言っていますが、留守中に、65万円をかけて、この雪ノ下の家(もみじ)と、北久里浜のいえ(ソメイヨシノ)の大木を、始末したのも、その顕れの一つです。主人は樹木が好きで、その命を大切に思うので、大木を切るのを嫌がります。が、崖の保護等を考えると、切らないとならない時があるのです。で、私は、これで、31年前のミズナラ(幹の直径が、80cmを超えた)を切った時を、含めれば、総計4本の大木を、自分だけの決意で、始末しています。
で、樹木(大木)の始末と、粗大ごみの始末が、できたというのが、今回の主人の病気から、出来した、いいことの一つだったのです。こういうごく、個人的な問題でも、私は、プラスの方向の出来事の一つに、加えて、心のバランスをとるのですよ。
で、しみじみとしながら、家の周辺を回って玄関まで来ると、なんと、自分が、『是だったのだろう』と、考えていたレジ袋は、そのまま、まったく手を付けず、置いてありました。その中に入っていた、軍手は、一枚も、一足も、減っていなかったのです。『あれ、変だなあ』とは、思いました。しかし、軍手一足、または、一枚は、新しいものでも、35円です。使い古したものだと、価格は5円にも満たないでしょう。で、真面目に、なぞ解きをするほどの事でもないと、思いました。で、そのまま、忘れてしまいました。ただ、引っ越しをしようと言う意思は変わらず、荷物の整理は続け、二回目とか三回目として、粗大ごみを出すこととなりました。で、三回目だったかな、又もや、アルミの棒が出てきました。今度は、フレームと言う棚を作っていた部品であって、先端がとがってはいません。しかし、長いので、粗大ごみに出そうとして、『これは、とがっていないので、先端を、保護しなくていいでしょう』と、考えた途端、
あの第一回目の粗大ごみ収集時に、「この軍手もらっていいですか?」と言う言葉が、表現しようとしていた、本当のところが、やっと、判ってきたのです。『そうだったのか? あの時の軍手って、先端の切っ先を、保護するための、軍手の事だったのだ。だけど、それが、保護用に、かぶせられているのは、誰にでもわかることだから、別に、断らなくてもいいでしょうに、それでも、それを、わざわざ断って来たと言うのは、なんと丁寧な事でしょう』と、改めて、思い到りました。そして、その丁寧さに、何とも言えない、感慨を覚えました。
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副題3、『インヴェーダーと、呼ばれる、最近、鎌倉へ引っ越してきた人達』
『丁寧だなあ』と、その丁寧さを、慎重に思い巡らせていると、現在の日本に、それほどの丁寧さが無いケースが多いのにも、気が付くのです。昔ですが、鎌倉霊園(=大刀洗)に向かうバスに乗っていた時の事です。曲がる際に、立っていた私は、思わず、よろけて、自分の膝が、座っている前の女性(中年で、美しくない顔の人)の膝に当たってしまいました。そして、こんでいたので、姿勢を立て直すことができず、そのまま数秒、彼女の膝に、自分の膝が当たったままで、過ごしました。すると、驚くべき勢いで、邪見にも押し戻されたのです。驚いて、どういう人だろうと、注目をすると、レジ袋を抱えた彼女は、浄明寺と言うバス停で、降りて行きました。
そのバス停は、原節子が、暮らしているおうちがあると言う事で、有名なバス停です。三井不動産が、売り出した住宅地だと、聞いています。しかし、この邪険な奥さんは、住宅地が開発された当初からの住民では無くて、最近、中古の家を買って、移り住んできた人だろうと思いました。鎌倉びとになったことを過剰に誇りに思い、立っている私を八幡宮と言うバス停から乗ったので、観光客かなんかだと、誤解して、『自分の方が上ですよ。だって、こちらは、鎌倉の住民なんだから。あなたって、鎌倉にあこがれて観光に来たんでしょう』と、思っていることがありありと、判りました。その日は晴天で、確かに、観光客は多かったのです。私はお墓参りに行くのを、土日にすると、込むことが分かっているのに、どうしても、一週間のうちに、週末に、行くこととなるのでした。
あのですね。駅のすぐそばだと、マンションでも億ションとなります。一戸建てだと、今買うと2億円以上でしょう。で、そういう起床物件を買えるほどの、有名人は、バスには乗らないし、又乗ったとしても邪険な態度とか、エチケット無視の態度は取らないと、思います。彼女は、中古で、5000万円ぐらいの家を買って鎌倉へ、参入してきた筈です。だから、彼女は、中産階級と言うレベルの人です。本当の上流階級はお金の多寡で、舞い上がったりはしないものです。
彼女は、中産階級だからこそ、浄妙寺に家を買った結果、異常に舞い上がって、自分をえらいと思っているのです。現在の日本が、いかに、金権、本位になっているかを、この時も強く、感じさせられました。たまたま旦那が、国家の税金を配分する部署にいるか、または、一部上場の大企業に勤務しているかで、収入の高い男性なのでしょう。で、中産階級だからこそ、上には、上があるし、下には、下があるのを、熟知しています。で、階級を上げていきたいし、階級が上だと思うと、威張るという傾向が、有ったのでしょう。それが、知らない人に向かって、奔出したのだと思います。男性は、もう少し複雑だと、思いますが、専業主婦だけで、世の中を渡ってきた女性特有の、単純さが丸出しになったと、思われる、態度でした。
バスが込んでいることは、だれの目にも明らかですから、普通なら、こういう時は、そっと、自分の膝を窓側に向けて、斜めにすれば、それで、済むことです。
私は、この時に、豊島屋の前社長から、聞いた、「古くからの鎌倉の住民は、現在の鎌倉の住民を、4つのカーストに分けているのですよ。原住民、先住民、新住民、インヴェーダーと」と言う話を思い出しました。それを聞いた時は、ただ、笑い出しただけですが、『実際には、笑い話でもないなあ』と思いました。
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副題4、『しかし、現役の社長さんは、鎌倉に引っ越してきたことを後悔しているのだった』
上で、浄妙寺と言っています。そこの近辺は、樹木が多いのです。泉水橋、青砥橋、十二所(じゅうにそうと、読む)などの、古い地名も残っておりますし、駅近辺に、売り物件が少ない現在、こちらあたりにこそ、中古の物件を買って、新・鎌倉住民になる人も多いのでしょう。或る時、電車(横須賀線)の中で、そういう人の一人で、現役の社長さんと、出会い、話をしました。
一部上場と言う程の大企業ではないが、立派な仕事をしている会社の人です。実は、鎌倉へ引っ越してくる前は、表参道に住んでいたそうです。町の名前では、神宮前。ところが、そこを嫌う様になったのは、中国人に、周りが買占められてきたからだそうです。ゴミ出しとかその他いろいろで、中国人に対して、嫌悪感を持つようになったそうです。だから、あそこらへんの、裏路地に続々建っている小型の、しかし高級なマンションは、中国人富裕層が、持ち主である可能性が強いですね。
この会話をしたころの私は、ニューヨーク滞在二回目から、帰国をした余波が、まだ、残っている時期であって、ある種のオーラがあったらしくて、どういう人に話しかけても充実した会話ができた時でした。その社長は、おくさまの望みで、鎌倉へ引っ越してきて、敷地は広いそうで大邸宅を建てた模様です。しかし、「自分としては、後悔している」とのことでした。「通勤が不便で」と言う事でした。神宮前とは、原宿へ歩いて行かれる距離です。しかも、メトロ表参道駅って、東京のどこへも通じている駅です。そこから、バス停・浄妙寺近辺へ、引っ越して来たら、そりゃあ、不便だと、感じた事でしょう。
その社長の話から、今、わが家の北側に新築中の、不思議な構造の、豪華な家へ移ります。ここですが、駅までは、バスを使わないで、歩いて行かれます。ただ、わが家では、お客も交えて、「その施主さんが、実際に、ここに住むのかどうか?」について、議論がやかましいところです。一度、「64平米でも、建築費が、5000万円は、かかっているだろう」と、私がここで、書いていますが、『もっと、かかっているかもしれない』と、思い始めているほどの豪華さです。総額7000万円か、一億円かかっているかもしれません。ただ、不思議・極まりない事には、一階には、南側に窓が、一つも、無くて、二階には、反対に、壁が一つもないのです。これは、構造上、昔の木造建築の技術を一切使っていないと言う事です。
で、二階にキッチンと居間があるので、私としては、これは、ご飯を食べるところが、全部他人に見える家だから、実際には、住まないだろうと、思っています。
施主さんが、建築家なので、ショールームとして使われるお宅であろうと、思っております。特に、小さくても現役の社長さんだから、社長さんは、鎌倉に住むのは不利だと、私は考えていますので。・・・・・理想だけでは、生活がうまくいきません。山手線の内側に住んでいた人が、鎌倉へ、引っ越してくると、『不便だなあ』と、感じてしまうのは、上の節で、挙げた浄明寺の社長さんと同じでしょう。
反対に、私の方は、昔から、・・・・・小さくて、古くてもいいから、山手線の内側に拠点(2DKくらいのマンション)を持つ・・・・・のが夢でしたが、実現をしないうちに、人生を終わりそうです。(苦笑)ここは、自分が稼いでいないと言う事がマイナスとして大きく働く部分です。で、仕方がないとあきらめております。
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副題5、『歴史秘話ヒストリア(NHK)で、熊本城が出てきたが』
最近、普段は見ていない歴史秘話ヒストリアを、偶然に見る機会がありました。熊本城を、考える回でした。熊本城は、全国一、人気があるそうです。行ってみた結果、一番満足をする城だそうです。しかし、2015年の来場者は、165万人だとか? そうすると、年間2000万人の人が訪れると言われている、鎌倉が、いかに、観光地として恵まれているかと、言う事が、判ります。東京圏に近いと言う事と、テレビで、頻繁に、情報が取り上げられるからでしょう。
それほどに、人々が好んでいるこの町で、久しぶりに、丁寧な、応対を受けて感動をしたという話が、本日のメインです。ここから、政治的な話題へは、いくらでも入って行かれるのですが、
市役所の人々への敬愛の念を優先して、政治へは、入らないでおきましょう。
ただ、ここで、本日書くものではないのですが、14年前に書いた文章を挿入したいと、思います。それは、まだ、私が50代の時期でした。
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副題6、『電車の中で、拾ったエピソードだけど、その頃の私は、文章に、切れがあったと、思う。妨害とか政治とか、言う事に、薄々は気がついてはいたが、他人に、発表する文章内で、そう言う事には触れるべきではないと、思っていて、それゆえに、文章を書くことが、非常に楽しかった時期であった。そして、実は、有名人にも、お褒めいただいた、エッセイの一つでもある』
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@10 会話の活発な、男の人
ある日、若い四人の女子大生が素晴らしい会話を交わしていました。今ごろ、お互いに信頼の限りを尽くした会話を傍耳を立てて聞くのも心地よく、心に残りましたが、その内容を採録すると長くなるので、それは飛ばして、ある、中年の人々の会話能力について、今日は話をさせてください。それが日本の中年にしては、ことさらに活発で、驚いたからです。
土曜日の午後三時ごろ、逗子駅に入ると、自然探索を終えたらしい、50人ぐらいの中年男女のグループが目に付きました。背中に、ナップザックをしょっていますが、足は、登山靴では有りません。前回で書いた外人の青年と同じく、彼らは間違ったホームで電車を待っていました。逗子駅には、ホームが三本しかないのですが、終点でもあるので、なかなか複雑な使い方もされていて、初めて来た人は大いに戸惑うのです。私はおせっかいですから、「跨線橋を渡って、別のホームに行かないと駄目ですよ」と教えてあげたので、皆さん、私と一緒に、移動をして、空いている電車に乗り込みました。
日差しも明るい午後で、自然探索で心を洗われたのか、どの人も、言っちゃあ悪いが年甲斐も無く、はしゃいでいます。
「黒磯(栃木県)行きなんて言うと、全く訳わからないね。僕、おうちへ帰れるかなあ」と幼稚園児みたいに通路を挟んで、大声で、お互いに仲間内で対話をしています。 「僕、電車に乗った事は無いから、余計解らないよ」と同じ人が自動車ばかり使っている事を、ふ・い・て(誇示して)いながら、再び、「おうちへ帰れるかなあ」と言ったら、対岸のベンチ座席から、「おうちなんて無いじゃあないか」と大声が飛びました。
私は一瞬ひやっとして、顔色が変わってしまいました。確かに、パリやニューヨークですと、金持ちは車で移動をしているのでしょう。車の無い人間は、地下鉄で移動をしています。それでこの人が車を持っている事を誇示したのは、本当に推さないプライドでは有ります。癇に障った人も有るでしょう。それに、まぜっかえした方は、結構車を持たない主義にプライドを持っている人かもしれません。しかし、私のような部外者にまで、聞こえるような大声で、「お前は、持ち家ではなく、借家に住んでいるではないか」と言うような事を言われて、気分を悪くしない人はいないでしょう。
しかし、言われた当人は、顔色も変えず、口調も変えず、更に、冗談を続けるのでした。私は、『このグループは、官舎か社宅の同僚なのかしら。それとも団地の町内会でごいっしょなのかしら。いずれにしても相当、レヴェルが高いな。良かった良かった。揉めないで』と内心ひとりで、思いました。そして、ちょうど、電車が鎌倉駅に入って来たので、立ち上がって彼らに背を向け、ドアの傍に立ちました。すると後ろから、例の格別おしゃべりな男性が、「うわ、さすが、鎌倉だ。降・り・る・人も・品・が・良・い・な・あ」と言ったのです。私はそのとき、彼が、私に感謝をしてくれた事が解りました。私が彼の心の傷付き・・・・・つまり、ただ、無邪気にはしゃいでいたのを「家なんか無いではないか」とまるで、夢の無い現実に落として、彼を貶めてからかった人物の言葉に、普通なら傷つく筈ですから・・・・・を、心配して上げたのを、彼は、わかったのです。私の密かな同情心を彼は、理解して、それをこう言う冗談で、お礼を返してくれたのでした。
だって、私は非常にダサい人間で、別に品がよくも有りません。特に鎌倉近辺に出没する時は、全く、洋服にも気を配りません。銀座に行く時は、色使い程度は、気を使いますが、このごろは、画材を買うので、洋服は買っておらず、本当におしゃれとは、縁遠いのです。だから、人に褒めて貰う根拠も理由も無いのでした。この本の@2、麗人目前を横切るに書いた、オードリーまがいの女性とは、まるで違いますので。
でも、私は「日本人も、ひ・ど・く・高・級・に・成・っ・た・な・あ」、とは思いました。ここら辺の心の機微は、まるで、フランス映画、「かくも長き不在」に出てくるような心の使い方でしたから。その事はとても嬉しかったのですよ。では、
2002年4月14日
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副題7、『初稿を書いて、7時間後に思い出したことが有った』
私は、この一文を書いて、その後、7時間ぐらい別の仕事をしていたのですが、ふと思い出したことが有り、それを蛇足ながら、ここで、付け加えたいと思います。浄妙寺で降りた、箱型の体躯をした仏頂面の奥さんですが、最初に、私は喧嘩を売らなかったと、書いていますが、詳細に言うと、違いました。ケンカを売ると言う事はしなかったつもりですが、たしなめたことはたしなめたのです。
と言うのもそのバスが、急角度で曲がるのは八幡宮様の正門(三の鳥居)前と、宝戒寺前の二か所しかなくて、その日は、特に、八幡宮様の正門前で、揺れが大きくて、私は、よろめいたのでした。で、乗ってからすぐの事だったので、意地悪な奥さんに対する観察もまだやっていない時期だったので、丁寧にたしなめの言葉を発しました。「私が、ぶつかったのは、不可抗力だったのですよ。それを、そんなに邪険な、仕返しをする事はないでしょう」と、言ったのです。しかし、かの女はさらに仏頂面を激しくしただけで、何も答えませんでした。謝罪など、夢のまた夢と言う状況でした。こういう経験があるので、日本では、リアルな形では、喧嘩をしなくなったのです。『ケンカをしても、無駄だ』と、思う様になりました。
ここなんですが、パリと、ニューヨークでは、白人を相手なら、見事に通じるのですよ。そして、謝罪をして貰えます。
と言うのも、洋の東西を問わず、結構、みんな、本能で動くのです。本能で動くと、気分の悪い時は、仏頂面で対応をするし、意地悪をできると思えば、するし、勝ちたいと、思えば勝てるように工夫をして、人をだましたりするのです。そこは、万国共通です。
ところが、「裏側の委細を、こちらがすべて知っていますよ」と、言うサインを出すと、たちまちに、謝罪をして貰えるのです。それが欧米です。ところが日本では違います。
一番単純で、判りやすい例は、ソーホーのスーパーマーケットで、経験をしました。そこで、私は箱入りの冷凍エビを買ったのです。日本円で、800円ぐらいのモノ。だけど、それ一個だけで、レジに行きましたので、金持ちには見えなかったと思います。で、レジ袋をくれませんでした。
ソーホーは、昔は独立して生きている画家の街であって、貧乏人が、闊歩していた街ですが、今は人気が高まって、銀座並みの、ブランド系・ショッピングタウンになっています。ので、私以外のお客がみなさん、お金持ちで、日本円にして、8000円以上の買い物をしていたと仮定をします。すると、私が、馬鹿にされても仕方がないですね。だけど、レジ袋が無いと、その、直方体型の、結構大きな箱は、持ちにくく、かつ、私は、背中に抱えているバックパックにそれを入れたくないという事情がありました。で、背中から、バックパックを下して、中身をレジ係に見せながら、英語で「私の荷物って、書類が多いのです。これらが、その冷凍エビの箱の結露で、濡れてしまいます。で、駄目になってしまいます。だから、レジ袋を頂戴」と、言いました。これは、今から、18年は、前の話で、しかも、石油生産国のアメリカの話だから、レジ袋を、けちるという発想は、経営上はない時代で、ただ、ただ、女性店員が、私を小ばかにしただけの話でした。しかし、私がイントネーションとか、発音が確かな英語で、しかも条理を尽くして、レジ袋の必要性を、話すと、彼女はたちまち、顔色を変えて、「ソーリー(ごめんなさい)」と言いながら、レジ袋を渡してくれました。ソーホーは、中国人街(Canal st.)に近いので、私を大陸から、移民してきた直後の、中国人で、英語ができない人間だと、思っていた模様です。
もっと複雑なケースでも、すべて、事は、白人を相手だと、安心すべき方向で解決をしました。しかし、ニューヨークでも、日本人を、相手にするとだめでした。
で、私は感激して、いろいろ考えてみたのです。この差が、どうして生まれるのかと。それは、やはりキリスト教精神が、根底で、生きていることに在ると、思い到ったのです。情報だけを見ていると、キリスト教精神など、とっくに失われているかの如く、見えますよね。アランドロンの、【太陽が一杯】とか、アメリカの、暴力を主テーマにした映画を見ていると、そう思えます。また、哲学書の流行情報など、接していると、同じく、キリスト教などとっくの昔にすたれた様に見えます。しかし、普通の市民生活の根底には、やはり、キリスト教精神は、深く根付いているのでした。
ただ、社会に蔓延して居る装置を、使った観念の横行で、人々は往々にして、上下関係がある様な気持ちになってしまうのです。しかし、目下だと、思っていた相手から、条理を尽くして、自分の間違いを指摘されると、たちまちに、自分の間違いに、気が付いて、自分と相手を対等なものと、新たに、考え直して、自分の間違いの方を謝罪をしてくれるのでした。これが、・・・・・イエス・キリストの前では、人間は誰でも平等だ・・・・・・と、する、西欧人のです。それと、・・・・・面子を優先し、金銭的優位をも、重大なファクターとして、優先し、また、人的コネとか、知遇の多寡を考慮する日本では、見知らぬ者同士の間では、謝罪はないが、知人との間では、謝罪しないで、済む様に、最初から気を使っている・・・・・という日本人との差を生んだ、ものだと、考えました。
また、欧米では、混血とか、人種の混合が多くみられるので、それだけに言葉が、大切であって、論理的にもの事を運ぼうとするのですが、日本では、単一民族の国なので、論理で、事を運ぼうとすると、嫌われますね。以心伝心でいいと、思われていて、最初の結果(特に勝敗とか、上下関係)を覆したくないと、思われている模様です。
私は、このブログの世界で、「自分はお金を稼げない人間ですから」と、よく言っています。が、実は、それを誇りにしているぐらいなのです。自分で稼ぐという意味では、お金とは無縁な場所で生きている。でも、親の保護があって、いままで、特に不自由なく生きてこられました。そして周辺の人からは、遊んでいる、できの悪い人間だと、思われながら、・・・・・だから、高級な衣服も来ていないし、社会的な地位もないし、肩書もないのだけれど、・・・・・常に、自分を、自由に解き放ち、自分の周辺を観察し、その因果関係を考え、そして考えた結果を文章に残すと言う事をやってきました。それが、一番好きな事だったから、好きなことをやることができて幸せです。
私と、比較をすると、この、浄妙寺周辺の住宅地に住んでいるらしい、仏頂面の奥さんの、使ったお金とか、貯めたお金の総額は、ずっと、大きかったと、想像しております。子育て(中学から私学に通学させると、多額の費用が掛かるはずだ)も入れれば、そして、自分や夫の親からの遺産も入れれば、一生で、三億円は、使ったか、貯めたかは、したであろうと、おもっております。
でもね、彼女の『私は、お金持ち、ざあーますのよ』と言う、ホコリに満ちた様子を見ながら、ただ、ただ、内心であざ笑っていたのでした。『あなたって、本当に美しいものとか、本当に喜ばしいものの事を、知らないのですね』と、内心で、思って。
一方で、私の方は、たった、5円か10円かと言うほどの、古い軍手をめぐるエピソードに、何週間にも、わたって、こころ、癒されているのです。『丁寧な心配りの応酬だったなあ。それも、とても、間接的に行われたので、ちょっと、意味が通じにくいほどだったけれど、だからこそ、余韻が長く残っていて、味わい深いなあ』と、思っていて。
全体は、2016年6月13日に書く。なお、このブログの2010年より数え始めた延べ訪問回数は、3566100です。 雨宮舜(本名、川崎 千恵子)
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