銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

TV朝日、関ジャニの仕分け2015-2-22日版への感想△ さらに、加筆済み

2015-02-23 16:37:12 | 音楽

 今は、23日の夜11時です。銀座から帰宅をしたところです。ニュースを見ると、悲惨な上村遼太君の事件が、まだ、解決をしていないみたいで、かわいそうでなりませんが、引き続き、このミュージカルキッズ日本一の文章に加筆をしていきたいと思います。 

     副題1、『10歳の子に、大きく影響をされた私』

 2015年2月23日(月)、私は、有楽町駅を降りたとたんに、ディズニー映画『ピノキオ』の中のナンバー『星に願いを』が、口の端に上って、どうしようもないのでした。それも結構、声量大きくです。しかし、外堀どおり、みゆき通り、並木通り、晴海どおり、と、歩いていって、何十人と出会い、交差点でも、ほかの人が傍にいるのに、誰もこちらを見つめません。こういうときは、すごくいい声が出ている証拠なのです。皆さん、『ビルから、または、お店から、何か音楽が流れ出ているのでしょうね』と判断をするらしくて、すぐそばにいる人間が、アカペラで歌っているとは思わないのでしょう。

 で、私はすぐ、これは、前夜、テレビ朝日で、見た小学生が、競争をする番組の影響だと、推察しました。そこに、4人の10歳前後のお子さんが出てきたのですが、第二位になった、4オクターブの、オペラボイスを持つという、お嬢ちゃんに、完璧に憑依されたのです。もちろんのこと、私は72歳だから、10歳前後の声の質とは違います。でも、どういう風に声を使うべきかを、負うた子に教えられの、典型として、彼女を見ているうちに、自然に、体得していたのでした。

 ねえ。それは、NHKが放映するメトロポリタンオペラの番組の司会をする、ルネ・フレミングになってしまったか、それとも最近、NHKクラシック倶楽部で、何度も同じものを再放送しているハンガリー出身の美貌の、ソプラノ歌手、アンドレア・ロストになったかと、思うほどでした。ちょっと、挿入ですが、アンドレア・ロスト「は、伴奏者の浅野菜穂子さんを、大切にしていて、それは、美しい情景でしたよ。で、元に戻れば、

 そのお嬢ちゃんは、横川温花と、いいます。はるかと、読むらしい。

 子供に、音楽を種に、競争をさせるなんて、ひどい話だと思います。でも、ミュージカルキッズ日本一を決めるというこの番組で、歌い方の、コツを、とことんのレベルと、深みで、教わってしまったのですから、この番組のその日は、許せるといわないといけませんね。

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副題2、『なぜ、横川温花ちゃんが二位になったのか?』

 私は、音楽の美しさを表現していたのは、四人のうち、二番目に出てきた男の子と、この4番目のはるかチャンが、すばらしくて、あとの二人は、それほどでもないと思います。ただ、その、それほどでもないと、私が言う二人のお嬢ちゃんは、すでに、ミュージカルの舞台を踏んでいるのです。だから、圧倒的なレベルで、自己アッピール力があります。坊やは映画には出たそうです。だが、まだ、舞台には立っていません。

 これをいうと、ほかの三人のお子さんには、残酷かもしれませんが、はるかチャンだけが、まだ、舞台にも映画にも出ていないのです。で、お金を稼ではいなくて、ただ、母親と一緒にレッスンに励むという段階だそうです。でも、はるかちゃんを、これほどに、鍛えぬいたのですから、横川夫人も、モンスターであって、はるかチャンを、もしかすると、苛め抜いているのかもしれません。デモね、私は、10歳前後から舞台に出すというのは、賛成ではないですね。人生は長いです。だから、横川家の方針のほうを好みます。

 ただ、子供らしさという点では、一位になった子・上垣ひなたちゃんの方が上かもしれません。

 この節では、なぜ、はるかチャンが二位になってしまったかというポイントで語りたいです。

 それは、順番の妙だったのです。二回目の競争のときに、二人は、同じ曲、アメージング・グレースを選びました。そして、一位になったひなたちゃんが先に歌いました。その歌う前に、抱負を述べました。すごい迫力だったのです。

 その上、番組のタイトルに、関ジャニの仕分けとありますよね。これは、関ジャニの誰かが、これから始まる競争のうち、どちらが勝つかを予測するというシステムです。その二つに、はるかちゃんが、左右をされてしまったのです。

 歌いだしたとたんに、『あ、さっきとは違う。今度は、すべてが出ていない。さきほどの、40%ぐらいしか出ていない』と、感じました。

 だから、はるかちゃんは、負けたことは気にしないでいいです。ただ、はるかチャンのお母さんが、はるかチャンを、負けたことで、叱るのではないかと、心配をしています。はるかチャンの表情には、ちょっと、大人びたところがあって、それは、お母さんの、せいだと思うので、心配しています。ゆっくりね。人生は長いよ。ゆっくり進んでくださいと、いっておきたいです。

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副題3、『それに、つけても、上村君や、都史君の、かわいそうさよ』

 中一の少年が、多摩川下流の河川敷で、全裸遺体で発見をされました。隠岐諸島から、出てきて、まだ、一年前後だそうです。隠岐にはとても、いい高校ができていて、東京から国内留学するそうです。NHKの何かで、見ましたよ。もし、親が「この子は優秀だから、東京で、教育の機会を増やしてやりたい」と考えて、上京をしたのだったら、とんでもないミスでしたね。

 私たち夫婦は、鎌倉の自宅で、今朝、話し合ったのですが、都会の不文律(子供には子供の世界のそれがある)を知らなくて、部活などで、天真爛漫な発言をしてしまい、生意気だとみなされたのでしょうか? そんなところではないかと、思います。13歳だったら、女の子の、とりあいっこなどは、まだ、関係がないでしょう。この予測は、実は間違っていたみたいですね。両親が離婚をしたので、母方の、故郷に帰って来ていたそうです。いろいろ、かわいそうなことがいっぱい裏にあるらしい。

 でも、これほどの、ことをされるほど、いじめられていたのに、どうして、周りが、救ってあげられなかったのだろう。本当に、残念でたまりません。

 加害者の、親に、子供を育てる力がないのです。本当に、日本は大変です。

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副題4、『鎌倉の自宅には空がない』

 高村光太郎の妻千恵子は、『東京には、本当の空がない』と言ったそうですね。でも、今は北京よりはきれいだと、観光に来た中国人に言われていますが。実は、私の鎌倉の自宅にも空がないです。東と、南の窓からは、木しか見えません。で、月の満ち欠けなど、分かりません。また、日蝕とか月蝕も見ることができません。他人からの視線がないことは素晴らしいのですが、そらとは無縁の生活です。

 昔、新小岩の写真スタジオに、作品の写真を撮ってもらいに行っていたことがあって、そこら辺りが、関東平野そのもので、空が広い事には、いつも感嘆していました。で、新橋駅に降りたり、有楽町駅に降りると、ビルはあるものの、広い道路の、上には空が広がっています。そうすると、気宇壮大という、感覚を得ます。それで、歌が出て来るらしいのです。ただ、銀座に行くたびに歌が出るわけでもなくて、本当に自由を感じて、心が明るい時だけです。

 しかし、私が自由自在に歌を歌える様になるまでには、人生の途中で、あっちへ曲がったり、こっちへ曲がったりの、紆余曲折があるのですよ。高校生の時まで、人前で歌うなんてありえないことでした。それを語りたいが、今は、ミュージカルキッズについて語りたいので、自分のことは、後回しというか、ここでは止めておきます。

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副題5、『辻井伸行君は、母との離脱への願いを、外へ向かって、話していますね』

 私が最も心配をしたことは、横川温花ちゃんという少女の<歌い手>としての完成度が、高すぎることなのです。しかも、お母さんが、指導をしているらしい。そうなると、絶対に、行き詰まるときが来ると思うのです。それが、唯一無二に心配です。それに、他の三人の子と比べても繊細な感じがしますので。ただね。音楽の技術において楽器なら、小さいころから訓練をする必要があって、声が、楽器の一つなら、これで、いいのかもしれませんが・・・・・、難しいですね。

 上の方で挙げた、上村遼太君は、私の想像とは違って、貧しいから、祖父母との同居を目指して、お母さんは、自分の故郷の川崎に帰ってきたのでした。しかし、5人も子供がいて、働かないといけないので、この遼太君に関しても、あまり、面倒を見ていなかったと見えます。一か月知覚、家に帰っていなかったというし、あざだらけだったというのに、防衛策を講じていません。それに、比較をすると、上の番組に出てきた、4人の小学生の、なんと恵まれている事でしょうか?

 しかし、経済的に恵まれており、環境的にも恵まれているお宅の中には、結構精神的な悩みに、襲われている家庭もあるのです。横川温花ちゃんが、母親の、何かの代償(たとえば、自分が本当は、有名になりたかったのに、それができなかったので、子供に夢を託すなどということ)で、ここまでの、訓練を課されていた・・・・・などということがない様に、切に祈ります。

 バーンスタイン賞をとって、世界的に、有名になっていった辻井伸行君には、目が見えないと言うハンディがあります。で、『男って、大体、子供なのに、お父さん(お医者さんだと聞いている)、放ったらかしで、大丈夫かしら?』と、思うほど、お母さんが、伸行君に、つきっきりでした。ただ、送迎のお世話だけではなくて、楽譜の点字化なども、お母さんがになっていたらしいです。でも、テレビの中で、伸行君が、「もう、そろそろ、お母さんと、離れて自立をしないといけないのです」と語っていました。私ね。よくぞそこまで、無事に育ちましたねと、本当に驚き、祝福をしました。

 ハンディがあることで、却って、無事だったのです。もし、伸行君にハンディがなかったら、早晩、亀裂が入ってたいへんなことになったでしょう。ある一点で、マイナスポイントがあることで、普通の人が陥りがちな、傲慢とか油断という項目から、辻井家は、逃れてきたのでした。何が幸いするか、分からないの典型です。

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副題6、『森麻季さんは、ピアノで、母と、一緒に格闘をしていたが、行き詰まっていたのですよね』

 森麻季さんと言う美形の歌手がいます。毎年お正月、NHKが放映するオペラ歌手のガラコンサートの常連です。私は何となくですが、ごめんなさいと言うところがあって、ファンではありません。しかし、今、このブログで、触れるにあたって、念のためにグーグル検索をしたら、私の想像通りだったところもあるし、想像を超えて、成長なさっているところもありました。想像を超えてと言うところは、イタリア人と結婚をされて、長男もすでに生まれているとのこと。これは、知らなかったのですが、いいことです。ただ、美術関係を考えると、子育てとの両立は、本当に難しいのですが、歌い手は、どうだろう。がんばってくださいと言うしかないが。

 しかし、私が何となく、嫌っていた部分をしっかりと、指摘をしている項目もありました。それは、二期会が、団を上げて彼女を大宣伝をしたという項目です。二期会が主導権を握って、彼女の露出を増やしているという事、それは、知りませんでしたが、ご本人の実力以上に、有名になっている人の一人だと思っていました。器楽を入れれば、日本人演奏家も、数知れず、生まれています。世界的な活躍をしている人が、他にも大勢ますが、メディアのサポートがあって、その力で、120%の実力を出せる人と、実力があるのに、よい発表の場が与えられていない人もいるでしょう。森麻季さんは、得をしている人の方だと思っていましたが、クラシック音楽通の人が、音楽通ではない人に、そこら辺りを解説していたので、なんだ、自分の想像は当たっていたと、思い至った次第です。

 ここで、麻季さんの子供時代を語りたいのですが、ご本人は、ご自分のお子さんを育てている段階なので、ご自分が育ちあがったころのことは、遠く過去に消え去り、グーグル検索でも、あまり、出てきません。しかし、ピアニストを作り出そうとしていたお母さんに、きつく練習をする様に、課せられていたので、麻季さんは、一時期練習もさらに言えば音楽そのものも嫌いになっていったのです。

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副題7、『麻季さんを救った国立音大の付属高校の先生って、女性だったのだろうか。男性だったのだろうか?』

 そんな麻季さんの救いになったのが、高校時代の先生の一言だったのです。お歌を歌うことに挑戦をしてみたらでした。お歌の方が短時間で、完成へもっていけることの楽しさに目覚めた、麻季さんは、音楽に再び、向かいたいという新鮮な、意欲を、掻き立てられ、救われるのです。だが、その前の、3,4年は、地獄だったでしょうね。

 麻季さんを救ったその先生って、女性だろうか、男性だろうかと考えることがあるのですが、きっとじょせいだっただろうと、私は思っております。演奏家として、舞台に立つことではなくて、教師という道を選んだ人ですから、地味な人です。そして、愛情豊かだったでしょう。麻季さんは、プラシドドミンゴにも見出されステップアップをしてもらっています。

 麻季さんって、年上の人にかわいがられるタイプの様です。私も似ているので、よくわかるのですが、これは、神尾真由子さんなどとは正反対の、暮らし方から生まれるものです。親の愛の質が違うのです。

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副題8、『神尾真由子さんは、先生からの干渉を嫌い、自分自身の、音楽表現にこだわるが、その原点は家庭教育にあるだろう』

 両方とも愛情は深いのでしょう。だけど、神尾さんのご両親とか、祖父母たちの方が、より緩やかな、また、より広い、または、より自然な愛情を示したと、思われます。昔は、こういうタイプの親がいたものですが、今は、非常に少ないでしょう。で、神尾さんは、のびのびしきっています。むしろ、生意気なほどの、自己実現を音楽の世界で、求めます。

 とても新しいタイプです。

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副題9、『どうか、横川温花ちゃん、大きく育ってね。祈っていますよ』

 これは、副題に書いた通りです。歌い手としての、私の、全身を改造してしまった、恐るべき小学生です。別にコーチをしてもらったわけでもないのに、彼女を見て、その声を、聴いているだけで、発声をどうしたらよいのかの、こつが飲み込めました。これから、試練の時が来ると思います。まず、両親との反抗期を無事に乗り越え、体を大きくして、そして、どういうところで、次の先生を見つけるか、いろいろ、課題が生まれるでしょう。上手に生きていってほしいと思います。

 なお、このブログの、2010年より数え始めた延べ、訪問回数は、2764795です。

                     2015-2-23 雨宮舜(本名、川崎 千恵子)

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