銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

小川寛興(月光仮面・主題歌・作曲者)の【遥かに蝶は】(NHKみんなのうた)が、好きで・・・・

2015-08-16 16:02:03 | 音楽

副題1、『私が特に好きだった曲を、歌手として、歌っていたのは、由紀さおりだった』

 前報の中で、夏休みなので、「ぐっと肩の力を抜いた書き方にします」と、申しあげております。それでも、あれは、一応にして政治モノでした。ところが、本日は、【NHKみんなのうた】と言う圧倒的に平和な、分野の、お話に入ります。

 今グーグル検索をしてみると、NHKみんなのうたは、1961年に放映が始まったとされています。でも、私はたぶんですが、1973年か、1974年ごろに、子育ての為に聞き始め、子供が、小学校へ上がると、ながら視聴になり、中学校に入ると、ほとんど聞かない(または見ない)という形になったと思います。

 しかし、たった五年程度の視聴でも、愛唱歌は、発見できたものです。

 で、私は、『この歌が好きだ。マスターしたい』と思ったら、楽譜を買わないと落ち着かない人なのです。不器用と言うか律儀と言うかでして。。。。。と言うわけで、NHKみんなのうた第12集を持っております。

 それは、初版が、1971年(=昭和46年)11月20日に発刊ですが、私が実際に持っているのは、その12年後に発刊をされた第17刷です。その中の、第15曲目、『遥かに蝶は』が、好きで、楽譜を買ったという記憶があります。

 その楽譜集には、当時では、歌った歌手の名前は、出て居ないのです。後日発刊をされている版では、どういう風に変化をしているかは知りませんが・・・・・で、今、グーグル検索をすると、なんと由紀さおりでした。おーっと驚きます。

 で、由紀さおりが、【夜明けのスキャット】で、大ブレイクしたのがいつだったかを、グーグルで検索をすると、それは、1969年だったので、こちらの方が後ですね。既に有名人になってから、この『遥かに蝶は』を歌っているのです。ところが私の記憶の中からは、歌手由紀さおりと言う項目はすっかり抜け落ちていたのでした。

 でも、1984年刊行の第17刷目のこの楽譜集を買ってから、以降、5年ぐらいは熱心に歌ったと思うのですが、それ以降、特に、1990年に入ってからは、上野の公募団体展に、入選する様になるので、お歌は、お休みとなり、25年間も歌っておりません。それなのに、今朝、2015年8月15日の朝、25年ぶりぐらいに、このメロディが頭に浮かんだのでした。不思議な事でした。どうしてなのか? それは、無論のこと、このメロディが好きだからなのでしょう。

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副題2、『この曲を好きなのは、単純な曲なのに、憧憬の気持ちが、含まれているからだろう』

 私は外見は、井上ひさしに、何度となく、「ブス」と呼ばれています。ここのコメント欄でね。で、そうなんでしょう。外見は特に。しかし、心の中は違うのです。

 むかし、ある、年は、私より若いが、世間的には、私より有名な女流画家から「あなたは、女中タイプ?、それともお姫様タイプ?」と、の質問を受けて、「もちろん、女中タイプよ」と答えた途端に、相手は沈黙をしてしまいました。今になると、相手があの時、腹の中で何を考えていたか、手に取る様に判ります。つまり、『何言っているのよ。あなたって、いまだに、引きずっているわよ。子供のころの、お姫様願望を。早く現実に即応して生きなさい。早く女中修業をしなさいよ。上を敬いなさい』と言いたかったのでしょう。(苦笑) 彼女は年齢こそ、私より若いものの、生き方としては、現実と折り合いをつけていて、上を敬い、上になついて行っているから、いわゆる出世を遂げているのでした。

 私達に、実は、自由はないです。誰かに屈して、宮仕えしないと、お金がもらえず、生きて行かれません。しかし、私は子供のころから特別に夢が大きく、憧れの気持ちも大きく、白昼夢に浸っていることの多い子供でした。だから、母に運転免許は取らない様にと言われています。これは、素直に行くことを聞いちゃって、損をしたなあと、あとで、思うことはありますよ。だけど、大体において、ものを考えていれば満足をするというタイプです。

 そして、本当のことを言うと、天界に常に目を向けていて、鳥の様に、上の方に行きたいと願ってもいるのです。

 その様な憧れの気持ちをこの曲は、満たし、慰めてくれるのでした。

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副題3、『その曲はグーグル検索で、堂々と、多項目として、出現をしているのだった。すでに、名曲として定着をしているのだった。そのことについては、一つも知らなかったけれど』

 今午後4時になって、念のために、【遥かに蝶は】と言うキーワードで、検索をしてみると、すでにたくさんの、項目が上がっておりました。詩も素晴らしいとして、オマージュがささげられている文章があり、曲もYU TUBEに、何個か載っているみたいです。

 皆様も、ご興味があれば、クリックしてみてください。美しい曲です。片岡 輝作詞、小川寛興作曲です。実は、このことを知る前には、これから先を明日書く予定でした。ところが、YU TUBEで、実際に曲が公開されていると知って、突然に、最後まで、この章を書き抜く気持ちになっております。

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副題4、『歌手と、作詞家の名前は忘れていたのに、小川寛興氏の名前は、ずっと、40年近く覚えていて、しかも、三世時蔵・ひな夫妻の長男だと、認識していた・・・・・つまり、錦之助、嘉津雄の兄だと、ずっと、思い込んでいた』

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副題5、『私は、三世時蔵の子供世代が、存在感が薄くて、それで、中村獅童など、苦労をしていたのだが、最近、獅童が歌舞伎役者として大きく成長したうえに、三世時蔵の孫世代が、美形で、能力が高いということで、人気者となっているのを知った。歌舞伎座で、萬屋と言う掛け声が大きかったから』

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副題6、『ぼんぼり祭りでの、中村嘉津雄のぼんぼりが、レベルが高いし、小川寛興氏も名作を作っているし・・・・・小川一族はセンスがいいのだ。不遇の時期を抜け出して、幸運の時代に入った・・・・・と思っていたのが、小川寛興氏が、小川ひな女史の子供ではないと、文章を組み立てるつもりの、目論見がくるってしまった』

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副題7、『しかし、私は小川寛興氏が、小川一族(=萬屋錦之助の一族)の一人だと信じ切っていたので、歌舞伎俳優の家系図などを、見たりしていて、小川寛興の名前が無いので、さらに、小川寛興氏について調べると、氏は有名な楽曲として、【月光仮面の主題歌】等を作曲していたのだった。思っていたよりも、大衆的知名度の高い人だった』

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副題8、『萬屋一族も、一時期、不遇だったのだが、猿之助一族も歌舞伎座出演と言う意味では、不遇だったみたいだ。しかし、現在の猿之助(元亀次郎)は、歌舞伎役者としては、素晴らしい才能の持ち主で、澤瀉屋の代表として、大人気ものであることがしっかりわかった。銀座をパレードしたり、成田山新勝寺でも、何か、大きな催し物を開いたというのは、むべなるかな』

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副題9、『私は香川照之を、中国映画【鬼子来了<邦画題名。鬼が来た>の主演以来、非常に高く評価しているのだけれど、最近歌舞伎役者としての評価が低いと聞いて心配をしていた。しかし、自分で見ても、そうだったが、ネットの評判を見ても、7月大歌舞伎、牡丹灯籠での、彼の演技は、絶賛をされており、復活なったというか、歌舞伎役者として、充分にやって行かれるとの、安心感を得た』

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副題10、『しかし、香川照之が輝いたのは、玉三郎のおかげらしい。玉三郎って、非常に頭がいいし、志が、高い模様である。歌舞伎役者とは、門閥の世界であって、別の家から、養子として、それほど、大きな役者ではなかった勘弥の養子になっただけなのだが、立派な人である模様だ。女役なのだけれど、いわゆる棟梁と言うかリーダーシップを放つことができる存在なのだろう』

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副題11、『この前、鬼子来了の監督が来日したが、その来日は、私に対する政治的な意味があったね。だが、ここでは、その詳細には、触れないでおこう』

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