銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

石春産業の常務と安野智紗夫人は、見つめ合い、ウィンクさえしあったが?・・・・・三菱銀行、鎌倉市、神奈川県・・・・・雪の下黒物語の8

2018-02-27 21:37:18 | 政治

 この一文ですが、総タイトルには、出てこない名前ですが、相当な大物も途中で出てきます。ただし、大物と言ってもテレビに出る芸能人としての大ものではありませんよ。この日本社会を形成している、真実のエリートたちです。テレビには出ない人達です。

 この一文ですが、総タイトルには、出てこない名前ですが、相当な大物も途中で出てきます。ただし、大物副題1、『安野智紗夫人について、いつか、・・・・・過去に書いた文章を、集約して、置かないといけない・・・・・と、本日は、切に感じたものだった』 

 本日の総タイトルですが、あたかもメロドラマの一シーンみたいですが、さにあらずです。これは、政治的に、非常に重要な事なのです。しかし、私は、確定申告の準備をせねばならず、この現象を、ここに、記録をして置くだけにして、・・・・・安野夫人とは何者であるのか?・・・・・については、余分な、というか、深い説明は致しません。しかし、政治的に非常に重要な人物であり、尖閣諸島問題は、彼女が過去にやった悪事の数々を隠滅して行くための、私への脅かしとして、この一億二千万人の、日本人と、12億もの中国人を、単なる、道具として、使役しきって、起こされた外交問題です。それが、公的な問題と見える様にするために、一億二千万人の日本人と、12億人もの中国人は盾と言うか、道具として、使われたのでした。

 ここにこういう風に書くと、近々、また、中国艦船が、警戒水域を突破した云々というニュースが出て来るでしょう。出てきたら、ますます、私が言っていることが正しいのですが、出てこなくても、私が言っていることは正しいのです。ただ、本日は、皆様に納得をしていただくための傍証づけの文章のリンク先を見つけるのが、20時間ぐらいかかるので、説明をしませんよと、言っているだけです。

 彼女があまりにも悪女なので、私の方は、一年ぐらい前に、彼女が何を行おうと、「書くのもおぞましい」と、このブログの世界で、言っていて、かつ、実際に、最近は、筆を染めておりません。で、私の敵たちは、彼女を再び使い始めているのです。雨宮舜(=本名、川崎千恵子)は、彼女(=安野智紗夫人)のことは書かないから、と、伊藤玄二郎たちに、思われているので、彼らが『勝った』と思って居るタイミングで、私の目の前に現れ、如何にも小ばかにしていやみたっぷりな、表情を取ります。

 で、その流れの中で、そそのかされて、というか、実態としては、命令をされて、本日も動いたと、見えます。だけど、事が、ここまで、大きくなると、彼女についても、相当に深くかつ大量に書かないといけませんね。しかも、過去に書いたものをひっくり返し、全部、集約もしないといけません。したがって、余裕があるときに、この一文を再度、編集し、加筆し、意味のあるものにいたします。公開時間も、安野夫人について説明ができた時期の、日時の方に、移行をさせて、皆様に、確実にそのブログがトップになり、目立つという形で、見える様にしますし、文章の中身についても、加筆を大量にして、意味が通る様にいたします。

 本日は、そういう【重要な現象を見た】とだけ、記録をさせておいてくださいませ。重要な現象とは、・・・・・石春産業の専務が、・・・・・・私の目の前で、私と会話をしているのにもかかわらず、・・・・・・山ノ下から、上がって来た安野夫人を見つけると、・・・・・突然小走りで、そちらへ向かって、7mぐらいを走り抜き、・・・・・・彼女に対して、ペコペコして、何らかの会話を交わしたのちに、・・・・・眼を見合わせて、ウィンクまがいの事をした・・・・・と、言う事です。非常に重要な事なのです。最後にそこへもって行きますが、まあ、お待ちくださいませ。途中の説明が必要です。今日一日だけについても、相当量の説明が必要です。

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副題2、『ところで、そのベッタベタぶりを、私が目視した、時間が、何時であったかという事は、重要である』

 ところで、その時間が、正確には、何時であったかは、重要です。それは、午後の、2時15分ごろから、45分までの間だったと思います。どうして、そういう幅広い時間帯を、ここに提示するかと言うと、私は、腕時計をはめては、居なかったので、正確な時間が判らないからです。でも、その30分間であるという事は、べたべたぶりが、重要なのと同様に、とても、重要なのですよ。

 私は前夜、ブログを一本書き、その後、頭を整理するために、不動産物件の広告を見たり、単純なパソコンゲームをしました。その間ですが、家事を、ぼちぼちと、こなして、全部で、二時間ぐらいを、使い、午前五時に寝入りました。そして、一回、目覚めたのが午前11時50分前後だったと、ラフにですが、覚えております。

 居間に入ると、主人が早めのお昼として、何らかの麺類を、作ったらしくて、ちょうど、食べ終わったところでした。スープだけの段階のどんぶりが見えました。ところで、私は、何となく頭が、さえて居ないので、『本日は、確定申告の最終段階をまとめるにあたって、この頭のレベルでは、だめだなあ。間違いを記入してしまいやすい』と、判断をいたしました。で、主人に、「ごめん、もう一回、寝るわね」と言って、寝室にこもりました。そして、二度寝をしている最中に、ブザーが鳴ったのです。

 それが、ちょうど、二時ごろだったと、推察しています。主人は、ウィークディは、午後1時55分から始まる、二時間、ミステリーを見ています。BSと、地上波のどこかで、その時間帯には、二時間ミステリーか、一時間ミステリーを、二時から放映をしているのです。私は、インターネット環境の問題が、あって居間で、パソコンを打ちます。それと、プラスして、・・・・・男とは、女に、見放された様に感じるのを嫌うのだ・・・・・と、いう習性については、熟知して居ますので、他の部屋で、一人で、パソコンを打つのではなくて、居間で、ユジンの傍で、パソコンを打っています。

 その際に、ミステリードラマが、耳に入ってしまうと、集中力が途切れてしまうので「どうか、イヤフォンで、聞いてください」と頼んであります。そして、イヤフォンで、彼が、音声を把握して居る期間中は、無音、機能スイッチを入れてもらって在ります。

 我が家の玄関で、インターフォンのスィッチを入れると、家の中では、廊下(=階段ホール)で、音が鳴る様になっています。で廊下に面して、私の寝室と、主人がテレビを見て居る居間とは、まったく同じ種類のドアで、隔てられているのですが、主人は、ヘッドフォンを当てて、テレビを見ているので、インターフォンの音には、なかなか、気が付きません。

 ここですが、・・・・・本当に、神様は、いらっしゃるなあ・・・・・と、思う処なのですよ。本当にそうなのです。

 このアジサイ畑欺罔事件の、証拠隠滅は、2007年の秋から始まっているのですが、主要な個所では、すべて、私の方が、立ちあう事が出来て言います。そして、正確な事態を把握しぬいています。

 2008年、5月9日(または、4日・・・・・後で、正確に調査しますが、どちらかです)の、藤本母娘が、自分の土地を、石井秀樹あづさ夫妻に売るために、測量を頼んだ日も、敵連中は、主人にだけ、知らせておいたのに、私は見事に、藤本母娘と、山のしたの川合邸前で、会って、一緒に山を上がってくるという形で、立ち会ったのでした。

  以下は、28日の午前二時から加筆する部分です。

その日だけ、どうしてか、午前五時に目が覚めて、ふと、・・・・・鎌倉市内では、早朝には、どういう感じの現象が見られるのか?・・・・・・について、興味がわき、5時半から、散歩に出たのです。そして、三時間、下馬の交差点まで、行って宅をしたのです。途中で、拒食症(本当に骨と皮だけの状態だった)のお嬢さんを無理やりに散歩に連れ出している、母親に出会って、エッセイの種を一つ拾って帰ってきています。で、八時45分ぐらいに山ノ下まで、帰宅をして来て、藤本夫人・母・娘に出会ったのです。当時、主人は毎朝、8時半に家を出ることとなって居ましたので、主人にすれ違う事もありませんでした。その萌芽これまた、よかったのですよ。主人に出会うと、そこで、みっともない夫婦げんかをしないと成らなかった筈ですが、合わなかったので、それは、幸いでした。

 当時、既に、藤本母娘は、下界の鎌倉駅そばに新しいお家を建てて、引っ越して行った後だったので、こんなに朝早く、ここにやってくるのが不思議で、「どうしたんですか?」と、聞くと、何かのやり取りが間に入って、私は藤本夫人が、土地を売ろうとしていることを知るのでした。で、「どこの業者にお願いをなさったの?」と聞くと、藤本夫人は、とても、嬉しそうに、かつ、威張った形で、「三菱銀行よ」と答えるのでした。しかし、すぐ、お嬢さんが「しっ」という形で、母親を制しました。お嬢さんは、強すぎるお母さんに支配をされ切って居て、気の毒なところがある女性ですが、それでも、地味ながら、学校の先生を長らく務めてきているので、人間ができて居て、大切な処では、母親を注意できる模様でした。三菱銀行と言う名前が出てきた途端に、お嬢さんが、し、しっと制したので、私は、その瞬間に、大きく進歩したのでした。鎌倉エージェントの真実が、どうなっているかについての、考察に、おいてです。

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副題3、『ここで、三菱銀行と、小室圭君に戻らないといけない。三菱銀行が、非常に大きくこの件(=雪ノ下黒物語の中で、縷々書いている事)で、動いているのだけれど、その中心が誰であるかについて、個人名も大体わかって居るのだ。だけど、その人物は、私に対して、命令された意地悪しかやって居ないので、ここで、名前を上げることはしないでおこう。その人物と私が、まだ、仲良しであるという事が、こちらだけではなくて、石塚雅彦さんあたりにとっても役立つことだと、わたくしには、見えているからだ。ただ、彼が、動いて、父親が居ない、小室圭君が、三菱銀行に就職することができて、かつ、東京都心(丸の内支店だとか?)に勤務できることとなったと、推察している。したがって、小室圭君と眞子さまのご婚約とは、恋愛などではなくて、まったく新しいCIA主導の政略結婚だったのだ。

 どうして、小室君が選ばれたのかと言うと、優秀な日本人を支配する為には、日本人の上に、在日を置き、韓国や、韓国人も、日本や、日本人の上に置くというコンセプトがあって、その概念と関係があると、思う。しかし、そういう目的に使うとしても、もう少し、家柄が良く、資産もある、ご家庭から、専任するのが、普通だと、思うけれど、美輪明宏さんのラインからか、どうかは、知らないけれど(後注2)、小室君が選ばれてしまったのだ。眞子さまに選ばれたのではなくて、鎌倉エージェントたちに、選ばれたのである。後は、ただ、ただ、「あなたは、素晴らしい青年で、眞子さまに、ふさわしいのだ」と言う洗脳が施されたと、私は、見ているわけで。

 ただ、かわいそうな小室君は、皇室とご縁ができるにしては、あまりにも低い階層のお生まれであり、しかも、あまりにも資産のないご家庭の、出身だったので、破たんが、衆人に見えることとなってしまったのだ。

 気の毒なのは、眞子さまだけではない。小室君も可哀想で、気の毒な存在だ。ただし、私は、落ち着いている。そろそろ、井上ひさし(=鎌倉エージェントの一人だが、謀略=嘘を考え出す人間として、機能をしちる。その嘘も、私のブログからアイデアを取っている。ここで、書いている正しい事を否定する方向で、事件を作り出し、それをNHKに報道をさせるのが、井上ひさしの役目だ。それに、専念するために、彼は、自分を死んだことにしている。と言うのも、私が、2009年ごろは、まだ、元気いっぱいであり、夜昼、絶え間ない形で、新しい文章を書いていたので、それに追いつくために、2010年4月9日に自分を死んだことにしたのだった。

 そのアイデアマン、井上ひさしと、私との間に、逆転が起きる兆しがあって、この眞子さまと、小室圭君の結婚の延期も、その一つだと、思っているから。小室君を眞子さまに結び付けようというアイデアを出したのは、無論のこと、井上ひさし達であろう。誰が、どう動いて、協力をしたとしても、原案は、彼が、作り上げたものだから。で、もう、一つ、最大級の攻撃があって、それが、10月の25日、お知らせが我が家の郵便受けに入って居た、12月10日開催の、町内会総会(と言っても、出席者は、16名以下だったと、思うが・・・・・)であって、そこでアジサイ畑欺罔事件の、証拠隠滅の、最終段階を目指す工事を行う事が決定をされたのだが、

 このアイデア、そのものも、数年前から、井上ひさしと、伊藤玄二郎から出されていると、私は見ている。

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副題4、『藤本夫人から、三菱銀行という言葉が出てきた途端に、鶯吟邸を、八幡宮様に、「お買いなさいませ」と、言うアイデアを、出したのも、原初の存在は、井上ひさしであり、間に、いろいろな、人がたって、三菱銀行・鎌倉支店が、不動産仲介の役目を果たしたのだと、瞬時に分かった。ただし、その間に立つ人間として、瀬島龍三がまだ生きて居た時代に、この件が成立したのかもしれない・・・・・それは、私が初めて、ぼんぼりを検討することとなった、日々であって、』

 法務局に行って、鶯吟邸の、持ち主が、横浜の土建業者から、いつ、鶴岡八幡宮様のモノへ、変更になったのかを調べれば、正確な年度が判るのですが、鶯吟邸と言うのは、川口順子元外務大臣のご実家で、ご母堂が、ご高齢で、暮らしておられた数寄屋造りのお屋敷です。その方がなくなったために、売り出すことになったのです。それは、多分ですが、1995年から、1998年の間です。で、買い求めたのは、横浜北部で、土建業を営む活発な五十代の男性で、ひどく気に入って居て、毎週末白いベンツでやって来て、たき火をした利、また、巨石を、大クレーンを八幡宮様の、参拝者用、駐車場に入れて、庭へ、運び込んだりしていました。50代ですが、見るからにやんちゃな、赤ら顔の男性で、たき火をすっかり気に入ってしまったみたいです。木製の門を、ブロンズ形式の、モダンな、モノにかえ(高いだろうが、家とは、合わないものとなった。しかし、中が透けて見える様にもなり、もち主が、門の中で、たき火を盛大に行っているのは、よく、見えた。

 火はめらめらと、高く上がる。門の中に、植木の植えて居ないスペースが、車二台分ぐらいあって、そこで、直径、2.5mぐらいの大きさで、たき火をやって居た。そのうちに彼はひらめいたらしくて、いわゆる産業廃棄物の類も燃やし始めた。と言っても、彼にすれば、白いベンツに乗せて、横浜から鎌倉まで、持ってくるものだから、新品であり、きれいに見えたので、問題がないと考えたのだと、思う。彼にすれば、産業廃棄物とは、古家を壊した時に出る、大量の腐敗した材木とか、腐敗した畳を指すのであり、新品のキッチンセット等を包んできたフィルムや、それを入れて来たいじめに段ボーる箱を、きちんと縛るテープなどは、きれいなものとして、彼は枯れ葉と一緒に焼いたのだと、思う。石油製品特有のにおいが混じる様になり、すすも出る様になった。

 さて、ある日のこと、とんでもないいじめに、私が出会う事となった。たき火が問題で、起きた事態だが、私が煙を出していないのに、問答無用で、電話で叱られたのだ。驚くべき礼儀知らずの、主婦たちだった。そのいじめの主導者は、前田夫人と、安野夫人だと、わかって居る。で、こういうことの積み重ねによって、鶴岡八幡宮の大銀杏は、倒壊をしたのである。白井宮司の時代だったと思うけれど、前田夫人は、共産党員だと、思うのに、國學院大學の講師に、推薦してもらったみたいである。そのごの、20年間にわたって、やりたい放題の、心理的な暴力を、対私へ、積み重ねているから、私を憐れみたもう、天が、前田夫人が、世間から叱責をされる様に、計らって、大銀杏を倒壊させたと、感じている。しかし、100%、彼女だけが原因ではない。彼女は、30%ぐらいの原因者である。

 前田夫人と安野夫人は、実働、10人にも満たない、この山の主婦たちを、階層に組み立てて、自分たちが、最も偉いと、思い込んでいて、その階層を維持するために、次から次へと新しいターゲットを見つけては、いじめるのだけれど、・・・・・・ここに前田夫人が、御成中学のPTA総会で、突然挙手をして、堂々と、意見を開陳し始めたエピソードを持ってこないといけなくなった。彼女の行動には、私もぎょっとしたのだけれど、私の、近所に座っていた人たちも、みんなフリーズをした・・・・・何がいけないかと言うと、中学期に母親が、PTA三役等をして目立ってしまうと、後々に子供が迷惑をするという事があるのだ。大体、そんなに目立つと、周辺では誰もが、『あそこの子供は東大医学部に行くのでしょうね』と、思い込む。で、もし東大医学部に進学できなかったら、内心で、前田母子を、あざ笑う事となる。それが、子供には迷枠なのだ。

 で、それは、賢いお母さんならみんな知っている事だから、前田夫人の、立ち居振る舞いを見ていると、ぎょっとしてしまう事となる。普通に生きてきた主婦なら、そして、賢い人なら、経験則として、知っている事である。彼女はそんなことも知らないのだ。未熟なお母さんであり、未熟な主婦だとは、知っていたが、そこまでとは、知らなかった。静岡大学卒だそうだから、田舎のお天狗さんだと、思われる。都会育ちではない。

 さて、前田夫人が強気になる裏には、自分をほめそやしてくれている、安野夫人が居るからだと、思われる。しかし、だれがみても、生き物として強いのは、安野夫人の方である。どうしてか、演技力が高いのか? 、または、教養が低くて、客観性が無いので、上に立つことができるか?、どちらかは判らないが、ともかく何のとりえもないくせに、他の人を従属させてしまうタイプなのである。

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副題5、『ここで、冒頭に戻ろう。石春産業の専務は、どうして、私とかいっをしている最中に、ちょこちょこちょこっと走って行って、安野夫人におべっかを使ったのだ? それは、大問題にしないといけない。だって、工事を行う場所は、我が家の私有地だ。それも、「被害があるので、困る」と説明をしている当人を、放ったらかして、何にも関係のない安野夫人に向かって、走って行かないといけないのは、なぜなのだ。これは、大問題だ。もちろん、種々の裏がある。それ故に、二人がウィンクをし合ったのだけれど、だからこそ、そのウィンクも、大門田とすることができる。私の様な、インテリで、頭の良くて、法律が、全部わかって居る人間を前にして、石春産業の、お坊ちゃまは、ミスていくをしたね。で、これは、書きようによっては、大問題にもなる・・・・・その説明は、間に、いろいろ挟まないとできないので、ここで、また、鶯吟邸の前の持ち主の焚火の話に戻ろう』

 私が出してもいない煙について大叱責を受けたわけですが、当の電話をかけて来たのは、井上夫人と言う方です。当時町内会のお当番だからかけて来たそうです。で、裏に前田夫人が居たことは確かなのです。が、これがひどい形の電話でした。ミスター井上の方は、岸田淳平と言うペンネームで活動をしている有名人です。まあ、教養が高いのでテレビ画面には登場をしません。ただし、テレビに出演して居る芸能人の裏で、支えている人材の一人らしいです。私が、風の便りに聞いたところによると、「歌の作詞が当たって、7000万円手に入ったのですって」という事でした。25年前の事ですから、凄い事です。この井上夫人の方は癌で、すでに亡くなっていますが、・・・・・これは、私に対して失礼なことをすると、天からの叱責として、死まで、賜ってしまうの初期の例だったかもしれません。ただし、今まで、これを取り上げなかったのには、理由があります。坊ちゃまが、非常に良い性格です。

 ああいういい性格のお坊ちゃまを育て上げることができるのは、井上夫人が、非常に良いお母さんだった事を示しています。略奪婚で、三人のお子さんを手に入れても、全然愛して居ない、安野夫人などと、比較すると、雲泥の差という以上の、差があるお母さんでした。

 安野夫人の愛情の無さと、言ったら、たぐいまれなというほどです。彼女のいじめのために、前の奥様は、自殺でも、したのではないかと、引っ越してきて半年後には、わかって居ましたけれどね。当時は、ブログなど書いていないので、こういう想像については、何も書きませんでしたけれど。でもね、後年、証明をされる様な事が起こりました。三人のお子さんの内、二番目はお嬢さんです。井戸端会議はやらない私ですが、どうしてか、必要な情報は、すべて手に入る人なので、「離婚をした「」と、聞きました。そして、実家に帰ってきたのですが、安野夫人からいじめられきっていましたね。買い物に行くために、私が、そこを通ると、そのいじめ・せりふ・が聞こえてしまうのです。ほかにも、何度も、そのお嬢さんが、安野夫人から、いじめられている現場を目撃しているのですが、お嬢さんが、一切、反抗をしないのですね。それに、38年前ですが、子供の声がしない家なのです。

 ここから先ですが、書く予定だったことをメモ書きで、箇条書きとしておきます。それは、普通の書き方で表現をするにしては、時間と、体力がすでに足りないからです。

*1、安野家の長男は、高校を卒業した、1987年か、8年以来、一回も、実家(=雪ノ下)に帰って居ない。それも安野夫人が略奪婚のひとであるという証明になっている。

*2、私は安野家の前の井戸端会議には、一切、参加しないのだけれど、そんな私に対して、安野夫人が、「子供にお客さんが来たので、お砂糖を貸してください」と、頼みに来た。毎日、井戸端会議を主催する、彼女が、付き合っている主婦は、数としては、いっぱいいる。『そちらに借りに行けばいいのに、どうして、私に借りに来るの?』と疑問を持つ。瞬時に答えが出た。つまり、粉を掛けに来たのだった。私が井戸端会議に出ないので、彼女の意図している、この山での、上下関係が確立できない。穴が開いてしまうと、統制が取れないのだ。まるで、やくざの世界である。

 で、ご親切にもお誘いにきてあげたというわけだ。無論のこと、実働している15人前後の主婦の中で、井戸端会議に参加を、免除されている主婦もいる。それは、世代が違う女性たちであり、20歳ぐらい上の人は、免除されていた。しかし、私は安野夫人と、同世代なので、私が参加しないことが、彼女にとっては目障りとなっている。で、自分を中心としてしか、ものを考えられない、しかも、どうも、東京圏おブランド住宅街では、育っていないらしい彼女は、自分の欲望のままに動くのだった。そして、実態は、井戸端会議を強固なものにするためのお誘いだけれど、彼女の信念としては、川崎さんは主婦として、気が小さくて、不器用みたいだから、怖くて、井戸端会議に参加できないのでしょうね。だから、誘いにきてあげたわよ。本当は,お砂糖ぐらいあるのですけれどね』という程度の心づもりだという事も即座に分かった。

 しかし、私は内心で激怒した。北久里浜に居る時に、すでに、銀座で個展をしてきている。例の芸大卒で、JWトンプソンの副社長にのぼり詰めた、小池玲子さんが、そこの会社のダイヤモンドを、結婚記念日で、プレゼントしましょうという宣伝を開始して居て、賞を得たが、まさに、そのデビアースの、ダイヤモンドのチョーカーをつけて、銀色のジャンプスーツで、来てくださったし、宮崎明子(テレビ東京のプロデューサー)さんと、勝恵子(当時は、女子アナだった。今は、評論家みたいだ)さんも来てくださった。毎日新聞は、上條陽子さんと同格で、今週の個展として紹介をしてくれた。で、更に発展をするつもりだったので、この雪ノ下で、近所づきあいをするつもりは一切なかった。

 子供はすでに中学生に達して居て、子供の遊びの世界の為に、親が出ていく必要が無かった。その上に、ご近所の、主婦同志のお付き合いというのは、一般的なケースでも、とても難しい上に、「この山では、人間関係が、非常に難しい」という事を、ここの住人に、引っ越してくる二年前に、すでに聞いていたので、何が原因だろうと、観察しているうちに、安野夫人が癌なのだと、はっきりとわかって来ていたので、その癌の当人と付き合うつもりなど、毛頭なかった。

 私は普段、小細工は、大っ嫌いだと、言っている。このお砂糖を貸してくださいと言う小細工も大っ嫌いだった。

 もう一つ、私がよく言う事に、安野夫人は、教養が低いというか、無教養だというのがある。私は、9歳の時にすでに、教養の高い人が住んでいる地域での、人付き合いを、学校の担任の先生に教えられている。『少し、下手に出なさいね』と教えられている。しかし、安野夫人の態度は、自分が中心で、自分を、上に置いている態度だった。私が態度で、語っていることが理解できないというか、尊重できないので、私と付き合いなさいよと、粉を掛けに来たのだった。

 この人が、この山に引っ越してくる前には、何の主婦体験も、母性体験もない事は、二週間ぐらいの、短い期間で、わかって居た。でも、彼女が小さいころには、主婦は、働くものではなかった。となると、彼女の母親は、近所づきあいの仕方について、彼女に何も教えなかったのだろうか? それとも、母親は、小さいうちに亡くなっていた? または、大卒の人が近所には、誰もいない様な、庶民的な下町で、育ち上がった。または、まったくの田舎で、育ちあがった? 上の様な、事を一瞬で判断した上で、私が本当に言いたかったことは、こうである。「あなたは、どうして、門が閉まっているのに、そして、玄関が閉まっているのに、そんな簡単な、しかも自分一人で解決できることで、私を煩わせるのですか? 中二の坊やに、どうして、お紅茶を出さないといけないのですか? どうして工夫ができないのですか? お菓子と、煎茶で、充分でしょう。その上、どうしても、紅茶を出したくて、お砂糖が欲しいのだったら、どうして山ノ下へ、買い物に行かないのですか? あなたって、他人の生活の尊厳に対する意識が足りない人ですねえ。どこの大学を出ていらっしゃるのですか?」と。

 しかし、そこまではっきりと言ってしまうと、今度は、こちらが意地悪と、見做されかねないので、内心で、本当に言いたかったことは言わず、ただ、単純に、「私は、そういう形のお付き合いは、したくありませんので、お砂糖は貸せません』と言った。

*3、安野夫人が恥を搔いたということは想像ができる。しかし、モノを知らない段階で、恥を搔くのは仕方がない。主婦として、または、母として未熟ならば、恥を搔いて学んでいかないといけない。しかし、彼女はそういうタイプではない。すぐさま復讐に出て来た。

 想像でしかないが、井戸端会議で、この件を持ち出して、私を山全体の主婦が嫌う様に仕向けたと、考えている。その結果、井上夫人の超高飛車な叱責が生じて来た。

*4、井上夫人は、とてもいい人らしいと、後で、判ってくるのだが、朱に混じわれば赤くなるのたとえどおり、安野夫人一派の影響を受けて、私に対して、ひどい仕打ちをした。私は、怒って、【山間の煙】と言うエッセイを書く。パソコンが、10台ぐらい壊されたので、AOLを使って配信した、初期のエッセイは、消えてしまっている。初期の段階では、実名は上げて居ないが、このブログで、書き直した物には、実名を入れている。しかし、今は、初期のモノ(=AOL版)を再び書く時間はないし、このブログの世界で、rewrite したもののリンク先を探している暇もない。

しかし、ともかく、井上夫人の言葉も態度もあまりにも理不尽なので、これは、困るという事を書いた。最初期のメルマガは、あて先がすべてわかって居るので、その中二、私が、鎌倉エージェントと、呼ぶ人間はいなかった筈だが、石塚雅彦さんと、古村浩三君には、送っていた。で、彼ら二人が、当時は、まだ、公的にも生きて居た、井上ひさしに転送をしたかどうかだが、個人的には、していないと、思う。しかし、CIAそのもの(この場合は、警察庁内部の特殊部門を指すが)は、ハッキングをしていて、井上ひさしと、伊藤玄二郎は、必ず、せcっち読んでいたと、考えられる。

*5、で、これは、大問題だとなった。と言うのもそのエッセイの主役は、前田夫人である。初期のモノには、実名が書いていないが、関係者には、すぐわかる事である。井上ひさしは、共産党系の、人物を駆使するタイプだが、前田祝一・清子夫妻は、明白に共産党員であり、集団訴訟の原告にもなっ

ているぐらいだから、守る必要を感じたのであろう。で、鶯吟邸を、八幡宮様に買う様に勧めたと、見える。

*6、で、八幡宮様は、鶯吟邸を買い、仲介業者は、三菱銀行だったと、言う事が、藤本夫人の、「売りますが、仲介業者は、三菱銀行です」と、言う言葉で、一瞬にしてわかった。

 ここから先、藤本夫人の旧宅をめぐる測量の日の諸問題へ入って行きたいのですが、それは、大量の字数を必要としますので、後回しにして、三菱銀行が仲介業者として、藤本夫人宅を、非常に安く、石井秀樹あづさ夫妻に売った話へ入ります。

*7、うわさ話によると、石井秀樹さんは、駅まで、急げば、10分で出られる、この土地を、(私道部分を除いては、実質)45坪を、一千万円で、手に入れたそうである。とても安い。何故安いか?と言うと、その土地は、藤本夫人が居れた、異様な礎石が、入って居る土地であり、そこに対して、藤本夫人は、後ろめたさはあるであろう。前田夫人たちと喧嘩をしていた時期は、多勢に無勢で、時分の方が弱かった。だから、突っ張った。前田家は、異常な使い方をしている、私道部分に、自らの石垣を設置して居て、我が家の様に指導部分を使えないことにされた人間と比較をすると、二倍ほど、多く土地を使用しています。それで、藤本夫人が道路の真ん中にフェンスを作ると言った時に誰も、藤本夫人を止められなかったのですよ。前田家の違法建築の姓です。藤本夫人は、それを、縦に撮って居ましたのでね。だから、一番良い解決策は、前田清子さんを、藤本夫人への謝罪へ向かわせ、即座に安野夫人の井戸端会議を止めさせることです。

 それは、当時の町内会長だった中谷氏の奥様でさえ、「あなた、この工事は中止なさいませ。川崎さんの言う通りです」とおっしゃっていたのに、中谷氏は、悪い方向で、進行をさせました。何故か?と言うと、中谷氏の裏に、瀬島龍三が居て、その言うとおりに彼が動いたからです。しかし、中谷氏にも癌が訪れましたね。そして、割と早くなくなりました。それで、益山重夫、中谷知二、井上夫人、石川和子、瓜南直子さん、谷垣禎一氏、嶋田章三、前田祝一、と、私を苦しめた存在が、すでに、8人、ほど、死んでいます。敬称を抜い居ている人たちは、あまりにも大きな苦しみを私に与えた人たちです。だから、死んだ後にも、とてもではないが、敬称を与えられません。

 ところで、この8人に共通しているのは、本当のところは、いい人であっただろうという事です。悪人は死なないのです。

 ここで、鎌倉市の道路位置指定問題に入ります。恐るべき悪法ですが、最も大きな被害者である私に対して、どうして無許可で、そういう設定をされたのですか? 担当者は、誰であり、いつ施行をされたのですか? 暇になったら調べるつもりですが、もし、町内会の資料の中二、その文書があるのに、回覧板で、私にも見せなかったというのなら、これは、大問題ですね。いわゆる背任行為の一つだと、思います。これは、後で、確かめないといけません。

 そんな土地にさらに厚く、コンクリートをかぶせて、証拠隠滅をして、アジサイ畑が、復活できない様にする工事に、今から石春産業は取り組むのです。

 もう、バリバリと、いろいろな、裏側を書かないといけませんね。

 鎌倉市は、路線価の問題でも、異様な対処をしています。それも大きくとりあげないといけません。続きはいつかは書きます。ただし、お約束の日時は上げないで、置かせてくださいませ。路線価の問題でも、鎌倉市は、おかしいし。

そして、このブログの、2010年より、数え始めた延べ、訪問回数は、4500658です。

 

 

 

@@@@@@@ここが、第一の書きかけ中の最先端です。

 そして本日です。見事でした。石春産業が、インターフォンを押しているのを先にキャッチしたのは、主人ではなくて、私の方なのです。

 

@@@@@@@ここから先は、安野夫人が、どうして、そのタイミングで、山を上がって来たかについての分析です。しかし、それを詳細に語る前に、大量に語るべきことが、まだありますので、午前、1時まで、お待ちをいただきたく。 

私の推察では、安野夫人は、そのタイミングをわざと狙って、したから上がってきたと、見ています。小町通りと、そこから、黒鉄の井戸を曲がっても、数軒のカフェはあります。そうい所で、待機して居て、私と石春産業常務の会話が始まったら、夫の忠彦氏から、連絡をして貰い、おもむろにしたから上がって来る。そういう案が最初からできていたと、感じています。

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