銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

Nスぺ空き家特集・杉並篇は、日馬富士暴行問題と、同巧異曲である。北側順一郎、中島三枝子、嶋田章三、大沼嘉津江、杉本正子

2017-11-21 19:30:12 | 政治

この一文ですが、22日の午前四時まで『大岡越前守とか、喧嘩両成敗と言う文化が日本にはあるのに、CIA(=警察)の頭脳が低いので、大相撲が壊滅する』と居りましたが、その時点で、上のモノへと変えました。 

副題1、『日馬富士問題は、私の思った通りに、展開して行っています。でも、話を続けなかったのは、対・私への攻撃の一種として、始まっているので、私が、真実を書けば、更に、長引くからです。真実を話せば話すほど、長引きます』

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副題2、『大相撲壊滅作戦とは、2010年も、対・私への攻撃として行われた。その時、私が、これは、ネトウヨだと、誤解をされている私をからかう為に、日本文化を傷つけようとする思惑と、右翼的指導者として、若い女性を指導して行こうとしていた、細木数子が、6チャンネルと、8チャンネルのゴールデンアワーに、娯楽的バライエティ番組を持っていたので、彼女を潰すために、朝青龍も、失墜をさせた。二人がタニマチ(後援者会のメンバー)の、関係を結んでいたからである』

 ここは後で、詳細に書いて居る過去ブログのリンク先を見つけておきます。

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副題3、『最近、私が書いて居ることが真実きわまりないし、鎌倉雪ノ下の住人、安野智紗夫人が行ったことは、証拠が残っている問題なのでで、彼等は、逃げられないと思って居る。崖が崩されているし、私道部分の土地は、我が家だけ、コンクリート詰めされているしで、証拠が残っているので、どうしても、私を殺す以外に、そういう事実が、世間に広まるのを阻止できないので、私を殺して行くために、すさまじい後日の、さらに、炎上した大きな犯罪が、起こされており、プロの殺人者によって、無辜の一般人が多数殺されており、

・・・・・どうして、そういう事が言えるかというと、周南事件は、ご近所と喧嘩をしている保見(実際には殺しておりませんよ)が、ご近所と喧嘩をしていたので、一見すると、ご近所の悪口を書いているみたいに見える私のブログが、忌わしいものであり、私の方が悪人であると、と、一般の読者に、思い込ませるための犯罪だったが、・・・・・

 それとともに、私の資産を減らすために、私や、私の親族が、その会社の株を持っている企業に、不祥事を、大量におこしているし、

 そちらの事件の裏側の真実も、また、私がすべて、真実を書いて居るので、さらに、私に対する攻撃が深まり、

 この日馬富士も、その一つとして、沸き起こっている。そして、朝青龍を相撲界から追い出した成功が、忘れられない、鎌倉エージェントグループ(この件に関しては、伊藤玄二郎と、井上ひさしは、100%確実に噛んでいるが・・・・それに、ぷらす、彼らの私兵として機能する警察の特殊殺人用部隊)は、スパコンを利用して、ライン、携帯、メール、携帯での、音声での連絡等を、すべて、把握しているので、

 貴ノ岩、または、それらの、喧嘩が起きた場所で、それを見た一般人(もしかすると、一般人が面白おかしく、フレームアップして語っているライン等の、やり取りを警察が把握して、事件を起こしたのかもしれない。特に、29日の警察への、傷害・被害の届け出と言うのは、警察が、自分で、行った可能性がある。または、ブルーカラーとしての、警察の特殊部隊が、貴乃花部屋の、人間の振りをして、届け出でた、可能性もある。貴乃花親方が、沈黙をしているのは、彼は、CIAに利用をされている、政治的に言えば素人なので、その顔や、言葉を、私が判断をすれば、さらに、真実があぶり出されるので、「付き合って居ませんよ」という、藤田紀子さんライン、または、河野景子さんのライン(これは、ラインと言うSNSを指すのではなくて、そういう筋という意味で、使っている)を通じて、何も言わない様に、命令を受けていると、推察している。ともかく、あの夜に、二人の周辺にたむろしていた、一般人のスマホ等に、侵入すれば、喧嘩が起きたことがはっきりわかるので、これを種に炎上用ニュースを作って、私を脅かそうとしたわけであり・・・・・

 それは、2010年には、NHKスペシャル【空き家特集(鎌田キャスターが探訪者として、指揮して居て、北側順一郎さんが、画面に登場したもの)特に杉並区の、でも、証明をされるのだが、

 その時、いじめられきった、現在、精神病院に入院してるとされている(そのため、生死さえ、私は知らないが、)NK女史の、息子さんまで、引っ張り出して、いじめぬいた番組を作り上げた。息子さんの顔には、シャドーがかかっていたが、恐ろしい番組を作り上げるものだ。NHKは、税金に等しい視聴料を取っているのに、ただ、単に、安野夫人などを支援しているのである。恐るべき組織である。

 息子さんは、道路より、落ちくぼんだ、アパートに住んでいる。どうして、実家を離れ、そんな家賃の安そうな、貧しそうなアパートに、すんでいるかと言うと、

 実家で、お母さんが、息子さんにとっては、祖母に当たる人の死を、放置して居て、遺体の、臭気がご近所に臭ったらしくて、実は、消防自動車(または、救急車)が、呼ばれるほどのおお騒ぎになり、新聞種にもなったという』

 この件は、後で、すでに書いて居るモノの、リンク先を見つけるか、それとも下の方で、改めて丁寧に書き表します。

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副題4、『このNHKスペシャルは、新聞の縮刷版を見れば、いつ報道をされたかは、調べることができると思うが・・・・私は番組が終わった途端に、高橋和さんと言う、立派な女流画家に、お電話を掛けた。この方との、おつきあいは、女流展に、私が10年ぐらい出品している時期に、立派で、清涼な作品を作る人として、尊敬をし始めているのだけれど、猫が好きだという事が、毎日新聞の、全面広告で分かったのだ。それは、【猫新聞】という出版物が、新しい読者を、勧誘する、広告だったが、

 その広告に、高橋和さんの、猫の絵が、大きく使われていた。私はびっくりしてしまった。高橋和さんが、表の世界で発表をしているものは、抽象絵画で、猫なんて、描かれていない。しかし、猫新聞の、一面上部に、描いてあるのは、まさしく、本物の猫の絵だ。私は自分が猫好きなので、びっくりして、かつ、感動をして、自宅へ電話を掛けた。高橋和さんは、独身なのだし、私も海外修業をする為に、それを許さない家族から離れて、逗子で、一人暮らしをしていた時期だったので、夜、独身の女性の方と、電話を交わす自由ができていた。

 高橋和さんとも、よく話をしたが、もっと、大量にお話をしたのが、斎藤敏江さんである。斎藤敏江さんとは、本当に、よく電話を交わした。斎藤さんとは、どういう人かと言うと、ご主人を、郵船の、大洋丸で、大連沖で、亡くされた方であり、戦後は、一時期、神奈川県立大津高校の先生をなさっていたが、その後、アメリカ大使館勤務をされた、優秀な先輩(お茶大付属高校)である。タイヨウマルとは、民間人だけが乗っている、船であって、軍用船ではないのに、アメリカの、魚雷で、沈められたのだった。これは、アメリカ軍部の、卑怯さを顕すものであって、いまだに、沖縄では、同じことがおこわなわれている。

 従って、ほとんど、表に出ることがない。子供たちが、疎開をする為に、沖縄を出発した薩摩丸の、悲劇は、時々、表面に浮かぶけれど、こちらの大洋丸の悲劇の方は、歴史の波に飲み込まれている。しかし、斎藤敏江さんと、同じ様に、ご主人を大洋丸でなくすという、悲劇を味わった、高木きよ子さん(同じくお茶大付属高校の先輩)は、スタンフォード大学日本研究部等に、お招きを受けておられる。そして場所としては、国際基督教大学内で、ご研究をなさった。斎藤さんの方は、アメリカ大使館勤務だ。これは、有名なライターが、タイヨウマルの悲劇を本に書いたことも、寄与していると、推察している。今の私は、その著者名を失念をしている。

 高橋和さんに、瞬時は、戻ろう。この方と、銀座井上画廊と、ワシオトシヒコと言う、三題噺もあるのだが、そちらには、今回は触れず、お気の毒なNKさんに戻りたい。

 NKさんは、薬科大学を出たという事で、画家の中では、ユニークな経歴の持ち主である。そして、ここからは、国展の、嶋田章三さんへ、スピンオフとして、入って行かないといけなくなる。次の、→ のところまでは、横須賀市、京急北久里浜の、東側の丘の上に建つ、大マンション群、そらヒルズ、または、ルネ北久里浜の話に入って行かないといけない。相当に、長い挿入となる。高橋和さんの話には、ここに置いてある → から、次の矢印へ、続くとさせていただきたい。→

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副題5、『国画会が、NK女史を、ノイローゼに追いやったと、私は見ている。というのもNK 女子とは、草間彌生と、組んで、1990年代の、草間が、まだ、一般の日本人には、まるで、受け入れられていない時期に、五人展を、都立美術館の、一区画、大きめの画廊の、15個~20個分のスペースを使って、開いたほどの大物作家なのに、ある年、彼女を落選させたからだ。そういう事を平気でするほど、国画会の、審査とは、頑迷で内向きである。その中で、山寺重子さんは、中ボスであり、自分の、手もとから、会員製造を励むのだが、それにこたえて、すさまじいやり方で、私をいじめたのが、指原いく子さん(女子美出身で、ギャラリーオカベで、山寺さんと、そっくりな絵を発表した人物であり、その個展で、私を犬扱いした人物である)である。そして、どうしてか、最近、銀座の画廊街でも、良く出没する星野美智子さんである。彼女は、馬越陽子さんと、同じ経路で、東京女子大から、芸大に進んだのだが、その星野美智子さんからも、国画会内部では、したたかにいじめられた。

 あ、は、は。それらを、今では、笑って話せる。特に星野美智子さんの話は、傑作である。ユーモアたっぷりだ。ご自分が見えていないという事、客観性が無いという点で、本当に面白い。だから、面白くて、立派な短編小説がいくつも生まれる可能性のある、心理的に言うと、カオス状態が存在していたのが、1990年代の、国画会である。一種の心理的な、ごみ溜め状態であった。2002年にそこへの出品を止めるのだけれど、その後、その国画会の中の、長瀬いづみと言う作家が、画廊るたんの個展で、すさまじくも失礼なことを、私に対して、やったので、それを機縁として、嶋田章三さんの、真実も、相当な裏側を含んで、書き始めたのである。

 指原いく子さんにも似た様な事をされているが、その当時は、内心では、すべてをわかっていたが、まだ、全部は、書けなかった。しかし、長瀬いづみの初個展のころには、私の方が、変化していた。覚悟が決まっていたのだ。

 私は何度も、「すべてを知って居る」と、言っている。だから、私に対して、少しでも、失礼なことをしたら、あに、長瀬いづみと、中島三枝子さんに、とどまらない話が始まるのである。それは、どうか、ご覚悟召されよ。星野美智子さんも・・・・・そして、中島三枝子さんにも、これは、言っておこう。

 ・・・・・「あなたは、引き続き、彼等、鎌倉エージェントに利用をされていて、佐野ぬいさんとか、嶋田鮎子さんを、冠作家として、長瀬いづみとか、渡辺幸子さんとを、一緒にして、グループ展などを開いている模様だが、私は銀座で、あなたに限らず、どこからでも、もし、失礼な目にあわされたら、鎌倉エージェントの真実と言うのを、さらに、深く、書き表す形になるので、あなたは、ご自分は、偉い人へ、ご奉仕をしているつもりらしいが、まったく反対に機能をしているのですよ。あほみたいですね」と。・・・・・・

 私は昔から、中島さんについては、内心で笑っていただけなのだ。どんなに意地悪をされても、平気な顔をしていたのは、そういうわけである。一般的な画廊が持つ、基本的ルールを外さなければ、あなたも無事だったし、嶋田章三さんも、大沼嘉津江さんも、無事だったけれど・・・・・大沼嘉津江さんが、どうしてご近所の女性達から、一時期かもしれないが、「バカだ」と言われていた理由も、もう一つや、二つまだ、書いて居ない理由があるが、それも、将来は、書くかもしれない。この日馬富士暴行問題の決着次第では、それを書くかもしれない。

 特に、画廊るたんに味方をして、私に対して、もし他の画廊が、失礼なことをすれば、それ(=大沼嘉津江、および、杉本正子夫人とか、北村充子さんの話)も書くだろう。そうなると、国画会内部では、品の良い方の、作家だった大沼映夫さんも、悲しむ事だろうが、仕方がない。私にも生存権は有り、お客として、ちゃんと扱われるべき権利はある。日本は、法治国家なのでしょう。安倍さん!

 すべては、中島三枝子さんと、長瀬いづみにかかっているのだ。指原いく子さんが、無事に逃げおおせたのと同じ流れは、その10年後には、通じないのである。私が変わってきているから。特に妹まで殺されているのだから、本当に肝が据わってきているのだ。

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副題6、『実は、国画会が、NKさんの作品を落選としたのが、彼女が精神を病むきっかけとなったと、私は推察して居て、その経緯は、過去に、丁寧に書いて居る。この、国画会の審査が、内向きすぎて居て、中ボス、小ボスが、支配する世界になっているという事は、内部の人の内、大勢の人が知っている事だったろうが、NKさんを、精神の病に陥らせたのが、その審査が、引き金だったと、主張するのは、私だけであろう。

 私は、NK女史が、私の生き方に、理想を見出して、真似をしたことを知っているからだ。それが、事実上の失敗をした。その理由は、NKさんが、離婚をしたことに在ると、私は思って居る。経済的問題は、作家(この、場合は美術系だが)にとっては、特に大切であり、NKさんが、離婚をしたことによって、金銭的な欠乏状態が生起し、小さな作品で、手間も技術も、材料費もかかっていない作品を国展に応募したのだが、それは、間違いだった。私の方は、国画会の特徴は、良く知っているので、材料費がかかって居て、手間も、大いに掛かっている作品を応募していた。私が海外修業に行くために、鎌倉の、すぐ次の駅である逗子の、古いマンションで、アトリエを作って(畳数としては、合計、24畳もある広さだった。普段はあき部屋となっている、古いインテリアの、部屋だったが、私には、広い事が、最上の条件だった)家に帰らないことになったころ、母は心配して、「離婚をしちゃあだめよ。幸い、お宅のご主人は、離婚したくないと、言っているのだから、離婚をしちゃあだめよ。遺族年金だって大切なのだから」と言ってくれていた。それは、今思うと、とても、正しい事だったと思う。私が一人暮らしを始めたころ、まだ、父の遺産が、2400万円残っていた。その上、母からも、父からと、ほぼ同額の遺産をもらえることを知っていた。父は、明治生まれなのに、進歩的な人間で、母に、自分と対等の資産形成をさせていた。そのことは、私は、知っていた。

 だから、私は、親族から、「お金のことが分かっていないね。禁治産者並だね」と言われるほどに、ぼんぼん、お金を使っていたのだった。これは、相当に特殊な条件だったと、思う。NKさんの方が普通であろう。だけど、NKさんも甘かった。薬剤師の名義貸しが、禁じられる様に成ると、そこから、月に15万円程度の、収入を当てにしていたと、私は推察するのだけれど、それが予定通りにはいかなかったのだろう。では、薬剤師として、実際に勤務すればいいではないかとも、言えるが、NK女史は、草間彌生と、一緒にグループ展をしたのである。誇りがあるし、わがままだろうし、不愛想だろうとも、推察している。そして、薬の業界も日進月歩なので、20年、又は30年近く、空白があると、現場(=薬局の経営者サイド)では、採用したくないと、思うかもしれない。

 彼女が、国展に応募したのは、1992年から、1998年の間だと、思う。彼女は、自分を持ち上げてくれた美術評論家と、プラトニックラブに陥り、それもあって、離婚をしてしまったらしいのだが、でも、信念はある人で、私の作品を見て、思うところはあったのだろうと、思う。

 と、いうのは、どこにおいても独立独歩の人が、私であり、ポッと、作品を出品したら、すっと、入選をしてしまうのだった。だから、審査前のお付き合いというのは、どなたに対してもやっていない。入選後は、おつきあいが始まるが、事前の、運動は一切やっていない。1990年に女流展に初入選をするのだけれど、その時に、NK女史は、私に注目をしてくれたのだと、思う。で、次の年に、さっと、国画会の、国展に、私が、入選してしまった。

 それを、NKさんは、発見をしたのだった。あまり、他の人が注目をしていなかったポイントだと、私は思うのだけれど、成功をしてしまった。で、その成功して居る、私の行動様式に、一種の、理想を見出し、それに倣って、自分も、上手に生きて行こうという、思われたのだと、思う。そこに、自己救済の、方法を見出したのだと、思う。しかし、私と、同じことをやってみたら、失敗をしてしまった。

 それは、どうしてかと言うと、まず、サイズが、小さかった。30号程度だった。国画会に、私は、100号正方形を、最初は、三点、次第に、五点応募する様になる。で、彼女がそういう小さいサイズの昨比を出品したらしいという事は、その落選作品を、次の時期に、上野の都美館で、行われる、女流展に、出したから、私に一連の流れに対する推察が付いた。国展に落選したことがショックであり、新しい作品を作る気力が、わかなかったと、推察している。

 というのも、女流展とか、国展だが、自分がそれらに、出品をしてみて、判ったことは、すさまじ、いレベルで、古いという事だ。あまりにも、心理的なレベルで、古い。で、私にも合わないので、息が詰まる感じがあった。ただ、一人一人を選べば、いい人は、いっぱいいるのだが、国画会の場合は、嶋田章三さんが、妹の、大沼嘉津江さんの縁で、杉本正子さんと、親しいので、従って、横須賀市の税金が大量に注ぎ込まれていて、かつ、政治的な、教唆が入っていると、見做すことができるので、私にとっては、ひどい世界となっていた。

 杉本正子さんと言うのは、横浜高島屋の、靴売り場で、働いていた時に、日大土木科出身で、横須賀市の吏員(1978年当時は土木課長だった)をしている、ミスター杉本と知り合って結婚をした女性だが、瀬島龍三、元、帝国海軍参謀と、益山重夫【+、益山智恵子(妻) +、仲野通巳吉(義弟)】元帝国海軍参謀の二人が組んで、起こした、横須賀市の、水道山を、只で、私有化する、地籍変更届の際に、大きく協力をした、可能性があり、そのご褒美として、宮大工が建てたと思しき豪邸を取得し、夫足る人は、横須賀市の、副市長に、後日、出世して行く人物である。

 ところで、上に挙げた、安野智紗夫人と言うのは、一般人であって、嶋田章三さんとか、杉本副市長などと、比較をすると、社会的な知名度が無くて、その存在が小さく見えるが、彼等・瀬島隆三たちの復讐策の、最先端の、攻撃手として機能をしているので、私が、彼女からこうむった被害が多大であるので、大きな存在となっている人物である。私は既に、瀬島隆三たちからも電話の盗聴とか、北久里浜で、車で、轢き殺されそうになったり!(=1978年)、パリのバスティーユ駅構内で、拉致されそうになっている(=1998年)し、画廊るたんの入っているビルの一階廊下で、画商を名乗る、外人に、自宅まで、乗りこまれて、ピストルで、撃たれそうになっている(2010年)、その前の、1965年には、国際基督教大学の通称、滑走路で、後ろから、首を絞められているし、最近では、安野智紗夫人から、ご近所の未婚のお嬢様の携帯をスパイとして利用をして、10mの高さから、重いものを落とされている。それは、たぶん、2006年~2008年の間のどこかであった。勘が、鋭い私は、直感的に、事態を把握して、直前で止まったので、被害を受けていないが、合計、6ッ回も殺されそうになっているのだ。

 しかも仲良しだった、山口みつ子さんが殺されているし、妹も殺されてしまった。はい、凄い状況です。こう成ると、ワシオトシヒコだろうが、本江邦夫さんだろうが、北側順一郎さんだろうが、星野美智子さんだろうが、嶋田章三さんだろうが、何でも書きますことよ。今、〇多〇夫さんが、同じことで、使役をされているみたいですが、NHKニュースの推移によっては、その点も、明解にさせます。

 ここに挙げただけでも、五回殺されそうになっているわけですしね。その上、日馬富士暴行事件の様な、嫌がらせを受けておりますから。と言うのは貴ノ岩の、怪我は、たいしたことがないのに、フレイムアップをされているからです。私は、本質を考えて、モノを言っています。それを、駄目な事だと、認定して行き、読者が、離れる様に、画策をされているのです。

 さて、もう一度、NKさんの、国画会落選の話に戻ります。私はね。高名な美術評論家の、三木多聞さんが、NK女史を、草間彌生と、同等の、格を持つ作家として選んでいて、東京都美術館の、ワンブース(それは、大きめの画廊の、20倍程度の広さですから、五人展だったら、一人は、銀座の、画廊、5個分以上のスペース)を使って、自作品を展示したという事なので、相当に偉い作家だと、思うのです。

 もし、国画会の、各会員が、私と同じレベルで、勉強をしている人達だったら、他グループに所属する作家の作品も見るだろうし、話題の展覧会は見るでしょうから、当然の事、この草間彌生(ギンガムチェックでできた、soft sculpture =ペニス状の突起が、直径5m、高さ3mの半球状の、お布団の上に、隙間なく、縫い付けられているもの。草間は、marcializeと言って、他人に細部は、作らせるので、大きな作品を展示することが可能である)と、同じ格に扱われていたのですから、その作品に、どれほど、お金がかかっていないと見えても落選をさせてはいけないのです。

 一方で、Wと言う芸大出身の作家(大学教授でもあった)が、イタリア人の画家の絵を剽窃し続けた点は、見逃し続けるのですよ。恥ずかしい。驚くべき、不道徳性です。ただね、NK女史の作品は、週刊誌の、頁を切り取って、幅が、5cm間隔で、べニア製のパネルに張り付けただけですから、『こりゃあ、駄目だ。国画会を馬鹿にするのか?』と、審査をする会員たちが、思ったのも、推察はできるのです。

 しかしですね。或る、一個の人間を、廃人にまで、追いやって居て、どこが、芸術団体ですと、誇ることができるのですか?

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副題7、『私は、小学校のPTAで、親向けの新聞を作る仕事をしていた。これは、一週間に一度会合がある。で、委員長が、大沼嘉津江さんだ。彼女には、<自分には、この役に対しては、力量不足だ>という自覚があると、推察された。兄二人が有名人なので、自分が委員長に任命されているという自覚があった。で、それを補うために、毎週一個の、whole cakeを、焼いて来てくれた。それが、直径24cmクラスで、しかも、1980年ごろの日本では、とても珍しいパリ風のもので、背が、低く、かつ、材料は、生クリーム等が、惜しみなく使われている、こってりした、おいしいものである。トップの飾りつけの、フルーツを変化させたりして、毎週、会に出席するメンバーを、飽きさせない工夫をしていた。12人で、分け合っても、<充分に、食べたなあ>という満足感のある上等なケーキだった。

 私もよくケーキ作りはするが、あれほど、柔らかいスポンジケーキを焼くことはない。それは、大変な手間がかかるからだ。私の場合は、パウンドケーキに干し果物や、ナッツ類を入れたりするが、おいしいは、おいしいと思うが、硬い。

 下は別の日に焼いたもの、カップの紙が違うのを、お気付きだろうか? 中に入っているものが違う。しょっちゅう焼いているから。これを、ラム酒にでも浸して、密閉袋に入れて冷蔵庫で、保管をすると、一か月ぐらいで、柔らかくなるのは、知っている。そして、ラム酒も買ってはある。が、その、一か月間を、待てないで、食べてしまう。私は、家族にだけ奉仕をすればいいので、飾り立てはしない。が、これは、是なりのおいしいのだ。

 だけど、嘉津江さんのケーキは、この部分がふんわりとしてスポンジ化して居て、さらに、上に、美しいバタークリームが覆っていて、しかも、部分的に、生クリームで、飾りが作られていて、1980年当時には、とても珍しかった、ブルーベリーなどが散らしてあった。特に横須賀のスーパーなどでは、売って居なかったと思うので、彼女は鎌倉の紀の國屋まで、往復五時間を掛けて、買い物に来ていた可能性がある。だから、広報委員会に、委員長として、出席する以外にも、多大な時間を、それに、割いていると、私は、感じて居て、かわいそうなところもある人だと、思ってはいた。

 だから、彼女がいかに、お菓子作りが、上手だったかが、よくわかる。

 つまり、メンバーに多大な奉仕をしていた。だから、善人ではある。彼女が悪口を言われていたのは、嶋田章三さんに、多大な税金が注がれていて、それを、不条理だと、周辺の人々が考えていたからだ。「横須賀市・市役所・大津支所に飾ってあるリトグラフ、一枚を、市は、8000万円で買ったのだ」と、噂が立っていた。

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副題8、『ここに、杉本正子さんが、参入する。彼女は、私が幼稚園の会長をしていた時分は、私に引っ付いて来ていて、下手に出ていた人物だが、この時点では、大沼嘉津江さんにべたべたであった。それを、要領のよい人で、権力に弱いと、見て、内心で、嫌っていたが、感情に任せて欠席するなどと言う事は無くて、やがて、嘉津江さんから、信頼を受ける様になって行った。私の方の過去履歴だけれど、中学時代から、選ばれて、活字印刷の新聞を作っていたくらいだから、小さな新聞づくりなど、お手の物だった。これが、20年後、本を作る事へ、発展をして行く。ただし、本は、パソコンでデータを、作るので、紙で、台紙に、記事を、切り貼りをしていた、1980年代の小学校のPTA新聞とは、だいぶ異なってくるのだけれど。

 で、杉本正子さんの、あからさまに、私を捨てる態度の裏に、既に瀬島龍三からの指令があったとすると、事は、もう少し、恐ろしくなる。私は、1978年当時電話で、杉本正子さんに、地籍変更届の、事案が、ひどいのよ、横須賀市の水道山が、無償で、近所の連中、に、奪われつつあるのですよと、電話で、告げているのに、それを看過しただけではなくて、むしろ、瀬島隆三たちに、協力して、いじめてきたのかもしれない。

 そうだと仮定をすると、数年後の、1985ねんごろに、北村充子さんと言う・・・・・高卒ながら、小学校PTAコーラスの指導者に成りあがった女性(在日の出自があると、噂をされていた)・・・・・を使ったすさまじいいじめが、起きるのだが、それも当時は、わけがわからなかったものの、その30年後の、今では、杉本正子さんが、裏で動いていたと、私が判定するゆえんになっている。

 ほかにも、昔、北久里浜で、仲良くしていた人間を使って、いろいろ、いじめて来た。それもまた、銀座の画廊街で、中島三枝子さんが、行って来ている事、他の、ケースと、そっくりなので、CIA固有の手法だと、思って居る。杉本夫人も、悪女と言っていいいタイプだと、思う。ただ、鎌倉雪ノ下の、安野夫人とは、カラーが違う。自分の本当の子供を育てているので、よりスポーティで、健康感があり、それほどに、自分を美人として、規定をしていない。が、『政治的な意味では、周辺より、自分は数段、優越している』という自覚は強いだろう。

 私は、伊藤玄二郎や、井上ひさしが案出していると、見做している、様々な謀略に、北久里浜の、住人である、この杉本正子さんや、中野通巳吉が案出している部分もあるのではないかと、推察している。特に最近では、そう考える様になってきている。

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副題9、『しかし、問題は、嘉津江さんが、時々、発する兄(特に章三さんの方)に関する、自慢なのだ。それが、聞いている私からすると、決して、素敵なものではない。概念として、それ、イコール・・・・・章三さんとは、リーダーを任せるべき人物ではなくて、とても、利己主義で、自分本位な人だ・・・・・と、判って来る。

 で、周辺の人が、「嘉津江さんは、バカだ」と、噂しているのは、こう言う点でも、そうなのかもしれないと、思い到る。ふつう賢い人は、身内の自慢を、特に一種の公開の席である、広報委員会の会合中には、行わないと思う。たった、二人だけの私的なお茶飲み会だったら、許されるが、あそこで語るのは、一応という以上に、みっともない。

 私は、自分が育ちがいい事を、父の結婚式の写真が盗まれていることなどを語る際に、ついでに、話はするが、リアルな世界で、それをすると、バカにされるのは、知っているので、鎌倉で、それをしたことはない。・・・・・と、思うが、記憶は怪しい。(苦笑)

 だけど、繰り返すが、12人が聞いている席で、それを、発する嘉津江さんは、バカだなあとは、思って居た。と言うのも、嶋田鮎子さんと、章三さんとの結婚は、まさに、そういう章三さんの、嫌な部分全開で、達成されたと、思うので、鮎子さんが、かわいそうでならないし。

 嶋田章三さんとは、後日、1990年代に、東京都美術館の中で、二人だけで、三分程度、会話を交わすこととなるのだけれど、この、『多分、どうしようもない程度に、功利的な人なのだ。計算高い人なのだ』という1980年代の初めに抱いた感想が覆ることはなかった。

 私はこの広報委員会の会合に、出席する前に、東大に、勤務している。で、ドクターコースを修了しても、なかなか、教授になる事が、難しいのは知っている。その際に、上司である教授の意向は、強く、反映される。大沼映夫さんは、芸大教授になっている。だけど、嶋田章三さんは、愛知芸大教授だ。当時の、上司の方が、嶋田章三さんと、鮎子さんの、結婚を、私が見ている様な目で見ていたとしたら、教授にはしたくないと思うだろう。だけど、嶋田さんは、横須賀市の、税金をじゃぶじゃぶ愛知芸大に注ぎ込んで、一流の美大に仕立て上げた。そして、これも、一種の政略結婚だけれど、大沼輝夫さんと、義兄弟の、契りを結んでいる。したがって、国画会の中で、隠然たる力を持っているのだ。

 ところで、大沼さんの方だけど、銀座の表通りに三枝画廊と言うのがあって、活発に、活動をしていた時代に、国展、受賞者記念展と言うのをやっていた。そこのソファーで、5,6人で、大沼さんを囲んで、話したことがあるが、穏和な方だった。なるほどと、思う思いがある。

 ところで、ここでは、まだ、100%は語っていない。嘉津江さんが、実際に話したこととか、嘉津江さんが、ご近所様から、「あんなに、今は、威張っているけれど、本当は、バカなのよ」と言われていた、本当の、理由も、ここでは語っていない。なお、私の感想としては、嶋田章三さんの性格形成の影には、お母さんの、章三さんへの扱いが、大きかったと、思って居る。長兄を偏愛したか? または、歌人として、外様(そとさまと、読む。奥様の反対の、ざれ語)に近い、外出の多い人だったのか、どちらかだったのだろうと、思って居る。「愛情深い人でした」というわけではなかったと、思って居る。

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副題10、『上のエピソードの3年後、私は、鎌倉御成中学のPTA広報委員長に、任命をされる。しかし、第一回会合で、フロア主婦(平役員と呼ばれる女性)の一人から、猛反発を受ける。その理由は、瞬時に分かった。PTA会長は、ある筋から、私の過去履歴を聞いていて、それと、奥様から、「非常に頭がいい人だ」と、言う事も聞いていたので、私がこのグループの中で、抜群の存在であるとして、任命をしてくださったと、思う。ただし、理由づけとしては、自分の家内と、同じ名前の人だからと、だけ言われた。これは、不満を抱く主婦が出るのは、当然だ。

 フロアの主婦には、私の過去歴は、知られていない。特に鎌倉で、幼稚園のPTAとか、御成小学校の、PTA活動をしていない。したがって、『なにやらわからない人が、偉そうにしている』という風に受け止められていることが、分かった。なお、ここで、後日の話なのだが、この猛反発主婦が、前田清子さんと、立ち話をしているのを見かけたので、

 私より、先に引っ越してきた、前田清子さんと、すでに、彼女と、仲良しであって、何らかの私に関する噂話(特に悪い方向での、話)を告げているので、あれほどの、猛反発を、受けたのかもしれない。前田清子さんは、私より、前に引っ越してきたので、御成中学父母としての履歴が長いのだ。

 さて、私は広報編集の経験者として、事前に、計画をして来た、作業を、次から次へと開示したが、すべてを否定されて、「それは、ここが、変で、あそこが変で、無理です」と言われた。私は、一切、返す言葉で、反発をする事が無く、ただ、引き受けてもらえないままに、いくつかの予定時効を上げて行った。だが、内心では、『ああ、本日中に辞任をするべきだな』と、思い到っていた。

 何も問題がない場合でも、大沼嘉津江さんは、多大な奉仕をしていた。私には、あれほどに、充実したきれいなケーキを作る、余裕も、技術もない。買っていけば、できるが、そんなことは、了承しない主婦たちであろう。嘉津江さんの場合は、『お兄さんが、版画一枚で、8000万円を受け取る程なのだから、妹さんも、お金持ちだろう。だから、こういうことをされても、仕方がない。反発はしないで、ただ、ごちそうに、なって置こう。疲れているし、甘いものは、リフレッシュに役立つわ』だった。だけど、裏で、悪口を言う人が居た。一家全体が、嫌われているなあという印象を持った。

 それでも、あれほどに、時間を費やして、みんなに奉仕をした結果なのだ。わりが合わない。しかも、観察の鋭い私は、横須賀で、ほかの、お母さんが、地域社会の、有名人である場合、お子さんが、ゆがむケースが多い事も見聞をしていた。杉本正子さんの家でも、坊ちゃまが、後日、不良になったという噂は聞いている。『今では、治ったとも、聞いているが、お母さんの、あの、私への、攻略の仕方を、裏で、見聞して居たら、母親に対する、尊敬は失われるだろう』と思って居る。ほかにも、数例、見聞をしている。こういう事は、新聞にも雑誌にも書いて居ないが、真実である。

 地元地域固有の有名人になる手立てとして、町内会長や、PTA会長とか副会長とかがある。三役の、ことに、広報委員長は、仕事が多いのに、地味である方だが、それでも三役だ。先生方は、お礼の一つとして子供の成績に、すべて、一ランク挙げてくださるだろう。それも、知っている。

 しかし、450人も園児が在籍をしている、幼稚園の、PTA会長をして来た身には、主婦と言うのが、どんなに、厄介で、かつ強いのかを、知っている。しかし、やめる決意をしたものの、それを、どういう風に実現したら、あとくされなく、しかも、一気に、うまくいくかも、考える必要がある。

 この時点では、前原誠司氏の、民主党・党首・辞任問題は、まだ起きていない。だけど、前原氏は、優柔不断な処とか、政治家として、尊敬ができない所を、世間に、見事にさらしてしまった。希望の党の、小池さんが、「全員を受け入れるつもりが・さらさら・ない」と、言った時点で、自分が、トップをしている、平党員を、裏切ることとなったのだから、小池さんとの、約束は、即座に反古にして、「民主党で、一致団結をしましょう」と言うか、『毒を食らわば皿まで』で、旧民主党・党員から、どんなに反発を受けようとも、自分自身は、さっさと、希望の党に、入党して、落選などの、さっぱりした憂き目を見るべきだった。また、選挙後に、「民主党の党首を、辞任します」と言いながら、相当の、期間、保留をしていたのは、『民主党が貯めている軍資金、100億円を、自分が、小池さんに献上したかったのか?』と、疑われても、仕方がない。その上、今般の、選挙後の、ニュースの、ネット検索で、判った、山尾志桜里議員に対する、前原さんの、ごひいきぶりが、彼女の立憲民主党、入党(?)で、見事に裏切られて、みっともない事、おびただしい事となっている。

 1985年、42歳の私には、まだ、前原さんの、この姿は、見えていないのだが、ともかく、今眼前で、展開しているみっともない会議の最中に、「辞任します」という発言を、しては、いけないという事は、はっきりと、判っていた。もし、そういう発言をすると、目の前の反抗主婦は、売り言葉に、買い言葉ととらえて、リアルな、意味での、喧嘩になるだろう。で、喧嘩をした結果がどうなる? 雨降って、地固まるで、美しい友情が生まれる? それは、ありえない。

 では、どうしても辞任を成功させるのは、どうしたらいい? 一気に有力者のもとを訪問をして、自認を規定事実としてしまう事。それを、やろうと、おくびにも出さないで、決意をした。

 いったん自宅に帰り、夕食を用意して、子供たちによく言い聞かせた。PTA会長を訪問するのは後回しにした。PTA内部の、実力者と言うのは、だいたいが、副会長だ。こちらは、女性だが、その自宅を訪問をして、玄関先で、「辞任をします」と、はっきり言った。「後任はですね。今日一日、会議を采配をした主婦様が居るので、あの方でいいでしょう。それがお断りを受けたら、皆様で、互選をなさったらいいです。私は、選挙で選ばれたわけではないので、弱かったし、鎌倉に、まだ、地盤が無いので、それも、弱くなっていたポイントです」と、言って、認めてもらった。次に広報担当の、教師を訪問をして同じことを繰り返した。

 これで、一気に辞任が決まって、びーチャラ、びーチャラ、泣き言を、みんなの前で、展開する必要がなくなった。さっぱりした。子供が、恥を搔いたかもしれないが、この8年前に、幼稚園の、PTA会長をしていた時に、お母さんが、相当に、苦しんでいたことを知っていたのか、辞任の事で、子供に、「無責任だ」と、言われることはなかった。

 結局のところ、人間関係において、省エネをしたという事だ。ご近所様とも付き合いたくないと、宣言をしているのだが、PTA役員もやりたくはなかった。鎌倉に引っ越してきて、一番にやりたかったことは、創作であり、そのためには、孤独で、静かな生活が必要なのだ。PTA三役となると、運動会とか、卒業式とか、相当に、働かなくてはならないので、週に三回は、ご奉仕をしないといけないと思う。そして、地域社会で目立つ人となる。その先に、早稲田夕季さんのような将来を選ぶのなら、結構だが、創作者として生きたいのなら、時間の無駄である。

 しかし、ここで、一つだけ、とても厄介なことが、出来した。それは、ご近所の前田清子さんが、同時期に、三役(公安委員長だったか、治安委員長だったか。名前は忘れたが、生徒たちに、規律を守らせる、一種の警察署長の役目を引き受けていた。彼女は、國學院大學の講師に、すでに、成っていたので、それを飾り羽として、突っ走る事ができると、思う。だけど、それで、この山の住人として、私の方が、彼女に、非常に強く、見くびられることとなった。

 それが、周南事件とか、シャルリーエブド事件が起きた際の、前田夫妻の、やり方へ、つながって行ったと、思う。ほかにもひどい事をやられている。それで、今、こういう風に解説をしている。・・・・・・私は弱いから、三役を辞めたのではなくて、あの主婦に対する、「あなたは、やりすぎですよ」という批判を、やんわりと、展開して置いて、自分を守ったのだから、別に、弱いと言うだけの人間ではありませんよ。もし、あなたが、何か、この山における主婦同志の、アジサイ畑欺罔事件の事で、あの主婦に、私の悪口を、初回会議の事前に、言って置いたとしたら、すべては、おさまる処に収まったと、成りますね。

 もし、日本画本当の法治国家なら、土地の事、パソコンの、破壊を、お金で贖った費用、離反させられたお友達との仲、それらが、すべて、回復するまで、私は、書き続けることとなるでしょう。

 なお、もっと、書き足さないといけませんが、それは、続くという形で、書かせて管居ませ。明日にとは、お約束ができませんが・・・・・

 

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