銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

【ねほりん、ぱほりん】(NHK)が、この間、養子を取り上げていたが!?!?!

2017-01-07 21:31:40 | 政治

 この章は、ツィッター方式で書かせていただき、書けた内容に応じて、総タイトルを変更していく予定です。あしからず、ご了承をいただきたく。

副題1、『NHKは、【ねほりんぱほりん】を、特番から、レギュラー化したみたいだ。ETVで、毎週水曜日夜11時から放映だと、聞いている』

 【ねほりんぱほりん】と、言う人形劇は、素直に規定をすると、インタビュー番組です。しかし、聞き手は、いつも変わらぬものの、質問を受ける側は変わります。で、インタビューをする方は、YOUと、山里亮太だと、公開をされて居ます。私は、YOUに関しては映画【あるいても歩いても】で、その演技力に驚嘆をしたので、好意を持っていて、したがって、この番組を二回ほど、見ています。

 質問を受ける側は、匿名化されて居て、だからこそ、本音が聞きだせるのだというところが売りの番組です。一回目として、接触した番組では、IT関連の企業家で、大金持ちになったり、すってんてんになったりした、人物(男性で、おとな)が主役でした。間をずいぶんあけて、二回目として見た回では、養子として育って来た少年(19歳)が主役でした。

 後者の方ですが、ちょうど「自分の母方の祖父母が、養子であり、祖父は、養父母と合わなくて、去ったのだが、その後、祖母は、早世した」と、書いた後だったので、興味を、いだいて、みました。

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副題2、『養子になる動機やら、きっかけが、昔と、今では非常に違っているのを感じた』

 現代の養子と言うのは、実の父母に育てる力がないケースで、施設などを通して、養父母に引き取られるケースが多いという事を知りました。NHKの番組に出た少年は、実母が15歳の時に産んだので、育てることができず、施設に預けられたのですが、その後、実母はスポーツ選手(プロ)になっているそうで、そういう意味で、実母にも、誇りが持てるので、養子でありながら、堂々としているのですが、一般的に言えば、幼少期に、不幸な思いをした少年少女が養子になって、新しい、家庭に迎えられるというケースらしいです。

 しかし、戦前は、ずっと、意味が違い、家を存続させるという目的があって、大人になってから養子縁組をするケースが多かったのです。だから、きちんとした家に育った子供が、養子として、養父母に引き取られるケースが多かったのです。

 徳川家だって、あっちこっちの親戚から、養子をとって、15代まで、将軍職に就いていたわけで、大名諸侯にも養子があったと推察していますが、ちょっとした名家で、娘しか生まれなかったら、お婿さんが、養子となるのが、普通でした。
 有名な例では、北杜夫の父君の、歌人、斎藤茂吉は、斎藤家の養子だったのです。東大出身で、かつ、お医者様だから、この上ない、良い養子だと、目されてはいたものに、茂吉と妻たる女性は、水と、油と言うほどに、異なった育ちと異なった性格の、男女だったのでした。それが、小説家、北杜夫を生んだのでしたね。【楡家の人々】は、私は、読了しています。

 今、放映中の朝ドラ、【べっぴんさん】では、主人公姉妹の、それぞれの夫は、結局のところ、苗字はどうあれ、実質的な養子であり、両方が、企業のトップを担うわけです。

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副題3、『もし、後継者としての娘さえ、生まれて居なかったら、とり子、とり嫁と言って、老夫婦にとって、若夫婦が、ふたり共、実子ではないというケースがあった』

 私の実の祖父母が、その実例でした。祖父は、いいところの次男か、三男で、結婚する前は、給料も全部自分のお小遣いだったと、思いますが、養家先では、実子が居ないので、子供を甘やかす雰囲気が無くて、お金を与えなかったらしいのですね。給料も生活費に入れないといけない様な、暮らしであり、予想と、まったく異なっていたので、逃げ出してしまったのでした。だが、すぐ別の家から、養子にと、懇望されたそうですから、なかなかの才気は、示していたみたいです。

 これは、実は、前のブログ(後注1)の続きなのです。

 ただ、前の文章も、徹底した倒置法で書いて居るものですが、こちらも倒置法を使っていて、実は、大原光孝さんと言う人物が、そのとり子、とり嫁夫婦だったのでした。しかし、本当は、それを知らなかったので、という部分を丁寧に書きたいところでした。あまりにも忙しくて、丁寧な書き方ができず、気、急いでいて、つい結論を先に言ってしまう傾向がありますが、大原光孝さんと言う男性が、養子であり、妻も、養父母にとっての、実の娘ではないという事は、相当な、大きなファクターとなっております。

 何のファクターかというと、この現在私が書きかけ中の壮大なミステリーの、一種のかなめとなって居るファクターなのです。

 1984年に、この鎌倉雪ノ下に引っ越してきた私は、2007年か、2010年ごろまで、それを知りませんでした。というのも私は、大原光孝さんとは、立ち話氏しと、そちらの家に上がったり、こちらに招いたりして、相当量の会話を交わしているのに、私的なことは、ほとんど話題に上らず、ただ、ただ、美術の事一本やりの会話だったからです。

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副題4、『しかし、2012年ごろだったか? 冨澤夫人が、道端の立ち話で、「大原さんって、養子なのよ」と、のたまわったのだった。その時、私は、・・・・・これは、何か、木に竹を接いだというような話であるなあ。文脈が整わないなあ。変だ・・・・・と、思い、奇異な感じを受けた。で、違和感を持ったことは、後ほど、反芻をして、丁寧に考え直す。すると、冨澤夫人の目的は、私が書いた文章を訂正して置こうとする意図のもとに、政治的に、発言をされたことが分かった。しかも、裏で前田氏等が、動いていたからこそ、この発言があったことが分かった。

 というのも、表向きだが、冨澤夫人と、大原光孝さんが、親しいとは、思えない間柄であるから、こういうことを冨澤夫人が話すのが、変なのだった。

 私と冨澤夫人は、子供の年齢が、同じなので、会話が、在る。私と大原光孝さんの間にも、美術の側面で、会話がある。しかし、冨澤夫人と、大原光孝さんが、合計15分以上、会話を継続させるほどの種があるとは、思えなかった。・・・・・養子であるとか、養子ではないのだ・・・・・とかいう事、は、家庭内の秘事ちゅうの秘事だからだ。日常的な会話では、浮かばない語彙と言ってよい。その時から、私は、冨澤夫人が、裏側で、例の連中たちに利用をされて居るのを悟った。

 それを踏まえて、私は冨澤夫人と付き合ってきた。そして、冨澤夫人が、時には、一種のスパイとして機能をしていることを理解して居ながらも、ブログの中では、・・・・・もっとも育ちによい人だから安心できる・・・・・とも書いて居る。冨澤夫人の根は善良であろう。しかし、頭はよい人でもある。彼女は、自分の学歴(特に出身大学)については、何も言わない。しかも、専業主婦として、夫を立てて、手芸などにいそしみ、偉そうにはしていない。だけど、大変に頭はいい人だとは思っている。

 そして、裏側で、前田清子さんとか、安野智紗夫人に、利用されているのも知っている。つまり、昼間外で、お茶飲み等をしていて、いろいろ、連絡を取り合っているのだろう。または、一回、そういうことをして、こつを呑み込ませれば、後は、電話連絡等でも済むのかもしれない。彼女は頭がいいから、そういう点では、呑み込みが早いはずだ。

 しかし、この手法、つまり、冨澤夫人を利用して、私の書いたことを否定して行こうという、しくみは、一回だけではなかった。

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副題5、『冨澤夫人は、私の西隣の住人(現在は小野寺夫人と言う女性が住んでいるが、一回前の住人は、遠藤夫人と言った)「遠藤夫人のお嬢さんが、妙本寺の若いお坊さんの、お嫁さんになった」という。「その若いお坊さん夫妻は、妙本寺内に、同居をしているわけではなくて、別の町内に、新居を構えていて、しかも、実際のところ、妙本寺の後とりか、どうかは、私(=冨澤夫人)には、判らない」という。

 これも、非常に違和感のある話だった。道路ですれ違いざまの、立ち話で、語る様な内容ではない気がする。だけど、大原光孝さんが、養子であるかないかというよりは、慶ばしい事だから、まあ、強いて言えば、日常的なうわさ話の類であると、言えば言える。特に冨澤夫人は、三人の坊ちゃんを、妙本寺の幼稚園に入れているのだから、妙本寺のうわさが入るとしてもおかしくはない。

 しかし、どう考えても、こちらもおかしい。『は、はーん、本音は別のところに在りますね』と、思い到る。つまり、これも私のブログを否定しようとする、目論見のもとに、語られた、意図的な、うわさ話だろう。

 当時、私は、きっと、遠藤夫人の、驚くべき所業について書いて居たのだろうと、思う。それは、殺人事件と言うわけでもないので、日時が特定できず、従って、リンク先を見つけ出すことができないので、もう一回詳細に、書くしかないが・・・・・遠藤夫人は、1メ-トルの段差があって低い方の我が家の庭に、庭のごみを毎日掃き入れていたのだった。そこにはこちら側には、トイレの窓があるので、音でわかるし、或る時など、網戸の内側を開いていたので、遠藤夫人が掃き入れている姿が、はっきりと網戸越しに見えた。しかも、二軒の間を点検すると、高い方の側である遠藤家の方はつるっつるの状態で、土が、ピカピカに見えており、低い方で側であるわが家の方には、ピラミッド状に土がたまっていた。ほうきで掃くので、遠藤家側はつるっつるになっており、こちら側では、はっぱ類は、風で飛ばされて、どこかへ行ったと、思われるが、土や、砂、いしっころは飛ばされないので、ピラミッド状にたまって居た。

 ところで、私は弱いのではなくて、プライドが高いので、すぐ、見つけた途端に、文句を言う様なことはしない。神を信じると昔、ここで、言った。その言葉で言っている、神とは、日本語では、おてんとうさまと言う様なものであって、人智を超えて、すべてを、見、そなわす存在であり、遠藤夫人の驚くべき行状も、もちろんのこと、ご覧になって居ると、信じていた。それで、彼女が自発的に反省して、止めるのを待っていた。

 ところで、このごみの処理の問題だが、次に越して来た小野寺夫人は、きちんとした、ごみ処理をする。この噂話の顛末を聞いているから、そうするのか、それとも、きちんとした家庭に育っているのかは、判らないが、彼女は、一週間に、ふた袋程度の、庭ごみを集める。そして、それを、きちんと、山下へ下し、鎌倉市役所の、集配に任せる。これが、普通だと思う。どうして、遠藤夫人が、ああいう手法を取ったのかが不思議極まりない。で、考え込む。一つには、彼女は表裏のある悪い性格の情勢だと、考える手法だ。もう一つは、前田家+安野家側から、私の悪口を聞いていて、ああいう態度を取ったという考え方だ。どちらかは、判らない。ただ、ものすごく太っていた。超肥満体でもあった。だから、図太いのだろうか? 本当に、判らないところである。ただ、このエピソードを考慮すると、常に、私は、読者の皆様に向かって言う事となる。ぜひ、他人に対しては、少し尊敬する程度で、必ず、平等に扱っておくべきですよと。この遠藤夫人の後日を考えると、この他人の家に、毎日庭ごみを掃きこんだ話は、取り返しのつかないほどのミスとなるからだ。という挿入を、二日目に入れて、初日に書いた初稿に戻ろう。

 しかし、年末になって来た。内外の掃除をする。私は、侵入者(泥棒達)に、言わせれば、掃除は後回しで、ごったごたの人と見えるだろう。だから、毎日は、していないのだが、いざとなると、完璧主義が頭をもたげて、きれいにする。そうなると、我が家と、西隣の間にある、例のピラミッドが、気になって来る。で、遠藤夫人に到頭、直接に、「ここにお宅の庭ごみを掃き入れるのは、止めて欲しい」と言った。すると、「やっていません」と言う。で、ピラミッド(または、砂時計状)の小山を指さして見せると、それが、人工的には、できない形状だから、やっと、彼女も納得をした。特に上からは、それが、見えないので、初めて、そうなっていると、感じた模様だった。

 しかし、結局のところ、謝罪は無くて、只ふくれっ面を、されただけだった。その上、詳細は、覚えていないが、後日ご主人から、脅かされた。言葉による恫喝を受けた。

 冨澤夫人が死者として、教えてくれた、「遠藤家の、お嬢さんって妙本寺の、若いお坊さんの、お嫁さんに、なったのよ」と、言う文言は、こういう形で、後日に、生きてくるのだ。特に高枝切りと言うひどい攻撃を受けてしまえば(後注1)こういうエピソードがたちまち、使われることとなる。どうしてかというと、その高枝切は、前田祝一氏が、裏で立ち働いていて、かつ、伊藤玄二郎もかんでいることは、確かだからだ。遠藤夫人の、ああいう行動も、また、お嬢さんの、結婚も、すべて、そのラインが噛んでいる可能性があるからだ。

 その上、今の私は、2016年12月28日に玄関先にかかっていた絵を二枚盗まれて、貸画廊を開けない将来を迎えるというひどい攻撃を受けている。だから、こういう風にかんがえ、その考察の、結果を、ブログに書く事となる。

 つまり、妙本寺の、若いお坊さんの、お嫁さんの両親は、こういう人たちなのだ。ご主人は一見すると、東大卒ぐらいで、一部上場企業に勤務していると、見える。普段はおとなしい人なのに、驚くべき行動に出てきた。妻の悪行を否定して、被害者の方に恫喝をしてくる。やくざよりもひどい人達だ。

 だが、私に対しては、そういう風に強気に出たものの、結局は引っ越して行ったので、やはり、問題を根本的に断とうとして、逃げて行ったという事なのだろう?
 まあ、大原光孝さんから、「遠藤さんは、浄妙寺に住んでいるのですよ」と、聞いたこともある。だから、引っ越して問題を振り払ったつもりでも、結局のところ、救いはなかったのだった。で、利口にふるまっているつもりでも、このやまのお近所様である、前田氏や、安野家のお陰で、利口には振舞えないこととなって居る。冨澤夫人が、ああいううわさ話をしたのは、彼女本人のアイデアでは無かろう。例の鎌倉エージェントグループの特に、当時は、公的にも生きていた、井上ひさしが、微に入り細に入り、私のブログを研究していて、彼なりに、突っ込みどころを見つけて、それを攻撃してやろうと思っているらしい。

 それで、私が何らかの関連付けで、遠藤夫人の過去の行状を書いた時に、それなら、彼女(=遠藤夫人)がぐっと出世したことを知らせてやればいいのだ。妙本寺のお嫁さん(特に跡取りのお坊さんと結婚をしたのだったら、それは、すごい出世であり、母親としても得意だろう)になって居るのだからなあ。それを、あいつは知らないのだから、知らせてやろうぜ。そうしたらがっくりくるぜ。そうしたら、ノイローゼにさせて、モノを書けなくさせてやるという目的にもかなうからな」と、言う事で、冨澤夫人が、使役をされたと、私は、思っている。

 遠藤夫人と言うのは、夫と、社内結婚をしたと、見える奥さんで、夫を立てているらしく、家庭内では、控えめに行動しているみたいに見えた。しかも、上昇志向がひどく強い人で、進物類として、鎌倉市内の、新奇な名物を見つけてくるのが上手ではあった。しかし、神の存在を信じている私から見ると、理解不可能な対応をする女性であるという事は上に、書いた。その理解不可能な、ポイントが、ごみ処理以外にも、もうひとつ、あった。

 上の坊ちゃんが、小学校二年生のころ、横浜国立大学付属小学校の学友を招いて、自宅で遊んでいた。土曜日だっただろうか、『お母さんと、お嬢さんは外出していたのだろう』と、思う。坊ちゃんと、仲間が、サッカーボールを、わが家の壁に向けて、蹴り上げ始めた。我が家は、今のところ、33坪になって居るが、1984年に、これを、買った時は、18坪の、中古の家だった。その持ち主は、安普請で家を建てていたので、西側がトタンの壁面だった。また、近隣との付き合いを、嫌っていて、唯一他人と接触するその西側のほとんどを、壁としていた。東と南と、北は、自然環境と、地理的な条件が、幸いをして、他人と接触しないで済む家なのだ。その上、その西壁だが、外壁と、内壁の間にグラスウールなどの緩衝材も入れていなかった。だから、大音響が響いた。

 この時も、私は、「こらーっ!」などと、怒鳴り込んだりはしなかった。だが、考え込んだ。『横浜国立大学の付属小学校(鎌倉)の子供って、どうして、これほどに、判断力がないのだろう』と思って。

 私は子供好きなので、幼稚園に上がる前の子供とか、幼稚園から帰宅した、小学校入学前の子供たちは、集団で、よく面倒を見た。横浜市、緑区、東本郷住宅と、横須賀市根岸町二丁目、103番地(旧番地)時代の話だ。横浜時代は、1970年代に、3LKのマンションを買える若い夫婦たちと言う階層だったので、ご近所も精神的なレベルが高くて、「お互い様」と言う感覚があった。今日、あのママにお世話になったら、あすはこちらが、あそこのお宅の、子どもを預かろうという思いとかシステムがあった。

 が、横須賀時代は、ママたちの、精神的なレベルが、低かった。「あの人に預けて居れば安心だ」という事で、ロックのレコードをガンガンかけて、編み物ばかりしているお母さんとか、いろいろあって、ご近所ママたちに、こき使われた。つまり、カッコウの托卵に、似ていて、『本人が自分の意志で、それを、やってくれるのなら、他人を使っちゃおう』というママたちが居た。だが、常に、子供を見ていたので、特殊な親御さんのお子さん以外は、大体、幼稚園時代に、何をやっていいか、やっていけないかがわかるものだ。

 鎌倉の付属小学校に入れるという事は、親は、中流以上の家庭を、維持している筈だ。だけど、しつけができていない。判断力もない。遠藤家の坊ちゃんそのものも、まるでできていない。だけど、善意で解釈したい私は、こう結論付けた。・・・・・・鎌倉には子供の数が少ないのだ。それで、野外で、体を使って遊ぶということが少ないのだ。遠藤家の坊ちゃん自体、これほどに活発な遊び声を聞いたのは、初めてだった。だから、それ以前に、体を使って遊ぶ、特に親の目から離れて、自由に遊ぶという経験がないのだろう。だから、これほどの迷惑をかけても、自分たちが悪い事をしているという感覚がないのだ・・・・・と、判断をした。

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副題6、『私は三歳までの段階で、保育所に子供を預けるのは大反対だ。夫側の給料を高くしないと、いけない。それと画家などを志す人は、子供をあきらめた方がいい。弁護士や医者などの特殊な職業で、しかも母親になりたい人には、休職制度を充実させ、子育て後に、再就職できる様にすべきだ。

 私は、3歳を超えた子供たちが、集団で、外で遊んでいる場合、注意すべき状況かどうかは、常に、音で判断をした。子供たちが遊んでいるときに、泣いて居たり、悲鳴を上げたりしていると、飛んで出ていく。いや、出て行かないとしても、注意深く、観察する。いつもロックのレコードをかけて編み物をしているお母さんの子供は、お母さんの、自尊心を満たすために、お母さんが付いていない形で、外遊びをする様に強いられていた。特に、朝の8時45分から、夜の六時まで、お昼も三十分程度で、お外に出されて、外遊びをする様に、強いられていた。だから、下手に出る様になる。子供は一人では遊べないからだ。で、下手に出るので、年下の子供にまで、棒で殴られていたのだ。その棒が、その日は、鉄筋だった。で、悲鳴を上げているのに、お母さんは、主義があるので、出てこない。で、電話をかけて、「あなたのお子様、鉄筋で殴られているのよ、どうして、悲鳴を上げているのに、出て行かないのですか?」と、言った。電話で知らせたのは、殴っている方のママも、私にとっては、親子ともどもに、友達だからだ。それに、自分の子供が参加をしていないので、関係がない場所であるのに、出しゃばるわけにもいかないからだった。さすがにこの時は、ロック大好きママも出て来て、子供を家の中に入れていた。そのこどもが、かわいそうにと、思う事は多くて、彼女に質問をしたことがある。すると、高校時代の先生が、ルソーのエーミールの信奉者であり、彼女はまた聞きで、エーミールを信奉しているとの事だった。しかし、NHKETV【100分で名著】で、初めて知ったのだが、ルソーは、自分の子供は全部孤児院に入れて育てたそうだ。つまり、実践に基づいた理論ではないものを、彼女は信奉していたというわけだ。

 その上、中世の、縛りに反して、の自由主義なのに、彼女は、細切れで、単純な理解のもとに、外遊びを強いていたというわけだった。ただ、彼女もだんだんにわかって来て、下のお子さんの時は、小学校入学まで、家の中で、大切に、保護していた。幼稚園に入れていないので、家の中で、午前中、母とともに、折り紙をしたり絵本を読むなどの、丁寧な生活を送っていたみたいだ。周りに同年齢の子供もいないので、そうしていた。上の子は、あまりにしつけができていないので、幼稚園側から、入園拒否をされて居たのだった。こどもを親の自尊心の肩代わりにした弊害が、出ていたのだった。お兄ちゃんが、幼稚園に行っていないのに、下の子だけ行かせるのはかわいそうだからという事で、下の子も幼稚園に行かせなかった。だけど、下の子は、ものすごくお成績ご優秀ですって。お母さんが、丁寧に面倒を見たからだろう。

 この泣いていた、上の子の方が、今度は、加害者の方となって、異様な音を立てることがあった。子供のいない家の塀に、坂を利用して、ものすごいスピードで、鉄でできた車(カートみたいなもの)をぶつけるのだった。それを、「止めなさい」と、何度言っても、言う事を聞かなかった。別に障害児でもないのだが、小さい時から、外遊びを強いられていて、何にも教えられていないからだった。

 ともかく、私は子供を保育所に預けるのは反対だ。子育てはたいへんな重労働だが、子供には、自由遊びを通じて、いろいろな、経験をさせないといけない。棒で殴ったりされることも経験しないといけない。殴ってみて、叱られて規制をされることも経験しないといけない。だけど、保育所で、そういう自由遊びをさせたら、保育士さんが参ってしまう。身が持たない。特に給料が低いそうだ。やりたくない仕事となる。
 で、保育所では、管理された遊びだけが、許可されることとなる。そうすると、子供は経験不足になる。やりたい放題を、4,5歳の時にやってみて、親に叱られるという形で、抑制を、経験をして行く。4,5歳までなら、ご飯をもらえる相手としての親は、絶対の力を持っているので、言う事を聞かせられる。

 ところで、他人だが、親にきちんとしつけられて居る子なら、叱っていう事を聞かせられる。が、親に、一度も叱られたことがない、しかも、愛情を持って叱られたことのない子は、他人には、しつけられない。他人のいう事など聞かないからだ。

 だから、学校の先生にいじめ問題を相談しても無駄だ。いじめる子は、先生になど、しつけられないレベルで、悪い子に育ってきているからだ。だから、解決できないレベルで、虐められたら、逃げるしかない。転校すればいい。借家を借りて、転校すればいいのだ。駄目なら、フリースクール等で、ゆったりと過ごせばいいのだ。

 なんだか、日本の将来が暗澹たることとなって来た。保育所に三歳児未満で入れることは母親にとっては、楽、極まりない事だ。自分の方は、きちんとお化粧して、外出し、社会参加できて、しかも、地位や、収入まで、保証されるとは。だけど、子供の根幹が形成されないこととなる。恐ろしい事だ。

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副題7、『毎日、他人の庭に、ごみを掃き入れた話に戻ろう。・・・・・それをトイレからみていた・・・・・と、ブログか、メルマガで書いたからこそ、問題のトイレのドアに、太い黒マジックで、矢印を書かれたと思う。今は、リフォームをして、壁も無垢の木材で、ドイツ張りをしてある。一階だけだけど、しっかりしたものに直した。外張りと、内側の間に、グラスウールも入れてある。で、当該のトイレも、消滅した。だけど、このマジックで、いたずら書きをしたのも、例の鎌倉エージェントの発案だと、思われる。その発案を、

 実行したのは誰だ? プロのCIAか? いわゆる瀬島機関の人間か? それとも、警察の特殊部隊か? それとも、「警察官たちより所」13号と、14号という看板を門前に、麗々しくたてていた、二軒の家(=前田家と、安野家)のどちらかが、合いかぎを警察からもらっていて、命令によって侵入してそれをやったのか? つまり、四系統で、侵入者が考えられるのだが、その同じグループの人間は、時には、銀行のカードを盗んだり、時にはパソコンの電源アダプターを盗んだりした。

 そして、それは、2007年ごろから顕著に始まった事なのだが、その12年後の今般は、油絵が二枚盗まれたのだった。ただ、これは、西隣の小野寺夫人に、貸画廊を開くつもりですと言ったとたんに、盗まれたので、過去のケースと、違うところがある。それで、追及を激しくしている最中だ。だが、それは、初稿を描いたのちの二日目に入れる挿入であって、初稿の泥棒達が、侵入した時点である2007年に戻ろう。

 そして、電源アダプターを盗まれて以来、秋葉原の路地裏で、ジャンク品として、1000円か、1500円で売っていた電源アダプターは、姿を消し、純正部品として、13000円以上のモノを買わないといけなくなった。盗まれたもの、壊されたものとして、私は、すでに、新品中古合わせて、18台ものパソコンを買っている。そしていまだに壊され続けている。ちょっとでも使っていないと、いつの間にか壊れている。

 この同じ泥棒が、父の写真、母の写真、そして、父が、絵が素晴らしく上手だった、という事を証明する新聞記事の切り抜きを盗んでいった。『国会図書館にはあるだろう』と、思っていたが、満州の新聞は、すべて、マイクロフィルム化されており、しかも、文化面だけ、削除されていた。という形で、父が絵が素晴らしく上手だったという事実は、消されている。

 しかも、私が、国会図書館を訪問するたびに、パトカー2台とか、機動隊用バス二台とかが、待機していて、脅かされる。しかも、こういうことを、ブログで書くと、早速NHKは、探検バクモンを、国会図書館に派遣をして、お正月特番を作る。テレビを最大限に、利用して、私を弾圧する。

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副題8、『・・・・・悪人たちは共食いをする・・・・・は、遠藤夫人にも当てはまる。冨澤夫人にも当てはまる。悪の根源は、このやま内だけでは、安野家と、前田家にあるのだ。年末に、主人に向けて前田祝一氏が、<自分は癌である>と言ったそうだが、私は一切同情をしない』

 ところで、遠藤夫人は、私が、「お宅のお子さんたちが、あなたの留守だと、思うのですけれど、サッカーボールを、壁に蹴りつけて大音響を発したことがあって、それは、困ります」と、言った時に、返事として、即座に「そんなことは、やっていません」と、答えた。私は本当にあっけにとられた。一応、私は他人である。自分の子供よりも他人を上に置くべきだ。だから、こういう際は、「それは失礼をいたしました。今度は気をつけます」というのが普通だろう。

 でないと、こういう風に、後日に、ブログに書かれてしまう。それは、当たり前だ。鎌倉というブランド土地に、遠藤夫人も、自己の上昇意欲が満たされると信じて、引っ越してきたのだろう。そうなると、ご近所様が、能力が高いという事は、充分に推察しないといけない。それを推察しないで、『否定をしておけば、それで、済むだろう』と考えるのは、非常に幼稚で、片手落ちの考え方だ。
 しゃざいをうけれそれで、私の方もチャラになる。子供が行った失敗をしつこくも長くも言うのは、愛情がないという形になるからだ。しかし、実際にひどい被害を受けているのに、それを加害者側から否定をされると、こっちはびっくりしてしまって、言葉に詰まる。

 この時は、私は、本当に驚いてしまって、『この人は、極端に頭が悪いのだろうか? それとも、継母にでも、陰湿にいじめられてきていて、真実は絶対に語るべきではないと、思い込んでいるのだろうか?』と、真実迷った。

 だけど、今では、こういう風に推察をしている。あの時に、彼女本人か、お嬢さんが家にいたのだろう。お嬢さんが家に居て、実情を把握していて、お母さんに言ったと仮定をする。すると、夫婦で話し合ったのだと、思う。それで、否定をしようと、決意していたと、家庭をする。そうなると、あれほど、俊敏に否定をして来たのが、理解が可能になる。でも、お嬢さんは当時、幼稚園の年長組だった。そうなると、これが、他人には迷惑だという判断ができるはずがない。普段あそこの家には、お友達が遊びに来ることはない。となると、あの日はお誕生日パーティか何かで、お母さんは、家にいたと、思われる。そして、やはり、あの大音響が、迷惑行為だったとは、判っていて、ご主人と相談をしたのだろう。そして徹底的に否定をする様に決めたのだと、思う。

 しかし、そういう風にしながらも、坊ちゃんの友達が来ることは二度となかった。不思議な家だ。普通だと、ごめんなさいと、母親が謝罪する。そして、子供にはある程度以上の自由を許すものだ。お互いに落としどころを見出す形で、生きていく。

 しかし、そうではなかった。そして、友達を家に招いた気配が、一度もないまま、坊ちゃんは、18歳で、高校を卒業すると同時に家を出て行った。本当の親であるのは確かで、しかも、貧乏ではないのも確かだから、大学へ入学と同時に家を出て行ったのだと、思われる。が、春休みとか夏休みにも一切帰ってこないのだ。それが、どうしてわかるかというと、我が家もリフォームをして、西側にもトイレ以外の窓を作った。遠藤家では、坊やのために、庭先にプレハブの、勉強部屋を建てた。それは、借りていた家が、せまいので、お嬢さんと、坊やの個室を二つ取ることができない設定だったので、そうしたのであろう。そのプレハブが、良く見える。特に夜にそこに電気をつけていると、カーテン越しにそれが判る。しかし、18歳以降、その電気がつくことがなかった。どういう家族なのだろうか? 

 そして、こちらのサッカーボールの蹴り上げの件が、先であり、庭先のごみ掃き入れが後だったので、私は本当に、そのことを注意するのが嫌だったのだ。それでも、証拠が歴然としているから、注意をしたのに、突然に、かつ瞬間的に否定をされた。だけど、もしかすると、安野家とか、前田家とかから、悪口を聞いて居て、そういう風にこちらを扱うべきだと思い込んでいたのだろうか。

 となると、こういうことを書く事によって、遠藤家のお嬢さんを良いところにお見合いで、結婚をさせることも政治の一環であったと成る。で、この文章もまた、ご近所の悪口と言う矮小な問題ではなくて、大きな政治問題へと、つながって行く。

 しかし、政治と哲学や心理学をリンクさせることが好きな私から言わせると、いやあ、前田家とか、鎌倉エージェントって、相変わらず、トカゲの脳味噌の持ち主だなあと、成る。お見合いを設定したとは、思われる。山ノ下の東南にすむK氏は、北鎌倉女学院の先生だ。かつ、K氏の母君は、伊藤玄二郎に取り込まれて、アンソロジーを、編んでもらっていて、その著者でもある。私はここに、すでに、33年住んでいるが、そのアンソロジーが編まれて以来、マダムKから、失礼な対応を受けている。

 また、1980年代に所属していた鎌倉コールに再度の参加させてもらったのだが、その最初の日に、昔の酒井雅人先生から、代わっていた児嶋百代先生から、「ビブラートをかけすぎている」と、満座の中で、いじめというか辱めというかを受けた。児嶋百代先生は、著書を伊藤玄二郎の、鎌倉春秋社から出しているので、伊藤玄二郎から、あれこれを聞いていて、いじめてきたのだろうと、思っていたが、もしかして、この妙本寺も若いお坊さんの、結婚に際して、仲人でもしていたら、(遠藤家のお嬢さんは、ピアノは上手だったので、児嶋先生にかわいがられていた可能性は強い)、私に対するいじめの根は深い。私はあきらめて、鎌倉コールを去った。こういう点も伊藤玄二郎は勝利したと、嬉しがっている事だろう。だが、伊藤玄二郎の周辺で、彼に協力をした、人間は、石川和子さん、瓜南直子さん、そして、谷垣禎一さんと、次から次へと死んでいる。

 伊藤玄二郎は、平気の平左で生きているらしいが、前田祝一氏は、やせて来ている。そして、妙本寺のお若いおぼう様だけど、幸せだろうか? あのお嬢さんは、計算高くも、自分が接触して特になる人には愛嬌たっぷりの笑顔を見せるのだろうか? 私が見るところによると、このやまで、随一のサイボーグだったけれど。神経もないし、心もない様に見えたけれど。

 ところで、私は、2016年、9月26日に始まった高枝切の篇でもそれを書いたのだが、悪人どもは共食いをするなあと、心から、感じ入っている。彼らは、自分たちが勝つつもりで、冨澤夫人を使役して、遠藤家の令嬢が、妙本寺の、若いお坊さんに嫁いだと、知らせて来た。「お前、参っただろう。遠藤夫人は、お前よりも抜群に地位が上がったのだ。鎌倉の住人としては、彼女の方が上になったのだ。おまえが、その欠点を書いた女性が、お前よりも上の地位に上がったのだ」と、言いたいから、知らせてきたのでしょうね。それは、判ります。

 でもね、高枝切と言う非常に悪辣な仕組みと、今般の玄関先から油絵を盗んで、それによって、脅かして、貸画廊を開かせないぜと言う悪辣さに接しては、こっちもひとっとびに、ランクアップします。あっという間にバリアーを超えてしまいます。せっかくの引っ越しで、私に見られてしまった素顔を隠したつもりでも、妙本寺というキーワードで、再び、縁がつながれてしまったでしょう。だから、彼等・鎌倉エージェントの頭脳レベルが、トカゲの段階だと、言っているのです。

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副題9.『ところで、遠藤家は、引っ越し先を告げて行かなかったが、でも、お別れの、何かは、いただいた。この引っ越し先を告げて行かなかったというのは、いたちの最後っぺみたいなものだから、非常に感じが悪い。まあ、あのお掃除の仕方を見られてしまったら、言いたくないのも道理だけれど。でも、幹事が悪いものだから、私の方は、それを踏襲せず、お隣の、白井小野寺夫妻に、引っ越し先を告げたのちに、引っ越しをしようと思っている。しかし、私が死ぬまでは、こちらの鎌倉の家も所有している事となり、あっちに住んだり、こっちに住んだりして、郵便ポストも生かしておくはずなので、引っ越し先を告げても告げなくても同じことなのだ。だけど、心理的余裕の問題として、私は、2016年12月27日の夜、7時ごろ、はかられたがごとく、【しいち稲荷】の、踊り場のところで待っていた彼女との会話を開始したのだった。

 しかし、合計20分ぐらいの間に、何度、嫌な思いをしたことだろうか? 否定、拒否、否定、拒否の連続であった。5,6ッ回嫌な思いをした。しかし、小野寺夫人との間には、合計30分以上会話を交わした過去があって(後注2)、その点では、彼女はさすがに、東大卒だ。遠藤夫人より、数段のレベルで、頭はよい。ただし、性格的に、どちらが上かはわからないが・・・・・

 しかし、今般、小野寺夫人には、すさまじい裏切りを受けた。彼女の上奏、または、彼女が、ゴミ捨てに行くにでも、ポケットにスマホを忍ばせていたと仮定をすると、それが、盗聴器の役目をはたして、今まで家族にも言ったことがない、貸画廊を開きたいと、言う望みが、鎌倉エージェントに入り、酒井忠康氏か、伊藤玄二郎か、どちらかの発案で、実行者が、誰かは、見ていないので、判らないが、それをやらせないがために、油絵が2点、玄関先から盗まれた。

 私は小野寺夫人があまりにも現代アートの世界というのを知らないのに驚いて、それを説明するために、寄り添う為に、貸画廊の話をしたのだけれど、驚くべき曲解に到達したのだった。いじめましょうね。脅かしましょうねという結論に到達したのだった。この女性は、この地域では、三大・魔女の一人だと、思っているが、まさにそれを、実感させられた今般の、泥棒事件だった。

 ところで、彼らが住んでいる地所は、遠藤家が買い、うったものらしい。

 遠藤家は、借家人として最初は、入居していた模様だが、引っ越しの直前には、自己所有としていたらしい。大家さんの死去などと、同時に遺産相続の件が始まると、不要な不動産を処分する動きが始まるからだ。で、同じ大家さんの所有であった、鎌倉春秋窯も、石川和子さんのものとなって居たみたいだが、彼女の死去に伴い、所有権がどう、移転をしたのだろうか? ともかく、そちらもすでに、借家ではない模様である。

 ところで、後に入って来た、白井・小野寺夫妻は、ひと区画を二つに割った、狭い敷地ながら、瀟洒にして、ユニークな家を建てた。昔からの、日本の建築技術が、日本の風土に合っているというコンセプトを貫いた家でもあり、篠竹の芯を入れた左官職の壁、古・家具・市場で買ってきたと、彼女が言う、細い桟の入った建具、・・・・・

 今度の夫妻との交流だが、それは、遠藤家夫妻よりは、はるかに理性的に、進行をしていると、思う。一方で、そちらのとの交流は、山あり、谷ありの、厳しいものではある』

 ところで、これは、まだ、因果関係が整っておりません。この章は、二万字まで、書くべきか、または、続くとして、新しい章を起こして書く事となるでしょう。ただ、午前三時に成ったので、一応終わりとしますが、ここから先の展開がどうなる予定かを書いておきたいと、思います。

*アルファ、白井小埜寺邸からを装って、数か月に一度、真夜中に、石を西側の壁に投げつけられる事件が、起きた。この問題を解決した時に、白井氏と、わが家の関係はもっとも、良好になったと、推察される。しかし、そうなると、鎌倉エージェントは困るので、白井小野寺夫妻を、自らの陣営に招き入れ、巻き込む工作が始まり、

 それは、社会に起こされる謀略を生んでいく。周南事件、シャルリーエブド事件、山田浩二のやったとされる、中一2 児童・殺害事件、やまゆり園事件、を伴って、ますます険悪化していく。

*ベータ、しかし、今般ほど、悪辣にして、瞬時に因果関係が判る泥棒はない。小野寺夫人に、貸画廊にしたいと言ったとたんに、油絵を二枚玄関先から盗まれたのだ。

 泥棒の実行犯については、まだ、不明としておきたいが、どうしても、大原光孝さんが、関与していると、思われてならない。もし、それが間違っているのだとすると、また、冨澤夫人が使役をされて、ああだ、こうだと、否定する文言を言ってくる可能性があり、それを、阻止するために、今般の、冒頭(副題4から始まる冨澤夫人に関する)のエピソードを書いた。

*ガンマ、というのも、私が我慢がならないのは、あまりにも連中のやってくることが頭が悪いからだ。私は冨澤夫妻が、そっち側にすでに立っていて、ただ、だますために、親切な振りをしているのなど、とっくに察知している。だが、一章のうちに、この複雑なミステリーの全貌を書くことは、不可能だ。だから、冨澤夫人は育ちが良くて、会話を交わすのが唯一気が許せるなどと書いてはいるが、冒頭の副題4以降に書いた様に、「彼女が、私をだましたり、自分たちに、都合の良い方向へ、私が動く様にさせるためのスパイ役を果たしていることなど、とっくに察知していますよ」と、言っておきたくなったという事だ。ただ、声が美しく、かつ、趣味はいい。だけど、人間は、種々の側面を持っているから、悪の側面が私と接するのなら、彼女も小野寺夫人以上の悪女となる可能性がある。というのも、育ちの上で、苦労が足りない人なので、守るべきものが何なのかが、本当にはわかっていないところがあるからだ。人間として、守るべきものがある。それが、判っていない人は、右往左往するのだ。そして、容易に悪に染まりやすい。ヒットラーに支配された、1944年ごろのドイツを見よだ。

 そして、いよいよもって、私は大原光孝、柄沢斉、酒井忠康ラインへの分析に入るわけだ。こういう事は、今気が付いたわけではないが、泥棒が絵を盗んでいった今は、その好機であろう。

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