銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

さて、ここで、杉本俊一・正子・滋・一家を分析しておこう。横須賀市の水道山の地積変更届(実際は只で私有化された詐欺であるが)

2024-07-06 21:04:52 | 政治

 わたくしはね、伊藤玄二郎が、国庫金を使って、政治を行っている(つまり、味方にする人間に、大金を渡すが、それは、官房機密費である)と、いうことを、わかってしまいました。

 これの前哨戦として、横須賀市で、あれこれを調査したことが役に立っています。

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 杉本俊一・元横須賀市副市長と、その妻、正子さんが、1970年代に住んでいた家は、ただで、CIAエージェントたちから、提供されたもので、実質的なわいろだったと思います。これが、わかったのは、登記がしていなかったからです。

 これは、鎌倉でも使われている手口で、かまくら春秋社のビルは、土地も建物も登記してありません。

 鎌倉市雪の下、二丁目、4-X(後で、正確な数値を入れます)の、旧中谷邸は、前田清子さんの長男が買ったことになっていて、1970 万円は、中谷家の遺児二人====一雄氏と、睦氏(次男の方の名前は不正確)に東急リヴァブルを通じて、渡ったのでしょうが、前田清子さんの、静岡大学法学部卒の資格を考えると、たとえ、借金をしていなくて、抵当権設定がないとしても、所有権移転登記をしていないのは、変です。つまり、前田(長男)君は、お金を払っていないのです。伊藤玄二郎の仲介で、谷垣禎一氏かほかの、自民党代議士を通じて、2000万円の官房機密費を出してもらい、私より金持ちだと、する嘘のために、国家のお金を出させたのです。これは、さらに複雑ですが、将来鎌倉雪の下黒物語、前田家篇、で、詳細を語ります。

 元へ戻ります。横須賀の話は、50年は前なので、あまり、動きませんので、語るのに楽です。

横須賀市の公共用地を、地積変更届という仕組みは、利用するものの、実際には。1200坪もタダで、杉本氏は、益山夫妻にあげるのですよ。それを公務員として、見逃すことへの、対価として、家賃を支払わなければならない家をただで使っていたのでした。

 彼は、日大理工学部建築科(または、土木工学科)の出身で、当時土木課長をしていたのです。

 今、あの一家が住んでいる宮大工仕様の豪邸から、道路一本隔てた、東北の角地の家で、当時で、土地は、50坪、建物は、26坪ぐらいの平凡な家でした。

 何に対する謝礼かというと横須賀市の元水道山1200坪を無償で、益山重夫(と、その会社である大建産業)に渡す謝礼でした。

 しかし、彼ら一味は、私を見くびり切っていたので、私が土地を買うときには、一切それを知らされていなかった青地(という国有地)が、自宅西側に、90㎝幅で、はいっているという

 測量図付きの地積変更届けを見せられて、びっくり仰天し、調査に乗り出すのでした。たまたま、母が、「その書類は、おかしいですよ。誰か、あなたではない別の人(実際には、益山氏)が、土地を横須賀市に寄付する際に、あなたが、地境地主などといっても、実印を押す必要はないはずです」と、いったので、調査し始め、彼らの悪辣極まりない、計画を全部知ることとなるのでした。

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 益山重夫は、陸軍中野学校出身で、戦時中は海軍参謀でした。で、謀略の専門家です。しかも、戦後最大の、CIAエージェント、瀬島隆三とも親友だと、いう触れ込みでした。当時から、我が家、および、西隣の原正芳家の、室内会話の盗聴、および、電話の盗聴をしていたのでした。わたくしの主人は、理工学部出身で、単純なのです。で、人を疑いません。で、その書類(一通だけを、11人に回す)を、もらって、

 「あなたの家の東南の道路(それは、益山家の私有地なのですが、それ)を、横須賀市に寄付します。つきましては、あなた=川崎英二の実印が必要で、ここにそれを押して下さい」といわれて、はいはい、と押したみたいです。

 ところがね。常にわたくしには、神様が付いている。で、ここでは、我が家の敷地、60坪の、西半分が、母が買ってくれたもので、したがって、そこの地境の私道部分の土地については、母の実印をもらわないといけなかったのです。

 そして、母の父は、旧制商業中学(柳井商業)の校長でした。40年間。それで、母は、遺伝上、理財に明るいのです。で、母も、株を趣味とするという形で、世間の常識については、よく知っており、並みの専業主婦ではなかったことです。で、「他人である、益山氏が、自分の土地を、横須賀市に、寄付するのに、どうして、我が家(=母)が、実印を押さないといけないの? 納得できない」といいます。

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 わたくしは、最初は、抵抗しました。「お母さん、どうして、そんな固いことをいうのよ。益山夫人って、戦時中の人手不足はあったでしょうが、都立大学の土木課を出ているインテリなのよ。お顔も原節子似の、美人でね。ひなには、まれな教養の高さと品の良さがあるの。わたくしは、仲良しのつもりで幼稚園バザー用に手芸セットを五組くらい、ご寄付をいただいているから、喧嘩したくないなあ」と、答えました。

 母は、「じゃあ、日吉に来るのね。一緒に見て、検討しましょう」と、いいました。で、明日行くと、答えて、食卓に座り、一応、予習をするつもりで、厚い書類を開きました。

 この時、日産自動車が、夏休みで、主人は、子供を連れて呉へ帰っていました。で、私は家の中で、一人でした。九月から、学士入学で、三鷹のICUで、再び勉学しようとしていたので、掃除、勉強など、一人で、やりたいことがいっぱいあったのでした。

 この時、益山夫妻は、私が一人であることを知っていて、しかも夜持ってきたので、絶対に、真実は、わからないだろうと思っていた模様です。つまり、見くびっていたのね。

 ただね。わたくしは、深い弾圧を受けているのは、頭が良いことをベイカーさんという金髪碧眼のイエール大学から来た、学生(多分スパイ)に、すでに見つけられていたから始まったことで、CIAが、「彼女を殺さないと、日本および、日本人の奴隷化はできない」と、考えるほど、頭が良いのです。だって、彼が「僕は三鷹警察署の署長と親しいから、CS君がやりたがっていたことを警察署から、許可を取ってあげるよ」というのです。すぐ変だと、わかります。だって、CS君がやりたがっていたことって、学生相手ではなくて、一般市民相手に、ビラを撒くという事で、その許可を取ってあげるというのです。わたくしは、ベイカーさんとは、3mは、離れた場所に座っていたのですが、「変な人だなあ。アメリカ人の、エリート学生が、どうして三鷹警察署の署長と親しいの?」と思いました。その表情だけで、頭が良い人だと、考えられてしまったのです。

 皆様、これが、1965年の話で、そのころから、日本の警察って、CIAと密着をしているのです。私は、その後、ベイカーさんに後ろから、首を絞められて、殺されそうになります。だが、助かります。常に、助かるのが、私です。

 益山夫妻が計画している詐欺事件に、だまされそうになるのが、1977年で、この時も益山夫人に車で、ひき殺されそうになるのでした。だけど、子供二人を置いて、三鷹まで、勉強に行っていたのだから、三時から、時には、7時まで、子供だけで、家に置いて出かけていたのだから、益山夫妻を、悪人だとは、思っていなかったという事になるのでしょう。まあ、まあ、その詳細は、次の節から。

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 益山夫人が、夜9時過ぎに書類を持ってきたのは、そのころ、実印を押すのは、我が家だけなのですね。母の分が急に表れたからです。で、どうも、すべてを秘密にしたいと、考えているとは、感じました。

 さて、頭の良い母を説得しないといけないわけで、丁寧に書類を読むと、・・・・・変だぞ。「寄付をします」などとは、どこにも書いていない。地積変更届ってなあに? 今、益山さんの所有分が、2.73平米しかないのに、どうして、それ=地積変更届=を終えると、4200平米になるの?・・・・・これは、明日は、日吉に行かれない。大倉山の青山敦子さんを訪ねないと。と、決意しました。青山敦子さんは、高校時代の、同期生で、昼休みの古文(それこそ、大鏡も去来抄もの)の輪読を、四人で、行った仲間です。四人のうち二人は、東大へ、一人は教育大学へ、一人は、私で、ICUへ入学しました。青山敦子さんは、東大卒で、弁護士になりました。正真正銘の佐田寅子さんの後輩です。

 今は、違うマンション(都心)に住んでいるのですが、当時は、小さいお子様(懐妊が、遅かった)三人を育てている最中で、大倉山の、樹木に囲まれた、庭が広いマンションに住んでいたのでした。もう、びっくりしたのは、おひるが、100%の和食でね。のちに「三代続けて、東大(にわたくしの子供を入れるの)は無理だったわ、父と私と夫は、東大卒なのに」という彼女が、その時は、煮豆まで、自分で、煮ているという家事優先の母親だった事でした。

 玄関に近い一室が応接室で、そこで、相談しました。が、よくわからないという事でした。「どうか、ご主人に代わって。今は、オフィスでしょうが、ご主人に、頼みたい」と、のどから手が出るほど、望みました。

 しかし、青山さんの本音が、「これは、大きすぎる案件だから、かかわりたくない」というところにあったのかもしれません。そこを勘案して、とても、手の込んだお昼をごちそうになりながら、以下の様に言いました。「私はね。あなたに迷惑をかけたくないから、自分でやる。だけど、どういうことをやっていいのか、やったらいけないのかだけは、教えて」と、頼みました。それで、登記所の利用方法を教えてもらったのです。

 それが、今般も役立ちました。

 ところで、それ以上の調査もしました。

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 測量士は、中島進です。今は、土地家屋調査士というのだそうですが、1970年代は、測量士でした。

 最後のころ、彼が、原簿閲覧室に現れ、かつ、私の目の前で、担当吏員から、名前を呼ばれていたので、わかりました。ところで、彼が、現れたからと言って、私が、「あなたが、益山重夫の、地積変更届の書類を作ったのですね。すごいウソですね。567平米買って、我が家他、30坪単位の売り家(我が家と、その北と、さらにその北は、二区画ずつ買っている。我が家が、60坪、北が、50坪、さらに北が、45坪で、それ以外の一戸建てが、30坪ずつ、10戸作ってある。道路も、作っていて自分のうち、それから、自分用の大駐車場も作っている。つまり、実際には、1977年の地積変更届が起きた時に、すでに、700坪か、800(2700平米以上)坪消費しているのだった。

 どういうことかというと、その時点で、すでに、水道山に、蚕食しているのだった。650坪も入り込んでいるのだった。そのうえでさらに、残りの水道山・山桜が何本もある里山、は、1945ねんから1960年ごろまでは、元山林地主たちは、自由に出入りして、薪用の粗朶を拾っていたのだと思われる。

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 ところが、益山重夫が、この企画を始めてから、水道山に人が自由に入れない様にしていった。閉鎖の門もできているが、何しろ、効果的だと、連中が考え出したのは、神戸の酒鬼薔薇聖斗事件だった。

 首がない遺体が、水道山のタンク下に置いてあったと、聞けば、自動的に、北久里浜でも、人が恐れると、考えたらしい。それが、いわゆるCIA案件で、酒鬼薔薇聖斗は、むろん、土師淳君の頭を、校門に乗せるなどという恐ろしいことはしていないだろう。で、むろん、首から下の遺体を山の上まで運ぶなどという事はしていない。闇の舞台(警察の別動隊)が行ったと、考えている。

 酒鬼薔薇聖斗の声明文とは、井上ひさしが案出し、左手で、書いたかな釘流で、インクの成分などを調べれば、同時期の原稿と同じインクを使っているはずだと、書いたので、神戸地裁から、データが、廃棄されてしまった。

 その後、【絶歌】なる書物が大宣伝を持って、店頭の平台に並んだが、これも、井上ひさしの代筆であろう。連中は、嘘のウソを平気で言うのだった。

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 わたくしがひどく怒って、この事件を文章化しようとしているのは、杉本俊一・正子夫妻の長女が、小町通りを、友達と歩いていたことがある。わたくしが見るところ、子供時代の面影が残っていて、「あら、何子ちゃん、鎌倉へ来たの?」と、何の邪念もなく、話しかけたら、

 彼女は、挨拶もせず、隣の友達に、ひそひそ声で、あたかも、わたくしが悪人のごとく、告げ口をしていた。なあるほどと、思う。杉本正子さんは、悪女の典型だ。北村充子さんや、稲田恭子さんを使ってやること、やること。恐ろしいことを平気でする。また、1976年には、幼稚園のPTA会長をしている我が家にしょっちゅう訪問をしてきたのに、1979年には、根岸小学校のPTA広報委員長の大沼嘉津江さんにしたいよる。大沼さんが、島田章三の実妹だからだ。

 で、2005年ごろ東工大卒だという中島進とは、違う測量師が、電話をかけてきて、・・・・・杉本家の長男が、不良になった・・・・・というのを知っていますか? という、それが、引っ掛けで、それを書くと、誹謗中傷に当たると思うので、書いていないが、高校も大学も卒業していないのではないかなあ。天は、本当にちゃんとご覧になっている。あの母親では。まともな、少年は、育たない。でも、ある人に聞いたら、「昔の話でしょう」という事だった。さすがに、40を過ぎると落ち着いてきて、どこかの私企業(土建業)などの重役になっていたりして。だって、その子を雇えば、父親の杉本俊一氏は、横須賀市の事業(埋めたて)などをその会社に回すでしょう。公共事業は、濡れ手で粟のところがあるからぼろもうけだしね。

 その杉本雅子さんに、命令された、私を引っ掻き回す役目を担っている稲田恭子さんだが、お嬢さんが、八分の一ぐらい白系ロシア人の血が入っているのではないかと、思われるほど、かわいい。で、おお嬢さんが、静岡県の海運業者に嫁いだと、聞いている。この間、カンブリア宮殿で、『鈴与』という海運業者を紹介していた。恭子さんのお嬢さんの嫁ぎ先は、一部が、海運業だと、聞いた。そこかもしれない。

 となると、我が家の西隣に住んでいて、毎日庭ごみをほうきで掃いては、我が家に捨て入れていた、遠藤家の、お嬢さん、とどっちが金持ちになりましたか? というほどだ。後者は、妙本寺に輿入れした。

 これは、非常に大きな話なので、まだ、まだ、続きます。今まで、きちんと書いてこなかったのですが、最近、私の、文章を書く、ちからも上がってきたと思うので、時間をかけて、丁寧に書いていきましょう。

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