*1)、 今の私は徹夜明けで、体力がないです。で、逃げているわけではないのですが、頭の中に、普段の、ブログ内容が浮かびません。あれって、全身内のもっとも、深いところから出てくるものなのですよ。
本日は、10時間も(間に寝たことは寝たのだが)、ものを食べていないのに、まだ、食欲が出ないほど、体は、メタメタです。
で、NHK ニュース(録画)も点検もせず、ただ、ぼんやりと、椅子に座っているわけですが、頭の中に浮かぶのは、、2019年9月8日の深夜(実際には、9日の午前零時から)BSプレミアムで、放映された、トゥーランドット(新制作)公演が、素晴らしかったと、いう事です。
私は、ニューヨークメトロポリタンオペラで、2000年の秋に、生で、同じものを見ているのですが、今回の方が、圧倒的に深い感動を与えられました。理由は、はっきりとした違いがあったのです。演出上の。
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*2)、キャストの、詳細を知りたくて、珍しく、文章を書く前にネット検索をしました。
すると、https://spice.eplus.jp/articles/245490 というサイトで、著者が、解説していたのですが、演出が、相当に特別だったそうです。幕切れが、圧倒的に、普通じゃあない。
こんな演出は、初めて見ました。でも、大変な感動を与える演出であって、納得、納得です。
そちらのサイトの著者も、「ネタバレになるので、語れないが」、と言って居ますが、私も、・・・・・どこがどういう風に違うのか・・・・・を、今、ここでは、申し上げない方がいいと、思います。
どうして、そういう風に違う演出になったかというと、これは、プッチーニが未完で、終わっているオペラなのだそうです。で、楽曲は、別の作曲家が、輔弼して、完成しているのですが、演出は、プッチーニのスケッチに基づいて、行われているらしいのです。
だから、今回の様な変更は、悪い事ではない筈です。しかも、今回の方が、全体をまとめるにあたって、圧倒的な説得力がありました。これから、こちらの方が世界中で、採用されるのではないかなあ。
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*3)、下にそのサイトから、コピペした、スタッフキャストの名前を出しています。しかし、そこに合唱団が出ていません。その合唱が素晴らしかったのです。その部分は、そちらの著者の、言葉を、そのまま引用をさせてくださいませ。
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今回の上演の一番の推進力となっているのは何といっても合唱、そしてオーケストラの素晴らしさではないかと思う。
合唱指揮の三澤洋史のもとに新国立劇場、藤原歌劇団、びわ湖ホールの合唱団が一体となった歌は、そびえ立つセットの高さを使った場面ごとのフォーメーションによって様々な立体的な響きを持ち、日本の合唱の規律正しさを失わずに力強さと野性味をも獲得してこのオペラにおける合唱の重要性を明確に示した。そして大野和士指揮のバルセロナ交響楽団は、色彩豊かな音色と大胆な表現力を持ち、弦の艶やかさ、木管の官能性、金管の鮮やかさ、そして打楽器群の多彩さでプッチーニの音楽の持つドラマを描き切った。大野のテンポは緩急をこれでもかと強調して歌手を歌わせながら、このオペラに含まれる当時としては先進的であった楽器の扱いも巧みであり、弛緩した瞬間はまったくない。これ以上ないほどの《トゥーランドット》の演奏を聴かせてくれた。
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こちらの著者が、ご覧になったのはゲネプロなのです。したがって、子供の合唱団が、もしかしたら、出てきていなかった? 子供たちも二つの団体が出演しています。ともかく、合唱は、素晴らしかったです。オーケストラは、劇場にいなかったので、私には判断のしようもないという感じでしたが、合唱は素晴らしくて、視聴中に、『これは、どこなのだろう?』と思いました。それほどにに、すごかったです。
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*4)、実は、途中から見始めたのでした。例のごとく裏の敵さんが居て、今回は、三つに分けて、録画されていたのです。それで、後藤みどりが出る第三部から、さかのぼって見たので、最初が、主役の一人である、りゅーの、トゥーランドット姫に対する、懇願の場面でした。その時、りゅー役の、中村恵里の、お化粧の、すごさ==汚さ==に、驚きました。髪には、何か、粉末がまぶされていて、ぼさぼさ、かつ、衣装もドロドロ、顔にもどろを塗りたくっています。
こういうところは、2000年に見たニューヨーク・メトロポリタンオペラでの、トゥーランドット公演とは、100%違うところです。
ともかく、このオペラの演出は、一般的な演出ではありません。それは、最初から言えている部分であって、全く普通ではないのですが、ある種の一貫性があります。この物語の、主たる部分(残酷性を伴った悲劇)を、明瞭に押し出すことに、おおきな力がそそがれていて、歌手に対するファン気質をあおる様な、幼稚な選出が、どこにもみられないのです。有名な、アリアが終わっても、拍手をする、余地を与えていなかったと、思います。ここは、記憶が定かではないが、そうだったと思います。
其れには、驚きました。一方、衣装がね。例のごとく、モダナイズドなので、そういう意味では、がっかりなさる方もあるやもしれないが、その倹約度を補って余りある、演出であり、装置であり、衣装なのです。
ただし、この残酷性を伴った悲劇といっても、オセロー程、深刻ではないです。神話的世界のお話なので、ストーリーには、救いはあります。
そうです。私の様に年取ってきて、体力が衰えた人間には、オセローは、見るのがつらいです。しかし、トゥーランドットには、物語の多様性とか、登場人物の多さと、言う救いがあって、飽きさせないところがあります。登場人物の中には、コミカルな表現をする、人間たちもいるからです。
しかし、それにもかかわらず、今回の演出以外の、演出家による、このオペラを見た人の、共通的感想としては、「有名なオペラを見たのだけれど、なんだか、つまらなかったわ」だったと思います。
ラスト、15分に拍子抜けしてしまうのです。それが、プッチーニ以外の人の、補筆の弱さだったと思います。しかし、今回の演出による、ラスト、5分間・・・・・(いや、正確に言うと、ラスト、一秒です・・・・・だから、大勢のオペラ通が、ブログもしくはサイトで、「見逃さない様に!」と、言って居ます)・・・・を見たら、
その観客のだれもが『自分は、素晴らしいものを見た』という感想を持つでしょう。そうです。その、一秒の前の、すべての時間が、輝く様になります。
2019-9-15 これを書く。雨宮舜(本名、川崎千恵子)
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<スタッフ>
■演出:アレックス・オリエ
■美術:アルフォンス・フローレス
■衣裳:リュック・カステーイス
■照明:ウルス・シェーネバウム
■演出補:スサナ・ゴメス
■舞台監督:菅原多敢弘
■カラフ:テオドール・イリンカイ〇/デヴィッド・ポメロイ●
■リュー:中村恵理〇/砂川涼子●
■ティムール:リッカルド・ザネッラート〇/妻屋秀和●
■アルトゥム皇帝:持木 弘〇●
■ピン:桝 貴志〇/森口賢二●
■パン:与儀 巧〇/秋谷直之●
■ポン:村上敏明〇/糸賀修平●
■官吏:豊嶋祐壹〇/成田 眞●