AMASHINと戦慄

~STARLESS & AMASHIN BLOG~
日々ブログレッシヴに生きる

悪魔祈禱書

2017年11月04日 | 本わか図書室
人間椅子の20枚目の新作『異次元からの咆哮』、みなさんいかがでござんしたでしょうか?
タイトルからして、暗黒神話好きの心を騒がせる宇宙的な雰囲気が漂っており、ジャケットもねぷた絵師の三浦呑龍先生の筆による力強いアーティスチックなデザインが採用され、これは今回は久々にいいアンバイの作風に仕上がったのではないかと。ヘエヘエ。

しかし、フタを開けてみますと、「もののけフィーバー」とか、「宇宙のシンフォニー」とか、特にヒドいのが「地獄のヘビーライダー」(人間椅子史上最低かもね)など、もう曲タイトルからしてネタ切れ感満載の知性に欠けるものがズラリと並んでおり、これは今回もダメかと・・・ヘエ。
だいたい人間椅子の曲は、タイトル見たらどんな曲なのかわかりますからね。
まぁ実際アルバム通して聴いてみて、オッサンが無理してる感甚だしいギリギリ歌唱、使い古しの曲展開、タンパクで無神経なフィルとノリ・・・
楽曲がもうほとんどアルバムタイトル負け、ジャケット負けしてしまっている感があり、最初聴いたときは、モウ残念でなりやせんでしたよ。
初期、中期の頃のような、あのネットリ湿った質感の情緒に満ち溢れた人間椅子はいったいいづこへ・・・・・?
(とは言うものの、2、3周したらこれがけっこうハマってきていたりするんでげすがね、ヘエヘエ)


ところで、人間椅子の楽曲には、夢野久作の作品タイトルを拝借したものが過去にもちょくちょく存在しやす。
「あやかしの鼓」、「木霊」、「少女地獄」等。
今回の最新作にも久々に久作モノの楽曲が登場するんですが、これがわたしが唯一本作に期待できるタイトルだったわけなんですが。ヘエ。

そう、あの恐るべき『悪魔祈禱書』でげすよ。

『悪魔祈禱書』は、英国の耶蘇教僧侶、デュッコ・シュレーカーが著したもので、世界にタッタ一冊しかないという悪魔の聖書と言われており、原題は“BOOK OF DEVIL PRAYER”。




本書では、古本屋の店主が『外道祈禱書』と呼称して、1626年に英国でできた筆写本として店の一番暗い所の棚に所蔵していたわけなんですが。
店主の話によると、その写本は(昔の)百円札みたいなネットリした紙に筆写されており、黒い線に青と赤の絵具を使った挿絵まで入っているというたいそうな珍本だという。
表紙はズット大型の黒い豚だか牛だかの皮表紙で、“HOLY・BIBLE”と金文字の刻印が打ち込んであって、頑丈な生皮のケースに突っ込んであった。

そのケースの見返しの中央に“MICHAEL SHIRO”と読める朱墨と、黒い墨の細かい組み合わせの紋章みたいなものが残っているそうな。
店主の推測では、これはミカエル四郎なる日本人が秘蔵していたものであり、そのミカエル四郎こそ、あの天草一揆(島原の乱)で幕府に蜂起したキリシタンであった天草四郎ではないかしらんと。

その筆写本には、シュレーカーが己の信仰する悪魔の道を世界中に宣伝する文句が、細かい唐草模様の花文字でしたためられていたという。
そのキチガイめいた内容からいって、この耶蘇教の僧侶さんはたぶん精神異状者かなにかだったのではないかと店主は推測している。

その内容とは、以下のようなものであった。

「われ聖徒となりて父の業を継ぎ、神学を学ぶうちに、聖書の内容に疑いを抱き、医薬化学の研究に転向してより、宇宙万物は物質の集団浮動にすぎず、人間の精神なるものもまた、諸元素の化学作用にほかならざるを知り、したがって、宗教、もしくは信仰なるものが、その出発点よりして甚だしく卑怯なる智者の、愚者に対する瞞着、詐欺取財手段になるを認め、地上において最真実なるものはただ一つ、血も涙も、良心も、信仰もなき科学の精神を精神とする所謂、悪魔精神なることを信じて疑わざるにいたれり」

「全人類よ。皆、虚偽の聖書を棄てて、この真実の外道祈禱書をいだけ。われは悪魔道のキリストなり。弱き者、貧しき者、悲しむ者は皆われに従え」

「世界の最初には物質あり。物質以外には何物もなし。物質は欲望とともにあり。
欲望はまた、悪魔とともにあり、欲望、物質は悪魔の生まれ変わりなり。
ゆえに物質と欲望にもっとも忠実なるものは強者となりて栄え、それらをもっとも軽蔑するものは弱者となり、神とともに亡ぶ。
ゆえに神と良心を無視し、黄金と肉欲を崇拝する者は強者なり。支配者なり」

「強者、支配者は地上の錬金術師なり。かれらの手を触るる者は悉く黄金となり、黄金となす能わざる者は悉く灰となる」

「黄金を作る者は地上の悪魔なり。かれらの触るる異性は悉く肉欲の奴隷と化し、肉欲の奴隷と化し能わざる異性は悉く血泥と化る」

というようなアンバイである。


そして、この筆写本の後半では、「人類悪」の発達史みたようなことが、これでもかとばかりに書きたててあるという。

たとえば・・・・・・
「ペルシャ王ダリオスの戦争の目的は領地でもなければ名誉でもなく、捕虜にしてきた敵国の人間に対する淫虐と虐殺の楽しみ以外の何物でもなかった」とか、「アレキサンドル大王はアラビヤ人を亡ぼすために、黒死病患者の屍体を人夫に運ばせ、メッカの辻々でその人夫らを斬倒させたという遣り口は、極端な悪魔的な精神において近代の戦争の遣り口をリード、あるいは超越していた」とか、「露西亜のピョートル大帝が、和蘭に行って造船術を習ったと歴史に書いてあるのは真っ赤な偽りで、実は堕胎術と毒薬の製法を研究しに行ったのであり、そうして得た魔力を大帝から授かったスラブ族が、その科学知識でもって六十幾つもの人種を統一して大露西亜帝国を作った」など。

さらには、「ユダヤ人が人類の全部をナマケモノにしてコッソリと亡ぼしてしまおうと画策して考え出したのが、サイコロだのルーレットだのトランプだの将棋といった遊びであり、この目的のために発明して世界中に宣伝しようとこころみた最後のものがキリスト教である」と、ここまでくるとイヨイヨ呆れてモノが言えない。

ただ、この項目の下りでは(三十行削除)、その後の筆者が師と仰ぐのはキリストではなく、悪魔に魂を売った独逸の魔法使いファウストだとする下りでは(四十七行削除)という注釈でもってハショられてるんだから、ほんとうすら寒いことこの上ないわけでございますよ。




で、するていと、人間椅子の和嶋氏が作詞作曲した今回の「悪魔祈禱書」ってェ曲は、さぞかし禍々しく恐ろしい内容なんだとお思いになられるかと・・・・ヘエ。
ところが、これが意外と最近歳古りてスッカリ丸くなってしまった和嶋氏の聖人のようなこころが顕れたかのような・・・・例えるなら、映画『タクシードライバー』でロバート・デ・ニーロが演じた主人公のような、正義感に満ち溢れた真面目な歌詞内容だったりするんでがすよ。ヘエヘエ。
まぁサビの部分では、「アブラカタブラ」などという、たいそう物騒でベタな呪文も飛び出すんですがね。

曲調は・・・・そうですね、7th収録の「菊人形の呪い」あるいは、ブラック・サバスの「レディ・イーヴル」タイプの、のんべんだらりとした感じですかね・・・・ヘエ。

まぁ、人間椅子は昔からよく、江戸川乱歩、芥川龍之介、谷崎潤一郎、太宰治、伊藤政則など、著名な作家の著書のタイトルをまんま拝借して曲タイトルに採用するんでガスが、その歌詞内容はというと、実はそんなにその著書の内容とは関係のないものであったりすることが、マァお家芸みたいなもんでしてねぇ・・・・ヘエヘエ。





今日の1曲:『悪魔祈禱書』/ 人間椅子

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