今週も行ってまいりました。京都みなみ会館。
今回観にいったのは、エログロ劇画家丸尾末広原作の『地下幻燈劇画 少女椿』。
丸尾作品がアニメーション化されてたって事実にも驚いたが、まぁこれがなかなか曰く付きらしく、1992年に制作されたもので、元々劇場公開を前提とした作品ではなく、当時神社境内や地下室でゲリラ興行されていたという。
で、1999年スペインのサン・セバスティアンで行われたホラー&ファンタジー映画祭で上映された後、成田税関でフィルムが没収・破棄されて以来、日本でのソフト発売・上映が禁止されていた伝説のアニメーション映画なんだとか。
まぁ丸尾作品読んでたら、そらそうなるやろとは思うが、ようは原作にかなり忠実に映像化されたってことなんだろうな。
今回は『カナザワ映画祭』というものの一環で、ギミック上映という形式、つまり劇場内になんらかの仕掛けを施してこの発禁映画を上映しちまおうという、なんとも大胆不敵で不埒な企画らしいということで、丸尾にわかな私でも怖いもの見たさについつい前売り券を購入してしまった次第である。
私の丸尾関連アイテムなんてこの程度。おもいっきりにわかですわ。
『少女椿』も昔本屋でチラ読みしただけ。
東寺駅で電車を降り、映画館に近づいていくと、駐車場の方でもうなにやら人だかりができてて賑やかな雰囲気だ。
どうやら駐車場が鑑賞客の待合場所になっているらしく、そこにちんどん屋みたいな格好した連中が場を盛り上げていて、最初はどっかの大学の演劇サークルの学生が学際的なノリでボランティアとしてやっているのかと思った。
しかしどうやらもうこの待っている時点からギミック(仕掛け)が始まってるらしく、チンチンドンドンよくわからない余興が繰り広げられていた。
やってる事が作品のイメージともだいぶかけ離れていて、正直苦手なノリでついていけなかった。
客の年齢層はかなり若めで20代の学生が大半を占めていたのではないかと。
ちょっと変わり者の行動派のやつとか、演劇やアートに興味のあるどこか意識の高い人とか、友達がなかなかできないガチの丸尾マニアとか、そういった類であろう。
ようはちょっとヘンタイな人たちだ(私はヘンタイではない)。
まぁしかし、この『少女椿』は、『アルマゲドン』観て涙流してるような健全な精神の者が観れば卒中を起こしかねないエログロな内容であり、両親を失ったいたいけな少女がオッサンに騙され、フリークやカタワモノが犇めく見世物小屋に入団させられ、そこの連中にいいようにこき使われ、あられもない虐待を受けるっていう、悪趣味以外のなにものでもないこのような作品を金払ってわざわざ観ようなんて連中がこんなにおるとは、ちょっとビックリだった。しかも割と女性が多かった。
上映予定時間より10分ほど押してやっと入場。
ちょっとした人間障害物を乗り越え階段を上がっていくと、館内はどうやら真っ暗な様子。
な、なんなんだよ・・・・・お札?
もうチケットもぎスタッフからこれ。誰も怖がってなかなか近寄れない。
会場に入るやいなや、なにかしら一種異様な雰囲気がたちこめていた。
私は一瞬、これはなにやら来てはいけないところに来てしまったのではないかという、激しい後悔の念に捕われたが、今更もう引き返せそうもなかった。
会場内は、白い帯やら赤い糸が張り巡らされており、通路を歩きにくいことこの上なかった。
座席もこの有様なものだから、来場者は困惑の色を隠しきれないでいた。
壁には妖怪変化の画がそこらじゅうに貼られていた。
ギャーーーーーッ!!!
そして、映画はなかなか上映されず、ステージ上では奇妙な人たちのアヴァンギャルドな舞踊が怪しいヴァイオリンの調べにのせて、延々と繰り広げられるばかりであった。
あの~、私ら映画を観に来たんやけど・・・・
上映開始のブザーが鳴り、演者が舞台袖にはけるとたちまち客席から拍手喝采。
暗転していよいよ映画がスタート。
いきなりドロドロとした効果音と共に、妖怪変化の静止画が延々と流れ、そこに紙芝居めいたナレーションが挿入される冒頭に、この先のアニメーション精度を疑うと同時に、まさにイメージ通りの映像、音響のレトロ感とおどろおどろしいこの雰囲気にワクワクしてる自分がいた。
これは、かなりいい作品なんじゃないかと。
まぁいつも通りの丸尾展開(て、オマエにわかやろ!)。
昭和初期テイスト&悪趣味極まりない。
虐待シーンはまぁエグいことはエグいが、ほぼ静止画でサラッと流されている。やっぱみんなあの子犬の残虐シーンにはゲロ吐きかけたかと。劇場で「うわっ!」と声を出してビックリしてる人もいらしたし、私もちょっと目をそむけたくなった。
しかし、過酷な物語の中でも、ちょっとしたシーンでのユルさや、アーティスティックで眩惑的なシーンなどで観る者を和ますところがなかなか巧みな映像作品でもある。
ねたみそねみであれだけイガみ合っていた見世物小屋の芸人たちだが、後半観客に「侏儒の分際で」とヤジを飛ばされブチ切れたワンダー正光が、「曲がれ~ぇ歪め~ぇ捻じれろ~!」と、観衆を幻術でもって阿鼻叫喚のパニック状態に陥れた時、よくぞ俺達の代弁をしてくれたとばかりに、芸人どもの間に一体感みたいなのが生まれたりする。ここは観てる側も「正光!よくやった!」という爽快な気分になってしまうのだ。
この観衆がパニックに陥いるシーンで、座席がブルブルブルっとバイブし出し、さっき上映前にステージ上にいたパフォーマーたちが客席に再び躍り出てきて、ウヂャーーっ!!とばかりに踊り狂うというギミック演出があって、実は画面にあまり集中できてなかったんだが、実はここでこの作品一番のグッチャグチャのエログロシーンが繰り広げられていることが、ネット上に落ちてた動画を見返して確認できた。
まぁでも、これがなかなか愉快だったりする。グロいことはグロいが、諸星大二郎的なユーモラスさもあって、まぁ『AKIRA』の最後の鉄夫の変化シーンに耐えられるんならそんなにキツくはないと思う。
あんだけ虐待しといてみどりがワンダー正光とともに小屋を去っていく時、激励の言葉を送ったり、涙流して別れを告げてるこの芸人どもの不可思議な愛憎関係もよかった。
あと、飛脚みたいな人物の「へっくし」のクシャミループは思わず噴き出してしまった。
それにしても、声優陣がみなイメージピッタリで非の打ちどころがなかった。
特にみどりちゃんのいたいけな声の感じと、ワンダー正光の高慢ちきなセリフ回しが素晴らしい!
まぁ生々しいみどりちゃんの泣き声は、ちょっとギスギス脳に響くものがあったが・・・
もう語りつくされてることかも知れないが、これを観たとき、ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』へのオマージュを感じないではいられなかった。
山高帽のおじさんに誘われるまま、へび女、海鼠人間など、魑魅魍魎たるフリークどもが犇めく見世物小屋に入ってしまうシーンなど、まるで白うさぎを追いかけていって、狂った帽子屋や豚亀などのフリークどもが跋扈する不思議の国に迷い込んだアリスを彷彿とさせるものがあったし、侏儒の魔術師ワンダー正光の幻術によって、みどりが巨大化するシーンなどもそうだ。
『不思議の国のアリス』は実はけっこう好きな作品なので、『少女椿』にそういった要素を感じたのは、やはり私はどこかでこのエログロな作品を好ましく思っているところがあったかもしれない。
でも私はヘンタイじゃない。
バッドエンドなみどりちゃんのラストのクライマックスシーンで、再び踊り子たちが客席を跋扈し、桜吹雪が場内一杯にブワーーーッと吹き乱れ、映画は終演を迎えた。
60分にも満たない内容の映画であったが、不思議とモノ足りなさは感じなかった。
その短い時間に詰め込まれたこの眩惑的で怪しい丸尾ワールドの濃密さは、想定以上に凄まじかった。
先日観た『希望のかなた』より断然インパクトあった。この強烈さ、トラウマ感は、石井輝男監督の『盲獣VS一寸法師』を鑑賞した時の感覚に近いものがある。
是非パンフレットかなんか欲しかったが、どうやら物販はないみたいらしく、キツネ女に訊いても何も答えてくれなかった。
京都みなみ会館を出て東寺駅にトボトボ歩いて行く間も、あのみどりちゃんの歌う哀愁漂うエンディングテーマが頭の中でずっと鳴っていた。
いや、いいもの観たなぁ。
今日の1曲:『迷い子のリボン』/ 中美奈子
今回観にいったのは、エログロ劇画家丸尾末広原作の『地下幻燈劇画 少女椿』。
丸尾作品がアニメーション化されてたって事実にも驚いたが、まぁこれがなかなか曰く付きらしく、1992年に制作されたもので、元々劇場公開を前提とした作品ではなく、当時神社境内や地下室でゲリラ興行されていたという。
で、1999年スペインのサン・セバスティアンで行われたホラー&ファンタジー映画祭で上映された後、成田税関でフィルムが没収・破棄されて以来、日本でのソフト発売・上映が禁止されていた伝説のアニメーション映画なんだとか。
まぁ丸尾作品読んでたら、そらそうなるやろとは思うが、ようは原作にかなり忠実に映像化されたってことなんだろうな。
今回は『カナザワ映画祭』というものの一環で、ギミック上映という形式、つまり劇場内になんらかの仕掛けを施してこの発禁映画を上映しちまおうという、なんとも大胆不敵で不埒な企画らしいということで、丸尾にわかな私でも怖いもの見たさについつい前売り券を購入してしまった次第である。
私の丸尾関連アイテムなんてこの程度。おもいっきりにわかですわ。
『少女椿』も昔本屋でチラ読みしただけ。
東寺駅で電車を降り、映画館に近づいていくと、駐車場の方でもうなにやら人だかりができてて賑やかな雰囲気だ。
どうやら駐車場が鑑賞客の待合場所になっているらしく、そこにちんどん屋みたいな格好した連中が場を盛り上げていて、最初はどっかの大学の演劇サークルの学生が学際的なノリでボランティアとしてやっているのかと思った。
しかしどうやらもうこの待っている時点からギミック(仕掛け)が始まってるらしく、チンチンドンドンよくわからない余興が繰り広げられていた。
やってる事が作品のイメージともだいぶかけ離れていて、正直苦手なノリでついていけなかった。
客の年齢層はかなり若めで20代の学生が大半を占めていたのではないかと。
ちょっと変わり者の行動派のやつとか、演劇やアートに興味のあるどこか意識の高い人とか、友達がなかなかできないガチの丸尾マニアとか、そういった類であろう。
ようはちょっとヘンタイな人たちだ(私はヘンタイではない)。
まぁしかし、この『少女椿』は、『アルマゲドン』観て涙流してるような健全な精神の者が観れば卒中を起こしかねないエログロな内容であり、両親を失ったいたいけな少女がオッサンに騙され、フリークやカタワモノが犇めく見世物小屋に入団させられ、そこの連中にいいようにこき使われ、あられもない虐待を受けるっていう、悪趣味以外のなにものでもないこのような作品を金払ってわざわざ観ようなんて連中がこんなにおるとは、ちょっとビックリだった。しかも割と女性が多かった。
上映予定時間より10分ほど押してやっと入場。
ちょっとした人間障害物を乗り越え階段を上がっていくと、館内はどうやら真っ暗な様子。
な、なんなんだよ・・・・・お札?
もうチケットもぎスタッフからこれ。誰も怖がってなかなか近寄れない。
会場に入るやいなや、なにかしら一種異様な雰囲気がたちこめていた。
私は一瞬、これはなにやら来てはいけないところに来てしまったのではないかという、激しい後悔の念に捕われたが、今更もう引き返せそうもなかった。
会場内は、白い帯やら赤い糸が張り巡らされており、通路を歩きにくいことこの上なかった。
座席もこの有様なものだから、来場者は困惑の色を隠しきれないでいた。
壁には妖怪変化の画がそこらじゅうに貼られていた。
ギャーーーーーッ!!!
そして、映画はなかなか上映されず、ステージ上では奇妙な人たちのアヴァンギャルドな舞踊が怪しいヴァイオリンの調べにのせて、延々と繰り広げられるばかりであった。
あの~、私ら映画を観に来たんやけど・・・・
上映開始のブザーが鳴り、演者が舞台袖にはけるとたちまち客席から拍手喝采。
暗転していよいよ映画がスタート。
いきなりドロドロとした効果音と共に、妖怪変化の静止画が延々と流れ、そこに紙芝居めいたナレーションが挿入される冒頭に、この先のアニメーション精度を疑うと同時に、まさにイメージ通りの映像、音響のレトロ感とおどろおどろしいこの雰囲気にワクワクしてる自分がいた。
これは、かなりいい作品なんじゃないかと。
まぁいつも通りの丸尾展開(て、オマエにわかやろ!)。
昭和初期テイスト&悪趣味極まりない。
虐待シーンはまぁエグいことはエグいが、ほぼ静止画でサラッと流されている。やっぱみんなあの子犬の残虐シーンにはゲロ吐きかけたかと。劇場で「うわっ!」と声を出してビックリしてる人もいらしたし、私もちょっと目をそむけたくなった。
しかし、過酷な物語の中でも、ちょっとしたシーンでのユルさや、アーティスティックで眩惑的なシーンなどで観る者を和ますところがなかなか巧みな映像作品でもある。
ねたみそねみであれだけイガみ合っていた見世物小屋の芸人たちだが、後半観客に「侏儒の分際で」とヤジを飛ばされブチ切れたワンダー正光が、「曲がれ~ぇ歪め~ぇ捻じれろ~!」と、観衆を幻術でもって阿鼻叫喚のパニック状態に陥れた時、よくぞ俺達の代弁をしてくれたとばかりに、芸人どもの間に一体感みたいなのが生まれたりする。ここは観てる側も「正光!よくやった!」という爽快な気分になってしまうのだ。
この観衆がパニックに陥いるシーンで、座席がブルブルブルっとバイブし出し、さっき上映前にステージ上にいたパフォーマーたちが客席に再び躍り出てきて、ウヂャーーっ!!とばかりに踊り狂うというギミック演出があって、実は画面にあまり集中できてなかったんだが、実はここでこの作品一番のグッチャグチャのエログロシーンが繰り広げられていることが、ネット上に落ちてた動画を見返して確認できた。
まぁでも、これがなかなか愉快だったりする。グロいことはグロいが、諸星大二郎的なユーモラスさもあって、まぁ『AKIRA』の最後の鉄夫の変化シーンに耐えられるんならそんなにキツくはないと思う。
あんだけ虐待しといてみどりがワンダー正光とともに小屋を去っていく時、激励の言葉を送ったり、涙流して別れを告げてるこの芸人どもの不可思議な愛憎関係もよかった。
あと、飛脚みたいな人物の「へっくし」のクシャミループは思わず噴き出してしまった。
それにしても、声優陣がみなイメージピッタリで非の打ちどころがなかった。
特にみどりちゃんのいたいけな声の感じと、ワンダー正光の高慢ちきなセリフ回しが素晴らしい!
まぁ生々しいみどりちゃんの泣き声は、ちょっとギスギス脳に響くものがあったが・・・
もう語りつくされてることかも知れないが、これを観たとき、ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』へのオマージュを感じないではいられなかった。
山高帽のおじさんに誘われるまま、へび女、海鼠人間など、魑魅魍魎たるフリークどもが犇めく見世物小屋に入ってしまうシーンなど、まるで白うさぎを追いかけていって、狂った帽子屋や豚亀などのフリークどもが跋扈する不思議の国に迷い込んだアリスを彷彿とさせるものがあったし、侏儒の魔術師ワンダー正光の幻術によって、みどりが巨大化するシーンなどもそうだ。
『不思議の国のアリス』は実はけっこう好きな作品なので、『少女椿』にそういった要素を感じたのは、やはり私はどこかでこのエログロな作品を好ましく思っているところがあったかもしれない。
でも私はヘンタイじゃない。
バッドエンドなみどりちゃんのラストのクライマックスシーンで、再び踊り子たちが客席を跋扈し、桜吹雪が場内一杯にブワーーーッと吹き乱れ、映画は終演を迎えた。
60分にも満たない内容の映画であったが、不思議とモノ足りなさは感じなかった。
その短い時間に詰め込まれたこの眩惑的で怪しい丸尾ワールドの濃密さは、想定以上に凄まじかった。
先日観た『希望のかなた』より断然インパクトあった。この強烈さ、トラウマ感は、石井輝男監督の『盲獣VS一寸法師』を鑑賞した時の感覚に近いものがある。
是非パンフレットかなんか欲しかったが、どうやら物販はないみたいらしく、キツネ女に訊いても何も答えてくれなかった。
京都みなみ会館を出て東寺駅にトボトボ歩いて行く間も、あのみどりちゃんの歌う哀愁漂うエンディングテーマが頭の中でずっと鳴っていた。
いや、いいもの観たなぁ。
今日の1曲:『迷い子のリボン』/ 中美奈子
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