酒と畑に戯れるオヤジな私

酒を飲み、土を耕し、人と語り、日々に感動しながら楽しく生きるブログ

広島カープ 2題 (その1)

2005年06月02日 | 広島東洋カープ
下町で生まれ 育ったわりに プロ野球のカープファンになって久しい

あの一途さ 不器用さ そして子飼いの選手をキチッと育てるねばり強さ

なにごとにもスピードと結果が求められる昨今

これは 貴重な球団運営だ 生き方の基本・お手本だ


楽しい思い出がある 昭和61年の夏

同僚と広島市に出張した

夜 はじめて訪れた 薬研堀のあかちょうちん「浦島」だった

文字どおり赤一色 店長 従業員みな 赤のハッピ

「カープの店」だった 同僚もセならカープ好き男

盛り上がった

”東京のにんげんがぁ?”はじめは半信半疑の店長も やっと信用してくれた

そして 2次会のスナックまで案内してくれた


カウンターで水割りを飲む2人に ママが質問してきた

「あのボックス席の人 どなたかご存知?」 振り向いたが 暗くてわからない

正直にこたえると ママがニッコリして 右手の指を4本開いた

むむ!お主なかなかやるな!の心境だ

これをはずしては カープファンの名がすたる 背番号4だ!

「正田耕三選手!」同僚と同時に声を張り上げた

後に首位打者にも輝いた正田選手もこのときは 一軍半 

挨拶をしたら 立ち上がって 丁寧なお辞儀を返された

礼儀正しさに惚れ直した私に 色紙を手渡してくれて もうこれは堪りませんね

いばらない 礼儀正しい 努力家 カープを代表する選手になる素養を持っていた


知らない土地 知らない人とコミュニケーションを交わすのは 躊躇しがちだ

しかし いったんお互いの共通項が見つかったとき 10年来の知己のようになれる

カープのおかげで 楽しい思い出 忘れられない


結構飲んで食べて 支払いは2人で なんと5000円でした!安かった~

(写真は昭和50年10月 カープ初優勝の後楽園球場です 相手は巨人
 部下に休暇を取ってもらって写してもらいました よき時代でした)