おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

微妙な関係

2022-08-13 11:40:31 | 福島
 お盆休みはどうやら台風が直撃しそうな気配になってきた。もしかしたら、明日あたり福島を直撃するかもしれない。今朝は朝食後、ツンツンのびた庭木の剪定をやったが、そのあとは激しい雨になった。タミちゃんはお盆休みを利用して、実家に行ったり初盆の手伝いをしたりするので、三日ほど家を開けている。そういうわけで、僕はテオとアンの世話をする以外、たっぷりと自分の時間を持つことになった。で、本屋で、「知識ゼロからの古文書を読む」という本を買ってきて、ネットで日高敏隆さんの「犬とぼくとの微妙な関係」という単行本を買った。これで、お盆を過ごすつもりだ。

 半年以上習字を続けているが、ただ字が上手くなりたいというだけではなく、昔の寺子屋の子供みたいに読み、書きができるようになるというのが目標だ。だから、書道教室に通って師範の資格を取りたいというような気持ちはまったくない。ただ、昔の人が書いた手紙や文章を読めるようになったらいいなと思っているだけである。江戸時代の瓦版などは、庶民の娯楽であり新聞だったのだろうが、現在人で瓦版を読める人がどれくらいいるだろう。それを考えると、今の人は実は活字になった現代文が読めているに過ぎず、書くほうに至っては、キーボードの変換機能を頼りになんとか文章を書いているに過ぎない、という気になる。

 日高敏隆さんは、動物行動学の学者だが、昆虫から人間まで広く生き物全般にエッセイも書いている。学術的なことは難しいが、エッセイは優しく誰にでも理解できるように書いてくれているので、僕は今までに数冊は読んでいる。今回買った本は、中身を見ずにタイトルだけで選んだ本だ。本の前半はドーキンスの利己的な遺伝子の解説になっているが、後半はエッセイだ。で、とりあえず標題になっている「犬とぼくとの微妙な関係」という文章を読んでみた。

 子供の頃、父親から何がプレゼントが欲しいか聞かれ、柴犬の子供を買ってもらった。ところが、大きくなった柴犬はしばしばよその人を噛み、その度に父親が謝りに行っていたが、ついには手放すことになったという。それでも犬好きは変わらず、あるとき店先に繋がれている可愛い犬の頭を撫でようと不用意に手を出したところ、ガブっと噛まれ、犬が怖くなってしまったという。犬は諦め、それ以来猫を飼うようになったが、猫の行動を観察するうちに、猫は犬の忠誠心と比べるとマイペースだということに疑問を抱くようになった。というのも、猫は人間べったりではないが、数メートル離れていても、常に人間の行動を気にかけていることに気づいたからだ。猫も猫のやり方で、人間に深く依存しているのである。

 日高さんは書く。「人間が犬や猫と生きているのと同じように、犬も猫も人間と生きているのであった。ただ、そのパターンがちがうだけだ。もともと集団で生きる動物である犬は犬なりに、もともと単独で生きる動物である猫は猫なりに、自分たちの社会とその中でのロジックをもっている。ぼくはそのことに気づいていたはずなのに、何か勘違いか思いこみをしていたのだ」

 僕も子供の頃に、大きな秋田犬に脇腹をガブッとやられ、数年にわたってどんな小さな犬も怖くて仕方なかった時期がある。自分では動物好きだと思っていただけに、この期間はなんとか克服してやろうと、必死で恐怖感と戦った。そのおかげで、今では犬と猫と一緒に暮らせるようになったわけだが、愛護センターから来たテオにしろ、迷い猫として我が家に連れてこられたアンにしろ、僕同様何かしらを克服して、今は一緒に暮らしているんだろう。
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