おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

宮沢賢治のドラマ

2024-07-01 10:07:52 | 日記
 最近アマゾンプライムで続けてドラマを観ている。面白そうな映画が見つからないので、連続ドラマで検索して見始めたのだが、中でもwowowドラマが4話か5話完結なので、長さ的にもちょうどいいのだ。地上波のドラマみたいに10回もあると、話があっちこっち飛ぶし、映画みたいに2時間だとダイジェストみたいに話を端折っていることがある。

 そのほかにも地上波だとどうしても遠慮しがちな描写も、衛星放送のドラマだとかなり突っ込んだ描写もあって、見たい人だけが見ればいいというスタンスが映画に近いのである。

 今観ているのは鈴木亮平主演の「宮沢賢治の食卓」。宮沢賢治が妹トシの病状悪化の知らせを受け、東京から故郷の宮城に帰るところから、1年後にトシが死ぬまでを描いている。第3話まで観たが、何しろ実在した人物を描いているので、最終回はトシが死ぬところだなとわかるのである。

 タイトルにある「食卓」は、ドラマにはあまり関係ない。近頃は食べ物を紹介する番組が多いし、ドラマも食に関するものが多い。その関連でドラマにも1話づつ関連する食べ物が出てくるが、無理矢理感が否めず、わざわざ食い物の話にしなくていいんだけどなと感じている。

 それでも面白がって観ているのは、主人公の宮沢賢治が底抜けに明るいからである。お金持ちのお坊ちゃんで世間知らず、というのも僕がイメージしていた宮沢賢治とは異なる。どうしても「雨ニモ負ケズ」の詩のように、後ろ手に組んだ姿で畑を歩き回る写真のイメージが強いからだろう。ところが、ドラマではたくましさは微塵も感じられないのである。

 が、おそらくこっちの賢治の姿が、本当の人物像に近かったんじゃないかと思うようになっている。子供の頃から「銀河鉄道の夜」だとか「風の又三郎」なんかを学校で読まされ、なんだか地味だなあくらいに思っていたので、そこから宮沢賢治という人間を、朴訥で素朴で頑固で田舎者というふうに思い描いていたのかもしれない。

 そんなことで、ドラマを見終わったら、もう一度宮沢賢治の作品をあれこれ読み返してみようと思っている。子供の頃から描いていたイメージを一旦チャラにして、ドラマで観た賢治像を思い描きながら作品を読んだら、どういうふうに感じるだろうと楽しみにしているのである。

 妹トシが死んだ時、宮沢賢治は「永訣の朝」という詩を書いている。
「けふのうちに
 とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ
 みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ
     (あめゆじとてちてけんじや)」

 詩中の(あめゆじとてちてけんじや)という一節は、トシの病床での言葉である。「みぞれの雪を取ってきてください。賢治兄さん」という意味である。熱があり体を冷やすためだったのだろう。
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