おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

おれはひとりの・・・

2024-07-07 10:18:13 | イラスト
 描きかけだった宮沢賢治の絵を完成させる。うまく行ったかと言えば、だいぶあやしい。それでも完成させるということが大事だと思い、今回はこれで良しとしておく。




 宮沢賢治といえば「雨ニモ負ケズ」の詩が有名だが、これは発表された詩ではなく、死後残されたメモ帳の中に書かれたものだった。賢治自身は詩作品というよりも、覚書として書いたんじゃないだろうか。

 絵に添える宮沢作品としては「雨ニモ負ケズ」ではあまりに安易に過ぎる。そこでいろいろ読んで、こんな文章を書き添えることにした。それは生前「春と修羅」として発表された作品の一節である。

「まことのことばはうしなはれ
 雲はちぎれてそらをとぶ
 ああかがやきの四月の底を
 はぎしり燃えてゆききする
 おれはひとりの修羅なのだ」

 難しいのは「修羅」という言葉だろう。そもそも阿修羅というような言葉があるように、鬼神という意味合いがある。「修羅場」という言葉もいい意味では使われない。「おれはひとりの修羅なのだ」というとき、賢治は自分を鬼のように感じていたのだろうか。それとも何やら面倒な混沌のような存在だと考えていたのだろうか。

 言葉の意味を調べると、「修羅」にはもうひとつ「大きい石を運ぶための木製ソリ型の運搬用具」というものがある。どうやら賢治はこちらの意味合いも込めて使ったのではないだろうか。

 ゴッホの伝記にこんな逸話がある。戸外で油絵を描くためにたくさんの道具をかついで歩くゴッホに、行き合った人が手伝おうかと声をかけると、「自分の荷物は自分で運ばなければいけない」と断ったというものだ。
コメント
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