おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

お坊ちゃんでないと

2024-07-05 12:02:25 | 日記
 宮沢賢治の作品を読もうと、本棚から作品集を引っ張り出し読み返している。文学的には重要な作家だというのはわかっているが、子供の頃から本気で面白いと思ったことはない。



 今回も再読してはいるが、なかなか入り込めないので、井上ひさしが書いている解説から読んでみることにした。宮沢賢治の経歴については僕はほとんど不案内だったのだが、どうやらかなりのお坊ちゃんらしい。「宮沢一族は花巻を代表する名家である。父の政次郎は町会議員であり、地租、営業税、所得税など合わせて377円(1916年)の多額納税者である」。当時の税金の制度がどうなっていたかはわからないが、「多額納税者である」というのだから高額所得者だったということである。

 長男の賢治は、近所では風変わりではあるけれども、気の弱いお坊ちゃんだと見られていた。

 17歳で宗教にハマった賢治は、信仰に燃え、世のため人のために生きることに情熱を燃やした。が、どうしてもお坊ちゃんであることから逃れられず、レコードで交響楽を聴き、チェロを練習し、衣装に凝る賢治は農民が着るための農民服のデザインをした。農民になり切ろうとし、食事では肉も魚も口にせず、酒も飲まなかった。ただしサイダーはよく飲んだというのだから、どこか徹しきれないところがある。花キャベツだのチューリップだのをリヤカーに積み、パリッとした農民服で売り歩くが、売れ残ると全部タダでくれてやったという。本物の農民たちからは農民の仮面をつけたハイカラなお坊ちゃんだと見られていたのだった。

 明治から大正にかけて文化的に優れた仕事をした人というのは、やはり本物の農民などからは出てこなかったようだ。太宰治なんかも津軽の富豪であり、中原中也も実家が医者で仕送りに頼っているところがあった。種田山頭火も実家の酒屋を潰した後は、離婚した嫁さんや息子に泣きついて生活費を出してもらっていたところがある。ほかにもいろんな有名人がいるが、どうもお坊ちゃんで世間知らずでなければ、理想を高く抱くことは難しかったのかもしれないとも考えてしまうのである。
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