おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

印象派というエネルギー

2024-06-13 10:56:32 | 日記
 郡山市立美術館で5月から「印象派 モネからアメリカ」という美術展をやっている。そろそろ終わりに近づいているが、テレビでも宣伝しているし、何より日本人は印象派が大好きなので連日満員だという。三春美術協会でも、みんなで見にいってみるかという話になり、昨日は半日がかりで出かけてきた。昨日は2時から学芸員による講演もあるというので、それもついでに聞いてくることにしたからだ。

 ぐるっと展覧会を回ってから講演を聞く予定だったが、満車の駐車場に入るまでに時間がかかり、結局講演を聞いてから展覧会を見て回ると変更したが、これが正解で150人ほど入る部屋は立見が出るほどの大盛況だった。

 が、始まってみると若い学芸員さんの話は、印象派のテクニックについての話ばかりで、テーマであるはずの印象派のアメリカや日本への影響というのは説明がない。それまでのアカデミックな歴史画や宗教画に変わって、風景や庶民の風俗を描くようになったとか、ツルリとした仕上げから、画家の筆跡がわかるような描き方に変わったとかで、まるで学生の卒業論文のように退屈で、周囲を見ると半分の人が眠りに落ちていた。最後に質疑応答があるかと、メモを取りながら質問事項をまとめていたが、講演は話だけで終わり、聴衆はあくびをしながら部屋を退出した。

 うーん、何か大事なことが抜け落ちているぞ、と講演を聴きながら考えていたが、そもそも印象派というものをテクニックから論じてもあまり意味はないように思う。というのも、印象派が一斉を風靡した19世紀末から20世紀初頭にかけ、世の中は大きな変化を遂げていた。科学の進歩、産業革命以後の急速な経済発展、哲学でも個人や自由という新しい精神状況が生まれていた。人々は硬直した封建的な世界から、新しい世界へと飛び出そうとしていたのだ。

 その先端にいたのが、芸術家の一団だった。それまでのアカデミックな画壇から離れ、個人の表現を追求し、自由を求めようとする運動そのものが印象派だったに違いないと僕は考えている。それはちょうどビートルズの登場による若者文化が世界へと波及していたように、あるいは1960年代の学生運動が世界の大学生を巻き込んだのと同じように、印象派という若者グループによる新しい世界を求めるエネルギーが、世界中に伝播していったのではないかと思う。

 講演では、19世紀末の印象派全盛のパリにアメリカからの若い画家が殺到していたという。日本からもその頃渡仏した若い画家は多い。若者は印象派のテクニックを学びに行ったのではなく、新しい世界を切り開くエネルギーに触れるためにパリへ行ったのではなかっただろうか。

 そう考えると、印象派という派閥や印象派が用いる技巧といったものは、ほとんど意味をなさない。アメリカや日本に渡った印象派なんて言葉にも、重要な意味はない。僕が感動を覚えるのは、かつて印象派という若者の爆発的エネルギーが、国境も文化の違いも超えて世界へ広がっていったその現象である。
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