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太平洋戦争、岩波近現代史シリーズ要約  文科系

2021年08月15日 11時44分57秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など

 また、8・15が来ました。今年は改めて、歴史学の本から、ある太平洋戦争論を再掲、展開してみたいと思い立ちました。岩波新書の「シリーズ日本近現代史」全10巻本の第5、6巻、「満州事変から日中戦争へ」(加藤陽子・東京大学大学院人文社会系研究科教授、2007年6月第一刷)と「アジア・太平洋戦争」(吉田裕・一橋大学大学院社会学研究科教授、2007年8月第一刷)の要約です。ちなみにこのシリーズの最初と最後、第1、10巻が出たのが、それぞれ2006年11月と2010年2月でした。ちなみに加藤陽子さんは、この度の日本学術会議員推薦を管首相によって拒否された内のお一人です。なお、今回の連載は、2010年11月に当ブログにエントリーした全7回の再編、再掲になります。

 

 明治~太平洋戦争の右翼流デマ理論が盛んだが、ここでも明らかにされてきたようなその論はこういうもの。「白人の差別、植民地政策に対して、アジアで比較的進んだ日本がやむを得ず立ち上がったもの。そして、大東亜共栄圏を作ってアジア全体をまもり、繁栄させようとしたのだ」、と。彼らは、こういう「感覚」をば、ある歴史的事実に目を付け、歴史的説明を歪めていく方法論として用いている。そこから こういう理論と言うよりも「感覚」がネットなどで随分広まっているようだ。よって、これに対する意味を込めて、今読み進んでいる本に書いてあることを要約してご紹介してみたい。岩波新書の「日本近現代史シリーズ⑥アジア・太平洋戦争」(第1刷07年8月、第6刷10年3月)。この巻の著者は吉田裕・一橋大学大学院社会学研究科教授。この9ページから「(この)戦争の性格」が三つ書かれているのだが、その紹介である。なお、いつものやり方で以下『 』内はすべて、本書からの引用である。

1 太平洋戦争の一つ目の性格

 まず『一つ目の論点は、対英戦争と対米戦争との関係である』(P9)で始まる第1の部分、その結論はこういうものだ。
『結局、日本の武力南進政策が対英戦争を不可避なものとし、さらに日英戦争が日米戦争を不可避なものとしたととらえることができる。ナチス・ドイツの膨張政策への対決姿勢を強めていたアメリカは、アジアにおいても「大英帝国」の崩壊を傍観することはできず、最終的にはイギリスを強く支援する立場を明確にしたのである』
 この結論は、こんな事実によって示されている。
『日本軍の攻撃が真珠湾(12月8日午前3時19分)ではなく、英領マレー半島(同2時15分)に対する攻撃から始まっている事実が端的に示すように、この戦争は何よりも対英戦争として生起した。すでに、日中戦争の開始以来、日本は中国におけるイギリスの権益を次々に侵害し、日英関係は急速に悪化していた。さらに決定的だったのは、40年9月の日独伊3国同盟の締結と日本の南進政策の開始である。40年春のドイツ軍の大攻勢によって大陸からの撤退を余儀なくされたイギリスは、引き続きドイツの攻勢に直面していた。(40年)8月には、すでに述べたように、英本土上陸作戦の前哨戦として、ドイツ空軍は英本土への空襲を開始する』

 日本軍部内にも『英米可分論』と『英米不可分論』の対立があったことも述べられている。なんのことはない。中国を侵し、イギリスの苦境を好機とばかりにその権益をどんどん侵していき、その果てにドイツとの対決姿勢を強めていたアメリカを呼び込んでしまったというのが事実のようだ。

 日英、日米関係をもう少し遡ると、こんな経過になっている。
『39年7月、アメリカは、天津のイギリス租界封鎖問題で日本との対立を深めていたイギリスに対する支援の姿勢を明確にするために、日米通商航海条約の廃棄を日本政府に通告した。さらに、40年9月に日本軍が北部仏印に進駐すると、同月末には鉄鋼、屑鉄の対日輸出を禁止し、金属・機械製品などにも、次第に輸出許可制が導入されていった』
 こういうことの結末がさらに、石油問題も絡む以下である。太平洋戦争前夜、ぎりぎりの日米関係をうかがい見ることができよう。
『(41年7月28日には、日本軍による南部仏印進駐が開始されたが)日本側の意図を事前につかんでいたアメリカ政府は、日本軍の南部仏印進駐に敏感に反応した。7月26日には、在米日本資産の凍結を公表し、8月1日には、日本に対する石油の輸出を全面的に禁止する措置をとった。アメリカは、日本の南進政策をこれ以上認めないという強い意思表示を行ったのである。アメリカ側の厳しい反応を充分に予期していなかった日本政府と軍部は、資産凍結と石油の禁輸という対抗措置に大きな衝撃をうけた。(中略)以降、石油の供給を絶たれて国力がジリ貧になる前に、対米開戦を決意すべきだとする主戦論が勢いを増してくることになった』

 

2 太平洋戦争の二つ目の性格

『二つ目の論点は、日米戦争における戦争責任の問題である』

 この日米戦争責任論の第1として吉田裕氏は、先ずこういう議論を紹介し、これに反論を加えている。
『アジア・太平洋戦争には、植民地を保有する帝国主義大国である欧米列強と、同じくアジア最大の帝国主義国である日本との間の植民地再分割戦争という側面があり、帝国主義国家相互の戦争という側面に限っていえば、日本はアメリカ、イギリス、オランダに対して戦争責任を負ういわれはないという主張』
 これに対する反論を吉田氏は、家永三郎氏の考え方に賛同して、この文章を紹介している。
『日本は中国侵略戦争を継続するために、これを中止させようとするアメリカ・イギリス・オランダと開戦することになったのであって、中国侵略戦争の延長線上に対英米欄戦争が発生したのであり、中国との戦争と対英米欄戦争とを分離して、別個の戦争と考えることはできない』

 日米戦争責任論の第2は、日本の開戦決意の時期にかかわる問題である。当時アメリカが出した有名なハル・ノートとの関係を、吉田氏は語っていく。まず、右翼側の戦争責任論をこうまとめてみせる。
『日米交渉の最終段階でアメリカの国務長官ハルから提出された、いわゆるハル・ノートは、日本軍の中国からの撤兵、汪兆銘政権の否認、三国同盟の空文化など、日本政府が決して受け入れることのできない厳しい対日要求をもりこんだ対日最後通牒だった。そのため、日本政府は自衛権の行使に踏み切らざるをえず、12月1日の御前会議で対米英開戦を決定した、というものである。この場合は、「日米同罪論」というよりは、むしろ一歩踏み込んで、アメリカ側に戦争責任があるという主張である』
 これへの反論を要約すれば、こういうことだ。日本軍はハル・ノート以前から、開戦準備を密かに急いでいたのであって、ハル・ノートは単に無視されていたというだけではなくて、日本によるこれへの応対、交渉は、不意打ち戦争を隠すための道具に使われた、と。

 日本の対米開戦、ここまでの違法性などをまとめると、こういうことだろう。
「日本が、中国侵略から南部仏印侵略へという動きを強行した」
「イギリス権益の侵害に対してなされた、アメリカによるたびたびの抗議を無視した」
「こういう日本の行為は、ドイツの英本土上陸作戦に苦闘中のイギリスのどさくさにつけ込んだものでもあった」
「アメリカに対しては、交渉するふりをして、密かに電撃的開戦準備を進めていった」

 

(あと3回ほどに分けて続ける積もりです)

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国家破綻示している宴の後  文科系

2021年08月14日 00時00分48秒 | 国内政治・経済・社会問題

 このたびのコロナ下五輪は、国家の大罪、それ以上に国家破綻を示したものである。
 
 先ず何よりも、国家とは何か。国民の命や財産などを守り、その福祉の増進をはかるべく、国民が国家三権を選び、それに必要な資金を税金として納めている一定領土を持った人間組織である。こういう国家の根幹に関わる問題提起として、政府によるこのコロナ下五輪強行開催に対しては種々の抗議がなされてきた。

「こんな国家緊急事態の今、国民多数の命を賭けてまで五輪を強行する意味は一体何なのか」

 政府はこの声に対して常に、五輪の一般的意義に付け加えてこう答えてきただけだ。
「安心安全第一にやる。コロナに打ち勝った証にしたい」

 さて、政府の「こういう実験、賭け」は、全く裏目に出た。五輪が終わった日本の発病状況は過去最悪に、例えば8月12、13日各1日の死者は24人、25人となって、まだまだ増えていく見通しだ。国家首班が約束してきた「安心、安全」は、最悪の事態を迎えたのである。2人殺してもまず死刑になる日本国家という仕組の下で、この事態。管首相は今、一体、これをどう弁明するのか。「コロナ爆発は、五輪とは関係ない」などとの声も聞くが、そもそもこの事態に対する責任を感じているのかいないのか、それすらも分からないのである。去年の春安倍首相は「日本人の公衆道徳」を世界に吹聴していたものだ。そういう国民を頼りにしただけのような賭けがもたらした死者、発病者。この状況は、無能を通り越して、敗戦同様の国家破綻と言える。

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タリバンの歴史から、日本を考える  文科系

2021年08月12日 14時48分42秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)

 この題名を見ただけで以下の概容を想像出来るお方は、それなりのお年の歴史好きであろう。
 タリバン、その政権は、米ソ冷戦時代の産物と言える。対ソ戦略として米軍によって重武装強化された末に、生まれたものだ。ソ連崩壊後に、9・11米アフガン戦争によってこのタリバン政権が倒され、野に放たれた。以来20年、ベトナム戦争を超えて米軍史上最長の戦争相手となったのである。
 そして米軍撤退も終わり際の今、親米政権は風前の灯火で、タリバン政権誕生確実という光景が演じられている。

 米軍が作って、倒し、その米軍と戦争して20年、遂に自力で誕生する政権!

 振り返って日本を見てみよう。対ソ冷戦中の日本は、アメリカの西部最前線としてその軍事増強を図るためにも、経済が自由に発展させられた。ソ連崩壊直後の日本が「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と呼ばれ、この日本経済発展と結びついたNIES、東アジア新興工業国の経済発展も史上有名である。が、ソ連崩壊直後の90年代に何が起こったか。日本住宅バブル破裂と、アジア通貨危機である。これらはアメリカが起こしたものであるというのは今は明らかだろう。以降の日本経済は衰退の一途を辿っていき、国民一人当たり購買力平価GDPで見ると、東アジアNIES諸国にもどんどん追い越されていった。シンガポール、香港、台湾にも、そして19年度には韓国にさえも追い抜かれて、当時世界5位前後であったこのGDPが今や33位である。ただこの世界5位日本はもう、50代以上の方々でなければ覚えていない昔の話になってしまった。覚えていないことは普通、これが関係するすべては考えられないということ、だ。
 

 さて、これだけ貧しくなった日本が今、米中対立のやはり西部最前線に立たされているのである。日本にとって最大の貿易相手国中国に敵対せよという形で。ちなみに、お隣の韓国が一人当たりGDPで日本を追い越していったのは、対中経済接近からであるのは明らかだろう。

 さて、日本は国のこれからの東アジア進路というものをよくよく考えてみる必要がある。そもそも一体、アメリカはなぜ、どのように、中国冷戦を進めていこうとしているのか。この理由と行く末とを日本人が十分主体的に見定めることなくしては、タリバン(政府)や90年代日本と同じように、アメリカに翻弄されることは明らかなのだ。こういう長期思考を要する地政学局面こそ、例えば近現代史家総動員の時なのだが、今の政府はまともな人文科学者からはおよそ何も学ぼうとしていない。それどころか、専門家らの意見など全く聞こうとはせず、近視眼だけの、ヒラメ学者、ヒラメ官僚、ヒラメ審議会員を侍らせる裸の王様になっている。管の「私は人事で政治をやる」とはそういう宣言だろう。裸の大様で開き直っているのだ。精一杯の抵抗を示していたやの尾身さんを筆頭に、今回のコロナ下五輪は、こういう事実、政府の無能を余すところなく示したものである。

 以上すべてが、国庫累積赤字はGDPの2倍を通り越して、官製バブル絡みの見せかけ金融(時価)「利益」で精いっぱい化粧し続けているだけの、史上かつてない大変な少子化国の話なのである。因みに、アメリカは国家累積赤字がGDPの2倍だと公表しているが、2015年に元会計検査委員長が試算したところでは4倍と言う数字が発表されたことがある。斜陽の国の悲劇は、隠されているものが多すぎるのだ。ヒラメ官僚は政権の言うままに国の悲劇を隠蔽するものである。安倍が行った国家統計改ざんには、この30年日本の猛烈な斜陽の姿には、国民には隠されたものが無数なのではないか。

 政権が続けば良いというだけの「ヤッテル感」政治。
 わが亡き後に洪水の来たれ!

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随筆 ある交流  文科系 

2021年08月11日 07時46分12秒 | 文芸作品
 
 夜の病室にもの音は希だが、川音が間断なく聞こえてくる。二県にまたがる大川が窓の向こうにあるのだ。そして、僕の右手はベッドに横たわった母の右手を握っているのだけれど、そこでは母の指がとんとんと動いている。
 死に近き母に添い寝のしんしんと遠田のかわず天に聞こゆる
 誰の作だったか、高校の授業で覚えたこの歌を、このごろよく思い出す。

 左脳内出血が招いた三途の川から戻ってきて、五年近い。「感覚性全失語症」の他はなんとか自立できたと皆で喜んだのも、今振り返ると束の間のこと。一年ちょっと前、思いもしなかった後遺症、喉の神経障害から食物が摂れず、人工栄養に切り替えるしかなくなった。食べさせようとして何度も嚥下性肺炎を起こした末のことである。人工栄養になってからも、唾液が入り込んで肺炎を招くことも度々で、すでに「寝た切り」が四か月。お得意の「晴れ晴れとした微笑」も、ほとんど見られなくなった。九十二歳、もう起き上がるのは難しそうだ。言葉も文字もなくなったので記憶力はひどいが、いわゆる痴呆ではない。痴呆でないのは訪問する僕らには幸いだが、本人にはどうなのだろうか。
 一日置き以上でせっせと通って、ベッドサイドに座り、このごろはいつも右手を握り続ける。これは、東京から来る妹の仕草を取り入れたものだが、「頑張って欲しいよ」というボディランゲージのつもりだ。本を読んでいる今現在、母の指の応答は、こんな意味だろう。「いつもありがとね。今日ももうちょっと居てね」。柔らかい顔をしている。

 僕は中編に近い小説九つを年一つずつ同人誌に書いてきた。うち四つは母が主人公だ。発病前から、母を、老いというものを、見つめ、描いてきた。寝室もベッドの上も、時には四肢さえもさらけ出して。普通ならマナー違反と言われようが、親が子に教える最後のことを受け取ってきたつもりだ。そして、僕がこう描くのは母の本望であると信じてきた。現に脳内出血までの母は、僕らの同人誌の最も熱心な読者でもあったし。僕の作品だけでなく、同人全ての作品を舐めるように読んでいた。日常の会話の端々に同人の名前などがふっと出て来たりしたから、気付いたことだ。

 看護婦さんが入ってきて、こんなことを告げる。
「不思議なんですが、手や指だけをいつも動かしておられるんですよ。ベッドの柵を右手で握っておられる時もなんです。右側に麻痺がある方でしょう?」
 僕や妹の指の感触でも思い出し、温めているのかも知れない。〈母にもまだできることがあった。僕らが通い続ける限り、生きようとしてくれるのだろうか〉
 こんな時いつも、発病前の母がNHKなどによく投書していた俳句二作などをよく思い出したものだ。
 思い出の 子連れ教師や 秋深し
 子等は皆 我が命なり 冬ぬくし
 

 (同人誌に2003年1月初出)
 
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掌編小説  兄 弟   文科系

2021年08月10日 16時44分47秒 | 文芸作品


 照明を最小限にしたそのレストランは急上昇中の名古屋駅前地域でも指折りの店と分かった。テーブル一つずつが回りから隔てられた作りで、〈近辺の重役室から抜け出した財界人辺りが商売の探りを入れる会食などに格好の場所だな〉、それとなく見回していた。駅前ツインビルの一角に、六歳違いでまだ現役の弟が久し振りに二人で飲むために予約を入れた店なのである。東京から月一の本社重役会に彼が来名した秋の夕暮れのことだ。
 水を運んできたウェイターに彼が語りかける声が響いた。「このビルの社長さんは、僕の同僚だった友達でしてねー」。〈「せいぜいサービスしなよ」と告げる必要もあるまいに、スノッブ過ぎて嫌味な奴だな〉。こんなふうに、彼と会うと俺の神経が逆なでされることが多いのである。でも、その日の彼において最高のスノッブは次の言葉に尽きる。俺の過去について思わずというか何というか、こんなことを漏らしたのだった。
「兄さん、なんで哲学科なんかに行ったの?」
 そう尋ねた彼の表情が何か皮肉っぽくって、鼻で笑っているように感じたのは、気のせいなんかではない。そう感じたから黙っていたらこんな質問まで続くのである。「兄さんは元々グルメだし、良い酒も好きだし、生き方が矛盾してないか?」。まともにこれに応えたらケンカになると感じたので、こう答えた。「お前には分からんさ。世のため人のためという人間が、グルメじゃいけないということもないだろうし」

 さて、その帰りに弟の言葉を反芻していた。年収二千万を越えたとかが十年も前の話、東海地方有数の会社の重役に理工系から上り詰めている彼から見ると、俺の人生に意味はないのかも知れぬ。「人生、こういう生き方しかないのだよ」と決めつける押しつけがましさはさらに強まっているようだし。高校の文化祭などは全部欠席し家で勉強していて、俺の目が点にさせられた覚えがあったなー。そこでふっと、こんなことも連想した。「オバマのは、税を納めぬ貧乏人のための政治。私は納税者のための政治を行う」、前回の米大統領選挙での共和党候補者ロムニーの演説の一部だ。つまり、金のない人々を主権者とさえ見ないに近い発想なのである。弟はこれと同じ人生観を持って、こう語っていたのかも知れない。「兄さんは別の道にも行けたのに、何でそんな馬鹿な選択をしたのか?!」と。そこには「今は後悔してるんだろ?」というニュアンスさえ含まれていただろう。
 秋の夜道を辿りながらほどなく俺は、自分の三十歳ごろの或る体験を振り返っていた。大学院の一年から非常勤講師をしていた高校で、「劣等生」に対する眼差しが大転換したときのことだ。二十代はほぼ無意識なのだが、こんな風に考えていたようだ。こんな初歩的ことも理解できないって、どうしようもない奴らがこんなにも多いもんか! 彼らがどういう人生を送ってもそれは自業自得。本人たちにその気がないんじゃ仕方ない。この考えがその頃、コペルニクス的転回を遂げたのである。〈彼らとて好きでこうあるわけではないし、現にみんな一生懸命生きてるじゃないか〉。同時に、家族とは既に違っていると思った俺の人生観も、一種我が家の周到な教育方針の結果満載であると遅ればせながら改めて気づいたのである。勿論、その良い面も含めて。そして、弟よりもむしろ俺の方が、我が両親の良い面を受け継いでいるのだろうとも、少し後になって分かった。両親ともが、片田舎の貧乏子沢山の家から当時の日本最高学府に上り詰めた人だったから。つまり、明治政府が築き上げた立身出世主義人材登用制度を大正デモクラシーの時代に最大限に活用できた庶民なのだ。能力のある貧乏な生徒をよく面倒みていた姿も覚えている。

 この時またふっと、弟のこんな言葉も甦ってきた。
「私の仕事は初め新幹線の進歩、やがてはリニア新幹線を日本に生み出すという夢に関わってきたんだよね!」
 この誇り高い言葉はまー、あの皮肉っぽい笑みからすれば俺に対してはこんな意味なのだろう。「だけど、兄さんの仕事人生は、一体何が残ったの?」。確かに、最初の仕事を二十数年で辞めたのだから、そう言われるのも無理はない。それも、貧乏な民間福祉団体で休日も夜も暇なく働いた末の、精神疲労性の二度の病のためだったのだし。そこでさらに気づいたこと、この病、お前も罹ったんじゃないか? それも若い頃の入院も含めて、一度ならず今も……、お互い頑張っちゃう家系だもんなー。

 いろんな言葉や思い出を辿りつつここまで来て、俺の思考はさらに深く進んでいく。弟は何でこんな挑戦的な言葉を敢えて俺に投げたのだ? 今も病気が出かけて終わりが近づいている自分の仕事人生と、何よりもこれが終わったその先とを自分に納得させる道を懸命に探している真っ最中だからじゃないか。この推察は、妥当なものと思われた。すると、ある場面がふっと浮かんだ。
〈小学校低学年からアイツは電車が好きだった。我が家に近い母さんの職場の用務員さんの部屋で母さんを待って、一緒に帰る途中にある中央線の踏み切り。あそこでよく電車を見ていたと、母さんが言ってたよなー〉

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随筆 俺の自転車 二   文科系

2021年08月09日 10時24分26秒 | 文芸作品
 
 自転車という乗り物が、あるいはサイクルツーリングというスポーツが、人の体力や体形を作ったり、維持したりするのにどれだけ優れた乗り物であるか。七七歳のいま過去を振り返って、つくづくとそう思う。その理屈を述べると、こういうことになろうか。

・人の活動年齢の長短は、その心肺機能、つまり有酸素運動能力によって最も大きく左右され、この能力は下半身の運動、強さによって強化、維持されていく。「脚は突き出た心臓だ」とよく言われるのは、そういう意味である。
・心肺機能は、その七割ほどの強度の運動を長時間持続することによって鍛えられるものだが、自分なりの高速で自転車を転がし続ける時が、ちょうどその心拍数に当たる。さらに、この程度の速度なら、自転車はランニングよりもずっと長時間継続することができる。
・こうした有酸素運動能力が高い人はその細胞全般が若いものだが、必須条件が一つ、活性酸素対策が必要になる。有酸素運動によって空気から同時に大量に吸収してしまう活性酸素が、最悪の人間細胞老化物質なのだ。ポリフェノールが身体に良いというのは、これが活性酸素を中和してくれるからである。「アスリートは特に、活性酸素対策をしないと早死にする」と医者がよく語るのは、そういう意味である。緑黄色野菜やチョコレートなどを摂ると良い。

「日常生活において、三十分以内の距離なら自転車で!」
 こんな習慣があれば、いろんな知識を得つつよく考えられているということがないジム通いや下手な化粧品遣いよりも遙かに良い身体、皮膚が出来るものだ。ちなみに、有酸素運動が苦手なアスリートは、どれだけ身体を鍛えていても早晩デブになるだけである。プロテインなども飲みつつ筋肉をいくら付けても、その上に覆い被さって来る脂肪を取る力がないからである。それは、同じジムのウエートトレーニングだけをやってきた人々を長年見続けて来て、分かったこと。やっと10回までは出来る強度の強いウエートトレーニングを身体各部に適宜施しつつ、かつまた一時間程度は走ることができる人が、最も若くて良い身体や皮膚を持っているものだ。これらすべて、人の身体作りは科学に基づくべきものということだろう。
 顔の皮膚の若々しい張りでさえ、どんな化粧品なども問題外の力で筋肉と血流の強さが保ってくれるということを、どれだけの人が知っているのだろう。顔などの皺が増えてくる、その皮膚が白っぽくなるなどもみな、筋肉、血流の衰えによるものである。

 因みに僕は身長169センチ、体重58キロ、体脂肪率13%内外と、ほぼ「生涯一体型」であり、礼服も30歳に作った「生涯一着」で済んで来た。その最も大きい原因を77歳の今色々考えてみて、若い頃身につけた運動習慣と、中でも特に自転車の習慣に、思い当たるのである。高校、大学の通学も自転車だったし、今の連れ合いとのデイトも自転車同伴で相乗りしたり、40代の10年ほどは片道9キロの通勤を自転車でやっていた。この40代の通勤が特に大きかったと振り返ることができる。また、今思えば、58歳でランニング入門をできて今もランナーでいられるのも、自転車のおかげと考えてきた。
 多少息づかいが荒い程度で、出来るだけ30分以上は乗るというのが、効果が高いやり方である。
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随筆 『 安渓「観音王」 』 文科系

2021年08月09日 10時04分49秒 | 文芸作品

 退職後も現役時代の延長のようにボランティアとして中国に通い続けているある友人から、中国茶を貰った。金属の小箱に「観音王」と書いてあるから、いわゆる鉄観音だろうという以外には何の知識も湧かないものだ。それが、もの凄く美味い。日本茶はもちろん、紅茶も中国茶もいろいろと試してきた僕として、即、礼状メール。
『今、連れ合いとお土産の鉄観音の方を飲んだばかりだ。中国流の「青茶」、半発酵茶として超有名なのだが、プーアルやジャスミンはおおいに飲んできたのに、鉄観音を自分で煎れたのは、実は初めて。ふたりで「美味いねー!」と言い続けている。僕の感じでは、青っぽい高貴な味は最高級煎茶と同じもの。それに、独特の発酵の若やいだ香りというのかが混じって、もう最高。加えて、さっきから既に同じ茶葉で五煎はやったんだが、あの大きな茶葉からはその味がほとんど無くならない。質問がある。中国のどの街の、どういう所で買ったの? それとも、有名百貨店などには大体売っている品物なのかな?』
 対する友人の返事が、こう。
『中国茶の件、こちらこそ礼を言いたいくらい。というのはこれまで多くの友人に高級なお茶をプレゼントしたが、殆どの人はその価値を分かってくれなかった。こんなに喜んでもらったのは初めてでとても嬉しい』
 あの茶自身への質問に友人が答えていないところを見ると、彼もあれの氏素性を知らないのだ。そこでまた、こんなメール。
『中国茶のことだけど、煎れ方までを説明できると貴方の友人にも良いのだが。(中略)あれはこんな感じかな。「茶葉はあの一袋が日本式高級煎茶湯飲みで二人分程度、九十度ぐらいにして、二分待つ」。中国では多分、熱湯を注ぐのだろうけどね。これで、一揃目は香りをかぐ程度のものになって、二揃目(これも心持ち湯冷ましする。三揃目でも僕は冷ますね)から俄然味が出て美味くなり、何回も煎れられる。お茶が上手くなるコツは、お湯を入れて待つ間に、ちょこちょこっと味見をしてみること。すると、「いま出す」「もうちょっと待つ」など、その茶の一番良い味が分かってくるのね。(中略)今後新しいお茶があったら「これどう出すの」と僕に聞けば、研究したげるよ。それから友だちにあげればどう?僕が得しちゃうけど、試供品程度でヨイからね』
 こんな返事が返ってきた。
『おはよう。心にグッとくるメールをありがとう。味オンチの私にはこの鉄観音の良さが余り分かっていないようで恥ずかしい。でもこれだけ味が分かり喜んで頂ける人に飲んでもらうのは、このお茶にとっても幸せなことかもしれないね』
 そこで僕は思い付いて、友人に頼るのではなく自分でこの茶の正体を調べてみた。
 中国は福建省の安渓県鉄観音、中国最高の代表的な鉄観音である。缶を改めて読んでみたら米粒のような字でちゃんとそう書いてあった。さらに、ウィキペディアで、こんな事も分かってきたのだった。
【「安渓鉄観音──南岩鉄観音とも呼ばれる最も代表的な鉄観音である。福建省の安渓県を中心とした地域で生産されている。そのうちでも最上級銘柄として扱われるものに「正ソウ観音王」(ソウは木偏に叢)がある】
 このお茶がまさにこの「正欉観音王」かどうかはさておき、僕も自分でこれを買おうと思って調べてみた。またびっくりなのである。この種のものを日本輸入店から買うとまず、百グラムが三千円~三千五百円とある。本当に驚いた。僕がつきあっている掛川の日本茶直売センターの最高級煎茶でも二千五百円。これはずば抜けて高くって一度しか買った事がない。僕の普段のは、玉露以外なら奮発しても千円なのだ。
 さてさて、ここまで訊ねたらもう現物探しというわけで、デパートへと繰り出した。結果を先に言うと惨憺たるものだった。先ず三越に行って二店二種あったうちで、期待薄を承知で一品購入。松坂屋はそれより高価なのを試飲させてくれたけど、一口飲んでサヨウナラ。仕方がないので足を伸ばして、高島屋。ここは三種あって、先のネット・カタログよりも高い「王級 鉄観音」というのを三十グラムだけ買ってきた。すぐに二つを飲んでみたが、前者は問題外、後者も今一歩。鉄観音には清香と濃香の二種があるらしいが、僕が好きなのはどうも焙煎の薄い清香の方らしい。そして、これがべらぼうに高いらしい。頂いたものは、本物の「正欉観音王」かも知れないなんぞと、そんな気もしてきたものだ。
 さて、以上の一部始終を友人にメールでお知らせした。そして、こんな言葉で締めくくった。
『僕は、自分の舌に自信を持つことができて、それが嬉しい。二千年を遙かに超える茶の伝統がある中国の歴代生産者たちを訪ねていったような気もするしね。その最高傑作のことを、あれこれいろいろと、尋ねてきたような』

 

(2011年3月、同人誌に初出)

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随筆 今時の共働き仲間たち   文科系

2021年08月08日 17時39分26秒 | 文芸作品
 
 僕の正面二〇メートルほどにある大型滑り台には、四人ほどの子ども。赤青黄色など何本もの滑り台が付いている二つの塔を吊り橋で繋いだ大きな遊具その上をあちこち行き交っているのだが、速い子、所によりおそるおそるに近い子と様々であるのに思わず目を細めたりしていた。一人の男性が、その場面のあちこちをカメラで撮ってまわっているのが見える。その向こう二十メートルほどに、今まさに高速で回っている黄色くて丸いジャングルジム。大人の男性二人を上の方に乗せて、子どもたちだけでジムの同一円周上を汗水垂らして走り回っている真っ最中である。
 四~五歳ほどが主体と思われる子どもが十人近くと、父親四人。その内の一人はベンチに座って、赤ん坊にお茶を飲ませている。街中のちょっとした公園、五月のある日曜日昼のこの光景を僕は今、全体が見渡せるベンチから眺めている。さっきから何度も微笑みが浮かび、心が温かくなっていた。僕の孫娘、ハーちゃんの保育園同級生とそのお父さんたちなのである。先程までハーちゃんの家でこの全員でハーちゃんパパが作った焼きそばの昼食を平らげ、好きなお父さんたちは缶ビールを一本ずつほど干しあって、ここに遊びに来てからでもほぼ二時間近くになる。お母さんたちはといえば、今日はイタリアンランチの昼食会で、あるトラットーリアに出かけている。今頃はきっと、お喋りも大詰めでさぞ盛り上がっていることだろう。お父さんの何人かと僕が子守を引き受けたから成立した企画であって、こと更にイクメンなどと連呼される今の日本だが、こんな光景は昔からあるところにはあったと僕はよく知っている。ある種の保育園では年中行事になっているとでも言えるように。

 ここにやってきてからでも二時間は経って十五時に近くなった頃、公園の一角がにわかに賑やかになった。大型のワゴン車二台が到着して、車から続々と出て来た十人を越える若いママたち。それぞれおしゃれした姿は最近の流行なのか黒を基調とした中でも、人によって色とりどりで眩しく、またまた微笑ましく眺めることになった。子どもたちが一斉にそこに駆け付けていく。大急ぎの子、ゆっくりの子と、様々であるのに、又目が細くなっていた。

 さて、僕はここまでで家に帰ったのだが、その後も娘の家で有志によるパーティーが続いていたようだ。今度は父母合同だったのだろう。家に帰ってかなり経ってから、こんな電話があったから分かったことだ。電話に出たらいきなり「ハッピーバースデー・トゥー・ユウ」の混声合唱が聞こえる。暫くして娘の声で「まだみんなでやってるよ! おめでとう!」。僕はすっかり忘れていたのだが、この日は僕の七十四歳の誕生日だった。
 
 
(2015年5月、同人誌に初出)
 
 今日現在書いた注  文中「トラットーリア」と書いたが、これは家庭料理店というイタリア語。フランスのビストロに当たる言葉だ。ところが、このお店は確か当時でも立派なレストランで、ミシュランの一つ星が付いている。文中の保育園のクラスに長女を預けている父母が経営し、お父さんがシェフをやっているお店なのである。そういう条件があったから生まれた企画だったとも言える。その店は、ビッチーノと言い、千種区の名古屋市都市高速春岡入り口のすぐ南にある。今ではもうなかなか予約が取れないので有名なお店になっている。 
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坂上忍、五輪開催公然批判を継続  文科系

2021年08月07日 11時24分56秒 | 国内政治・経済・社会問題

 こういうことがあるものだ。
『五輪批判で孤軍奮闘「バイキング」坂上忍に圧力! 出演の春日良一が「プロデューサーから中庸に」の指示に坂上が抵抗したこと明かす』
 こう題された記事が6日のリテラに、載った。テレビのMCとやらによる、今はもう極めて珍しくなった公然たるコロナ下五輪批判のようだ。それも、スポーツ中継以外はテレビを全く見ない僕には分からないが有名な番組の、有名な司会者のようなお人らしい。なおワイドショウなどのMCを調べてみたが、マスター・オブ・セレモニー、直訳すれば儀式の主人とでも言うのだろうか。

 内容は4日夏休みから復帰してきた坂上忍が、夏休み前から公然と主張していた五輪批判を相変わらずこう展開したのだそうだ。

「菅総理がずっと繰り返していた安全・安心なオリパラ開催っていうのは、僕は、ある意味、医療従事者の方々がお仕事をする合間にテレビを付けるなりして、応援する物理的な時間と、あとは応援する気持ちになるっていうその状態がある意味、安全・安心なオリパラ開催。もはや、この状況でどうしてくれるんだ?っていう気持ちしか僕にはない」

「僕がすごく許せないことは、菅総理も小池都知事もオリパラに直接的な原因がないからといって、でも、間接的な要因であることは間違いないはずなんです。なんだけれど、いまの感染爆発状況とオリパラをまったく結びつけようとしない。あの誠意のない答え方をいつまで続けるんだって。一番腹立たしい」

 これすべて、誰が考えても正論だと思う。首相が、何の保証根拠も示せずに力説していた「安全、安心」が崩れたどころか過去最悪になって、累計死者は1万5千名を超えているのだ。国民の命を賭けてまでやって、この大敗北。今回のコロナ下五輪開催はよほどしっかりと総括しないと、歴史上どこでもよく起こった地獄行きのような政府の悪行、堕落が急カーブで進む岐路になるように思う。モリカケ、桜に、検事総長、学術会議人選などなどと、権力亡者に堕した連中がその悪行を誤魔化し始める道を歩んだなら、まともな政治が消えていく道しかない。これは歴史の教えるところだと思う。

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米の対中「干渉」を考える   文科系

2021年08月06日 06時30分47秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)

 国連を尊重する外交問題論議は、「国際問題」と「国内問題」とを厳然と区別されねばならない。前者は、国連で問題とされる大問題、後者は国内トラブルもしくはまだ2国間の問題であるものということだ。
 例えば、香港問題は国内問題である。「一国二制度」という言葉があるように。ウイグル問題も基本的に国内問題だ。南シナ海問題でも、ベトナムやインドネシアが2国間で解決しようとしているなら、国連は出動は不要ということだろう。

 中国のそういう問題を大きくあげつらうアメリカはといえば、イラク戦争や米軍のイラク不法駐留も、シリア戦争も、完全な国際問題である。それも、国連の力を削ぐようにこれを無視、敵視するような。こういう国際間無法暴力をこそ世界は何よりも憎むべきなのである。
 また、ベネズエラやイランやボリビアの内政、国内問題に革命の輸出まがいの行動をアメリカは採っている。イランのスレイマニ将軍爆殺行為は国連規則によれば戦争行為に当たるはずだ。つまり、中国よりもアメリカの方が対外暴力という意味で、はるかに酷い国際平和騒乱国なのである。
 こういう視点を日本マスコミは全く持っていないと思う。中国的全体主義が国内問題である内は、極端に言えば外っておけば良い。しかし、有志国戦争などとなれば、国連最大の危機なのである。人類悲願である世界平和の実現は、国連のような世界組織の発展抜きには図られないのであるから。
 有志国戦争で世界に難民をばらまいたあの西欧他国など大混乱をこそ、世界中の人々が忘れてはならないことだといいたい。アフガン、イラク、シリアでは、関連死含めて二百万の人が死に、何百万の難民が出たのである。

 

 参考資料として「孫崎享のつぶやき 2021年8月3日」に、こんな記事があったので、紹介しておきたい。こういう数字こそ実は、アメリカの対中意識・政策の出所なのだと思う。トランプ以来世界に示されている猛烈にして不法な保護貿易政策とともに。

『 基軸通貨ドルと距離を置く動きが強まっている。世界の外貨準備のドル比率はピークの87%から59%に。物の輸出入ではこの50年で米国は13%から11%に低下し、中国は1%から13%に。問題は米国自身。コロナ下で財政赤字は史上最悪の3兆ドル、

1:全世界における米国GDP比率は通常、次のようにみられている。
   1991年ー26・5%  2001年ー25・2%  2011年ー24・4%  2021年ー21・9%
 ただし、購買力平価ベースでみると低く、一位は中国で       
$22,526,502,000,000(2019年推定.)、米国$20,524,945,000,000( 201年推定)である(資料:CIA)。

2: 世界の貿易額ランキングチャートというのをみると、
 中国   4,622,443 百万US$  アメリカ 4,278,371  ドイツ   2,846,370

3;こうした中で、次第に外貨準備でドル離れの動きが進みつつある。
(以下略) 』

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八十路ランナーの手記(365) 珍しく、夏も外走り・・・   文科系

2021年08月05日 11時53分40秒 | スポーツ

 7月23日にジムマシン後半の30分では4・5キロまで来たが、その後は僕の夏としては珍しく外走りをやって来た。一昨年末から新しい走法に換えてから、ジム走りだけだと走力がかなり落ちると分かったからこの夏は外を走ってみたのだが、無理しないように少しずつ距離、スピードを上げてきたら思ったよりもできる。因みにこの走法変更とは、「後ろ足も蹴って跨いで走る走法」から「腰の下に持ってきた脚を伸ばして地面をつついた反動で走る走法」に換えたことを指している。19年末から今に至るまで、悪癖修正を含めたその転換過程が続いているのである。年寄りの覚えにくい身体と相談しながらのことだ。

 25日の25キロサイクリング・ファーストランは前に書いたが、28日3キロ、30日5キロ、2日6キロ。この6キロはキロ当たり7分6秒で走り、ストライド84センチ、1分当たり心拍数「bpm」は143だった。そして昨4日には8キロ走って、キロ7分14秒、82センチ、147bpmとでた。風がない日は汗まみれになり身体もきついが、とにかく日に日に調子が上がっていくのが分かる。

 身体がきついと、1年半掛けて身につけた走法で無理がありそうな所をあれこれ探り直していくことにもなっていく。走るという単純な動作でも、この年で身につけた新走法には思いもせぬ欠点が色色潜んでいるものだと痛感し直して来た。脚で地面をつつくのがほんの一瞬だから、その左右の足の前後位置、膝曲げの程度とつつく力の程度などなど、観察すればする程不合理なところがいろいろ気になって来た。右脚が大きめに外に流れるから着地時間も長くなることは前から分かっていた癖だったが、地面つつき走法に換えたらこれはどうしても直さねばならない。その分左脚が外から内に入ってきて、相対的に小股になっているその欠点も含めて。ちなみに、僕の靴底ラバーの減り具合に、これらの癖が明瞭に現れている。最も減りが激しいのが右踵の外側で、左はつま先方向の外側が少々。

『内に入れた右の振り出しを抑えて「膝を伸ばした一瞬」で地面をつついたその勢いで左脚を早めに腰下の正しい位置まで持ってくる』。この改変にもかなり慣れてきて、意識していれば乱れなくなったが、まだまだだと思い知らされることが多い。年寄りの身体は「無意識にそうなる」ほどには新フォームをなかなか記憶してくれない。とくに、その日のスタートにポサッとしていると、酷い走りが戻っていて悩ましいことになっていると気づくのである。ひょっとして、身体の一部が弱ってきてこうなるのかななどどいう疑問も含めてのことだ。でも、最初に修正点を意識出来ればこの上なく快調な時もある。こんなことが特に最近分かってきた。2日のキロ7分6秒などはその典型だった。
 ただし、90センチ近かった僕のストライドが近ごろ気づいてみれば80センチに近くなっているのは、身体が衰えているからなのか、新たな走法定着で自然にこうなってきたのか。ストライドが減ってもピッチ数が180近くになっていれば良いわけだが、タイムから見て多くても170程度なのだろう。

 この暑さは80の年寄りにはとても堪える。でも、こんな風に夏の外走りをコツコツやっていけば秋にはまたなどと、そんな思いで励んでいる。 

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マスコミの「野球偏重」  文科系

2021年08月04日 10時39分37秒 | スポーツ

 一昨日、五輪野球の日米戦があった。終盤の両チームのまさに必死の継投、タイブレーク10回に右翼フェンスを直撃したサヨナラヒットで日本の勝利。スポーツ好きの僕は野球も好きだ。が、この野球について近頃ますます目に余ると思われる現象を論じてみたい。

 スポーツマスコミ、特に新聞はどうしてこれほど野球の扱いが大きいのか。高校野球全国大会の予選段階などでは、全国版も詳細な地方版もあるのである。これって、スポーツをやる子どもから見れば一種の依怙贔屓、大人の目では既得権益に見えるはずだ。マスコミが特定のスポーツを特別に持ち上げている。これは、公器とも言われる新聞においてはその権威の恣意的利用ともみうるのではないか。しかもこの傾向が近年特に大きくなっているのは、「野球人気低迷」に抗っているとも思えるのである。大マスコミが、野球人気低迷に抗っている。高校野球の主催者・高野連加盟校や選手数がこの5年程で15%以上も少なくなっているのだが、そういう野球界をスポーツマスコミが懸命にテコ入れしていると、僕にはそう見えて仕方ないのである。ちなみに、中学生の野球人口はこの間4割程とさらに減っている。巷で言われているように、子どものサッカー人気に負けているのだろう。他のスポーツが廃れていっても、マスコミはこんなテコ入れはしないだろうに、野球に限ってはどうしてこんな事をするのか。外っておけば良いではないか。それとも、永年お世話になったニュースコンテンツだから守っている? としたらやはり既得権益だし、スポーツ界全体の目で見たら一種の権威主義にも見える。他のスポーツをする子どもらからはそう見えないはずがないと考える。

 そういうマスコミへの抗議として、「今年、高校野球を見るのをボイコットしよう!」と大々的に呼びかけたらどうなるか。サッカー少年やその家庭など賛成者がかなり多いのではないかなどと考えたりするのである。

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朝日新聞、「桜」社説   文科系

2021年08月03日 10時59分38秒 | 国内政治・経済・社会問題

 このブログでは安倍前首相の「桜」問題を何回も何回も取り上げてきた。この事件と戦後日本最長安倍政権とがあまりにもミスマッチ過ぎて、日本政治・有権者の恥に思えるからである。最近では検察審の「不起訴不当」事件としてこれを取り上げたが、本日の朝日新聞も『「桜」不起訴不当 安倍氏は喚問で説明を』という社説を載せている。この問題は「政治とはなんぞや」「政治権力の歪みはどう起こってくるか」など、青少年の政治学習などにも絶好の教材になるはずだ。以下に、この朝日新聞本日社説の後半、触り部分を抜粋する。中部地方ではこの新聞を取っていない人が多いと思うところからだ。なお、僕はけっして朝日が好きという者ではない。特に外信記事に、その視点に疑問を感ずることも多いと申し上げておく。ニュース元も限られた、安易極まるアクセス報道ばかりに見えるのである。

『(前略)桜を見る会をめぐる問題は、前夜祭だけではない。そもそも、税金で賄われる内閣の公的な行事に、各界の「功績・功労」に関係なく、時の首相が後援会関係者を大勢招待すること自体、私物化というほかない。招待者名簿の不透明な廃棄など、ずさんな公文書管理や、疑惑に答えない説明責任の軽視など、長期政権のうみが凝縮されているといっていい。

 前夜祭をめぐる安倍氏の国会での「虚偽答弁」は118回にのぼった。立法府の行政に対するチェック機能を掘り崩す深刻な事態だ。ところが、安倍氏は昨年末、自身の不起訴を受けて国会で通り一遍の弁明をしただけで、野党が求めるホテルの明細書や領収書などの資料提出にも一切応じていない。

 やはり、ウソをつけば偽証罪に問われる証人喚問で安倍氏に真相をただすしかあるまい。政治への信頼回復のため、与党は閉会中審査に応じるべきだ。』

 日本は民主主義国になって、やっと70年。その前は国民ならぬ臣民だけが存在し、女性の参政権もなかった。これがつまり、国の主権者である国民が納めている税金の使い道にも疎いままで、自らの諸権利にもまだまだ無自覚ということにも繋がっているのだろうか。安倍がやったように税金で行われる国家行事「桜」に自分の後援会員、山口県人をどんどん増やして来られて、与党議員や官僚がこれを永年認めてきたのも(これも政治主導?)、この国の民主主義の弱さから来る「暗黒政治」という実態をさえ象徴しているように思われる。国家首班のやりたい放題と言えるのだから。まして、こういう重大な事件への国会質問の直後に起こった「招待者名簿の不透明な廃棄」とか、「ホテルの明細書や領収書」の提出拒否とかこそ、一体どう表現したら良いのだろう。多数与党を頼みとした「暗黒政治」の暴挙ということになるのだが、与党には多少とも民主主義に準ずる政治家はいないのだろうか。

 どんな物事にも内容的に軽重がある。そして、この桜にまつわる諸々の経過は、こんな事を「不起訴」として許しておいたら選挙と地位だけという権力亡者のやりたい放題の国家になっているという理屈を示している。だからこそこの五輪が、国政最大の目標、国民の命を賭けてまでやる理由も説明されずに強行開催されているのは、古のこんな「人を食う」故事をも示すことになってしまった。

「苛政は虎よりも猛々し」

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サッカー、明日スペイン戦  文科系

2021年08月02日 16時51分18秒 | スポーツ

  明日は銀メダル以上を賭けたスペイン戦。
 両チーム戦績を見てみよう。ここまでのスペインは、予選が1勝2分けの2得点1失点。エジプト、豪、アルゼンチンが相手だった。延長戦を勝利した準々決勝コートジボアール戦は、得意のポゼションでアフリカ勢を疲弊させて走り勝ったと観て良いはずだ。対する日本の同じ数字は、3連勝、7得点1失点。相手は、南ア、メキシコ、フランス。準々決勝ニュージーランド戦はPK戦勝利である。相手の面子と戦績から見て、日本の方が明らかに好成績と言えるはずだ。


 さて、この戦いについて、吉田とともに日本の大黒柱になるはずの遠藤が、スポーツ報知で語った記事が興味深いので、ご紹介したい。

『 サッカー男子のMF遠藤航が2日、準決勝のスペイン戦(3日・埼玉スタジアム)に向けてオンライン取材に応じた。勝利すれば日本の五輪サッカー史上初めて、銀メダル以上が確定する一戦に向け「やるべきことはそんなに変わらない。ここを越えられるかどうか、日本サッカーの歴史を見てもすごく大事な一戦になる。・・・」(中略)
 遠藤は「ペドリだけじゃないですけど、ボールを持ったら何かやってくる。ビビって下がってスペースを与えると、なんでもできるチームだと思う。より人に(守備に)いくことは意識したい」と警戒心を強めた。(中略)
 「本当にちょっとした部分だと思っていて…」と、試合の鍵を握るポイントをイメージ。「レベルがあがれば、マイボールにできるタイミングは限られる。クリアしたほうが、シンプルにやった方がいいと思う場面で、なんとかマイボールにできるか。それはチームというより、個人の意識だと思っている。相手が前から(守備に)来た時、それにビビらず、ひとつ(パスを)動かせるかとか。自分のところでがそれをできれば理想。セカンドボール、つなげそうな五分五分の部分をしっかりマイボールにしたい」。(後略)』

 さて、若い世代日本代表の世界戦は元来、「当たり弱いが高い技術が利いて、フル代表同士の戦いよりも上」と言えた。それがここ数年J全体としてはっきりとデュエル重視になってから渡欧若手も急増して、若手同士なら世界強豪国とも互角に戦えるようになってきた。フル代表にオリンピック世代が多数入ってきたのもその結果である。スペイン戦は、遠藤も言うようにボールの奪い合い(正確には良い位置でのボール奪取)が鍵になるのは確かだが、その上の少ないチャンスにおける得点力は日本の方がほんのちょっとだが上と観る。
 それに、西欧は南米やメキシコよりも若手チームが強いとは言えない。因みにスペインにとっては、あのフランスを4対0で負かした日本よりも、メキシコや、(先日の練習マッチで)組織的なアルゼンチンを負かした日本の方が怖いはずだ。因みに、メキシコは常に、個人技のブラジルとは違って若手の組織戦術もしっかりしているからである。この日本オリンピック世代は19年に、伝統あるトゥーロン国際大会でも準決勝メキシコにはPK戦勝ち、決勝のブラジル戦も確か1対1の同点からPK戦敗北だった。この時PKを失敗したのが旗手、今回はさぞ燃えていることだろう。この時もベスト4に今回のベスト4の内3つが残っていたって、やはりこの日本は強いのだ。決勝も果たして19年のトゥーロンと同じで、日本・ブラジル戦になるのかな? あの時も僕は、決勝のブラジルよりも準決勝のメキシコの方が意外に強いと思ったことだったが、今回はどうなのか・・・。やっぱり今回は、日本優勝とか!

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