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太平洋戦争、岩波近現代史シリーズ要約  文科系

2021年08月15日 11時44分57秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など

 また、8・15が来ました。今年は改めて、歴史学の本から、ある太平洋戦争論を再掲、展開してみたいと思い立ちました。岩波新書の「シリーズ日本近現代史」全10巻本の第5、6巻、「満州事変から日中戦争へ」(加藤陽子・東京大学大学院人文社会系研究科教授、2007年6月第一刷)と「アジア・太平洋戦争」(吉田裕・一橋大学大学院社会学研究科教授、2007年8月第一刷)の要約です。ちなみにこのシリーズの最初と最後、第1、10巻が出たのが、それぞれ2006年11月と2010年2月でした。ちなみに加藤陽子さんは、この度の日本学術会議員推薦を管首相によって拒否された内のお一人です。なお、今回の連載は、2010年11月に当ブログにエントリーした全7回の再編、再掲になります。

 

 明治~太平洋戦争の右翼流デマ理論が盛んだが、ここでも明らかにされてきたようなその論はこういうもの。「白人の差別、植民地政策に対して、アジアで比較的進んだ日本がやむを得ず立ち上がったもの。そして、大東亜共栄圏を作ってアジア全体をまもり、繁栄させようとしたのだ」、と。彼らは、こういう「感覚」をば、ある歴史的事実に目を付け、歴史的説明を歪めていく方法論として用いている。そこから こういう理論と言うよりも「感覚」がネットなどで随分広まっているようだ。よって、これに対する意味を込めて、今読み進んでいる本に書いてあることを要約してご紹介してみたい。岩波新書の「日本近現代史シリーズ⑥アジア・太平洋戦争」(第1刷07年8月、第6刷10年3月)。この巻の著者は吉田裕・一橋大学大学院社会学研究科教授。この9ページから「(この)戦争の性格」が三つ書かれているのだが、その紹介である。なお、いつものやり方で以下『 』内はすべて、本書からの引用である。

1 太平洋戦争の一つ目の性格

 まず『一つ目の論点は、対英戦争と対米戦争との関係である』(P9)で始まる第1の部分、その結論はこういうものだ。
『結局、日本の武力南進政策が対英戦争を不可避なものとし、さらに日英戦争が日米戦争を不可避なものとしたととらえることができる。ナチス・ドイツの膨張政策への対決姿勢を強めていたアメリカは、アジアにおいても「大英帝国」の崩壊を傍観することはできず、最終的にはイギリスを強く支援する立場を明確にしたのである』
 この結論は、こんな事実によって示されている。
『日本軍の攻撃が真珠湾(12月8日午前3時19分)ではなく、英領マレー半島(同2時15分)に対する攻撃から始まっている事実が端的に示すように、この戦争は何よりも対英戦争として生起した。すでに、日中戦争の開始以来、日本は中国におけるイギリスの権益を次々に侵害し、日英関係は急速に悪化していた。さらに決定的だったのは、40年9月の日独伊3国同盟の締結と日本の南進政策の開始である。40年春のドイツ軍の大攻勢によって大陸からの撤退を余儀なくされたイギリスは、引き続きドイツの攻勢に直面していた。(40年)8月には、すでに述べたように、英本土上陸作戦の前哨戦として、ドイツ空軍は英本土への空襲を開始する』

 日本軍部内にも『英米可分論』と『英米不可分論』の対立があったことも述べられている。なんのことはない。中国を侵し、イギリスの苦境を好機とばかりにその権益をどんどん侵していき、その果てにドイツとの対決姿勢を強めていたアメリカを呼び込んでしまったというのが事実のようだ。

 日英、日米関係をもう少し遡ると、こんな経過になっている。
『39年7月、アメリカは、天津のイギリス租界封鎖問題で日本との対立を深めていたイギリスに対する支援の姿勢を明確にするために、日米通商航海条約の廃棄を日本政府に通告した。さらに、40年9月に日本軍が北部仏印に進駐すると、同月末には鉄鋼、屑鉄の対日輸出を禁止し、金属・機械製品などにも、次第に輸出許可制が導入されていった』
 こういうことの結末がさらに、石油問題も絡む以下である。太平洋戦争前夜、ぎりぎりの日米関係をうかがい見ることができよう。
『(41年7月28日には、日本軍による南部仏印進駐が開始されたが)日本側の意図を事前につかんでいたアメリカ政府は、日本軍の南部仏印進駐に敏感に反応した。7月26日には、在米日本資産の凍結を公表し、8月1日には、日本に対する石油の輸出を全面的に禁止する措置をとった。アメリカは、日本の南進政策をこれ以上認めないという強い意思表示を行ったのである。アメリカ側の厳しい反応を充分に予期していなかった日本政府と軍部は、資産凍結と石油の禁輸という対抗措置に大きな衝撃をうけた。(中略)以降、石油の供給を絶たれて国力がジリ貧になる前に、対米開戦を決意すべきだとする主戦論が勢いを増してくることになった』

 

2 太平洋戦争の二つ目の性格

『二つ目の論点は、日米戦争における戦争責任の問題である』

 この日米戦争責任論の第1として吉田裕氏は、先ずこういう議論を紹介し、これに反論を加えている。
『アジア・太平洋戦争には、植民地を保有する帝国主義大国である欧米列強と、同じくアジア最大の帝国主義国である日本との間の植民地再分割戦争という側面があり、帝国主義国家相互の戦争という側面に限っていえば、日本はアメリカ、イギリス、オランダに対して戦争責任を負ういわれはないという主張』
 これに対する反論を吉田氏は、家永三郎氏の考え方に賛同して、この文章を紹介している。
『日本は中国侵略戦争を継続するために、これを中止させようとするアメリカ・イギリス・オランダと開戦することになったのであって、中国侵略戦争の延長線上に対英米欄戦争が発生したのであり、中国との戦争と対英米欄戦争とを分離して、別個の戦争と考えることはできない』

 日米戦争責任論の第2は、日本の開戦決意の時期にかかわる問題である。当時アメリカが出した有名なハル・ノートとの関係を、吉田氏は語っていく。まず、右翼側の戦争責任論をこうまとめてみせる。
『日米交渉の最終段階でアメリカの国務長官ハルから提出された、いわゆるハル・ノートは、日本軍の中国からの撤兵、汪兆銘政権の否認、三国同盟の空文化など、日本政府が決して受け入れることのできない厳しい対日要求をもりこんだ対日最後通牒だった。そのため、日本政府は自衛権の行使に踏み切らざるをえず、12月1日の御前会議で対米英開戦を決定した、というものである。この場合は、「日米同罪論」というよりは、むしろ一歩踏み込んで、アメリカ側に戦争責任があるという主張である』
 これへの反論を要約すれば、こういうことだ。日本軍はハル・ノート以前から、開戦準備を密かに急いでいたのであって、ハル・ノートは単に無視されていたというだけではなくて、日本によるこれへの応対、交渉は、不意打ち戦争を隠すための道具に使われた、と。

 日本の対米開戦、ここまでの違法性などをまとめると、こういうことだろう。
「日本が、中国侵略から南部仏印侵略へという動きを強行した」
「イギリス権益の侵害に対してなされた、アメリカによるたびたびの抗議を無視した」
「こういう日本の行為は、ドイツの英本土上陸作戦に苦闘中のイギリスのどさくさにつけ込んだものでもあった」
「アメリカに対しては、交渉するふりをして、密かに電撃的開戦準備を進めていった」

 

(あと3回ほどに分けて続ける積もりです)


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