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随筆  「戦争信仰」    文科系

2018年11月09日 20時32分02秒 | 国内政治・経済・社会問題
 あるブログの共同運営を大学時代からの友人に頼まれてかっきり十三年やってきたが、そこでいろんなネット右翼諸氏とやりあってきた。ブログ名称に「憲法九条」が入っているゆえなのだろうが、こういう方々の訪問が絶えなかったからだ。たとえば、
『平和を願い、母国を愛する一未成年から反論させていただきたい。…………以上、反論があれば随時丁重にお返しさせていただく故、フェアに品のある議論を望む』
 これは「平成の侍」と名乗られたお方がこの八月十九日に僕の文章に寄せてきた長文コメントの前後だが、たった一回僕が出した回答に対して、もうお返事が何もなかった。僕の文章内容が彼が考えたこともないようなものだったから再回答のしようがなかったのであろうが、はてこれは「フェアに品のある議論」であったのかどうか、難しいところだ。


 こんなふうに知識も思考力も様々な方々を相手にしたこの十年、実に多領域の勉強をさせられたし、いろいろ考えさせられつつ今日まで来た。慰安婦問題は明治維新以降百年の日朝関係史学習にまで拡がっていったし、南京虐殺や「連合国史観」は「アジア・太平洋戦争史」の復習に繋がった。こちらが学んでいくごとに「これだけ稚拙な知識しかない相手が、どうしてこれだけ自信ありげに頑張れるのだろうか」と気付き始めた。その度に訝り、考え込んで来たのがこのこと。これだけ確信ありげに語るのは、世界も狭いからというだけではなく、自分を納得させ、確信させる信念を何か持っているからだろうが、それって何なんだろうかと。これらすべてにおいて、同じ人間という生き物に、どうしてこれだけ見解の相違が生じるのだろうかと、そんな哲学的問題意識をも温めつつ、相手の言い分を観察してきた。
 そこで最近になってようやく気付いたのが、これだ。

 米国は実体経済がIT産業ぐらいしかない。サービス業ばかりで、相対的貧困者と格差が大問題になっている先進国である。サブプライムバブルや九年にも及ぶ紙幣大増刷・官製バブルなどなどマネーゲームで儲けて、日本やBRICS諸国相手の現物貿易収支大赤字をその分カバーしている。がこの国、戦争が流行ればその苦手な現物経済もなかなかの物なのである。兵器産業でいえば世界ダントツの実力があるからだ。貧乏な国、地域には、本来廃棄すべき多量の中古品などの廃棄料が収入に転化する。日本や石油成金国などには第一級の高価な最新兵器などなど。世界のどこかで戦乱が起こるほどにこの商売はいつも大繁盛だ。
 ところで、戦争は無くならないと語る人は当然、こう語る。「国が滅びないように、国土防衛が国として最大の仕事」。こういう人々が世界に増えるほど、貿易大赤字国の米国は助かる。いや、助かるという地点を越えて、今の米国は「テロとの戦い」とか、以前なら「共産主義との戦い」などなどを世界戦略としているからこそ、地球の裏側まで出かけていったりして、あちこちで戦争を起こしているのである。まるで、人間永遠に闘う存在だという世界観を広める如くに。失礼を承知で言うが、「人間必ず死ぬ。貴方も間もなく死ぬ」と大いに叫べば、葬式屋さんが儲かるようなものではないか。

 さて、戦争違法化が、二十世紀になって世界史上初めてその国際組織と法が生まれたりして着手されたが、地上から戦争はなくせるのだろうか。この問題で極めて簡単な正しい理屈が一つある。戦争はずっとなくならないと語る人は「その方向」で動いていると言えるのだし、なくせると思う人はそういう方向に「参加していく」のである。つまり、戦争が未来になくなるか否かという問題とは、人間にとって何か宿命的に決まっているようなものではなく、今及び将来の人間たちがこれをどうしようと考え、振る舞うだろうかという実践的な問題なのである。世界の政治課題というものは、人間が決めるものだと言い換えても良いだろう。ところが、人間が決めるものだというこの真理を意識せずして否定する以下のような「理論」に最も多く出会えたのだと理解してから、僕の頭はすっきりした。

 社会ダーウィニズムという今は誤りだとされた社会理論があるその現代版亜流の世界観が存在するようだ。「動物は争うもの、人間もその国家も同じだろう。そうやって、生物は己自身を進化させてきたのであるから」。この理論で言えば夫婦ゲンカも国同士の戦争も同じ(本質の)ものになる。そして、夫婦ゲンカは永遠になくならないから、戦争もそうだろうと、大威張りで確信できるわけだ。
『動物の争いは永遠になくならないのだから、人間も永遠に争うものである』
『人間は争うものだから、国家の戦争も無くならない』
 これが、ネット右翼諸氏の世界と政治を観る無意識の出発点なのである。最近、そう気付いた。対案はこれしかない。「二十世紀には人類史上初めて戦争違法化に向けた国際法、国際組織も生まれたではないか」などの歴史的事実と戦争はなくせるという世界観とを広めていくこと。その実を例え少しずつでも、粘り強く作り広げていくこと。


 以上ありふれて見えるようなことを書いたが、正面からは案外批判されてこなかった誤った戦争に関わる信念が巷に溢れていると言いたい。この日本には特に広く。集団主義ムラ社会の中で激しい競争を演じてきた団塊世代以降では、自然に持つ世界観なのかも知れない。

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「ネトウヨ諸君の常識」 (文科系)
2018-11-10 13:25:02
「動物は争うものだから、人間も争うもの」
「人間は争うものだから、その国家も争うもの」
「こうして、よほどのことがない限り、戦争は数千年も続くだろう」

 これが、ネトウヨ諸君の常識になっている戦争哲学。だからこそ、国家最大の役割が国防(と、外交)で、何を置いてもここは重要となっていく・・・。

 これが信仰になっているということが、題名の意味です。ネトウヨ諸君、胸に手を当ててよくご自分を振り返ってみて下さい。まー、今の日本が最も激しい集団主義競争社会になっているからこそ、そこから生まれる自然な発想なのでしょう。
 この「哲学」こそが、誤りの源と僕はここでずっと語ってきました。
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「逆の信仰」? (文科系)
2018-11-11 12:50:35
 こういうエントリーを書くと逆に、こんな反論がいつもありました。
「人間の事実として戦争が無くならぬものとすれば、戦争無くすは子どものような夢」
 こう語るときに、語る人のその前提、「事実」認識としてこの「信仰」がよく出て来ました。この信仰が事実になってしまう。事実だという証明はできていないにもかかわらず。そうしておいて、「戦争無くす」を人間の課題とする人々を「非現実的」と嘲笑うわけです。

 だからこそ彼らは、20世紀についに起こったこういう世界史的事実を何も観ようとしません。国際連盟や次いで国際連合という、「戦争を無くす」を人類史的課題とかかげた世界機関を作ったという事実を。
 確かに現在は戦争があります。が、あった物がなくなった例など、つまり人類が希望して無くした例など、つまり「現実が非現実になった例」は、世界史には無数に存在しています。奴隷制度、10数時間労働、勝手な首切り、移住の自由がない農民、裁判無しの私刑などなど。戦争がこういう例になっていかないという未来予測など誰にできるというのでしょう。

 戦争に関してはもう、普通の庶民は嫌っています。「戦争は悪」も既に常識。一部の為政者が、マスコミを握って国民を踊らせてやっているような特例のようなものになりました。「イラク戦争はアメリカ庶民が騙されて起こせたもの」とは、すでに世界中が知っていることです。シリア戦争も、アメリカ、サウジの介入がなかったら、起こっていないか、とっくに終わっていたか、というものでしょう。 
 戦争しない植民地主義の創出など、今のアメリカは実に情けない国になりはてました。
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