退職後も現役時代の延長のようにボランティアとして中国に通い続けているある友人から、中国茶を貰った。金属の小箱に「観音王」と書いてあるから、いわゆる鉄観音だろうという以外には何の知識も湧かないものだ。それが、もの凄く美味い。日本茶はもちろん、紅茶も中国茶もいろいろと試してきた僕として、即、礼状メール。
『今、連れ合いとお土産の鉄観音の方を飲んだばかりだ。中国流の「青茶」、半発酵茶として超有名なのだが、プーアルやジャスミンはおおいに飲んできたのに、鉄観音を自分で煎れたのは、実は初めて。ふたりで「美味いねー!」と言い続けている。僕の感じでは、青っぽい高貴な味は最高級煎茶と同じもの。それに、独特の発酵の若やいだ香りというのかが混じって、もう最高。加えて、さっきから既に同じ茶葉で五煎はやったんだが、あの大きな茶葉からはその味がほとんど無くならない。質問がある。中国のどの街の、どういう所で買ったの? それとも、有名百貨店などには大体売っている品物なのかな?』
対する友人の返事が、こう。
『中国茶の件、こちらこそ礼を言いたいくらい。というのはこれまで多くの友人に高級なお茶をプレゼントしたが、殆どの人はその価値を分かってくれなかった。こんなに喜んでもらったのは初めてでとても嬉しい』
あの茶自身への質問に友人が答えていないところを見ると、彼もあれの氏素性を知らないのだ。そこでまた、こんなメール。
『中国茶のことだけど、煎れ方までを説明できると貴方の友人にも良いのだが。(中略)あれはこんな感じかな。「茶葉はあの一袋が日本式高級煎茶湯飲みで二人分程度、九十度ぐらいにして、二分待つ」。中国では多分、熱湯を注ぐのだろうけどね。これで、一揃目は香りをかぐ程度のものになって、二揃目(これも心持ち湯冷ましする。三揃目でも僕は冷ますね)から俄然味が出て美味くなり、何回も煎れられる。お茶が上手くなるコツは、お湯を入れて待つ間に、ちょこちょこっと味見をしてみること。すると、「いま出す」「もうちょっと待つ」など、その茶の一番良い味が分かってくるのね。(中略)今後新しいお茶があったら「これどう出すの」と僕に聞けば、研究したげるよ。それから友だちにあげればどう?僕が得しちゃうけど、試供品程度でヨイからね』
こんな返事が返ってきた。
『おはよう。心にグッとくるメールをありがとう。味オンチの私にはこの鉄観音の良さが余り分かっていないようで恥ずかしい。でもこれだけ味が分かり喜んで頂ける人に飲んでもらうのは、このお茶にとっても幸せなことかもしれないね』
そこで僕は思い付いて、友人に頼るのではなく自分でこの茶の正体を調べてみた。
中国は福建省の安渓県鉄観音、中国最高の代表的な鉄観音である。缶を改めて読んでみたら米粒のような字でちゃんとそう書いてあった。さらに、ウィキペディアで、こんな事も分かってきたのだった。
【「安渓鉄観音──南岩鉄観音とも呼ばれる最も代表的な鉄観音である。福建省の安渓県を中心とした地域で生産されている。そのうちでも最上級銘柄として扱われるものに「正ソウ観音王」(ソウは木偏に叢)がある】
このお茶がまさにこの「正欉観音王」かどうかはさておき、僕も自分でこれを買おうと思って調べてみた。またびっくりなのである。この種のものを日本輸入店から買うとまず、百グラムが三千円~三千五百円とある。本当に驚いた。僕がつきあっている掛川の日本茶直売センターの最高級煎茶でも二千五百円。これはずば抜けて高くって一度しか買った事がない。僕の普段のは、玉露以外なら奮発しても千円なのだ。
さてさて、ここまで訊ねたらもう現物探しというわけで、デパートへと繰り出した。結果を先に言うと惨憺たるものだった。先ず三越に行って二店二種あったうちで、期待薄を承知で一品購入。松坂屋はそれより高価なのを試飲させてくれたけど、一口飲んでサヨウナラ。仕方がないので足を伸ばして、高島屋。ここは三種あって、先のネット・カタログよりも高い「王級 鉄観音」というのを三十グラムだけ買ってきた。すぐに二つを飲んでみたが、前者は問題外、後者も今一歩。鉄観音には清香と濃香の二種があるらしいが、僕が好きなのはどうも焙煎の薄い清香の方らしい。そして、これがべらぼうに高いらしい。頂いたものは、本物の「正欉観音王」かも知れないなんぞと、そんな気もしてきたものだ。
さて、以上の一部始終を友人にメールでお知らせした。そして、こんな言葉で締めくくった。
『僕は、自分の舌に自信を持つことができて、それが嬉しい。二千年を遙かに超える茶の伝統がある中国の歴代生産者たちを訪ねていったような気もするしね。その最高傑作のことを、あれこれいろいろと、尋ねてきたような』
(2011年3月、同人誌に初出)
食は芸術です。家庭料理でも、作る方も食べる方も拘りを持って臨んで来れば。家庭の何気ない食卓会話なんかでもね。視覚芸術、聴覚芸術と同格の「味覚、臭覚の芸術」。ちなみに、(シャトウ)ワインなんかは「芸術でしょ」と言えばほとんどの人が肯定するはずだ。美術や音楽以上に、人生を楽しませてくれているものだし。