このたびのコロナ下五輪は、国家の大罪、それ以上に国家破綻を示したものである。
先ず何よりも、国家とは何か。国民の命や財産などを守り、その福祉の増進をはかるべく、国民が国家三権を選び、それに必要な資金を税金として納めている一定領土を持った人間組織である。こういう国家の根幹に関わる問題提起として、政府によるこのコロナ下五輪強行開催に対しては種々の抗議がなされてきた。
「こんな国家緊急事態の今、国民多数の命を賭けてまで五輪を強行する意味は一体何なのか」
政府はこの声に対して常に、五輪の一般的意義に付け加えてこう答えてきただけだ。
「安心安全第一にやる。コロナに打ち勝った証にしたい」
さて、政府の「こういう実験、賭け」は、全く裏目に出た。五輪が終わった日本の発病状況は過去最悪に、例えば8月12、13日各1日の死者は24人、25人となって、まだまだ増えていく見通しだ。国家首班が約束してきた「安心、安全」は、最悪の事態を迎えたのである。2人殺してもまず死刑になる日本国家という仕組の下で、この事態。管首相は今、一体、これをどう弁明するのか。「コロナ爆発は、五輪とは関係ない」などとの声も聞くが、そもそもこの事態に対する責任を感じているのかいないのか、それすらも分からないのである。去年の春安倍首相は「日本人の公衆道徳」を世界に吹聴していたものだ。そういう国民を頼りにしただけのような賭けがもたらした死者、発病者。この状況は、無能を通り越して、敗戦同様の国家破綻と言える。