松美の言絵(いえ)

私は誤解されるのが好きだ。言い訳する手間が省けるから。

日本を攻撃する、第3の兵器「スマホ」

2015-01-26 08:47:16 | 日記・エッセイ・コラム

 全国一斉学力テストで、いつも上位にいる秋田でも、最初から噂になっていた辺ぴな村がある。それは蔵の町で注目度が上がった増田よりさらに奥の東成瀬村だ。ここの小学生と中学生は全国でもトップクラスの学力を持っている。私は高校で仕事をしていたので、何でこういう子供たちが、高校に入ると急にレベルがダウンするのかと、良く言われるのを聞いたし、自分でも不思議だった。考える力の優れた中学生は、あの地区ではおそらく湯沢高校へ向かう。中には下宿しても横手高校へ行く生徒もいるだろう。両校とも秋田県では「進学12高校」に入っている。私のいた潟上市の高校も、その中に入っていた。これらの12高校は連携を取って、大学進学に力を入れている教育委員会の目玉商品でもある。だから予算をとって有名予備校の優秀な講師を、旅費と講義に掛かる経費を気前よく支払って学校へ呼んだりしている。

 退職して何年もなるから、今もそうかは分からない。しかし何が問題なのだろう。何が中学生と高校生の間のギャップを作っているのだろう。ひとつ思い当たることは、高校での授業は大学進学用のカリキュラムに特化している、ということだろう。前期はそれでも高校生らしく学校行事は結構盛り沢山ある。遠足がなくなったくらいだろう。そのかわり後期は勉強に専念する。もちろん一年を通して模試のオンパレードだから、その都度12高校のデータが比較検討される。そこで自分の学校は、各教科の偏差値によって集団がどこにいるかが分かる。その塊を一歩引き上げるために、先生方は持てる力を捧げる。

 そういう環境で、自分の学校に特色を持たせようと校長は日々考えているはずだ。中心部から離れた普通高校に、何ができるだろう。どういう魅力を造れば、中学生は入って来たくなるだろう。あの中にいて、考えても、私には浮かばなかった。今なら浮かぶかと言って、そういうわけじゃないが、気になることはある。それは高校生になったら、スマホは必携のアイテムになる、ということだ。前に誰がいるかも分からないほど、画面に熱中している姿が浮かぶ。おそらく勉強以外の興味の大半をスマホに費やしているのではないだろうか。この興味というのは、何かを学びたいという興味ではない。義務教育で何かを学ぶことの好奇心を育てたはずの生徒たちが、そのエネルギーを無駄に消費している。これは誰が悪いという問題じゃない気がする。日本人に特有の、ある意味「全体主義」みたいなものではないだろうか。他の国の子供たちが、歩きスマホで交差点でぶつかる姿を想像できない。これは日本に仕掛けられた「第3の兵器」かも知れない。

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男鹿の寒風(さむかぜ)

2015-01-25 10:30:01 | 日記・エッセイ・コラム

 男鹿の寒風に当たってきました。どっかで聞いたようなタイトルだなあ。菅江真澄が使っていたかも。

 ここは船越水道。唯一の八郎潟から海へつながっている場所。の、防潮水門。

 夕日に映えて、きれいでした。

 いきなり変わって、船川の上半分。伝説の二人に遭いました。連れが「男鹿の松田聖子」だって言うから、あのテレビに出た、スーパーアマノで演奏しながら漬け物を売る名物おばさんだと思って、歌を聞いていると、選曲は非常に良かったのに、しょっぱなから外しまくって、聞いている方が音痴になりそうな物凄い外れ方なのでした。それで、これは別の聖子ちゃんだと知りました。もう一人のオジサンは初対面のボクに、

このような物をくれたので、いい人だと思い、カラオケの選曲も渋くて、ビブラートが効いて、独自の解釈で歌うなかなかの方だったので、その旨褒めると、1曲で帰るはずの人がもう1曲、もう1曲と二人して盛り上がっていくので、手を付けられなくなって、友人に「すまん、オレが乗せたのが悪かった」と謝って、次に向かいました。

 寿司陣さんでは、ハタハタ寿司に、ホヤに、ナマコに、柿漬けに、いぶりガッコその他熱燗3本で、二人で4千円でおつりがきました。

ホヤは日本海産で、三陸より小ぶりで柔らかく、まるで女性の・・・ようでした。また言うのか、と止めに入る連れでしたが、きれいな姉さんの前でまたも言ってしまいました。酒の力は偉大なり。アッラーの神よりも。

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即身仏、その稀有な修行。

2015-01-24 09:23:33 | 日記・エッセイ・コラム

鶴太郎が江戸時代について、色々教えてくれるので、生き生きとした庶民生活が大分分かってきたということがある。浮世絵は世界で最初に庶民の生活を描いたものだし、和算始め最先端の学問・芸術が花開いた時代であったことも事実だ。しかしその頃も、江戸から遠く離れた地方では、飢饉があり、疫病が流行り、人々は助けを求めていた。なにも変わっていないのである。今と。

 オリンピックで大盛り上がりの首都圏に対して、地方は閑散とし、就職する工場もない。メイド喫茶も無ければ、コンサートもめったに来ない。都会と地方の格差は、いつの時代も存在するのだ。米沢藩のような稀なケースもあるが、それも上杉鷹山が立ち上がってから以後の出来事だった。

 同じ山形県に、即身仏が圧倒的に多い。今、日本で祀られているのは17体。その半数以上が江戸時代の山形で生まれた。それは霊場として各地から修行に訪れる出羽三山があったことも大きいが、修行僧に救いを求めた庶民の存在も大きかった。

 山形から最も近い、新潟県村上市の観音寺に最後の即身仏が祀られている。仏海上人は明治36年までこの村の人々を救い、即身仏となった。即身仏のメッカは湯殿山・注蓮寺だが、つらい修行によって初めて資格が得られる。そこでようやく準備に入る。まず「五穀断ち」。米や麦を断つこと数年。次に「十穀断ち」。芋・小豆などの穀物を断って数年。最終的には木の芽や草の根。栗・クルミ・栃・銀杏・ブナ。これを木食(もくじき)行という。脂肪を落としミイラ化しやすい身体を作るためだ。仏海上人は35才で始め、40年以上続けたそうだ。最終段階では毎日、漆を1匁飲む。身体が腐るのを内側から防ぐためだ。漆職人でさえ、かぶれるものを身体に入れる。全身かゆくてどうしようもないらしい。そして信者に見送られながら土中入定。竹筒を差し込み、空気と食物を送りながら、鐘の音が止むまで続けられる。止んだら掘り出し、湯かん(納棺前のお清め)して祀る。信者はその湯を全部飲んだそうだ。なぜ飲むんですか?と野暮な質問をしたら、「ありがたくて」という返事が返ってきた。

 昭和35年に日本ミイラ研究会という団体が、6体の即身仏を調査し、それからこの恐るべき実態が世間に公表された。なぜ、湿気の多い日本でミイラ化できるのか。なぜ、座ったままの姿勢を保っているのか。

 ゆうべ眠れなかった。暗い土の底で、座禅を組んだスペースしかない木の箱に収まり、命が枯れるまで鐘を鳴らしお経を唱える。もう声は出ないのかも知れない。鐘を打つ手だけが動いている。即身仏は衣をまとっているために、顔と手しか見えない。目は落ちくぼみ、顔は骸骨のようだが、手はしっかり残っている。残って黒光りさえしている。即身仏。世界に類を見ない修行だと思う。

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和時計、まだ元気。

2015-01-23 12:19:33 | 日記・エッセイ・コラム

 いわゆるクラフトマガジンというジャンルがある。創刊号が半額とお買い得となっているやつで、今CMで見るのはF14トムキャットとジッポーライターだ。蒸気機関車や戦艦ヤマトなど、おとながハマりそうなものを、うまく宣伝している。今まで唯一購入したのが和時計で、完成したのが2年前。

 和時計の魅力は、語れば長いので、要は生活のリズムがオレと同じだということだろう。おてんとさまが昇れば目が覚めて、陽が沈んだら寝る。これですよ。絶対、からだにいい。ところがこれが動いてからが大変だった。日没に、ちょうど6回鐘を鳴らすために(暮れ六つに合わせるために)天符の分銅を調整するのだが、うまく合わせたと思っても、日没の時間は変わっていく。でも1年目は、そうやって昔の江戸時代のカラクリ時計職人が行っていた同じ苦労をしている実感があった。さすがに2年目に入ってめんどくさくなってきた。そばに置いて、寝起きを共にしているもんだから、湿気はあるし、日光は当たるし、だんだん不正確になってきて、ついに止まった。良く動く天符の軸に油を差したら動いたが、それからは寒暖差の少ない空き部屋にした。ただ動いていてさえ、くれたらいいと考えるようになった。それでも手の掛かる時計なのだから。動力用と時打ち用の2本の錘があるからだ。これを一日2回、戻し錘を引っ張って、揚げてやる。

 大抵のシリーズは、ミニチュアで、本物を作るわけにいかない。これは本物とは言えないかも知れないが、限りなく本物を忠実に再現した「復刻版」だ。そして時間の経過と共に貫禄が出てきた。 なお、銅線をくるくる巻いているが、これは天符の動きを制限するための苦肉の策で、本当ならガンギ車の歯を一枚一枚削って調整できるのだが、私はあいにくそれほどマメな人間ではない。

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雪の中のミュージアム

2015-01-22 14:51:10 | 日記・エッセイ・コラム

 ガソリンの値段が止まらない。先週、128円で入れて、威張っていたところ125円というスタンドがあった。この分だと県北では110円代で売っているのじゃないだろうか。いったいいつ補給したら経済的なのだろう。常に「今より高い」ガソリンで走っている。何も考えず、空になったら満タン入れましょう。きりがないから。

 雪の中の彫刻群を歩く。自分の前に一人だけ、巡っている人間がいる。足跡から分かる。やはりカメラを持って歩いているんだろうか。

 積雪が少ない分、割と楽に歩けるが、それでも埋まるから平地のようにはいかない。結構な運動量だ。

 誰もいない所を歩くのは勇気がいる。この前、側溝にズボリはまって、すねに怪我した。

 重量感あふれる石の彫刻。撮影後、曇ってきた。雪国の晴れ間は貴重だ。だから晴れの日は外へ出たくて落ち着かない。

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