松美の言絵(いえ)

私は誤解されるのが好きだ。言い訳する手間が省けるから。

即身仏、その稀有な修行。

2015-01-24 09:23:33 | 日記・エッセイ・コラム

鶴太郎が江戸時代について、色々教えてくれるので、生き生きとした庶民生活が大分分かってきたということがある。浮世絵は世界で最初に庶民の生活を描いたものだし、和算始め最先端の学問・芸術が花開いた時代であったことも事実だ。しかしその頃も、江戸から遠く離れた地方では、飢饉があり、疫病が流行り、人々は助けを求めていた。なにも変わっていないのである。今と。

 オリンピックで大盛り上がりの首都圏に対して、地方は閑散とし、就職する工場もない。メイド喫茶も無ければ、コンサートもめったに来ない。都会と地方の格差は、いつの時代も存在するのだ。米沢藩のような稀なケースもあるが、それも上杉鷹山が立ち上がってから以後の出来事だった。

 同じ山形県に、即身仏が圧倒的に多い。今、日本で祀られているのは17体。その半数以上が江戸時代の山形で生まれた。それは霊場として各地から修行に訪れる出羽三山があったことも大きいが、修行僧に救いを求めた庶民の存在も大きかった。

 山形から最も近い、新潟県村上市の観音寺に最後の即身仏が祀られている。仏海上人は明治36年までこの村の人々を救い、即身仏となった。即身仏のメッカは湯殿山・注蓮寺だが、つらい修行によって初めて資格が得られる。そこでようやく準備に入る。まず「五穀断ち」。米や麦を断つこと数年。次に「十穀断ち」。芋・小豆などの穀物を断って数年。最終的には木の芽や草の根。栗・クルミ・栃・銀杏・ブナ。これを木食(もくじき)行という。脂肪を落としミイラ化しやすい身体を作るためだ。仏海上人は35才で始め、40年以上続けたそうだ。最終段階では毎日、漆を1匁飲む。身体が腐るのを内側から防ぐためだ。漆職人でさえ、かぶれるものを身体に入れる。全身かゆくてどうしようもないらしい。そして信者に見送られながら土中入定。竹筒を差し込み、空気と食物を送りながら、鐘の音が止むまで続けられる。止んだら掘り出し、湯かん(納棺前のお清め)して祀る。信者はその湯を全部飲んだそうだ。なぜ飲むんですか?と野暮な質問をしたら、「ありがたくて」という返事が返ってきた。

 昭和35年に日本ミイラ研究会という団体が、6体の即身仏を調査し、それからこの恐るべき実態が世間に公表された。なぜ、湿気の多い日本でミイラ化できるのか。なぜ、座ったままの姿勢を保っているのか。

 ゆうべ眠れなかった。暗い土の底で、座禅を組んだスペースしかない木の箱に収まり、命が枯れるまで鐘を鳴らしお経を唱える。もう声は出ないのかも知れない。鐘を打つ手だけが動いている。即身仏は衣をまとっているために、顔と手しか見えない。目は落ちくぼみ、顔は骸骨のようだが、手はしっかり残っている。残って黒光りさえしている。即身仏。世界に類を見ない修行だと思う。

コメント (2)
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