棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

りゅう王丸作品展 7月28日-8月1日

2010-07-21 09:04:59 | 山郷の暮し
何という戦争なんだ 1985年 f100 油彩
1970年ベトナム戦争は拡大し、米軍はカンボジアまで侵攻していった。
米国がまさに泥沼に入ってゆく中、日本では軍需景気で湧き上がり「大阪万博」でうかれていた。
そんな日本であったが、アフリカでは民族間紛争が拡大。特にビアフラは生活物資も途絶え、餓死する子供たちの写真が次々と報道された。
(後で暴露されたことだが、時のビアフラ政府の為政者たちの情報操作で、国際援助を受け莫大な利益を得て取得していたらしい)
その後ビアフラばかりでなく、民族間紛争は絶えることなく勃発し、そのたびに弱き市民が犠牲になってきた。

85年、アメリカのミュージシャンが立ち上がり、アフリカ飢餓旧救済チャリティー・コンサート WE ARE THE WOLD あった。
今こそあの声に身を傾けるんだ 
今こそ世界が一段となって
人々が死んでいく 命のために手を貸すときが来たんだ

飢餓状態の子供たちの姿は、インドの旅で数多く観てきたが、正直わたくしにはどうすることもできなかったジレンマがあった。
(心に残るとっておきの話・潮文社--インドにて--記載)
ならば、その子供たちを真正面に捉えようと、激しい憤りを持って描いた。
しかし、政治色が強すぎると中央画壇からは冷遇され、画壇と決別するきっかけになっていった。
自分が目の当たりにしたリアリティーをベースに、真の告発・叫ぶ創造えとなっていった記念的な作品です。

別所温泉の雨乞い神事-2

2010-07-20 07:51:30 | 山郷の暮し
昨日は夏本番の猛暑で熱ッカタ!!今日も同じように暑い一日になりそう。熱中症にはきお付けないといけません。

竜神さんに赤い腰巻チラチラさせて・・などと罰当たりなことを言いましたが、ナニセ私は全ての世界(丸)の龍のなかの王様でございますので多少の暴言はおゆるしあれ・・。
大人のかつぐ幟旗ばかりでなく、子供達によるささら踊りやお囃子が着いてまわる。
本来は別々の行事だったのでしょうが「幟旗だけじゃー芸がねーから、ほれ!あそこン所のボン祭りを一緒にするじゃーねえか」と話し合ったかシリマセンが、ともかく合体したのだ。
ところで写真のハッピに書かれている文字が読めますか???
読めたらウソッーーとなってしまいます。
雨の下に口が三つ。さらに龍がついた一字で、まるではんじ文字です。正解は「おがみ」意味を知る人にあいませんでした。500年の年月は本来の意味が不明になってしまうのはショウガネーズラ。
別所温泉街は谷あいの小さなところで、ごちゃごちゃしているが、ひなびた感じがゆったりとさせる。

人入れで成功した派手な観光地より、数箇所在る外風呂は150円と「安いナーーー」と心から思う。
外の腰掛で涼みながら一杯はモーーーー最高です。
アレ!!雨乞い神事の話の予定でしたが、温泉に入ってグビーーーと飲んだほうが強く心に・体にしみ込んでいます。

7月28日--8月1日 りゅう王丸作品展--人類の愚行を描いた40年
松本市美術館
企画展示 出光美術館名品展--日本の美--平安から昭和まで 7/4--9/5

お祭りでの幼児をも含めた女の子に、正直ゾクッとするイロケをかんじることがあります。

梅雨明け--雨乞い神事

2010-07-19 07:48:46 | 山郷の暮し
ギラギラなお天道様!! 梅雨があけ一気にNATU-夏になりました。
友人から別所温泉の500年続く雨乞い神事を見に行こうと誘われた。
別所温泉郷へは我が家から、東山を越えた東信州地域。
三才山トンネル経由で40分ほどのひなびた温泉郷で「信州の鎌倉」と称していますが、なぜ鎌倉をかぶせるのか、なんともわからない。
まーーこの温泉郷に在る「北向き観音堂」や寺社が多いのでそういうのであろうが、あまりにも違いますが・・・。
なんてケチをつけたことを言ってしまいましたが、目的の神事は国選択無形民俗文化財と漢字がいっぱい並ぶしろもの。
谷のどん詰りにある おがみだけ(夫神岳)めがみだけ(婦神岳)にすむ龍神さんに雨乞いをしたことからはじまるらしい。
上田市の西山沿いに在る別所温泉からの一帯は塩平といい、雨量が少なく(年間1000ミリ前後)ため池がたくさんある処。
雨乞いも単に祭りやお遊び事ではなかったのでしょう。
さて神事の詳細は、各自作られた幟旗行列だが、昔は布団生地や古布などではなかったろうか。
旗には赤布が必ずあり、その起源は赤い腰巻ではなかったかと推測しましたが・・
龍神さんに赤い腰巻をちらつかせ、雨をもたらしてもらったのか。となると、山の名前が夫・婦かついているとチットちがうか。
それとも、龍のカーチャンに焼餅を焼かせるか、男龍をその気にさせるか、ともかくひと暴れの結果大雨になる。てなことに。
今年は、例年になくいい天気でよかったと、おバーちゃんが話してくれました。

別所温泉の岳の幟(たけののぼり)が正式な名称で、私の思いつき発想の感想では心もとないので
http://uncletell.cool.ne.jp/take0707.htmをごらんください。

朝8時、最上の集落で出番を待つ幟旗の一行 谷から上田市内が見える


当たり前かもしれないが酒ッケがまったくない・・・
まーー酒の上がらぬ神事もあってもいいか・・・・

りゅう王丸作品展 7月28日-8月1日

2010-07-17 08:30:18 | 山郷の暮し
昨日の夕方はすばらしい入道雲が湧き上がり、あふれ出たエネルギー波を受けながら一杯。ヒグラシのちょっと寂しげな鳴き声、きらめく稲妻。なんといってもこれからは、この時の一杯がたまらなくいい。
痛風の気がある私はビールは厳禁であるが、冷えたビールはウメェーー。
最近は発泡酒でもケッコウ美味いのがあって助かる。
今日もその時を楽しみに一生懸命(大嘘なんですけど)動きましょう。
さて、作品紹介は1986年製作「月下炎上」
歴史における東大寺の炎上を舞台に、人間が創造した事々のもろさの反面、永遠性を月の姿で現した。



りゅう王丸作品展 7月28日-8月1日

2010-07-16 10:58:24 | 山郷の暮し
今日は日の出から気温がぐんぐんあがり、水蒸気が立ち昇る蒸し暑い一日になりそうです。倒れてしまった花木などに添え木をしなくては・・・。
先に紹介した1970年代に描いた「酷暑の不安・F20」を1984年に出品のためにさいど描く。
「記憶の歪 F100-130X160cm」
記憶は時とともに変質してゆくことの恐ろしさを表した。
戦争の愚行も歴史のかなたにおいやられ、時には美化する動きさえでてきます。
真正面からその事を捕らえなくてはなりません。

けったいなキノコが・・・

2010-07-15 08:41:59 | 山郷の暮し
連日の大雨でヒヨロヒヨロと伸びたヒマワリや葵などの背高植物は、倒れてしまった。
草生い茂るの我花畑に、ケッタイナきのこが生えていた。
黒褐色の液体はナンとも嫌なにおいがし、ハエが群がる。
蔵書の厚さ1センチほどのキノコ図鑑には記載されていないが、たぶんアカカゴタケ科サンコタケ属であろう。
といっても面白くもないが、毒キノコではなく、中には珍味なキノコも在るらしい。
決して珍しくはないキノコだそうな・・。
悪臭によってハエを集め胞子の散布をはかる、虫媒体制のおりこうサンらしい。
この悪臭だが、コンニャクイモの花とよく似ていて(これも凄い悪臭で、花の形は水芭蕉をどす黒くした感じ)、いちどかげばモーーーいいです。
そんなニオイでゴンス。
ついてですが、私が本物を観たいキノコがあります。
キヌガサタケという、キノコの華・女王とも称されるキノコです。写真を観ただけで、貴婦人を思わせる姿です。
乾燥したものは中国料理で珍重される食材です。

りゅう王丸作品展 7月28日-8月1日

2010-07-14 08:33:52 | 山郷の暮し
何という戦争なんだ 1985年 f100 油彩
1970年ベトナム戦争は拡大し、米軍はカンボジアまで侵攻していった。
米国がまさに泥沼に入ってゆく中、日本では軍需景気で湧き上がり「大阪万博」でうかれていた。
そんな日本であったが、アフリカでは民族間紛争が拡大。特にビアフラは生活物資も途絶え、餓死する子供たちの写真が次々と報道された。
(後で暴露されたことだが、時のビアフラ政府の為政者たちの情報操作で、国際援助を受け莫大な利益を得て取得していたらしい)
その後ビアフラばかりでなく、民族間紛争は絶えることなく勃発し、そのたびに弱き市民が犠牲になってきた。

85年、アメリカのミュージシャンが立ち上がり、アフリカ飢餓旧救済チャリティー・コンサート WE ARE THE WOLD があった。
今こそあの声に身を傾けるんだ  今こそ世界が一段となって 人々が死んでいく 命のために手を貸すときが来たんだ
飢餓状態の子供たちの姿は、インドの旅で数多く観てきたが、正直わたくしにはどうすることもできなかったジレンマがあった。
(心に残るとっておきの話・潮文社--インドにて--記載)
ならば、その子供たちを真正面に捉えようと、激しい憤りを持って描いた。
しかし、政治色が強すぎると中央画壇からは冷遇され、画壇と決別するきっかけになっていった。
自分が目の当たりにしたリアリティーをベースに、真の告発・叫ぶ創造えとなっていった記念的な作品です。

小かえるピョンピョン散歩道

2010-07-13 07:39:29 | 山郷の暮し
今日も朝から雨降り100%。さすがに窓を全開できず、空気が思い。
傘をさしてまでの散歩はする気もなく、サクラも恨めしそうに上目ずかいで私を見る。
面倒だから離してやると、最前のしょぼくれた様子は一変し、雨の中をすっ飛んでいった。
雨で流れ出た土や落葉に雑草がおい茂った散歩道は、カビのニオイがたちこめている。
コンナ道にはさしもの蛇もイヤとみえ出会うことはないが、孵ったばかりの小指先ほどのアマガエルが跳ね回っている。
踏みつけてはいけないとさけながら進めば、その足元にピョン!!。
長靴底から伝わってくる感触に、奥歯からなんとも苦いツバが染み出てくる。
処によってはカエルの数が減っていると聞く。また地域の固有種が混ざり合っているらしい。
それは、「かわいいーー」と簡単に連れ帰ったり、離してしまうことに在ると、保護委員から聞いたことがある。
先月のことだが「シュリーゲル・カエルの卵を見つけ、もーーうれしくて!!」と、泥んこだらけの満面のオッチャン。
特別な品種でも無さそうだが・・・。
水槽から飛び出たカエルちゃんたちで、たぶん、カーチャンのお小言をくらっていることだろう。

りゅう王丸作品展 7月28日-8月1日

2010-07-12 09:09:24 | 山郷の暮し
昨夜からの降雨はかなりの量になっています。
朝の散歩はサクラのオシッコだけで、選挙結果と、ワールドカップ・スペイン優勝TV視聴にしました。

個展の展示作品を紹介いたしましょう。
我々の年代の者は、ベトナム戦争・安保闘争・学園紛争、そして高度成長にまっしぐらに突き進んだ日本。あらゆる事々の矛盾を、ごった煮したままの社会状況に戸惑いながらも、そのうちに全てをOKにしてしまった日本。
無節操とも思える、そんな世相の一員だったのです。
酷暑の不安F15
1970年代は激しい制作欲で製作年号が書かれていない。
そんななかでこの習作は1970年と署名された数少ない習作です。
もう40年も昔になるのに、この製作時のことがはっきりと目に浮かびます。
長いブロック塀が伸びる人っ気のない道は、8月の酷暑に白色に輝いている。
奇妙な静けさの中、カラカラと三輪車を懸命にこぐ女の子(この子は近くの女です)。
ナンとも不思議な空間に筆を執った。
1984年にF100(130x160cm)に描くことになった。



今日は参議院選挙の投票日

2010-07-11 10:41:36 | 山郷の暮し
昨日とはうってかわってどんよりとした梅雨日です。
今日は投票日で、もうおすみですか。私は前回と同じく期日前投票をすませました。
そこでチョットおもしろい事があったのでお話をします。
市役所での投票は、早い時間であったのか、私一人だった。
投票用紙に思い当たる党を記述したのですが、書き直そうと指にツバをつけてゴシゴシ。
その上に記載しましたがド--モ読みにくい。そこで「消しゴムはありませんか」と受付嬢に・・・。
あわてて消しゴムを見つけ出してくれたが、奥に坐っていた選管のオッチャンがやってきた。
「横線を引いて横に書いてください。消しゴムは禁止されています」と。
良く考えてみれば当然かもしれないが、わが投票用紙は黒々と汚い。
「コレでだいじょうぶですかねーー」と大して気にもせずに見せた私。
一瞬面食らったオッチャンは「読めます。だいじょうぶですよ」
「だいじな一票ですからねーー。書き直すからもう一枚というわけにも行かないし・・・」
皆で笑い出してしまいました。 おしまい

ryusun

つぶやき

絵本と無縁になった大人に

子供たちに向けたというより、内なるものを呼び覚ます大人への絵本