オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

初夏の陽ざしの下・・・

2019-06-03 | Weblog

6/3(月)六時前に目覚めたが、起き上がったのは七時になっていた。そこから台所に入り、弁当作りを始めたのは日課そのもの。目覚めてから弁当のメニューを考えていると、五目チラシ寿司が浮かんだ。チラシ寿司と云っても土佐風の柚子酢を使う田舎チラシであるが。

菜の方も和風にしたかったが、一品だけ昨夜のうちに決めてのがあった。「ピーマンの肉詰め」と云うやつだ。これだけは外せなくて作ることにした。他には、イカと胡瓜・若布の酢物、小松菜煮、焼きナスを二本などであった。

五目チラシは具を煮たり、錦糸卵を作ったりと意外と手間を喰うのだ。具は、急な思い付きなのでレンコンも干ぴょうもなくて、ニンジン・ゴボウ・薄揚げにゴマと刻み大葉と生姜、最後に焼鮭をまぶした。土佐の田舎では、焼鯖をほぐして加えたりするのだ。

       

こんな塩梅で、なんとか弁当二つを仕上げることができた。

           

先週から義母が隣駅に居る妹の処に行っている。そんなことで、作った菜は余りぱなしなので、小生が頂くことになる。となると、ビールのお供が必要になり、今朝もそんなことになった。素浪人の分際で、朝からビールとは些か気が引けるが、さらに朝風呂となるので「小原小助さん」だ。が、朝寝、朝酒、朝湯が大好きで、身上潰したと歌われたこの人のことは、今や誰しるだろう。

そして時計の針は進み、昼前となった。前日に孫のSORAに約束したゼリー作りに着手した。大きめの鍋にたっぷりと湯を沸騰させてから、田舎で買い込んできた天草を入れて暫し煮込む。

                 

萎びてきた小夏もミキサーで潰して小夏ゼリーに。コーヒーを入れたコーヒーゼリー、プレーンなゼリーと三種を完成させた。大げさな言い方ながら・・・。

           

上手く固まってくれるかと、特にコーヒーゼリーの方を心配しながらタッパーに注ぎ込んだのであるが・・・。外出から帰って確認すると、完璧に仕上がってました・・・

 

 — 初夏の陽ざしの下で・・・ —

午後の太陽が西の方に寄った時間となってから外出。初夏の陽ざしが照る中を、先ずは地元の郵便局にて書類手続きをすませてから、芝・大門駅へとメトロを乗り継いだ。「芝榮太楼」で、最中の江の島を贖う目的で。

先週、高松蕎麦店でこの最中を頂き気に入った。熊本の畏兄、SATOさん夫妻が交通事故に遭遇し、車が前後から挟まれて大破した。幸いにも打撲ぐらいで済んだとFBで知った。なかなかの悪運、強運の持ち主である!。ともあれ、信心深い方なので神のご加護であろうが。

信心なき吾だが、その運にあやかるべく、見舞いの品でもお送りして運を頂こうと云うセコイ算段をしたのだ。そこで思いついたのが、旨かった芝榮太楼の最中である。

昨日の日曜日に向かうべく、お店に何度か電話をしたが繋がらなかった。今日の昼前に繋がり、大よその場所を確認しての出撃であった。

 日比谷線六本木駅で都営大江戸線に乗り換えたが、日比谷線から大江戸線への乗り換えは長~いエスカレータを何度か乗り継いで、果てしなく地下へ下へと降りてゆく・・・。

その長~い移動中に、かってこのエスカレータで上下のすれ違い様に知り合いの誰かと遭遇し「おお~」と手を挙げた記憶が甦ったが、果たして誰であったか思い出せない。代わりに、六本木とはすっかり縁がなくなった今と対比するように、かつて縁が濃かった頃の六本木が浮かんだ・・・。

友人との待ち合わせは青山書店が多かったこと、日東ビルの裏に在った「禅」の全盛期、ロアビルやその前のビルのクラブを梯子した時代。ゲイクラブの老舗「ママひげ」や、転換手術をした姐さんが多かった「プチシャトー」。防衛庁脇のクラブで出会って以来、馴染みにしていながら自死した姐さん・・・。

唯一遅くまで開けていた芋洗い坂の蕎麦店「油や」で、遅い時間にざる蕎麦を啜りながら「〆にはラーメンももいいが、蕎麦もいいよな」なんて言った時代のこと。

思い返せば、ここで遊んだ期間は精々5~6年ほどであったろうが・・・。長い長~いエスカレータを下りて行く間、そんな時代が甦っていた。これも、自宅から郵便局、そして最寄り駅まで歩いた短いながらも夏の陽ざしを浴びて、虫干しされた所為であろうか。

 

大門駅A5改札から、芝神明通りを行くとすぐの左手に「芝神明社」のコンクリートの大鳥居と、社に上がる急な階段、その上に大きな構えの社殿が目に入った。これが彼の芝神明かと、初めて目の当たりにしたのであった。吸い寄せられるように社殿へと向かった。

              

大きな階段を上がり、意外と狭い境内には参拝者は二人、賽銭を用意して参拝の順を待った。私の前のズボン姿のご婦人は深々と頭を下げ、大きな柏手を打ってから手を合わせたまま頭を垂れて一心に願いことか・・・、これがまた長~い。六本木のエスカレータ如くに。

漸く空いて神前(賽銭箱前だね)に。さて、願い事?何にも考えてない。何をお願いしょうかと思ったら、先週手術をして入院中のスタッフのRIE嬢のことが浮かんだ。RIEの快癒をお願いした次第である。ついでに、昨日の安田記念競馬で大漁を逃した我が博運の向上も少しばかりお願いした次第である。

話が長くなるばかりで、中々目的の「芝榮太楼」に辿り着かないが・・・。大鳥居を後にしてから、ものの一分か目指したお店が在った。

先客は一人、その買い物が済む間にショーケースの中から意中の「最中 江の島」を見つけていた。命名は明治の文豪、尾崎紅葉先生であると記されている。これは歴史が古い・・・・。

買い物ついでに少し店のことを訊いた。なんと、創業は明治で、120年の歴史があるとのこと。初代が日本橋・榮太楼の職人だったそうで暖簾分けを許されて、芝神明門前に店を構え「芝榮太楼」を名乗ったと云う由来。

と云う次第で、榮太楼の缶入り黒飴があったのでこれも買ってしまった。店の女店員は、若いながらもは柔らかにハキハキしており好感が持てた。これなら、どんなものも美味しいであろう。そう感じさすものがありました。

 

偶にはよその町を歩くのもいいものです。そんな思いがした、初夏の陽ざしの下での外出だった。これも偏に、SATOさんの悪運・強運・ご加護だったようだ。

 

 

 

 

 

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