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Y男の日誌

映画を見た、本を読んだ、どこに行った、何か考えたなどなどのY男の行動記録。政治の話題も。暇な時にしかアップロードしない。

勉強するために

2005-10-03 13:24:16 | Weblog
部屋に本とCDがたまっていく。CDラックはロフトで買ってきたものだ。300~400枚収納出来るはずだが、既にあふれている。行き場のないCDが机や食卓に積み上げられていた。CDを床に置くのは気が進まず、その結果高いところが占領される。代わりに床には本が重ねられずに放置されている。
俺は片付けが大の苦手で、どうしたら良いのか悩む。もう既に、部屋のキャパを超えた量なのだろう。かといってすぐに広い部屋に引越しは出来ない。今日のところは、日本人の歌手のCDを紙袋に移して、台湾の歌手のCDをラックに納めた。日本人歌手のCDは聞かないのだ。
これで机が使える。
何ヶ月も机を使っていなかった。普通話の参考書、TOEICの問題集も買ってある。あとはやるだけだ。
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北京語

2005-09-02 13:53:41 | Weblog
繁体字で北京語を学びたいが、そういうテキストが見当たらない。中国本土はもちろん簡体字。シンガポールも簡体字だという。臺灣のみが繁体字で北京語なのか?日本では、中国語といえば中華人民共和国式の北京語だから簡体字のテキストしか売ってない。臺灣系の学校を探すか、臺灣留学しないと無理みたいだ。辞書から書きうつすしかないか?何か手はないものか?
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台湾についての雑文

2005-07-29 09:07:48 | Weblog
台湾は、分煙が進んでいる気がする。
ガラスの壁の中で喫煙させられる。喫煙席が無い店も多いし、喫煙席があっても、最上階だったりする。喫煙習慣を排除しようという意思を感じる。日本もそうなるかも。近頃の煙草の箱の警告文は、載っている面積も大きくなって気分悪い。

台湾では、英語が通じにくい。
俺の英語の錆び付きもあるからか。日本語は通じる事が多い。高齢者は、日本人と見違うほど違和感の無い日本語を話す人がいる。怪しくないのだ。もしかしたら本当は日本人なのかと思うがそうではない。そういう人たちが、屋台で買った現地の食べ物が入った紙カップを持って、店先にしゃがんで食べているのを見ると、やはり日本人ではないのだとあらためて思う。
日本語を勉強している若者も多いようだ。こちらが日本人とわかると、日本語で話しかけてくる。試したいという気持ちもあるのだろう。こんなに、外国人である俺に、日本語で話しかけてくる人たちが多い国は無いと思う。

『とうさんの台湾紀行』という本を台湾で買って読んだ。俺の今回の旅は、特に目的の無い旅だったが、これを読んでちょっと触発されてきた。MRTやタクシーだけの移動ではなくて、汽車、バスにも乗ってみよう。ガイドブックに載ってない場所にも行ってみよう。結局俺は、その後、九[イ分]と、故宮博物館に行った。両方ともどんなガイドブックにも載っている有名なところだ。最初だから、行くべきところには行くべきだ。ただし、俺はTRAやバスも何度か使ってみた。
『とうさんの台湾紀行』によると、日本が50年統治していた事実、その間、献身的にインフラや教育制度を整えたという事実があったという事だ。中国や韓国の憎しみのこもったものいいばかり耳にしていると、アジア全部から我が日本は恨まれる様な、極悪非道な事をしていたのかと、自虐的な気になってしまう。台湾人のこの親日的な態度は逆に、そうでは無いのだと自信回復させてくれる。
この本を読んで、日本統治時代の事を知りたいと思うようになった。本省人と外省人がなぜ対立するのか、台湾人が好んで北京語を使っているわけではない事などもわかった。

今、俺は、小林よしのりの『台湾論』、『戦争論』から始まって、日本の歴史、特に、先の大戦の時にアジアで日本が何をしたのか、A級戦犯とはどういう人達で、何をした人達なのか、靖国神社はどういう場所なのか、...日本人である自分に目覚め、歴史を学んでいる。
結果として、台湾の事もわかってくるだろうと思う。
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葬式セレモニー

2005-03-30 23:28:09 | Weblog
叔父の葬儀が田舎であり、この4、5日の間に実家との間を二往復し、ほとほと疲労困憊している。
葬儀は、最近増えている○×セレモニーホールのたぐいの所で行われた。とりわけ珍しい事ではない。ただ、何となく違和感がある。今回の葬儀の事だけでなく、そういう場所で滞りなく執り行われる葬儀にである。
人の死に物語性を持たせようとする演出、管理されたスケジュール、身内の一人であるかの様に同情の気持ち持っているように見せる従業員の振る舞い...。
司会者は澱み無く話す必要があるのか?、葬儀屋が故人についてどれだけ知っているというんだ?。もっと大根役者でもいいから遺族が慣れない事態に戸惑いながらも、わざわざ故人を偲びに来てくれた人々に感謝しながら、ドタバタやったほうが主役である故人も喜ぶのではないか?と俺は思う。
まだモヤモヤしてうまく言葉にならないが、人工的(自然の排除)、形式主義的、テレビドラマ的、マニュアル的...という感じを受けたという事だ。
故人は本当に喜んでいるのだろうか?
俺は、便利な事がそんなに素晴らしい事ではないような気がしたのだ。
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blogはじめました。

2004-11-27 01:37:43 | Weblog
携帯電話で何か文章を作って記録してたけど、時間かかりすぎるから、家のPCからも携帯電話からもできるブログをやってみる事にする。
義務や仕事じゃないし、書きたい時にだけ書くつもり。
でも誰が見てるかわからないから、バカ正直に書くかどうかはわからない。
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