年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

島シリーズ9

2010-04-25 22:20:17 | Weblog
 朝方は寒かったものの良い天気になった。このような上天気であれば、やっぱり島に渡らなければならない。しかし、どこに行こうかと迷う。といってもどこに行くかなどと何も計画などしていない。いつも行き当たりバッタリの思いつくままである。なぜに小島に行くのかと、自分に問うてみる。いつもの答えのように今日も、小さいものには意味がある、小さなものこそ意味がある。ってことを見つけるためである、の答えあり。しかし出発時間のことを考えれば幾つも選択肢があるわけではない。とりあえず、朝8時に弟を病院へ送って、自宅に戻れば9時になる。そこから行くことができるところを探す。安居島、青島、津和地、中島本島を候補にあげたもののフェリーの時間を考えると難しそうだ。次に選んだのは来島・小島・馬島である。で、結局波止浜から10分でフェリーがつく小島(おしま)に行くことにした。12時45分の便に間に合うように10時過ぎに自宅を出る。出発15分前に、目の前の造船所には建造中の船が所狭しと並んでいる中に位置する船乗り場に到着。乗客は、つり人と実家に帰る様子の家族連れと私と合わせて7人が小さな船に乗る。10分で到着。小島は島の老夫婦にお聞きすると16戸の家があり30人ほどの人口だとか、40歳の人が最も若い人です、などと教えてくれた。
 これまで上陸した島の中では、最も良かった。ここは芸予要塞が築かれていた歴史の島であった。日露戦争でのロシア艦隊による南下攻撃を想定して、島には遺跡が数多く残されている。探照灯跡、火力発電所跡、弾薬庫跡に中部砲台跡には28センチ砲座跡、24センチ砲座跡、地下兵舎跡、指令塔跡などがそれぞれゆっくり歩いて5~10分の距離にある。それらの小道は椿の小道で繋がれていて花は盛りを過ぎたものの、木々の向こうには来島大橋が巨大なスケールで背景となり気分よく歩くことができる。しかし、今から遡ること100年前の明治35年当時はこの小道は軍道であり兵士達が行き来していた小道であったはずである。1人ぼんやりとゆるやかなアップダウンを繰り返し歩く。中部砲座の上に指令塔跡あり、石の階段があった。急な石段を登り切った指令塔跡が小島の最も高い場所であった。来島大橋の上あたりに以前登った亀老山が見えた。一方目を海上に落とすと激しい潮流が音を立てつつ川の流れのように見える。13時に島の船着場から歩き始め、途中ワカメを干潮の磯に降りて取ったりしながらの歩行であり、しかも周囲3キロの小島の明治大正のなごりを見物しながらではあったけれど、15時半には再び船着場に戻った。もう一度行きたい島である。