備忘録として

タイトルのまま

眉の如

2011-03-05 12:25:04 | 徳島

城南高校硬式野球部が21世紀枠で甲子園に出場することになった。母が徳新(徳島新聞)のOB投稿記事を送ってくれた。

 

正直、OBの微妙な気持ちを代弁している。硬式野球部の同級生には悪いが私のころの硬式野球部も同じで甲子園など夢の夢だった。徳島では、昭和48年頃から総合選抜という徳島市内の普通科高校の平準化制度が導入され、旧徳島中学から城南高校へ引き継がれた1校エリート主義が廃止される。

眉の如 雲居に見ゆる阿波の山かけて漕ぐ船 泊知らずも     (巻6-998)

は、阿波の沖を船で通ったときに船王が詠んだ万葉歌である。眉山は周辺の学校の校歌には必ず盛り込まれていて、城南高校の校歌にも謡われている。でも、城南からの眉山は近すぎて”眉の如”くは見えない。城南からは尾根の一つが孤峰に見え、そこから右手に向かって長く裾野を伸ばすので城南生は”城南富士”と呼んでいる。

紀伊水道から見た眉山がほんとうに”眉の如”見えるかどうかGoogle Earthで側面から立体視してみた。
紀伊水道よりGoogle眉山 
吉野川北岸よりGoogle眉山

紀伊水道から見る眉山は、眉に見えないこともないが、自分としては見慣れた吉野川からの眉山のほうが眉に見える。Googleは、これ以上、地面すれすれに立体視はできなかったが、吉野川からの眉山の形状は下の実写とほとんど同じなのがわかる。撮影場所は四国三郎橋のすこし東の吉野川北岸である。高松から高徳線で帰省すると吉野川にさしかかるあたりで、車窓から”眉の如 雲居”に眉山が見え始めると、”ああ、故郷だ!”という実感がわいてくる。眉の左端にロープウェイがかかり、城南はその陰にある。

吉野川北岸より実写眉山、すぐ右手が四国三郎橋

徳島ラーメンなるものが名物になっているが、そもそも10年あるいはそれ以前に徳島ラーメンなどというものはなかった。子供のころ食べた南新町の”上海”のラーメンや高校時代よく行った大道の”夜明け”の支那そばや東新町の”一福”のラーメンはおいしかった。高校のとき同級の猛者は”夜明け”からこっそり教室までラーメンの出前をとっていた。”上海”ははるか昔に閉店し、代替わりした”夜明け”は味がかわった。”一福”は最近行ってないのでどうなったかわからない。”山京”のラーメン(下の写真)は濃厚でうまいが、かつて食べた徳島のラーメンはトンコツかトリガラダシで今ほど濃くてしょっぱくはなく生卵もなかったがもっとうまかった。


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