備忘録として

タイトルのまま

津波

2010-03-01 23:16:24 | 話の種
 27日土曜日のチリ地震(マグニチュード8.8)で発生した津波が来襲するということで、日本は避難勧告、JRの運休、イベントの中止などが相次ぎ大騒ぎになった。結局、最大1.2mの津波が来ただけで、気象庁が過大予測だったと謝罪会見をした。上の図は、アメリカ地質調査所USGSから引っ張ってきた28日の地震地図である。南米の赤い四角はチリの余震で、日本の赤い四角は28日午後5時頃に房総沖で発生した地震である。この房総沖の地震はなぜか気象庁の地震情報にはない。津波はチリから日本まで約1万7千キロを約22時間かけて押し寄せてきた。地震が発生するたびにUSGSにはお世話になっている。
Chile Tsunami 
 USGSから引っ張ってきた上をクリックすると津波の伝播状況がよくわかる。

 チリ沖ではナスカプレート(海洋)が南米プレート(大陸)に沈み込んでいる。このナスカプレートのひずみが最大限に達した結果、プレートが跳ね上がって地震が発生した。津波はプレートの跳ね上がりにより海水が隆起することで発生する。ナスカは地上絵で有名なあのナスカである。

 50年前の1960年にチリで起きた地震はマグニチュード9.5という観測史上最大の地震で、この地震により発生した津波が日本に来襲している。このとき波の高さは三陸海岸で5~6mに達し、死者・行方不明者は139人、被害家屋は4万6000戸余、船舶被害は2270余隻という大きな被害をもたらしたという。このときの教訓により同じく被災したハワイに観測所が設置されるなど太平洋全域に観測網が配備された。
 
 2004年のスマトラ沖地震はマグニチュード9.3で、1960年のチリ地震のマグニチュード9.5に次ぐ史上2番目の巨大地震だった。この時に発生した津波はスリランカ、インド、アフリカにまで達している。この時はシンガポールに駐在中で、インドネシアのスマトラ北部の町やタイのプーケット島やマレーシアのペナン島での津波の様子がテレビで繰り返し放映されるのを見ていた。プーケット島はヨーロッパを始め世界各地から多くの観光客が訪れるリゾートで、私も観光と仕事で2度行ったことがある。ペナンにも行ったことがある。地震発生が12月26日のクリスマス休暇真っ最中だったことから、多くの外国人観光客が被害にあった。インド洋には太平洋と異なり津波の観測網がなく、情報が伝わらず被害が拡大した。このとき、プーケットでは象が事前に津波を予知し山に逃げていたとか、スリランカでは津波のあと動物の死骸がなかったとか、不思議な話がまことしやかに語られた。
 スマトラ沖地震の震源はシンガポールから900キロも離れていたため揺れは感じなかった。もっと近くのスマトラ沖で発生した地震がたまに伝播してきて、シンガポールの谷部や海岸沿いに堆積する軟弱層中で増幅され、高層ビルが思いのほか揺れて騒ぎになることが何度かあった。そのたびに政府は、”シンガポールの建物は耐震設計がされていて安全だ”という政府声明を出すのが習わしになっていた。プレート境界から遠く地震履歴のほとんどないシンガポールの建築物には耐震設計がされていないのだが、お構いなしである。シンガポールに来た日本人の多くが高層ビルの柱のあまりの細さに驚くように、シンガポールのビルは振動に対して極めて脆弱な構造になっている。耐震設計でないので、ビルの鉛直荷重を支えれば事足りるため柱の中の鉄筋量も極少である。

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