備忘録として

タイトルのまま

”親鸞を読む”を読む

2011-05-01 23:28:54 | 仏教

親鸞は聖徳太子の生まれ変わりだと自称していた。だから、親鸞が気になる。

 親鸞は建仁元年(1201年)29歳の時、京都吉永の六角堂にこもって百日の祈念をしていた95日目に、太子の化身である救世観音があらわれ、その導きによって専修念仏の道に入った(法然の弟子になった)というのである。妻・恵信(えしん)は娘との書簡のなかで、聖徳太子の示現(夢うつつの中に見たビジョン)にあずかって夢のお告げ(夢告むこく)をうけたという思い出話を語っている。

 歎異抄に関する本は何冊か読んだが、親鸞自身の「教行信証」の中身については、山折哲雄のこの本「親鸞を読む」を読むまで全く知らなかった。そして山折の説によると驚くべきことに教行信証と歎異抄では、阿弥陀如来の救済が無条件になされるのかなされないのかという根本において異なっているというのである。歎異抄とは唯円が、”異端を嘆く”として自著につけた表題なのだが、彼自身が親鸞とは異なる説を唱える異端だったことになるではないか。

 教行信証の根本テーマは、”父殺しの罪を犯した悪人は救われるのか。あるいは救われるために条件が必要なのか。”であり、親鸞の結論は、”父殺しが救われるには、善知識(善き教師)と懺悔が絶対的に必要だ。”というものである。これが親鸞の悪人正機の核心であり、悪人が無条件に救われるとする唯円の歎異抄とは根本的に異なるのである。善知識と懺悔は歎異抄には出てこない。

 歎異抄の悪人正機論は、①悪人こそ阿弥陀如来によって救われる第一走者、②どんな小さな罪も前世からの宿業にによる、③海川で生き物を殺して生きている者も救われる。の3つに集約される。極楽往生に条件はないのである。

大無量寿経に法蔵菩薩が48の願をかけて阿弥陀如来になる話があり、そのうち第18願が、”心から極楽浄土に往生しようと思って十念すれば、五逆と誹謗正法を除いて往生できる。”というものである。これをうけて法然は10回念仏すれば極楽往生できるとしたが、親鸞は念仏をしようとする心が起こった瞬間に往生できるというものである。しかし、”五逆と誹謗正法は除く”ままなのである。五逆とは父殺し、母殺し、聖者殺し、仏の体を傷つける者、教団を破壊する者である。親鸞はこの除外規定について考え抜いた上で前記の結論に至ったのである。

 もうひとつ親鸞と唯円の歎異抄が決定的に違うことは、歎異抄の中にある親鸞が弟子たちに向けた言葉からもわかるのである。親鸞は弟子と実の息子(善鸞)が信心論争を繰り広げることに”自身の力及ばず”と自戒した上で、”念仏を信じるのも、それを捨てるのも、おのおの方の考え次第である。”と突き放したようにも思える言葉を伝える。これは、親鸞自身が言ったという”親鸞は弟子一人ももたずさふらふ。”にも通じ、異端を嘆く唯円の姿勢とはまったく異なる。

次に、教行信証に論語陶淵明の帰去来が出てくるのには驚いた。孔子は鬼神を語らず。親鸞は阿弥陀如来至上主義は取らず鬼神の世界も別途存在することを認めつつも、神を拝みはしない。否定はしないが不拝である点で論語の孔子の言葉と通ずる。教行信証に、”帰去来、他郷にはとどまるべからず。仏にしたがひて本家に帰せよ。”とあり、陶淵明の帰去来辞を愛読していたらしい。

 教行信証の最後、親鸞は最晩年の念仏生活を迎えて、”自然法爾(じねんほうに)”の境地に達するのである。その身そのままの姿で無上の仏になっていることだという。阿弥陀如来に身をまかせきったときにあらわれる姿である。孔子も、人生の最後に、”七十にして心の欲するところに従って矩をこえず”という境地に達するのである。人生の最後は自然体でいたいものだ。それにしても、スーちゃんの最後の言葉には泣いた。”私も一生懸命病気と闘ってきましたが、もしかすると負けてしまうかもしれません。でも、そのときは必ず天国で被災された方のお役に立ちたいと思います。”写真のスーちゃんが観音菩薩に見えた。

 今日の記事を書くにあたって山折哲雄の「親鸞を読む」に加え梅原猛の「歎異抄入門」を参照したが、梅原はその著作に以下のように書いている。

”人間は農耕牧畜文明を創造して以来、人間という自分に自信を持ちすぎ、自分たちが神によって特権を与えられたと思い間違い、自分たちの生命とつながっている動植物を無残に殺し、一方的な自然支配の文明をつくってきた。私はその文明の誤謬のつけが、今、回ってきたように思われてならない。

しかし、一向に人間は未来に待っている恐ろしい運命に気がつかず、依然として、今の文明が永続するように思っている。原子力発電所の事故やエイズが、この文明に警鐘を鳴らすが、人類はそれにまだ気づいていないように思われる。(中略)日本が最も早く終末を経験しなければならないようなことが起こらないとは限らない。

私は、私の言うこの予言が当たらないことを冀(こいねが)うが、このようなことを願わねばならない時代こそが、末法なのである。まさに、法然、親鸞の時代と違った意味の末法の世が今、やってきているように思われる。末法では、やはり強い信仰がなくては生きていけない。(中略)何らかの意味で彼らから教えられ、揺らぎもしない信念を持つべき時代がきているようだ。”

梅原がこの予言を書いたのは、初出のプレジデント社から刊行された1993年か、加筆・訂正後のPHP新書第一版の出た2004年のいずれかと思われる。予言は当たった。梅原はどのような気持ちで、震災復興構想会議に臨んでいるのだろうか。


最新の画像もっと見る