備忘録として

タイトルのまま

日の名残り

2011-04-10 13:43:04 | 映画

 2日のシンガポール便の機中で観た映画”日の名残り(The Remains of the Day)”は、尊厳とプライド(Dignity and Pride)、プロ意識(Professional)、後悔(Regret)が静かに語られ心に沁みた。

 老いたMr. Stevens(アンソニー・ホプキンス)は、第2次世界大戦以前イギリス貴族ダーリントン卿に執事として仕えていたが、卿の没落後、屋敷を買い取ったアメリカの元政治家Mr. Lewis(クリストファー・リーブ)に雇われる。戦前彼の下で働いていた女中頭のMiss Kenton(エマ・トンプソン)からまた働きたいと手紙をもらったスティーブンスは彼女に会いに旅に出る。映画は20年前にフラッシュバックし、戦前の屋敷で執事と女中頭として働く二人のエピソードが語られる。スティーブンスは彼女の自分に寄せる思いに気付いているし、おそらく彼も好意を持つが執事の仕事に厳格であるがゆえにそれを受け入れなかった。彼女は別の男と結婚し遠くの港町で暮らしているのである。一方、主人のダーリントン卿は第一次世界大戦で敗れたドイツに課せられた条約が過酷であり紳士的ではないとしてドイツを支援する。屋敷で開かれた会議の席上、アメリカの若い政治家ルイスは理想論では国際政治はできない、政治は自分たちプロに任せるべきだと非難するが、卿は逆にアマチュア的な理想主義こそが紳士としての名誉であると反論する。スティーブンスはこの間の事情すべてを見ているが執事の仕事にProfessionalであり続ける。卿の客がスティーブンスに政治について質問する場面があるが、プロである執事がそれに答えることはない。ダーリントン卿のドイツ支援は結果的にナチスに利用され、戦後ダーリントン卿はナチス協力者の烙印を押され失意の中で死んでいく。ミス・ケントンに会いに行く旅の初め、スティーブンスは自分がダーリントン卿に仕えていたことを旅で出会った人たちに隠す。そこには盲目的に主人に仕えた執事としての後悔があるのである。

 ダーリントン卿が自分の判断が間違いだったとして人生を悔いて死んだように、20年後のミス・ケントンは自分の結婚は間違いだったと思っている。彼女は、一度はダーリントン屋敷に戻りスティーブンスとの人生をやり直そうと思った(たぶん)が、孫が生まれることを知り、孫との生活を選択する。日暮れにベンチに座るスティーブンスとケントンは人生を振り返り別の人生があったことを思う。雨の中、泣きながらバスに乗って去っていくミス・ケントンにスティーブンスは小さく帽子を上げて、さよならをする。自分の思いは告げぬまま別れるのである。旅の途中、感情のない執事からスティーブンスという生身の人間の感情が少しずつ表れてくるのだが、最後は帽子を小さく上げて感情を押し殺す執事に戻ってしまった。

 しかし、3人とも、いずれの人生も自分で選んだものに違いはないのである。ダーリントン卿はドイツを支援する自分の判断、価値観が正しいと信じて行動した。ミス・ケントンはスティーブンスが自分を受け入れなかったことで、自分の思いを貫くことなく妥協して別の相手を選んだが、結局は他の誰でもなく自分自身が選んだ人生なのである。スティーブンスは自分を押し殺して執事でありつづけることが彼の価値観であり選択だった。主体的に選択したとしても、人生に悔いは残る。運命とは過酷なものだ。人生を自己責任で片付けられたらたまったものではない。そうとしたら他力本願で生きる方が悩まない分だけ楽かもしれない。(今、山折哲雄の”親鸞を読む”を読んでるので)

 ”日の名残り”1993、監督:ジェームズ・アイボリー、原作:カズオ・イシグロ、出演:アンソニー・ホプキンス、エマ・トンプソン、ジェィムズ・フォックス、クリストファー・リーブ、ヒュー・グラント。アンソニー・ホプキンスは羊たちの沈黙のレクター博士、クリストファー・リーブはスーパーマンだったが落馬事故で半身不随意の後最近亡くなった。ヒュー・グラントは軽い二枚目俳優で売出し中。原作は長崎生まれの日本人でイギリスに帰化した小説家。日本人がイギリスの貴族の執事の仕事をよく描写できたものだと感心する。この映画はアカデミー賞8部門にノミネートされたが、1993年はスピルバーグの”シンドラーのリスト”がオスカーを総なめにしたので受賞部門はなかった。スティーブンスは新しい主人の執事として働き始める。執事として、以前と同じProfessionalismとPrideのままに働くに違いないが、残り少ない人生が後悔しない人生でなければ救われないと思う。★★★★★


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