備忘録として

タイトルのまま

司馬作品に思う

2010-01-11 23:37:39 | 他本

 1月10日付朝日新聞”終わりと始まり”で池澤夏樹は、”優れた指導者を抱えていたから日露戦争に勝つことができたというのが「坂の上の雲」の結論だろう。”とし、”天才がいなくなったからその後の日本は駄目になったのか?”という疑問を投げかける。そして、”歴史とは天才ではなく無数の凡人たちがおろおろと紡いでゆくもの”と自説を展開する。

 司馬遼太郎作品はあまりに人気があり、晩年彼が歴史観を頻繁に発表したため、作品で述べられた時代や登場人物があたかも史実であったかのような錯覚に陥る傾向がある。私が「峠」の河井継之助や「燃えよ剣」の土方歳三に心酔するのもフィクションも含めた司馬作品に完全に取り込まれているからである。
 かなり前に読んだ「いろは丸異聞」(こんな書名だったと思うが本棚に見当たらない)で、紀州藩に対し老練な交渉術を駆使する龍馬が描かれていた。それまで司馬の「龍馬がゆく」の明るくくったくのない性格とは異なる龍馬像を見せられ違和感を持ったことを思い出す。龍馬は、いろは丸衝突事件で万国公法に則り正論で紀州藩から賠償金を勝ち取ったと「龍馬がゆく」では述べられていたと記憶していたが、その本の龍馬は賠償金を取るために、紀州藩の法律に疎いことや、交渉術や議論が稚拙であることにつけ込み恫喝も辞さない交渉術を見せている。鞆の浦沖でのいろは丸潜水調査では、賠償金算定の基準となった積荷であるはずのミニエー銃は見つからなかったので、龍馬が賠償金を釣り上げるために嘘を言ったと考えられている。
 小説中の人物像は大半がフィクションで司馬の好みの反映だということは頭ではわかっているけど、つい作品に惹きこまれ感情移入してしまうのだから始末が悪い。歴史上の人物評が司馬作品に依存している人は私の周りには何人もいて、司馬マジックとでも言うしかない。

 半藤一利の「聖断」も司馬と同じように歴史資料や証言を積み上げて書き上げた小説で、主人公の鈴木貫太郎や昭和天皇に対する作者の思い入れを感じる。この本では、池澤が言うように”天才ではなく無数の凡人たちがおろおろと紡いだ”結果としての昭和史が描かれ、「坂の上の雲」の天才たちはいない。鈴木貫太郎は日本海海戦の勇者であり司馬の描く天才に匹敵するが、彼は結局、日露戦争以降は終戦の局面でその存在感を示すに止まった。傑物とされている山本五十六も当時の組織や政情の綱引きのなかで日本を破滅から救うことはできなかった。

 忘れないうちに書いておくけれど、私の最も好きな歴史上の人物は、”聖徳太子”である。私は聖徳太子を一次資料(日本書紀や上宮聖徳法王帝説や三経義疏や法隆寺の遺物など)を基に好きになったわけでなく、上原和や梅原猛の描く聖徳太子が好きになったことは言うまでもない。昨年の春ごろからもうすぐ出ると言われていた上原和の「法隆寺を歩く」がやっと12月に出たのを今読んでいる。法隆寺を隅から隅まで歩きながら聖徳太子ゆかりの御物と太子の人物像を解説してくれるファンにはたまらない作品である。聖徳太子虚構説などありえないと思っている。上原和も怒っているらしい。
 上原和の聖徳太子に対する思い入れは司馬の比ではない。上原和の描く聖徳太子像と司馬の描く歴史上の人物像の違いはどこにあるかというと、上原和は実証を生業とする学者であり、根拠をすべて示したうえで聖徳太子を独自の視点で解釈しフィクションはない。上原和の短いWikiが昨年末頃にやっと掲載された。教え子あたりによるものではないかと愚考している。


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