極東アジアの真実 Truth in Far East Asia

I am grateful that I can freely write my daily thoughts

相撲と貴乃花親方

2018-09-28 12:01:25 | 日本社会

昨今の貴乃花親方問題・・・行動、資料等々を読めば貴乃花親方は相撲を熟知している一人と言えそうで、古来からの日本の伝統を継承したい思いが強い数少ない親方とも言えると思います。表現は不適切かも知れませんが、まあ、神事・相撲 VS グローバル化しようとしている相撲等の戦いかも知れません。相撲の歴史は長く天皇制、日本文化、国体の一部を構成等しているとも言われています。

以下文は、日本相撲協会HP、神社新報社発行・広報誌、ウィキペデア、旧約聖書、ヤフーニュース等々の内容を参考等した文です。この文の最後に記している、万葉学者・中西進著作集25に封入の「月報」の中の対談(コピー)には、貴乃花親方の考えの一部が凝縮されていると思います。

 

現代に残る数少ない武士道でもあると言われる相撲道で、一番大切なことは「礼に始まり礼に終わる」を体現することと言われています。この日本古来からの伝統を誇る相撲が、昨今は可笑しな方向に向かっているようにも思います。グローバル化の最終目的からしたら、相撲はグローバル化の妨げになるでしょう・・・日本の国体、歴史、文化等の一部を理解できない力士の登場で危ういものになっているようにも思います。

如何に海外メディアが相撲に関心があるか、過去、米・CNN電子版は特集を組んで相撲道をレポートしています・・・日本は19年間待ちわびた末に、ホーム・グロウン(国内育ち)のスモー・チャンピオンが王位に就いたとのタイトルで、稀勢の里の横綱昇進を伝えています。特筆すべきことは、相撲は単に勝敗以外にも品位や立ち居振る舞い等が重要となることを細かく紹介していることです。

 

大相撲主催者である、日本相撲協会(公益財団法人)・・・

太古より五穀豊穣を祈り執り行われた「神事(祭事)を起源」とし、我が国固有の国技である相撲道の伝統と秩序を維持し継承発展させるために、本場所及び巡業の開催、これを担う人材の育成、相撲道の指導・普及、相撲記録の保存及び活用、国際親善を行うと共に、これらに必要な施設を維持、管理運営し、もって相撲文化の振興と国民の心身の向上に寄与することを目的とするとしています。

相撲は日本に残された数少ない武士道等の一つとも言われています。真に日本の国技、伝統としての相撲道を国外出身の力士達が理解できるか大きな疑問が残ります。

 

舞の海秀平さん(小結)のインタビュー

「平成20年、神社新報社発行・広報誌(むすひ)」より

高校生の全国相撲大会は、伊勢神宮で開催されるのですが、一県から一人しか選ばれないため、青森県には私より強い人はいっぱいいましたので出場は叶いませんでした。しかし大相撲に入ってからは、毎年春に伊勢で神宮場所がありましたから、何度か伊勢の神宮にお参りしましたが、いつも心が洗われるようにスカッとして気持ちが落ち着きますね。場所前には当時の時津風日本相撲協会理事長から相撲の歴史や、宮廷との関わりなどの話を聞き「神様に奉納するという気持ちで相撲をおこないなさい」と教えられました。

奉納相撲というのは、神様に見ていただく、御神慮を慰めるための相撲なんです。神社の相撲大会も、その土地で育った子どもたちが元気に相撲をとるのを神様に見ていただく訳です。

相撲は神事ですから。

各部屋の土俵も一年に三回ぐらい作りかえるんですよ。稽古場の俵をとって土を耕して水をまいて、また叩いて固めて、そこからまた新しい俵を入れて、真ん中に穴を掘って、行司さんがお祓いをし、穴の中にスルメや勝栗などの鎮物を埋めるんです。

3、40分かかりますがそれは全員出席でやらなければいけない。そうしないと稽古は絶対しない。

土俵祭もしないところでやるのはアマチュアの相撲というか、スポーツ感覚ですね。土俵創設は部屋を創設した時の最初の一回でいいのではないかと思ったんですが、必ず毎年やるんですね。相撲というのは神事であり、そこに勝負事がくっついているだけ。勝ち負けより精神的なものの方が強いんです。

 

相撲の起源、ルーツを調べると日本のタブーでもあるとも言われる旧約聖書と天皇制等々との深い関わり・・・日本の国体の一部の核を形作っているとも言われる古代イスラエルとの関連性を見出すことができます。

相撲は試合前、四股(大地を鎮める、土中の悪い気・・・病気・ケガ・悪運・事故・不運・悪神や悪霊からの力などを 祓「はら」うという行為は、神道式の日本古来の除去方法)を踏み、女性は不浄として土俵に上がれない。相撲は一般のスポーツとは違っていますし日本人、スファラディー・ユダヤ人以外の人達には理解することは難しいと思います。これらを海外の力士が理解することは難しいでしょう。

日本書紀では武甕槌神(たけみかづちの・かみ)と諏訪大社の御祭神として有名な建御名方神(たけみなかたの・かみ)が力競べをしたという神話があります。

古代に於いては、相撲は豊作の吉凶を占う年占の農耕神事、天下泰平、国家安全、五穀豊穣のまつりごととして神に相撲を奉納してきました。古くから相撲は神事、奉納のお祭りで神聖なものでした。

平安時代、宮廷では天皇が出御して左右の相撲人に二十番程の相撲を取らせる、相撲節会が恒例行事として行われていたようです。

これらは諸国の農耕を占う豊作祈願の意味が込められたものでした。以後、鎌倉時代に入ると相撲は専ら武士の鍛錬を目的に行われるようになり、庶民の間にも浸透していき、それが、現在の大相撲の直接の基盤となった勧進相撲へと発展していったようです。

大相撲がスポーツの一種である事は、それはあくまでも相撲の一面に過ぎず、大相撲の根底はやはり神事・儀礼で、あくまでも神事と言えそうです。貴乃花親方はこのことを熟知されている数少ない方だとも言われています。

 

諏訪大社では御船祭の最後に行われる「神相撲」

日本最古の相撲場と伝えられている石川県羽咋市の羽咋神社で行われる「唐戸山相撲」

滋賀県野洲町の御上神社で随喜祭の夜に行われる「相撲神事」

愛媛県大三島町の大山祇神社のお田植祭で奉納される一人相撲は5月と8月の豊作祈願の神事で、相手は目には見えない稲の精霊・・・一人相撲は旧約聖書のヤコブと天使との相撲に酷似していると言われています。これらの事実をふまえると相撲は純粋な神事儀礼として執り行われていると言えそうです。

 

旧約聖書・創世記32章に記されたシュモー(古代ヘブライ語)

イスラエル民族の三大父祖にアブラハム、イサク、ヤコブ(聖書に出てくる本当の血統ユダヤ人「スファラデー・ユダヤ人」、対し偽ユダヤ人、アンネ・フランク、ヒラリー氏等々で宗教集団のアシュケナージ・ユダヤ人)がいますが、イスラエル(祝福された、血統的ユダヤ人)という名を神から頂いた出来事が父祖ヤコブの時です。

そのヤコブが神の使いと格闘した(相撲をとった)できごとが詳細に聖書に記されています。ヤコブは神の使いに勝ち、神からイスラエルという名前をもらいました。この人達(スファラディー・ユダヤ人)の先祖、直系等が日本に2000年以上前に相撲を携えて古代ユダヤ人として渡来したとも言われています。

 

創世記32:23-29

ヤコブは独り後に残った。そのとき、何者かが夜明けまでヤコブと格闘した。ところが、その人はヤコブに勝てないとみて、ヤコブの腿(もも)の関節を打ったので、格闘しているうちに腿の関節がはずれた。(一説では昭和天皇は牛肉を食べる場合、生涯頑なに腿肉を避けておられたと言われています。相撲のルーツを熟知されていたでしょうか・・・)

もう去らせてくれ。夜が明けてしまうからとその人は言ったが、ヤコブは答えた。

いいえ、祝福してくださるまでは離しません。お前の名は何と言うのかとその人が尋ね、ヤコブですと答えると、その人は言った。お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ・・・

このヤコブが神の使いと格闘した(相撲をとった)という出来事は、イスラエル民族にとって大変重要なものです。その時からイスラエルという名前、神からの祝福が与えられたからです。この相撲に勝ったということがあったからこそ、ヤコブの子孫であるイスラエル民族が「神の選民」となったとされています。相撲は、スファラディー・ユダヤ人にとって忘れてはならない、民族にとって大変重要な史実と言えるかも知れません。

日本書紀には、日本で相撲を初めてとったのは野見宿禰(のみのすくね)と書かれています。野見宿禰は島根県出雲の出身です。古墳時代の須恵器で相撲に関係するもの(力士が飾られています。)が島根県で出土しています。

相撲(スモウ)という言葉は古代ヘブライ語と言われています。聖書には何回も「シュモー」と言う言葉が出てきます。シュモーとは・・・イスラエルの祖、「ヤコブ」を指すと思います。

ハッケ、ヨイ=投げつけよ・・・これも古代ヘブライ語と言われています。相撲では塩で土俵を清めますが、イスラエル人も神聖なものとして塩を使います。丸い土俵の円というのは神と繋がる場所を意味、神聖な場所を囲い他と区別して言われていたと言われています。相撲のルーツを考えた場合、古代イスラエルと何らかの関連性あるように思います。

相撲は、勝負が全てとは言えない面が多々あり、他のスポーツと違うことが分かります。著名人の中にも、外人力士の入門を考える時期に来ていると言われる方も多いようです。これは差別ではなく、区別と思います。過去、酒席に同席していた横綱・白鵬関らについて貴乃花親方は、暴行事件に同席した力士が土俵に上がるのは神事に反するように思えると述べています。

大相撲の紋章には桜があしらわれ、この桜は日本人の心の象徴で大和心(古来から日本人が持つている、自然で素直な心等々)を表してしていると言われています。

過去、横綱白鵬は横綱の品格とは何かと問われ、勝つことが品格だと答えています・・・力士の頂点に立つ横綱からこのような発言が出るとことに空しさを感じます。海外力士には日本の相撲を理解することは不可能でしょう。

 

万葉学者「中西進著作集25」に封入の「月報」より(コピー)

第65代横綱 貴乃花 光司

中西進先生は当代随一の万葉学者であり、日本人が忘れてきてしまった“日本の美徳”を、言葉の起源をひもときながら誰にでもわかりやすく教えてくれ、目を覚まさせてくださる方です。その中西先生の著作集全三六巻が順次刊行されるとのお知らせを聞き、改めて先生の精力的な仕事ぶりに頭の下がる思いが致しました。

私が中西先生と初めて出会ったのは、東海道新幹線の座席ポケットに入っている『WEDGE』誌上でのことでした。地方巡業に赴く長い道中、ふと手にとった『WEDGE』に連載されている「日本人の忘れもの」を読み、心が揺さぶられるような思いが致しました。

私は15才で入門して以来、ひたすら相撲道を邁進して参りました。相撲界は一般の方から見ると特殊な世界のようで、未だに国技である“相撲”は完全に理解されているとは言えません。たとえば“横綱”についてですが、横綱とは「力士の中で最も強い者」「相撲という格闘技のチャンピオン」である、と解釈されている方がおられることが残念でなりません。同様に、相撲は“日本古来の格闘技”ではありません。相撲とは『神道』に基づき、男性が神前にその力を捧げる神事がその根源です。横綱に強さだけでなく、品格や厳格さが求められるのは、相撲が神事である証しといえるでしょう。横綱とは力士番付における最高位ではありますが、ただ勝ち星が多ければよい、他の力士に比べて力や技に勝り、誰よりも強ければそれでよいという存在では決してありません。

相撲の道を志すものは、「強くなりたい」という思いと同時に、「日本の伝統文化を守る」という強い意志が必要だと私は常々考えて参りました。それと同時に、相撲を通じて古来から脈々と受け継がれてきた日本文化の美学を後世に伝えていくことが、相撲に関わるすべての人間に課せられた義務であると考えております。

中西先生の著作に初めて接したとき、「ここにも日本の伝統文化を伝え、守ろうとしている方がおられる」と、まるで同士を見つけたように心強く感じると同時に、背筋が伸びるような思いをしたことを今でも覚えております。しかも、遠大なテーマでありながら中西先生の語り口に難解なところはみじんもなく、常にどんな人にも平易に読める文章で日本文化の奥深さを伝えてくださいます。このようなところにも、先生の温かなお人柄と、近代化の中で日本人が忘れてきたものを幅広く伝えたいという情熱がうかがえます。

私が実際に中西先生にお会いしたのは、貴乃花部屋創設の際作成した記念パンフレットに掲載するため、こちらから「是非に」とお願いし実現した対談のときでした。先生は文体そのままの方で、眼鏡の奥のまなざしは優しく、そして時に茶目っ気が感じられました。「相撲道」にも格別の関心をお持ちで、先生の専門分野である“言葉”から、様々な考察をされておられました。例えば、相撲の立ち合いで行司がかける“見合って、見合って”というかけ声については、「日本語で“見合う”というのは“誉める”という意味があるんです。これは、お互いに尊敬し合えるからこそ、真剣勝負ができるという深い意味が込められている証拠と言えます」という言葉をお聞きし、先生が相撲道の本質を見抜いておられることに深く感じ入ったものです。相撲の本質とは力の競い合いではなく、その時々の力と技の優劣を競うことに眼目があるという深い考察にも、先生の相撲に対する思いが伺えました。

対談でとりわけ印象深かったのは、中西先生が「女性が土俵に上がれないのはどうしてですか?」と聞かれたことでした。当時は、ちょうどそのことが世間で話題となる出来事があり、論争が起きていたのですが、先生はまさに直球でその真意を私に問うてきたのです。これに対し、私は「相撲とはもともと力士のどちらかが死ぬまで競い合うもの。土俵という闘いの場に本来守るべき存在の女性を上げるわけにはいかない。女性を土俵に上げないのは、この精神があるからなのです」とお答えしました。すると、先生は何とも言えない嬉しそうなお顔で「そもそもそのような由来があったのですか。一般の方々にも広くそうした事実がわかった上で、正しい議論が始まると上手な解決法が見つかるかもしれませんね」と深く納得されてらっしゃいました。

中西先生は文学を通じて日本が古代より女性を尊んできたことを熟知されておられます。日本文化が女性の手によって花開いていったその歴史を知り抜いておられる先生だからこその、安心されたご様子の笑顔と理解し、先生の「正しい議論」というお言葉に、私自身も勇気づけられる思いでした。

『日本人の忘れもの』・・・私が中西先生と出会うきっかけともなったエッセイのタイトルがそうであったように、近頃の日本は大切な多くのことを忘れてしまっているようです。我々は、日本人としての誇りを持ち「日本人の心」を今一度再確認しなくてはいけません。中西先生にはこれからも著書を通じて、この日本の素晴らしい伝統文化を未来に語り継いでいっていただきたいと願ってやみません。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする