極東アジアの真実 Truth in Far East Asia

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拉致はイスラム国ばかりではない!

2015-02-11 20:59:35 | 拉致
 我々は何気なく日々家族等と外食をしたり、買物に出かけることがありますし、家庭では一家団欒の場を作ることが出来ます、これらは当たり前のことかもしれません。日本に生を受け、終わる、これも当たり前のことかもしれません。

この極々普通の日常を送ることが出来ない人たちがいます!
 北朝鮮に拉致された被害者、家族です。近代こんな理不尽な事案が起きてました、今も殆ど解決していません!拉致被害者、家族等から見れば何と言う理不尽さでしょう。国家の尊厳にも関わる重大事案です!被害者、家族等は高齢になっており待った無しの状況と思います。同じ日本人、同胞として悲しい限りです。何十年も経過し解決の兆しは厳しい状況にあると思います。
 
 今こそ政府だけでなく我々国民が立ち上がり、安部政権をを後押ししないと寂しい結末となる可能性があります!凛として我々国民は政府の後押し、悔いのないよう最善を尽くし、結果を出さなければなりません。ブルーのリボンが虚しく目立ちます・・・

 もし皆さん方の家族が、子供が、孫たちが何の罪も無く理不尽に拉致された場合を考えた場合、本人、家族等は気が狂いそうな日々を過ごすと思います、皆さん方の子供、孫達の幸せそうな寝顔を見て下さい・・・今我々は誰でも拉致被害者、家族に想いを致すことはできます・・・
 
 日本の歴史を作った先人達が拉致問題を知ったら何と思うでしょう・・・日本人には侍たちの血が流れてるはずです、こんな国ではなかったはずです!我々国民はそれ相応の覚悟で向かい合う必要があるでしょう!憲法、法整備等も含め!

 我々に出来ること、先ずは拉致の事実、現状を再認識すること、機会があれば学校等でも子供達等にも拉致されてることを教えることも必要でしょう、イスラム国の残忍さは一部学校では教えてるようですが、北朝鮮の拉致問題は殆ど触れません!
 
 昨今はイスラム国の拉致ばかりがマスコミにクローズアップされますが、この人達よりもはるかに理不尽な拉致問題があまりにもクローズアップされてないように思えます。故意にか知りませんが、マスコミは思い出したように拉致問題を報道するばかりで、拉致問題時間引き伸ばしをしてるように思える時がありますし、何か国民に害を与えているようにさえ思えます、これほど理不尽な事案にも関わらず!

 全国民に拉致問題を考える機会を設ける為に「拉致被害を考える日」等々を是非作ってもらいたいです!
 拉致問題は我々国家の尊厳の問題そのものであり、国民を守らずして国家は成り立たないでしょう!我々自身の身近な問題でもあると思います。

 拉致被害問題が解決しない限り、独立国家の体を成さず、日本の未来、日本人の尊厳も無いでしょう!拉致問題が・・・多くの国民は日本という国に対し間違いなく疑問を呈するでしょう。

   
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 政府認定拉致被害者、17名ですが・・・
 
 拉致当時の年齢と失踪場所等ですが、実際はもっと多くの日本人が拉致されてる可能性があります。

1.久米裕(くめ ゆたか)さん(52・石川県)
 昭和52年(1977年)9月19日拉致
  北朝鮮工作員の指示を受けた国内の協力者によって能登半島の宇出津(うしつ)海岸まで 連れ出され、北朝鮮工作船で迎えに来た工作員に引き渡され、北朝鮮に拉致

2.松本京子(まつもと きょうこ)さん(29・鳥取県)
 昭和52年(1977年)10月21日拉致
  米子市にくらしていた松本京子さんは、自宅から近くの編み物教室へ向かって外出したま ま消息を絶ち、北朝鮮に拉致

3.横田めぐみ(よこた めぐみ)さん(13・新潟県)
 昭和52年(1977年)11月15日拉致
  新潟市にくらしていた横田めぐみさんは、クラブ活動を終えて中学校から帰宅する途中で 消息を絶ち、北朝鮮に拉致

4.田中実(たなか みのる)さん(28・兵庫県)
 昭和53年(1978年)6月頃拉致
  神戸市内の飲食店に出入りしていた田中実さんは、北朝鮮からの指示を受けた店主にだま されて海外に連れ出された後、行方不明となり、北朝鮮に拉致

5.田口八重子(たぐち やえこ)さん(22・不明)
 昭和53年(1978年)6月頃拉致
  東京・高田馬場のベビーホテルに2歳の娘と1歳の息子を預けたまま行方不明となり、北朝 鮮に拉致

6.地村保志(ちむら やすし)さん(23・福井県)
 地村富貴惠(ちむら ふきえ)さん(旧姓・濱本)(23・福井県)
 昭和53年(1978年)7月7日拉致、平成14年「2002年」10月帰国)
  福井県小浜市で、地村保志さんと富貴惠さんは、二人でデートに行くと出かけたまま帰宅 せず、北朝鮮に拉致、平成14年(2002年)10月に帰国、平成16年(2004年) には、子どもたちも帰国

7.蓮池薫(はすいけ かおる)さん(20・新潟県)
 蓮池祐木子(はすいけ ゆきこ)さん(旧姓奥土)(22・新潟県)
 昭和53年(1978年)7月31日拉致(2002年10月帰国)
  新潟県柏崎市で、蓮池薫さんと祐木子さんは、それぞれ「すぐ帰る」「すぐにもどる」と 言って出かけたまま消息を絶ち、北朝鮮に拉致、平成14年(2002年)10月に帰 国、平成16年(2004年)5月には、子どもたちも帰国

8.市川修一(いちかわ しゅういち)さん(23・鹿児島県)
 増元るみ子(ますもと るみこ)さん(24・鹿児島県)
  昭和53年(1978年)8月12日、鹿児島県日置郡(現・日置市)の吹上浜に「浜に夕 日を見に行く」と出かけた市川修一さんと増元るみ子さんは、吹上浜のキャンプ場付近に市 川さんの車を残したまま消息を絶ち、北朝鮮に拉致

9.曽我ひとみ(そが ひとみ)さん(19・新潟県)
 曽我ミヨシ(そが みよし)さん(46・新潟県)
 昭和53年(1978年)8月12日拉致
(ひとみさん、平成14年「2002年」10月帰国)
  新潟県佐渡郡(現・佐渡市)で、曽我ひとみさん、ミヨシさん母娘は2人で「買い物に行 く」と言って出かけたまま消息を絶ち、北朝鮮に拉致
 ひとみさんは、平成14年(2002年)10月に帰国、平成16年(2004年)に夫のジェンキン スさんと子供たちも渡日・帰国
 ミヨシさんは、北朝鮮に拉致されたまま。

10.石岡亨(いしおか とおる)さん[22・欧州)
 松木薫(まつき かおる)さん(26・欧州)
  昭和55年(1980年)5月、大学生だった石岡亨さんはヨーロッパに出かけたまま消 息を絶ち、またスペイン留学中だった松木薫さんもヨーロッパ滞在中に消息を絶ち、北朝  鮮に拉致

11.原敕晁(はら ただあき)さん(43・宮崎県)
 昭和55年(1980年)6月、大阪府にくらしていた原敕晁さんは、北朝鮮工作員・辛光 洙(シン・グァンス)らによって宮崎県の青島海岸に連れ出され、工作船で北朝鮮に拉致

12.有本恵子(ありもと けいこ)さん(23・欧州)
  昭和58年(1983年)7月、イギリスでの留学を終えて帰国を予定していた有本恵子 さんは、デンマークのコペンハーゲンから日本の家族に手紙が届いたのを最後に消息を絶  ち、北朝鮮に拉致
  
  他にも、日本国内にくらしていた朝鮮籍の幼い姉弟が拉致されたことが分かっています。 現実はもっと多くの日本人が拉致されてる可能性があります。

 

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