松岡直也の1990年の作品。松岡はこの作品に前後してシンプルなピアノ・トリオ+パーカスのアルバムを出したり様々なフォーマットの作品を出していて、この作品は久方ぶりの通常フォーマットによる「日本人による日本人のためのラテン音楽」作品だったような気がする。ただし、さすがに80年代に哀愁の松岡節は目一杯開花してしまったのか、この作品、6月,7月,8月をテーマに夏の音楽を集めたというコンセプトの割に、やや生彩に欠くというか、ちょいと疲れたが目立つような感じがした。こちらは少し彼の音楽に飽きてしまったいたこともあるとは思うが。
ただ、このアルバム7曲目の「哀しみマドリッド」だけは突出して強烈な印象を残す。デジタル・シンセのエキゾチックな響きとストリングスのヨーロッパ的ムードをバックにピアノが情緒面々たる哀愁の旋律を奏でる松岡節なんだけど、涙堪えて気丈に歩くようなテーマから、サビには何故かジョン・バリーの「ロシアより愛をこめて」の部分に酷似した展開(引用かもね-笑)になって、感極まるように高ぶっていくあたりは、「ロシアより愛をこめて」のロマンティックなあの世界を彷彿とさせつつ、なんだかヨーロッパの哀しい映画のラスト・シーンのようでもあり、オッサンの世代にはなんとも憎い記号満載な音楽になっているという訳である。
という訳で、この「哀しみマドリッド」は、毎年今の時期になると、決まって聴きたくなる1曲である。
ただ、このアルバム7曲目の「哀しみマドリッド」だけは突出して強烈な印象を残す。デジタル・シンセのエキゾチックな響きとストリングスのヨーロッパ的ムードをバックにピアノが情緒面々たる哀愁の旋律を奏でる松岡節なんだけど、涙堪えて気丈に歩くようなテーマから、サビには何故かジョン・バリーの「ロシアより愛をこめて」の部分に酷似した展開(引用かもね-笑)になって、感極まるように高ぶっていくあたりは、「ロシアより愛をこめて」のロマンティックなあの世界を彷彿とさせつつ、なんだかヨーロッパの哀しい映画のラスト・シーンのようでもあり、オッサンの世代にはなんとも憎い記号満載な音楽になっているという訳である。
という訳で、この「哀しみマドリッド」は、毎年今の時期になると、決まって聴きたくなる1曲である。
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