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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

リ・ワークス・オブ・アート・オブ・ノイズ

2005年02月17日 23時08分25秒 | ROCK-POP
 80年代中頃、サンプラー等デジタル楽器の普及の先鞭をきる形で登場したアート・オブ・ノイズは、全ての楽音をサンプリングされた現実音で構成するという(本当はそうでもなかったわけですが-笑)、ちょいと前ならミュージック・コンクレートと呼ばれる現音系な手法を、リズミカルなダンス・ミュージックでやらかした、まぁ、大げさにいえばポップ音楽で、ある種の技術革新したイギリスのプロジェクトでした。

 このアルバムは一般的には彼らが一番人気のあった時期、つまりトレバー・ホーンと決別後のチャイナ・レーベル時代のライブを含むコンピレーションです。実はこの作品、アート・オブ・ノイズでは私の唯一CDで持っていなかった作品でして、今となるとなかなか中古盤等でもみかけなかったのですが、先週、オークションでめっけて即ゲットと相成りました。便利なもんですね(笑)>ヤフオク。

 で、十数年ぶりにきいたこのアルバムですが、けっこう「普通の音楽」に聞こえたのが意外でした。当時は最先端のエレクロニクス技術の粋を集めた音楽の実験みたいな趣も強く感じたものですが、彼らの技術革新はこの十数年の間に多少の水増しを伴って今や当たり前のものとなってしまったせいで、かれらの技術の彼方のある「素の音楽」が、昔よりよく見えたというところなんでしょう。当時ヒットした「レッグス」なんて、今聴くととても上品で、格調の高さすら感じさせる極上のダンス・ミュージックだったことがわかります。
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マーラー/交響曲第6番「悲劇的」

2005年02月17日 21時30分00秒 | マーラー+新ウィーン
 マーラーの交響曲は、合唱だの独唱が入る声楽付きのものと、声楽なしの器楽だけのものがあって、前者で有名なのは第2番「復活」に第8番「千人の交響曲」、後者では映画「ベニスに死す」や「アダージョ・カラヤン」ですっかりお馴染みの「アダージェット」が入った第5番に、第1番「巨人」あたりになるんでしょうが、第6番は後者に属する傑作です。私といえば、昔は5番とか9番が好きだったんですが、さすがに最近は飽きがきたのか、ここ数年のお気に入りはなんといっても6番。例の唐突に迎える衝撃的なエンディングが知られる曲ですが、私が好きなのも、もちろんこの最終楽章です。

 さて、この楽章、全4楽章中最長で、演奏するのに30分くらいかかります。一応ソナタ形式らしいのですが、実際の構成は複雑で難解そのもの。私の場合、第1主題はこれ、第2主題はこうで....などと形式的にマーラーを聴こうとすると必ず挫折するもんで(笑)、30分という時間はかなりの長丁場なはずですが、あまりそう感じないのは、いろいろな聴きどころが次々に繰り出されるからでしょう。具体的にいえば、

 まず、冒頭の眩惑的なサウンド、ここで聴けるオーケストレーションは、本当にこれまで聴いたこともないようなもので、リスナーを悪夢の世界に引きずり込むような力がありますね。いきなりブチかましてくれてますって感じ。
 以降続く長大な本編は、ハイライト・シーンが3回あります。この楽章を称しマーラーは「英雄は敵から3回の攻撃を受け、2度立ち上がるが、3回目には木のように倒れてしまう」と語ったそうですが、戦闘シーンを思わせる精力的で荒れ狂うような部分と混濁する精神の中で過去を回想するようなシーンが交錯する中、英雄が強烈な打撃を食らうかのようなシーンが3回やってくるんです。この部分って、けっこう下世話なスリルがあるんですよ。「おぉ、くるぞ、くるぞ、キターッ!」みたいな(笑)。で、その果てにやって来るオーラスの衝撃。厭世観と虚脱したムードの中、唐突に迎える衝撃的なエンディングはもう心臓に悪いくらい....。

という具合です。そういえばこの曲、「悲劇的」ってサブタイの他、希に「古典的」と呼ばれることもあるようですが、この呼び名が広まらない訳です。だって、この楽章なんざ、要するに上出来な交響詩というか、架空のサントラみたいに出来ですからね。

 演奏ですが、単に手近にあったという理由で、さっきまでアシュケナージがチェコ・フィルを振ったSACD盤を聴いてました。録音は極上だし、破綻がない優等生的な演奏ではあるものの、これといって特徴のある解釈が出てくる演奏ではないような気がしました。続いて、同じく手近なところにあった、ティルソン・トーマスがサンフランシスコ響を振ったやはりSACD盤にスウィッチして今聴いてますが、こちらはライブ録音で、まるでホールに居るような優秀録音です。おまけにライブ特有な熱気や推進力があって、これはなかなか聴かせる第6番ですね。
 あっ、そうそう、「第6番のライブ」思い出しましたけど、大昔、あの謹厳実直なジョージ・セルがライブで燃えに燃えたCBS盤ってありましたよね、なんか懐かしいなぁ。私なんか、これで6番を勉強したクチなんで、なんか妙に聴きたくなってきました。どっかにCDあるハズなんだけど、後で探してみよう。クラシックはこういう同曲異演にハマると、ほとんど泥沼状態になったりするんですけど、それもまたひとつの楽しみですね。近いうちに第6番第4楽章のハシゴしよっと....。

※ ちなみに3回ハンマーが鳴るみたいなこと書きましたけど、実は現在の大抵の演奏では3回目のハイライトでハンマーは鳴りません。

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不治の病か?電線病! -MIT OracleAC-1-

2005年02月16日 21時25分00秒 | PC+AUDIO
 電線病という病気をご存じですか?。伝染病じゃありません、電線病です。オーディオ・マニアが嵩じて、アンプとスピーカの間、CDプレイヤーとアンプ、果ては電源ケーブルを次々に替えては、××に変えたら低音が出ただの、いや、○○は解像度が上がった!とかに一喜一憂する、ほとんどカタギの方には理解しがたい病気です。しかも、そのケーブルというのがほとんど常識では考えられないくらい高額な、ワンセット何万はざらで、場合によって何十万もするものすら購入してしまうという、ほとんど常人のレンジではおよそ図り難い、なんとも酔狂な病気なんですね。いや、これって人のことを誹謗している訳ではありません。自分のことなんです、えぇ(笑)。

 あれこれケーブルを変えては一喜一憂という行為は、かれこれ20年前から不定期にやってきましたが、その酔狂ぶりが度を超えたのは、昨年の夏のこと。MIT(Music-Interface-Technologies)というカリフォルニアにある会社で制作されたShotgunというスピーカー・ケーブルに20万近い大枚をつぎ込んだ時からです。
 
 根が小心者な私ですから、こんな大金を投資して、音が良くならなかったらどうしようと、購入するまでの数週間は不安で一杯だったのですが、変えてみたらびっくり!。なんのことはない高域、低域ともにぐんと伸び、透明感が異様に高まった結果、ヴォーカルはやたらと実在感を増し、コーラスはくっきり分離する。バスドラムはズシンと響くは、パーカスは立体的に響くはで、もう何を聴いても、音楽にこれまでとは違ったニュアンスが感じ取れるようになってしまったんです。何十万もするアンプだのプレイヤーにグレードアップした時の感激すら上回る....ってのは、オーバーですが、まぁ、それに匹敵するくらいの効果を感じた訳です。その時なんですよ。「何十万もするハイ・エンド・ケーブルって、本当に値段なりの価値があるものなのか?」って疑問が雲散霧消し、重度の電線病になったのは....。

 さて、本日、購入したのは前記MIT社のOracle(Z-CORD)-AC1という代物です。MITの電源ケーブルは、既にこの半年の間、ShotgunからMagnumへと、徐々にグレード上げてきた訳ですが、OracleはMIT社でも、最高グレードでして、定価10万代後半はする超弩級電源ケーブルです。その姿はさながら、「途中に牛乳パックが付いた、真っ黒な大蛇」です。フィルタリング・モジュールらしき謎の箱がついているのが、MITの特徴ですが、ルックスはともかくとして、はやる心を抑えつつ接続、わくわくしながら一聴しすると、「うっ、こりゃ、凄えっ!」って感じ。ともかく、繊細さや緻密さを犠牲することなく、音圧が上がり、ダイナミックさが増す、驚異です。その変化の度合いは、前記のとおりアンプやプレイヤーにグレードアップしたのに匹敵するんじゃないかと思えるほどで、とにかく、現在「凄えっ!、凄えっ!」の連打なのであります(アホ)。

 ところで、ケーブルで音が変わるってのは、実は科学的にはなんにも証明されてないらしいです。ブラインド・テストだと識別できないってな結果も出たことあるようだし....。で、そのあたりを捉えて、「ケーブルに金をつぎ込むのは、某幸福の壺にお布施すると同じだ」などという鋭い指摘をなさる方もいるようです。かくいう私も....っていうか、私のような病魔に冒されている人間ですら、実は時にそんな気がしないでもない時はあります。例えば、何故太いケーブルだと太い音に変わったように感じるのか、硬いケーブルだと硬質な音で鳴るのは何故なのか、これらはひょっとすると先入観なのではないかって....(笑)。

 だけど、人間なんてしょせん先入観の固まりですよ。どっかの大学オケが演奏したモーツァルトでも、ウィーンフィルが演奏したと言われれば、大学の音楽教える教授でもそのように聴こえてしまうなんて話もありますからね。先入観なら先入観でもいい、それで自分が幸福なら、あえてそれに騙されてやろうじゃんとか、最近は思ってます。酔狂だなぁ>オレ。


◆ 途中に牛乳パックが付いた、真っ黒な大蛇の図 ◆
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ティエリー・ラング/ビトウィーン・ア・スマイル・アンド・ティアーズ

2005年02月15日 23時26分56秒 | JAZZ-Piano Trio
 エンリコ・ピエラヌンツィが、ビル・エヴァンス直系だとすると、ティエリー・ラングはキース・ジャレットを出発点にしている人だと思います。具体的にいえば「ケルン・コンサート」あたりのソロ・パフォーマンスや初期のスタンダーズあたりに濃厚なロマンティックな面持ちだとか、ある種の透明感のようなものを受け継いでいると思います。ただ、キース・ジャレットのような天衣無縫さとかある舞い上がるような熱っぽさみたいなものはラングにはなくて、この人場合、端正で独特の淡さのようなものが特徴じゃないでしょうかね。この「淡さ」が時にあまりに淡すぎて、ほとんどアンビエントだかとニュー・エイジ・ミュージックの領域に行ってしまうこともありますが....いや、悪い意味じゃなくて(笑)。

 今聴いている「ビトウィーン・ア・スマイル・アンド・ティアーズ」は、彼が90年代に出した比較的初期のアルバムらしいですが、特にそうした趣が強いように感じます。収録曲にピアノ・ソロが収録されているということもありますが、トリオによる演奏も、無伴奏のピアノ・ソロに始まり、ピアノとベースはほとんどストイックな伴奏に終始するというパターンが多いですし、スロー~ミディアム・テンポの曲ばかりでアルバム全体がなだらかに構成されているあたりもそういう感じです。ついでにいえば、残響をかなり長目にとった録音もそういう印象を倍加しています。

 それにしても、こういう音楽は多分私の好みなんでしょうね。良い意味でなんの違和感もないというか、とにもかくにもしっくり来ます。1曲目の「ユア・ノーツ」のエレガントな旋律なんて、「僕が長年探していたのはこういう曲なんですよぉっ!」感じですし、「アイ・フォール・イン・ラブ・トァ・イージリー」や「ピース」といったスタンダードをやっても、ゆったりとしたタイム感覚と、独特な音の隙間のようなもので、すっかりヨーロッパ的な透明感に染め抜いてしまうのあたりも好み。北国の風景を思わせる音楽に抑制された情念のようなものが交錯するタイトル曲も聴き応え十分だし、これ以上やりすぎると散漫になったり、本物のニュー・エイジ・ミュージックになってしまうぎりぎりとところで、絶妙にジャズに回帰する感覚も絶妙です
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高勝美の台湾演歌集

2005年02月14日 23時00分00秒 | 台湾のあれこれ
 
 実は私、台湾フリークなんです。台湾といっても台北に何度か行ったくらいなんですけどね。ほとんど世界中の大都会と同じような台北のビルの合間から、ちょっと路地を入ると、まるで昭和40年台前半にでもタイムスリップしたような懐かしい風景によく出くわすんすよ。ここが好きなんですねぇ。
 半分、朽ちかけたような煉瓦で出来た蔵か倉庫のような建物、夜市の賑わい、ふいと通りかかった家の開いた扉から見える、お膳で家族そろって雑然飯を食べる光景など、まるで自分が子供の頃に戻ったように感じるんです。これが、もっと文化が日本とかけ離れていたところなら、もっと違ったエキゾチックなものを感じるのだろうけど、なんだかほっとすらしてしまうのは、見えてくる風景が感覚的にあまり日本と違っていないからなんでしょうね、きっと。

 台湾は日本のJ-Popに相当するものは北京語、演歌には福建語で歌われることが多いらしいです。どうしてそうなのか詳しい事情は省きますが、ともあれ、私は演歌という音楽は、基本的にというか、むしろ積極的にキライなクチですけど(笑)、台湾の演歌は日本のような暗い「恨み節」がほとんどないところや、日本の演歌以上に美しいとしか思えない情緒たっぷりな旋律、あとなんといっても福建語の滑らかな語感というアリバイがあるせいか、けっこう聴いたりします。
 この高勝美は台湾のベテラン歌手で、演歌だけでなく、懐メロでも、AOR風なポップスでも、とにかくなんでもかんでも歌いまくっている人らしいです。CDも沢山出しているようですが、このアルバムでは台湾の古典的演歌十数曲を(吉幾三の歌なんかも入ってますが)、彼女特有の高域に弾力のある声質と独特の抑揚をもった歌い回しでもって歌っています。彼女が台湾でどの程度評価されている人なのかは知りませんが、なんでも危なげなく安定して歌いきってしまう歌唱力はまさに職人芸。本来、他の人の持ち歌を完璧に高勝美の世界にしてしまっているのはさすがです。

 特に1曲目「無情世界多情人」は、既視感を誘うようなイントロといい、思わず懐かしいさがこみ上げるような旋律といい、ちょっぴり大陸的な人懐っこさといい、私にとっては、「テーマ・オブ・台湾の裏路地」的な名曲です。台湾の裏路地の屋台で、ビール片手に、腸詰めだの、天麩羅(薩摩揚げのこと)なんかかじりながら、これ聴こえて来たら最高だろうなぁ....と、聴く度に思ったりするんですよね。あぁ、台湾に行きたいっす。
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アーノルド・クロス・トリオ / Appreciations

2005年02月13日 18時52分59秒 | JAZZ-Piano Trio
 これも澤野工房からの作品。この人に関する紹介を読むと、なにかにつけビル・エヴァンスの影響を云々されているので、「ビル・エヴァンス・クローン」みたいな感じなのかな、と思って聴いたところ、まぁ、確かには影響受けてはいるんだろうけど、別にこのくらい似ている人なら、他に沢山いるよなぁ....って感じで、これといった突出した個性もないけれど、ごくごくまっとうなジャズ・ピアノ・トリオという感じで楽しめました。

 収録曲を見ていくと、さすがに1曲目の「ナーディス」や5曲目の「ポロカ・ドッツ・アンド....」といったのゆかりの曲は、かなりビル・エヴァンスを彷彿とさせますが、同じような素材でも10曲目の「カム・レイン・オア....」ではゴスペル風なフレーズを取り入れたりしてますし、「帰ってくれたらうれしいわ」ではかなりギクシャクしたキメを入れたりして、決してエヴァンスの世界に耽溺しきっている訳ではありません。「ラブ・フォー・セイル」のモダンさ、「ジャンゴ」の込み入ったアレンジ、「ローラ」のイントロのひっかけなどはほとんどエヴァンスとは無縁な世界でしょう。
 
 また、この人の場合、原曲をとことんインプロヴァイスしていくタイプではなくて、歌い回しは基本的にはオリジナル尊重主義みたいなところもあるようで、聴きながら、ビル・エヴァンスよりもっと古い人、例えばハンク・ジョーンズとかトミー・フラナガンを思い出させたりするところもあります。つまりエヴァンス以上に、正攻法でオーソドックスなスタンダード解釈&演奏の人なんでしょうね。加えておけば、この人の滲みのないピーンの張ったようなクリアなタッチは、ビル・エヴァンスの個性である詩的で印象派風な柔らかさとはちょいと違うなという気もします。

 そんな訳で、このアルバム、あまりエヴァンスにこだわらずに聴くべきアルバムだと思いますね。なにしろ、日本からオファーしたんじゃないかと思うくらいに、有名なスタンダードがずらりと並んでますから、個人的には「スタンダードを適度にヨーロッパ的なタッチで料理した小味の効いたアルバム」として楽しむ方がしっくりときそうです。。
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ロブ・マドナ・トリオ / I Got It Bad And That Ain't Good

2005年02月12日 23時00分00秒 | JAZZ-Piano Trio
 いかにも澤野工房が見つけて来たらしい、洗練された美しさと、良い意味でBGMになりうるリラクゼーションを持った作品です。音楽的にはトミー・フラナガンとピル・エヴァンスの中間あたりに位置するような非常にオーソドックスなピアノ・トリオといっても良く、ロブ・マドナのピアノはややストイックなところはありますが、歌うべきところでは良く歌い、スウィングしていますし、ソロも含めスローな作品でのしっとりとしたプレイもいいムードを醸し出しています。また、ベースは比較的堅実なタイプ、ドラムは手数が割りと多いせいだからなのか、シンバル類がやたらとクリアに収録されている録音(ひょっとしてリマスタリング?)のせいかどうかはわかりませんが、リズムに独特ななキレを感じます。

 収録曲では1曲目は「情事の終わり」の快調さがいいです。なにしろ、リズムをまるめて至極あっさりやっているんで、一聴すると「情事の終わり」と気がつかないくらい。6曲目の「アッパー・マンハッタン....」も1曲目に準じた感じで心地よいです。7曲目の「コン・アルマ」はラテン風なリズムと4ビートが交互に現れるおもしろいアレンジ。アルバム最後の「ライク・ソニー」はアルバムを掉尾を飾るに相応しいミディアム調でリラクゼーション満開の曲。ついてに2曲ほどマドナのオリジナルが入ってますが、いずれも内省的でロマンティックな曲調で、これもなかなかいいです。

 それにしても、いかにも澤野工房らしい作品ですね。なんでもこれ「幻の名盤」らしいのですが、そんな仰々しさとは無縁な「さりげなさ」が良いんじゃないでしょうか。
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ハービー・ハンコック/ガーシュウィン・ワールド

2005年02月09日 23時48分41秒 | JAZZ
 タイトル通りのガーシュウィンを素材にした作品。ただ、ガーシュウィンだけでなく、時代的な相関関係からなんでしょうけれど、デューク・エリントンやラベルその他の作品もとりあげていて、このあたりは、この種の企画物とはひと味違うひねりを加えてます。
 また、参加しているメンツもジャズからだけではなく、ジョニ・ミッチェルやスティービー・ワンダー、オルフェウス室内管弦楽団といったジャンル横断的というか、とにかくハンコックの音楽的守備範囲の広さを誇示するような面々で、これはふたひねりくらいしている感じですかね。

 こういうお膳立てなんで、音楽的にはGRPが昔良く作ったような「ゴージャスでリッチで甘口な企画物」とは大分感触が異なってます。冒頭はいきなりアフリカン・ドラムですし、ジョニ・ミッチェル、スティービー・ワンダー、キャスリーン・バトルをフィーチャーしたヴォーカル物、オルフェウス室内管弦楽団をフィーチャーしたクラシック調、チック・コリアとのピアノ・デュオといった様々なフォーマットの楽曲の合間に、比較的オーソドックスな4ビート・ナンバーが入るという、けっこう複雑な構成になってます。

 もちろん、やっているのがそもそもハンコックなのですから、つまらないということはありません。それぞれのアレンジはよく作り込まれているし、多彩な音楽をあれもこれもと楽しめるのも確か。ただ、アルバムの全体の印象としては、ハンコックの作品としても、ガーシュウィンの作品集としても、少々拡散し過ぎてしまった感が強いんですよね。また、聴いていて、「ガーシュウインの時代の音楽を素材に、自らのキャリアを総決算しつつ、ジャズの過去と未来を占う」という意気込みはよく伝わってくるんですが、どうも、ジャンル横断的かつ包括的に音楽を扱おうとしたあまり、それぞれの音楽が妙に抽象化、芸術化されてしまい、ここ提示されるいろいろな音楽的要素がどうも単なる記号になりかけている....ような危うさを感じないでもないです。

 しばらく前の「ニュー・スタンダード」の時も感じたんですか、どうも近年のハンコックはかつて持っていた良い意味での通俗性みたいなものが、すっかり抜けてしまい、どうも枯れすぎというか、音楽的にハイブロウになり過ぎている気がします。個人的にはもう少しばかり「下世話でブっちぎった作品」に仕上げてもらっても、バチはあたらんだろうと思うんですがねぇ....。


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ジョバンニ・ミラバッシ・トリオ/Dal Vivo!

2005年02月07日 22時54分55秒 | JAZZ-Piano Trio
 澤野工房から強力にプッシュされている人で、エンリコ・ピアラヌンツィと同じイタリア人、ただし世代的にはぐっと若くて、多分現在30代前半くらいだと思いますから、ジャズの世界じゃ、まだまだ新人のクチでしょう。

 で、この人もひとくちにいってしまえば、「絵に描いたような欧州ジャズ、ピアノ・トリオ」なワケなんですけど、この人の場合、世代的にビル・エヴァンスやキース・ジャレットというより、いきなりエンリコ・ピエラヌンツィから直接的影響を受けているような感じがします。私の聴いたのは"Dal Vivo"というライブ盤ですが、ほとんがオリジナルで、ある種の美的感覚に裏打ちされた動的な感覚、敏捷さ、メロディを理知的に歌いあげていくあたりのセンスはいかにもそんな感じがしました。

 ただ、ピエラヌンツィのような時に熱気に乗じてフリーがかった展開になるようなところや、時に耽美的ムードに耽溺しきってしまう危うさ(魅力)は、この人場合ほとんどないといってもよく、もう少しナイーブでオーソドックス叙情性があるのは、この人の若さというより、たぶん特性なんでしょう。

 あと、いかにもヨーロッパ的なメランコリーを感じさせつつ、うまく構成されたあえていえば非常にプロポーションの良い曲を書く点と、汲めども尽きぬという感じで繰り出すフレージングの豊かさは彼独自の魅力というべきだと思います。このアルバムは、8分とか10分とかの比較的長い曲が多いのですが、曲良さとフレージングの豊かさでダレることなく、一気に弾き切っているあたりは、ミラバッシの実力のほどを感じさせますね。

 ただし、アルバム全体を通して聴くと、時に氾ヨーロッパ的なジャズの典型に彼自身が埋もれてしまうところが散見するのもまた事実。これで、もうひとつ抜けきったような個性が感じられれば、満点なんでけどね。まっ、こっちももう未だ聴き込みが足りないので、しばらくしたらまた印象もかわってくるかもしれませんが....。

PS:とはいえ、「エヴァンスのモンタレーでのライブに匹敵する」って、賛辞はちょいとばかり大げさじゃないすかね(笑)。

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ヘンリー・マンシーニ/アルティメット・ピンク・パンサー

2005年02月07日 22時12分09秒 | サウンドトラック
 ピーター・セラーズ主演、ブレーク・エドワーズ監督、音楽はヘンリー・マンシーニという布陣で、計6本(もあったんですね)作られた、ご存じ「ピンク・パンサー」シリーズの音楽からベスト選曲で構成されたコンピレーションです。
 ブレーク・エドワーズとマンシーニは相性が良いらしく、これらの作品の他にも、あまりといえばあまりにも有名な「酒とバラの日々」とか「ティファニーで朝食を」とかあるワケですが、私はエドワーズの監督作品というと、あのスラップスティック風味というか騒々しいドタバタ感がきらいで、どれもほとんど楽しめためしがないという人間なので、「ピンク・パンサー」シリーズもたいていは見ているはずですが、ほとんど記憶にありません。

 そんなワケなので、このシリーズ、マンシーニの音楽は大好きなのですが、シリーズ1枚、1枚をそろえる気もなれなかったので(しばらく前に出たマンシーニ・ボックスでも2作目以降の作品は冷遇されてましたし)、こういうアルバムは私にとっては朗報です。

 特にうれしかったのは、もう20年ぶりにくらいなると思いますが、久々に「ピンク・パンサー3のテーマ」が聴けたこと。例の「ピンク・パンサーのテーマ」にのって、パロディ的に「ヒッチコック劇場」だの「雨に歌えば」、「サウンド・オブ・ミュージック」あたりが出てくるのが楽しくて、パロディ好きの私としては昔から大好きな曲だったんですが、やっと聴くことができました。ついでにコーラスをフィーチャーして、これぞマンシーニ節という感じの、ビューティフルな「偉大な贈り物」を聴いたのも、20年ぶりくらいになると思います。当時はマンシーニがアコピでなくエレピを弾いているのに、モダンが印象を持ったものですが、今、聴くとフュージョン全盛期だった時代のムードを感じさせました。同じく「アンティル・ユー・ラブ・ミー」も同様。「4」の「香港の花火」や「クルーゾー警部のテーマ」あたりの曲も、「そういやぁ、こんな曲もあったよなぁ」って、懐かしかったです。できれば、ディスコのリズムであのテーマを痛快に演奏した「ピンク・パンサー4のテーマ」も聴きたかったところですが、まぁ、これだけ聴かせてくれれば、贅沢はいえません。


 それにしても、マンシーニって奥が深いです。僕は映画マニアだった、70~80年代はもっぱらイタリア的旋律美みたいな評価が定着していましたし、90年代は「ビーターガン」等に代表されるジャジーで、ダイナミックな音楽がもっぱら再評価されていたような気がします。一方、現在はというと、歴代のマンシーニのサントラ盤では一番地味なところに置かれていた、シングル・トーンのピアノ、優雅なストリングスをフィーチャーしたカクテル風におしゃれな諸曲がウケでいるみたいです。まっ、それだけ音楽の懐が広いということなんでしょうけど、そのうち「ハタリ」みたいなマンシーニの行進曲調のものが異常にウケまくったりする時代が来るのかなと思ったりすると楽しいです。

PS:マンシーニで個人的に一番再発してもらいたいのは、ジャクリーン・ビセットが主演した「シェフ殿、ご用心」だなぁ。わくわくするようなテーマと「ナターシャのテーマ」がもう一度聴きたいっす。
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BOB WELCH / His Fleetwood Mac Years & Beyond

2005年02月06日 23時07分48秒 | ROCK-POP
 70年代の後半、パリスというハードロック・バンド、あるいはその後の出した「センチメンタル・レディ」のスマッシュ・ヒットであの頃、有名だったボブ・ウェルチの新作です。

 タイトル通り、ホブ・ウェルチがフリードウッド・マックに在籍していた頃の曲を中心に再録したものですが、現在の彼はもうほとんど「昔の名前で出ています」状態でしょうから、この新作でもひょっとしてたら「もうよれよれかも....」とも危惧もありましたが、ヴォーカル、ギター、サウンド・ブロデュースのセンスと、どれをとってみてもほとんど衰えてません。さすがです。

 選曲も自分の声が届いたんじゃないかと思うくらいに私好みのもので、オリジナルを超えたなどというつもりはありませんが、ベスト・オブ・ライブ的な方法とは違う形で、良質なレトロスペクティブしたなという感じがします。個人的にはとても気に入りました。

 あと、彼は昔からとても器用なミュージシャンなので、このアルバムではなんと全ての演奏を自分でやっています。ただ、それかこうじてドラムまで打ち込みでやらかしているのはちと減点ですかね。いや、打ち込みのテクニックそのものはなかなかですが、なんせ、オリジナルはドラムスがミック・フリードウッドですからねぇ。あのグルーブ感はさすがに機械には出せないです。

PS:なお、これにはレギュラー盤と特別盤があるみたいで、後者はなんと彼の直筆サイン入り。なんとも涙ぐましい営業努力じゃ、ありませんか。私の買ったのはもちろん後者の方、なんせ長年のファンですからね(笑)。
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CARPENTERS / Singles 1969-1981 (SACD)

2005年02月06日 15時11分53秒 | ROCK-POP
 カーペンターズのベスト盤です。SACD用に新たにリマスターはおろかリミックスまでしているようです。これで1800円!、買うしかありません。

 CDに続く、新メディアとしてSACD(Super Audio CD)が登場してから、早4年、なにせソフトが出ない、メディアの認知度が低い、一般音楽愛好家にとってそれほど劇的な音質の向上が見込めない....ってな理由なんでしょう。なにしろ亀の子のような普及速度なもんですから、鳴り物入りのニューメディアもひよっとするとこのままフェイドアウトしてしまうのではないかと、危惧した時期もありましたが、こういうアーティストが出てくるところをみると、それなりには定着してきているようです。

 さて、一聴しての感想ですが、「え~、もう別物じゃん」って感じ。しばらく前に出たCD用のリミックスでも、その異様な分離の良さに違和感を感じないでもなかったですが、あっちはそれでも「オリジナルの佇まいみたいものを保持しつつ」みたいみたいなタガが感じられました。
 しかし、今回は5.1ch化という大義名分のせいなのか、通常の2chバートも、もはやいじり放題、さすがに新楽器をダビングこそしてないようですが、各種デジタル・エフェクターを駆使して、カレンのヴォーカルがぐぐっと前に出るわ、ストリングスはまるで人数増えたようだわ、ドラムや各種パーカスの抜けは良いわで、実にリッチで瀟洒なバランスに変貌してます。本当に最近のデジタル技術は凄い。そんなワケでクウォリティ的にはもうほとんど最新録音に遜色ないです。

 ただ、この音はカーペンターズにしては、豪華過ぎ、大柄過ぎるんじゃないと思うのもまた事実。カーベンターズって、あっけらかんとしたオプティミズムと、ある種ハンドメイド的な素朴さみたいなものを持っていたと思うんですけど、今回はそのあたりが見事、後方に追いやられた感じがないでもないです。以前の聴こえ方があくまでもアメリカン・ポッブスだとすると、今回のはスタンダート・アルバムのノリといでもいった感じとでもいったらいいでしょうか。鳴っている声や音は同じなんですけどね。聴こえ方がまるで違う。音楽とは不思議なものです。

PS: あっ、そうそうSACDとしての音質について一言。とにかくリミックスが違うので、従来盤とはあまり比較にならないと思いますが、SACDらしく高域が繊細、シルキー、ともかく非常に明るい音なのが特徴です。一応、CD層の音も聴いてみましたが、残響成分の聴こえ方、特に減衰の仕方が、SACDの方がはるかに克明かつ自然に聴こえます。SACDは高域が刺激的にならないので、クラシックには総じて有利に働く場合が多いのですが、ジャズやロックの場合、かえってメリハリが後退しているように感じる場合もあり、SACDだからなんでも良いというもんでもないですが、これは成功している部類だと思います。
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「私を愛したスパイ」とカーリー・サイモン

2005年02月01日 00時10分46秒 | サウンドトラック
 007シリーズは現在も5代目ピアーズ・プロスナンを擁して続いている(その彼もそろそろ終わりだろうか?)、映画史上でも最も長寿なシリーズだと思いますが、その中でも僕が好きなのが「私を愛したスパイ」という第10作目。

 とにかく、観ていてこのくらい豪華かつうれしくなる007映画もなかったという感じでなんですよね。冒頭のスキー・シーンと水中を駆け抜けるロータスエスプリのカッコ良さに圧倒され、随所に現れるパロディににんまりし、パーバラ・バックのゴージャズな美しさにはほれぼれする。ついでにオーラスの水中要塞の場面は、不評をかこった「二度死ぬ」の阿蘇山での戦闘の復習戦ってな感じで、「おぉ、そうだろう、そうだろう、あれは早すぎたのだ」と「私だけが知っている」的なマニアックなうれしさまであって、観終わったあと、上出来のグレーテスト・ヒット・アルバムでも聴いた気分で、満腹感もひとしおだったんです。

 で、この映画で、もうひとつ忘れられないのが主題歌。カーリー・サイモンが歌う「ノーバディ・ダズ・イット・ベター」がすごく良かったんだなぁ。007シリーズの主題歌というと、ダイナミックでやや泥臭い歌い上げパターンが多かったんだけど、マービン・ハムリッシュのゴスペルを思い切り洗練させたようなメロディーも意外なら、カーリー・サイモンのソフトでウォームに歌声も意外、個人的には衝撃的ですらありましたね。思えば、007シリーズの主題歌もここで一気に流れが変わったんじゃないでしょうか。シリーズ中の名曲の1つ、「オール・タイム・ハイ」なども、この曲があってこその曲だったような気がします。

 ところで、このカーリー・サイモンって人、私にとってはなかなか縁がない人で、前述の通り「ノーバディ・ダズ・イット・ベター」だけはもの凄く好きなんですけど、他のアルバムはほんど聴いたことがないんですよね。とりあえず、彼女はこの10年くらい、時折出すスタンダード・アルバムだけは、どういうわけか購入しているんですけど、どうもオリジナル・アルバムにはなかなか手がでないんです。声や雰囲気は大好きなんですけどね。どうしてなんだろう?。「ノーバディ・ダズ・イット・ベター」を聴く度に、今度こそオリジナル・アルバムを聴いてやろう....って必ず思うんですよね。えぇ、今もそうなんですけど(笑)。
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