もう10年近く前になりますが、パソ通の音楽や映画関係のフォーラムで良く話題になったネタに、「日曜洋画劇場の最後で聴こえる番組のエンドタイトルの曲は何?。」ってのがあって、あの話題が繰り返しいろいろなところで出る度に、あの番組の影響力みたいなものを痛感したものです。
で、このネタ、よくわからないうちは、やれラフマニノフだ、いやマックス・スタイナーだ、そうではなくて神津善行だ、とか諸説ふんぷんだったんですけど(私はラフマニノフだと思っていたクチ-笑)、どうやら原曲がコール・ポーターの「ソー・イン・ラブ」ってことが判明すると、お次は当然「んじゃぁ、誰が演奏してんのさ?」ってことになり、これがなかなか分からなかったんですね。ひょっとすると、周知の事実だったかもしれないけれど、私があの演奏をアメリカのモートン・グールドが編曲・演奏しているものだと知ったのは、あれからずっと下って1年ちょい前くらいのことです。
ある方の連絡で、オークションで復刻盤を販売していることを知り、勇んで購入しました。全部で8曲入っていたアルバムですが、他の曲はどうでも良く、お目当ての「ソー・イン・ラブ」をまっさきに聴いたものです。記憶によれば、冒頭はマンシーニの「酒とバラの日々」みたいな感じで、トロンボーンかなにかの金管で始まったように思っていたのですが、低弦だったんですね。で、あの鬱蒼としたストリングスが入ってくると、もう感無量。
あの頃、日曜の夜っていうと、なんか、そこはかとなくブルーな感じで、この「ソー・イン・ラブ」が聴こえてくるころになると、「あ~あ、もう日曜も終わり、明日から仕事(学校)かぁ」って感じで、よく鬱な気分になったもんですけど、なんかそれが見事に甦りました。ついでに、かの番組で観た、「ガス灯」「ベニスに死す」「シャレード」「めまい」といった名画の数々まで甦ってきてしまい、しばし遠い目になったり、センチな気分になったりもしたものです。
いや、実は今も聴いてるんですけどね。本当にこの曲、あの気分にマッチしてます。日曜洋画劇場を頻繁に観ていた頃から、もう四半世紀は過ぎようっていうのに、日曜の夜の鬱な気分は今もあまり変わりませんね(笑)。あぁ、また一週間仕事かぁ....。
◆ モートン・グールド編曲の《ソー・イン・ラヴ》 ◆
で、このネタ、よくわからないうちは、やれラフマニノフだ、いやマックス・スタイナーだ、そうではなくて神津善行だ、とか諸説ふんぷんだったんですけど(私はラフマニノフだと思っていたクチ-笑)、どうやら原曲がコール・ポーターの「ソー・イン・ラブ」ってことが判明すると、お次は当然「んじゃぁ、誰が演奏してんのさ?」ってことになり、これがなかなか分からなかったんですね。ひょっとすると、周知の事実だったかもしれないけれど、私があの演奏をアメリカのモートン・グールドが編曲・演奏しているものだと知ったのは、あれからずっと下って1年ちょい前くらいのことです。
ある方の連絡で、オークションで復刻盤を販売していることを知り、勇んで購入しました。全部で8曲入っていたアルバムですが、他の曲はどうでも良く、お目当ての「ソー・イン・ラブ」をまっさきに聴いたものです。記憶によれば、冒頭はマンシーニの「酒とバラの日々」みたいな感じで、トロンボーンかなにかの金管で始まったように思っていたのですが、低弦だったんですね。で、あの鬱蒼としたストリングスが入ってくると、もう感無量。
あの頃、日曜の夜っていうと、なんか、そこはかとなくブルーな感じで、この「ソー・イン・ラブ」が聴こえてくるころになると、「あ~あ、もう日曜も終わり、明日から仕事(学校)かぁ」って感じで、よく鬱な気分になったもんですけど、なんかそれが見事に甦りました。ついでに、かの番組で観た、「ガス灯」「ベニスに死す」「シャレード」「めまい」といった名画の数々まで甦ってきてしまい、しばし遠い目になったり、センチな気分になったりもしたものです。
いや、実は今も聴いてるんですけどね。本当にこの曲、あの気分にマッチしてます。日曜洋画劇場を頻繁に観ていた頃から、もう四半世紀は過ぎようっていうのに、日曜の夜の鬱な気分は今もあまり変わりませんね(笑)。あぁ、また一週間仕事かぁ....。
◆ モートン・グールド編曲の《ソー・イン・ラヴ》 ◆
最近TVで映画観なくなってしまったので今の曲がどうなのか良くわからない。今週聞いてみます。
貴重な情報ありがとうございました。