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ドボルザーク 交響曲第9番「新世界」/リッツィ&NHK交響楽団

2009年12月31日 20時18分37秒 | クラシック(一般)
 以前に書いたが、自分にとって年末の第9とはベートーベンのそれではなく、ドボルザークの「新世界」である。この曲の随所からあふれ出る望郷の念だとか、どんじり風な切迫感だのが、きっと帰郷ラッシュを迎え、いかにも押し詰まった今の時期に気分的に合っているだと思う....と、これもかつて同じところ書いた。で、例年は時に応じて新規に購入したCDの聴き比べが恒例だったのだが、今年のはちと趣向を変えて、「新世界」を視聴してみることにした。演奏はカルロ・リッツィが指揮するN響で、今年の前半にBSでオンエアされた第1641回定期からものだ。リッツィは初めて聴く人だが、1960年生まれのイタリア人とのことだ、年齢的には中堅といったところだろう。いかにもこの国の指揮者らしく、どうも専門はオペラのようだが、2005年のザルツブルク音楽祭で、急逝したマルチェッロ・ヴィオッティのピンチヒッターとして、「椿姫」を指揮して大成功したことで、一躍知名度を上げた人らしい。

 さて、このリッツィとN響による演奏だが、指揮者がイタリア人という当方の先入観も大きいとは思うが、伸びやかによく歌う旋律、シェイプするリズムに直線的な推進力といった、いかにもアバドやムーティらの後塵を拝する、いかにも現代のイタリア人指揮者による演奏という感じである。第1楽章は主題提示は譜面通りの反復して、メリハリはあるがドラマチックな盛り上がりはほどほどに、全体をプロポーショナルにまとめているという感じ。途中登場する愛らしい旋律や後半の金管を中心とした場面で、それぞれの楽器にきっちりと音楽的な役割を分担させようとしする、交通整理をするような指揮振りはまさにオペラ的である。第2楽章はイタリア指揮者ならやはりこうなるだろうという、この楽章の望郷の念を歌いまくって表現した演奏だ。指揮者のテンペラメント溢れる身振り手振りや、何故か美人がやけに多いN響でもアイドルのひとり(?)池田昭子のオーボエのソロなどを観ながら聴くと、この耳タコの旋律も新鮮な感興がある。

 第3楽章は古典的スケルツォというよりは、キリっとして直線的な演奏の流れの上で、短いシグナル風のモチーフが入り乱れることを強調したような演奏だ。この曲になさそうでけっこうあるモダンさのようなものが良く分かる解釈といえるかもしれない。トリオを経てスケルツォが回帰するあたりの間合いも良い感じ。どんじりの第4楽章はこれまでの主題を次々に再現し、突き進むような怒濤のような展開をする実にドラマチックな音楽だが、この演奏ではあちこちに風呂敷を広げない直線的な演奏でぐいぐい進んでいく、ややスリムな印象だ。フリッチャイとベルリンが組んだ、あの巨大な演奏を同曲のベストと思っている私としては、ちと低カロリーに思ってしまうところがないでもないが、今時あんな超高カロリーの演奏など誰もしないだろう。客観的に見れば、これはこれで十分にテンションに盛り上がっているし、素晴らしい演奏だと思う。という訳で、映像付きで観る「新世界」、音だけで聴くそれとは、ひと味違った感興があって楽しめた。

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