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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

R.シュトラウス 交響詩「ドン・ファン」 聴き比べ [1]

2006年02月12日 23時11分25秒 | クラシック(一般)
 後期ロマンの爛熟した音楽というは、大抵好きになれるものなのですが、リヒャルト・シュトラウスだけはどうも苦手です。その昔、クラシックの名曲を歴史順に聴いていた時、R.シュトラウスの有名な交響詩は、なにやらロマンチックで豪華な音の絵巻みたいなもんだろうと期待して、早く順番が来るのを楽しみにしていたもんです。ところが実際に聴いてみると、あまりピンとこなかった。「ロマンチックで豪華な音の絵巻」といえば、確かにその通りだった訳ですが、音楽に陰りがないというか、聴いても聴いても心底音楽で訴えたいものが見あたらない、あえていえば外面的な音楽に聴こえてしまったんですね。

 まぁ、さすがに最近は「R.シュトラウスの音楽って、そういうもんなんだろ」みたいに、ある程度割り切って接することができるようになりましたけど、苦手意識は相変わらずで、固めて聴くのは数年に一度ってところでしょうか....。前振りが長くなりましたけど、そんな私が何を考えたか、久々にR.シュトラウスをあれこれ聴いています。今回は「ドン・ファン」の演奏をあれこれ聞き比べているところですが、これが意外にも楽しい。

 さて、この「ドン・ファン」ですが、割と明快なソナタ形式、曲調もメリハリがあり、演奏時間も15分程度と、この時期の交響詩としてはコンパクトな部類ですから、R.シュトラウスが苦手な私としては、「ティル」あたりと並んで聴きやすく感じる曲ではあります。で、手許を調べでみると、ライナー、ドラティ、セル、カラヤン、ショルティ、マゼール、ブロムシュテット、未聴分としてはケンペとジンマンのボックス・セットがありました。苦手な割にけっこうありますが、これも「今は苦手でも、いつか絶対に楽しんで聴けるハズ」という、いつも病気が出て、時折買い込んできた成果でしょう(笑)。ともあれ、今日聴いたのその中から3種類の演奏を聴いてみました。どれも大昔の演奏。

○ジョージ・セル&クリーブランド管弦楽団(`57)
 僕がこの曲を聴いた最初に聴いた演奏がこれです。セルが振ると第1主題のところなどまるでメンデルゾーンの「イタリア」みたいに聴こえます。第1主題から第2主題へ移行する場面で奏でられるソロ・ヴァイオリンの部分など、下手するといかにも古くさい陳腐な旋律になりがちですが、甘さを排したすっきりとした演奏で、ロマンティックな第二主題へスムースにバトンタッチしていくあたりのスポーティーな音楽の運びはさすがセルというべきでしょう。展開部のハイライトで登場する印象的なホルンの旋律や同じく展開部最後の幻想的な場面も同様、ともかく非常にすっきりとした演奏です。ちなみにCDは全体に音がぼやけ気味ですが、この際だからと試しに聴いてみたSACDの方は、リマスタリングの整音作業が成功しているのか、細部まで見通しの良い音質に劇的に変身していてびっくり。一体、どっちがマスターに近い音なんでしょうね?。

○アンタル・ドラティ&ミネアポリス交響楽団(`58)
 やや遅めのインテンポで堅実にまとめたごくごくまっとうかつ正統派の演奏。ただしオーケストラはクリーブランドやシカゴと比較すると、ややバラけたようなところがあって、展開部のゆったりした部分などやや間延びしてしまった感がなくもないです。しかしながら、くっきりとした音の輪郭、腰のある低音、オケを間近で聴くようなリアルな臨場感といった具合に、マーキュリーのレヴィング・プレゼンス独特のセンスで録られた音質のせいか、演奏が非常に色彩的で聴こえるのは大きなポイントでしょう。それにしてもこのレーベルの音を聴くといつもそう思うんですが、半世紀前にどうしてこんな鮮明な音で録れたんでしょうか。まるで昨日録音したといっても通用しそうな音質なのは驚き。そんな訳でコレ、録音美人の最たる演奏....などといった怒られるか(笑)。

○フリッツ・ライナー&シカゴ交響楽団(`54)
 ドラティほどではありませんが、ホールトーンが適度に取り入れたなかなかの優秀録音、なんといっても1954年でステレオ録音というのが奇蹟的です。演奏はとにかくドライブしています。ジャズ風にいえばスウィングしているとでもいったらいいか。また、オケのサウンドも弾力と馬力でシカゴ交響楽団の面目躍如といったところでしょうか。そういう演奏なので、主題提示の第2主題など、幻想的、旋律的な部分はそっちのけ、第1主題の勢いが失せないという風情で、さっさとすっ飛ばしているようなところもあります。とはいえ、この第2主題、展開部では腰を据えてきちんと歌っているので、まぁ、あくまでも解釈なのかもしれませんが....。再現部では提示部以上に猛烈にスウィングして一気呵成にコーダ雪崩れ込むという感じで、痛快この上ない演奏です。
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伊福部昭 ゴジラ伝説/井上誠

2006年02月12日 12時42分06秒 | サウンドトラック
 1984年に生オケによる「SF特撮映画音楽の夕べ」が開催されたのは、伊福部ファンにとっては80年代のひとつのハイライトだった訳ですが、結果的にこれの露払いのように現れた作品がこれだったといえるでしょう。当時、ニュー・ウェイブ系のバンドとして知る人ぞ知るという存在だったヒカシューのキーボード奏者が、シンセサイザーのオーバー・ダビングによるオーケストレーションでもって再現したゴジラ関連の音楽ばかり集めた作品だった訳ですが、井上自身が伊福部先生のほとんど殉教者のような愛情をもったファンだったことが幸いし、伊福部ファンにって、選曲、アレンジ、サウンドなどなど、「かゆいところに手がとどくようなアルバム」になっていたことが画期的でした。

 選曲はほぼ満点、「ゴジラ」の始まり「キング・コング対ゴジラ」3曲、「モスラ対ゴジラ」「地球最大の決戦」2曲、「怪獣大戦争」、「怪獣総進撃」等、おおそよ伊福部先生の作ったゴジラ関連のメインタイトルやマーチ系の名曲が網羅されていることに加え、「コング輸送作戦」、「黒部谷のテーマ」、「キングギドラ出現」といった通好みの作品も収録されいたことはファンにとっては感涙モノ....というか、はっきりしませんが、おそらくこれらの作品は「ゴジラ伝説」によって、改めてファンに伊福部作品の名曲として認知されたという気すらします。いずれにしても昭和40年代を前後数年くらいのスパンに制作され、それを観ながら少年時代を過ごした人達が記憶しているであろう曲を選び抜いた見事な選曲であり、これによりこのアルバムは成功はもう半分約束されていたようなものでした。
 加えて、これは井上の先生に対する愛情のなせる技だったと思いますが、とにもかくにも徹底的な原典重視の姿勢を貫いたことも、ファンに絶大に受けた原因となっていたと思います。先生の譜面にない音は極力を付け加えず、シンセのよるオケのシミュレートに徹するその潔い姿勢が、ほとんど誰が聴いても納得できる「伊福部音楽のシンセ化」という、簡単そうでいておそらく難しい壁をクリアに導いたのでしょう。
 もちろん、まったく先生の譜面に対して、何も付け加えていない訳ではありませんが、各種SEの付加にせよ、ベースとドラムをプラスしてロック風なリズムに解釈している場面にしているところでも、本末転倒にならない程度に抑制してあって、「主役はあくまでオリジナル・スコア」を堅持しているあたり、しつこいようですが、井上の先生に対する愛情としかいいようがないもので、そのあたりがまた共感を呼んだ訳です。

 ついでに書けば、ここで用いられてシンセはどちらかといえば、アナログ・シンセ主体で当時爆発的勢いで普及しかけていたデジタル・シンセにはあえて背を向けて(全く使っていない訳ではないですが)、ジュピター8等の重厚な音のするシンセをメインに使い、場合によっては当時陳腐化していたメロトロンも併せて使うなど、ここでも重厚な伊福部サウンドに忠誠を誓っているあたり井上のこだわりを感ぜずにはいらません。
 最後に前段の物言いとは矛盾するかもしれませんが、これを一聴し「ゴジラのテーマ」が「怪獣大戦争のテーマ」がロック・ビート風なドラムをともない、緻密なシンセ・オーケストレーションで聴こえてきた時、「いやぁ、ゴジラの音楽って今でも生きているんだな」は感動したものです。モノラルの貧弱な音質だったせいもありますが、既に「過去のモノ」となっていたこれらの音楽を、控えめながら現代に蘇生させてくれたこのアルバムに、今もって愛着を感じている人もけっこう多いのではないでしょうか。もちろん私もそのひとりでありますが。
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伊福部昭 モスラ対ゴジラ (Soundtrack)

2006年02月12日 02時44分05秒 | サウンドトラック
 先生が作った特撮映画関係の音楽でもっとも好きなの作品のひとつががこれ。この作品はゴジラ映画としても最高傑作の部類ですが、昭和39年という先生の映画音楽の全盛期ということもあって、スケールの大きなオーケストレーション、魅力的な旋律の数々、縦横に張り巡らされたモチーフの完璧な配置などなど、まさに先生が映画という土俵でとった横綱相撲といった趣の作品であります。

 冒頭の「メインタイトル」は、いきなりピアノをひっかく音なども取り入れた衝撃的な音響によるショッキングなサウンドに始まり、すぐさまゴジラ出現のテーマををメインにしつつ、わずかに2分間にこの映画にちりばめられた印象的なモチーフを凝縮しています。なにしろこのメインタイトルがいいです。この映画で実は前半30分過ぎまでゴジラは全く登場しない訳ですが、その分、このメインタイトルでもってゴジラが暴れさせている訳で、音楽面でゴジラ映画として見事にバランスさせているあたり、さすがであります。
 映画の前半では「モスラ受難のテーマ」と僕が勝手に読んでいるモチーフと「聖なる泉」に連なるモチーフが印象に残ります。前者はモスラの卵が漂着する場面等に、後者はザ・ピーナッツが演じる小美人が登場する場面に使用される訳ですが、いずれもこの映画のヒューマンなタッチを盛り上げています。また「マハラ・モスラ」のテーマの変形である「モスラ去る」の哀愁に満ちたメロディーも忘れがたいものがあります。

 中盤ではなんといっても倉田浜干拓地でゴジラが土中から登場する名シーンで使用された「ゴジラ出現のテーマ」でしょう。このモチーフは第1作から現れているものですが、第1作ではまだ萌芽のように形があまり定まっておらず、前作の「キング・コング対ゴジラ」でようやくはっきりとした形をとった訳ですが、名実共にゴジラのテーマとなったのはやはりこの場面からでしょう。そういう訳でここからしばらくはこのテーマが音楽面でも支配的です。
 そして後半になると、このゴジラのテーマとモスラ関連のモチーフを縦横に組み合わせた圧巻の音楽となります。ことに有名な8分にも及ぶ「幼虫モスラ対ゴジラ」の音楽は、その気宇壮大なスケール感はもちろんですが、同時に表現される一種の悲愴感が素晴らしく。ワンアンドオンリーな伊福部ワールドをたっぷり堪能させてくれるのです。

 ちなみに作品は私の音楽的ルーツのひとつであります。私は5歳の時、この映画を愚兄に連れられて映画館でリアル・タイムで観ていますが、その時の印象はかなり強烈なものがあったにせよ、まさかそれが音楽的ルーツになっているとは思いもよりませんでした。同じ年に私はもうひとりの愚兄がビートルズに熱中していたおかげてビートルズという音楽的洗礼を受けたおかげてルーツはそれだとばかり思っていたのです。ところが80年代になって久しぶりにこの映画を観て、私はこれらの特撮映画に実は伊福部音楽を聴いていたことを知ったのでした。
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