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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
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R.シュトラウス 交響詩「ドン・ファン」 聴き比べ [2]

2006年02月13日 23時44分19秒 | クラシック(一般)
 R.シュトラウスの交響詩「ドン・ファン」聴き比べの2日目は殻カラヤン3種を聴いてみました。カラヤンのR.シュトラウスといえば、ご存じのとおり「十八番中の十八番」ですから、再録も非常に多く、昨夜からいろいろ探してみたところ、我が家にも40,50,70年代の演奏が出てきましたので、これ幸いと先ほどから聴いているところです。


○ヘルベルト・フォン・カラヤン&アムステルダムCO(`43)
 カラヤン最初期のレコーディングのひとつ。カラヤンは28年の初ステージの時からこの曲を振っているらしく、既に堂々たる構えの演奏になっています。カラヤンがこれを録音した頃はといえば、R.シュトラウスは現代音楽というほどではないにしても、かなりモダンな代物と認識されていたはずですが、そのせいなのかどうか、ある種ワーグナーの亜流として作品を解釈しているようにも思えます。つまり、とてもワーグナーっぽく聴こえる演奏と私には聴こえました。
 まぁ、この時期の彼の作品は元々ワーグナー色が強いですから、別に作品を曲げている訳ではありませんが、同時のこの曲にはR.シュトラウス流の不協和音もけっこう使った刺激的なオーケスレーションだとか、細かい音を高速で動かしてモダンな色彩を出すところなども多々あります。この演奏ではそうしたモダンな動きのところは割と一気に流してしまい、「マイスタージンガー」を思わせる壮麗な明るさや、ウィーン風に甘美なところを前面に出しているという感じでしょうか。ちなみに第1主題を始めとするアレグロの部分で、挑みかかるように前進して行く様は(実はテンポはそれほど早くないのですが)、後年の落ち着き払ったカラヤンとは別人のような若さを感じさせて、なかなか新鮮に響きます。

○ヘルベルト・v・カラヤン&フィルハーモニアO(`54)
 なにしろメンゲルベルクの頃のアムスの重厚な音を聴いた直後なので、この精細だがどこか冷たくあっさりしているオーケストラの音を聴くとあまりに違いに驚きます。フィルハーモニア管弦楽団は、EMIのハウスオーケストラとして、精鋭を集めてレコーディング・セッション用に集められた訳ですが、その成り立ちが表すように、とにもかくにもプロに徹したドライでハードボイルドなオーケストラ・サウンドが特徴で、こういう曲だと一種凄みすら感じるほどです。まぁ、録音がこの時期のEMI特有の質感になっている相乗効果も無視できませんが....。
 演奏はアムスとのそれとは対照的に、R.シュトラウスのモダンなオーケスレーションを克明に再現しているのが特徴で、ワーグナー風、ウィーン風なところはけっこうあっさりと演奏しているように感じました。アムスとの演奏でのこの部分は現在聴くとやや古めかしくて、まるでハリウッド映画のサントラにみたいに聴こえかねにいところもありましたから、バランスとしてはこれくらいで調度いいような気もしますが....、いや、やっぱりちょいと薄味か(笑)。
 という訳で、この演奏、フィルハーモニアのスーパーテクニック集団ぶりはと併せ、カラヤンの「ドン・ファン」の盤歴史上、もっともザッハリッヒな演奏ということになるんでしょか。ある意味でジョージ・セルとクリーブランドとの演奏に近いものも感じます。

○ヘルベルト・フォン・カラヤン&ベルリンPO(`73)
 こちらはカラヤンとベルリンと最も良好な関係にあった70年代のまさに全盛期の録音。カラヤンとしても決定版を期しての録音を狙ったものと思われ、ベルリン・フィルの機動性と重量感を万全に生かしR.シュトラウスのオーケストレーションを完璧に再現、カラヤン流のエレガントで歌い回し、壮麗なスケール感も存分に開陳した、「この曲にこれ以上何を望むのか」的なほとんど究極の演奏といえます。
 この時期になれば、かつてモダンだったR.シュトラウスのオーケスレーションもほぼ当たり前のものになっていますし、ことさらモダンだ、ウィーン風だとかいういわずとも、この作品自体、R.シュトラウスの作ったロマン派音楽の傑作として、スタンダローンな評価も確定したでしょうから、こういう演奏が現れるというのはカラヤン自身の円熟というもありますが、やはり時代の流れというもの大きかったんでしょうね。
 老婆心ながら、この演奏は最初に聴くべきではありません。私はこの曲をジョージ・セルの演奏で知り、あれこれ聴いたあげくにこの演奏を聴きましたから、この演奏は正直申してやや腰の重い、ファットな演奏という気がしないでもないですが(演奏時間も17分と最長)、良くも悪しくも「ドン・ファン」をこの演奏で馴染んでしまうと、他の演奏はおしなべてそっけなく、つまらないものに感じてしまうであろうことはほぼ確実ですから....。
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CHICK COREA / The Leprechaun

2006年02月13日 00時08分11秒 | JAZZ-Fusion
 RTFの「浪漫の騎士」と同年に発表されたソロ名義の作品です。この年のチックは非常に多作で、ソロ名義としては他に2枚組の大作「マイ・スパニッシュ・ハート」、ついでにジャレットやハンコックと共演したライブも出していますから、まさに四面楚歌の活躍振りといったところだったのでしょう。音楽面ではRTFのバンドとしてやるべきことにそろそろ限界を感じ、ソロに新たな活路を見いだしたというところだったのかもしれません。

 アルバム冒頭は、シンセ多重による「インプス・ウェルカム」という曲。チックは楽器オタクみたいなところがあって、新しい楽器が出るとそれにインスパイアされて、それ向きな楽曲をつくるみたいなところなきにしもあらずでしたけど(80年代はヤマハのDXにどっぷりでした、この時期だとミニ・ムーグやアープ・オデュッセイといったところでしょうか)、この曲も飛び道具で遊んでみた1曲というところなんでしょう。

 ただし、それ以降の曲はドラムスにスティーブ・ガッド、ベースがアンソニー・ジャクソン(もしくはエディ・ゴメス)というピアノ・トリオをベースに、ゲイル・モランのヴォーカルとチック自らのシンセを随所にフィーチャーした、割とアコスティック色が強い音楽になっています。誤解を恐れずにいえば、RTFの第2作「ライト・アズ・ア・フェザー」あたりでいったん棚上げしていた音楽を再び発展させたとみることも可能で、2曲目「レノーレ」で、ゆったりとしたサウンドにのって、スペイシーなシンセ・ソロが登場したり、3曲目の「夢想」,4曲目「世界を見つめて」で、女性ヴォーカルが現れるあたりは、RTF初期の浮遊感を思い起こさせずにはいられません(エレピがアコピに替わったということはありますけど....)。

 一方、5曲目の「夜の精」では同時期のRTFと共通する複雑なキメや変拍子を多用したゴリゴリ感の強いハードな作品ですし、6曲目「ソフト・アンド・ジェントル」にはバルトーク風なストリングスが聴こえてきたりもします。また「ピキシランド・ラグ」もどちらかといえばバルトークや新古典派を思わせるシニカルなユーモアを感じさせる作品で、前記のRTFの延長線では語れない要素も散見するのも事実。アルバムのコンセプトとしては、そこまでに鏤められた音楽的ファクターをオーラスの大作「妖精の夢」で、一気に全て統合してしまおうと意図しているようですが、どうもこれまで提示された音楽にヴァリエーションがありすぎて、まとめあぐねているような印象もあります。

 そんな訳で、このアルバム、少しばかりとっ散らかってまとまりがないと感じてしまいました。部分的にはきれいだったり、カッコ良かったりする訳ですが、いかんせん、このアルバムでメインに出したいであろう「妖精」という幻想的なコンセプトには収まりきらなかったという気がするんですが、どうでしょう?。
コメント (2)
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