後期ロマンの爛熟した音楽というは、大抵好きになれるものなのですが、リヒャルト・シュトラウスだけはどうも苦手です。その昔、クラシックの名曲を歴史順に聴いていた時、R.シュトラウスの有名な交響詩は、なにやらロマンチックで豪華な音の絵巻みたいなもんだろうと期待して、早く順番が来るのを楽しみにしていたもんです。ところが実際に聴いてみると、あまりピンとこなかった。「ロマンチックで豪華な音の絵巻」といえば、確かにその通りだった訳ですが、音楽に陰りがないというか、聴いても聴いても心底音楽で訴えたいものが見あたらない、あえていえば外面的な音楽に聴こえてしまったんですね。
まぁ、さすがに最近は「R.シュトラウスの音楽って、そういうもんなんだろ」みたいに、ある程度割り切って接することができるようになりましたけど、苦手意識は相変わらずで、固めて聴くのは数年に一度ってところでしょうか....。前振りが長くなりましたけど、そんな私が何を考えたか、久々にR.シュトラウスをあれこれ聴いています。今回は「ドン・ファン」の演奏をあれこれ聞き比べているところですが、これが意外にも楽しい。
さて、この「ドン・ファン」ですが、割と明快なソナタ形式、曲調もメリハリがあり、演奏時間も15分程度と、この時期の交響詩としてはコンパクトな部類ですから、R.シュトラウスが苦手な私としては、「ティル」あたりと並んで聴きやすく感じる曲ではあります。で、手許を調べでみると、ライナー、ドラティ、セル、カラヤン、ショルティ、マゼール、ブロムシュテット、未聴分としてはケンペとジンマンのボックス・セットがありました。苦手な割にけっこうありますが、これも「今は苦手でも、いつか絶対に楽しんで聴けるハズ」という、いつも病気が出て、時折買い込んできた成果でしょう(笑)。ともあれ、今日聴いたのその中から3種類の演奏を聴いてみました。どれも大昔の演奏。
○ジョージ・セル&クリーブランド管弦楽団(`57)
僕がこの曲を聴いた最初に聴いた演奏がこれです。セルが振ると第1主題のところなどまるでメンデルゾーンの「イタリア」みたいに聴こえます。第1主題から第2主題へ移行する場面で奏でられるソロ・ヴァイオリンの部分など、下手するといかにも古くさい陳腐な旋律になりがちですが、甘さを排したすっきりとした演奏で、ロマンティックな第二主題へスムースにバトンタッチしていくあたりのスポーティーな音楽の運びはさすがセルというべきでしょう。展開部のハイライトで登場する印象的なホルンの旋律や同じく展開部最後の幻想的な場面も同様、ともかく非常にすっきりとした演奏です。ちなみにCDは全体に音がぼやけ気味ですが、この際だからと試しに聴いてみたSACDの方は、リマスタリングの整音作業が成功しているのか、細部まで見通しの良い音質に劇的に変身していてびっくり。一体、どっちがマスターに近い音なんでしょうね?。
○アンタル・ドラティ&ミネアポリス交響楽団(`58)
やや遅めのインテンポで堅実にまとめたごくごくまっとうかつ正統派の演奏。ただしオーケストラはクリーブランドやシカゴと比較すると、ややバラけたようなところがあって、展開部のゆったりした部分などやや間延びしてしまった感がなくもないです。しかしながら、くっきりとした音の輪郭、腰のある低音、オケを間近で聴くようなリアルな臨場感といった具合に、マーキュリーのレヴィング・プレゼンス独特のセンスで録られた音質のせいか、演奏が非常に色彩的で聴こえるのは大きなポイントでしょう。それにしてもこのレーベルの音を聴くといつもそう思うんですが、半世紀前にどうしてこんな鮮明な音で録れたんでしょうか。まるで昨日録音したといっても通用しそうな音質なのは驚き。そんな訳でコレ、録音美人の最たる演奏....などといった怒られるか(笑)。
○フリッツ・ライナー&シカゴ交響楽団(`54)
ドラティほどではありませんが、ホールトーンが適度に取り入れたなかなかの優秀録音、なんといっても1954年でステレオ録音というのが奇蹟的です。演奏はとにかくドライブしています。ジャズ風にいえばスウィングしているとでもいったらいいか。また、オケのサウンドも弾力と馬力でシカゴ交響楽団の面目躍如といったところでしょうか。そういう演奏なので、主題提示の第2主題など、幻想的、旋律的な部分はそっちのけ、第1主題の勢いが失せないという風情で、さっさとすっ飛ばしているようなところもあります。とはいえ、この第2主題、展開部では腰を据えてきちんと歌っているので、まぁ、あくまでも解釈なのかもしれませんが....。再現部では提示部以上に猛烈にスウィングして一気呵成にコーダ雪崩れ込むという感じで、痛快この上ない演奏です。
まぁ、さすがに最近は「R.シュトラウスの音楽って、そういうもんなんだろ」みたいに、ある程度割り切って接することができるようになりましたけど、苦手意識は相変わらずで、固めて聴くのは数年に一度ってところでしょうか....。前振りが長くなりましたけど、そんな私が何を考えたか、久々にR.シュトラウスをあれこれ聴いています。今回は「ドン・ファン」の演奏をあれこれ聞き比べているところですが、これが意外にも楽しい。
さて、この「ドン・ファン」ですが、割と明快なソナタ形式、曲調もメリハリがあり、演奏時間も15分程度と、この時期の交響詩としてはコンパクトな部類ですから、R.シュトラウスが苦手な私としては、「ティル」あたりと並んで聴きやすく感じる曲ではあります。で、手許を調べでみると、ライナー、ドラティ、セル、カラヤン、ショルティ、マゼール、ブロムシュテット、未聴分としてはケンペとジンマンのボックス・セットがありました。苦手な割にけっこうありますが、これも「今は苦手でも、いつか絶対に楽しんで聴けるハズ」という、いつも病気が出て、時折買い込んできた成果でしょう(笑)。ともあれ、今日聴いたのその中から3種類の演奏を聴いてみました。どれも大昔の演奏。
○ジョージ・セル&クリーブランド管弦楽団(`57)
僕がこの曲を聴いた最初に聴いた演奏がこれです。セルが振ると第1主題のところなどまるでメンデルゾーンの「イタリア」みたいに聴こえます。第1主題から第2主題へ移行する場面で奏でられるソロ・ヴァイオリンの部分など、下手するといかにも古くさい陳腐な旋律になりがちですが、甘さを排したすっきりとした演奏で、ロマンティックな第二主題へスムースにバトンタッチしていくあたりのスポーティーな音楽の運びはさすがセルというべきでしょう。展開部のハイライトで登場する印象的なホルンの旋律や同じく展開部最後の幻想的な場面も同様、ともかく非常にすっきりとした演奏です。ちなみにCDは全体に音がぼやけ気味ですが、この際だからと試しに聴いてみたSACDの方は、リマスタリングの整音作業が成功しているのか、細部まで見通しの良い音質に劇的に変身していてびっくり。一体、どっちがマスターに近い音なんでしょうね?。
○アンタル・ドラティ&ミネアポリス交響楽団(`58)
やや遅めのインテンポで堅実にまとめたごくごくまっとうかつ正統派の演奏。ただしオーケストラはクリーブランドやシカゴと比較すると、ややバラけたようなところがあって、展開部のゆったりした部分などやや間延びしてしまった感がなくもないです。しかしながら、くっきりとした音の輪郭、腰のある低音、オケを間近で聴くようなリアルな臨場感といった具合に、マーキュリーのレヴィング・プレゼンス独特のセンスで録られた音質のせいか、演奏が非常に色彩的で聴こえるのは大きなポイントでしょう。それにしてもこのレーベルの音を聴くといつもそう思うんですが、半世紀前にどうしてこんな鮮明な音で録れたんでしょうか。まるで昨日録音したといっても通用しそうな音質なのは驚き。そんな訳でコレ、録音美人の最たる演奏....などといった怒られるか(笑)。
○フリッツ・ライナー&シカゴ交響楽団(`54)
ドラティほどではありませんが、ホールトーンが適度に取り入れたなかなかの優秀録音、なんといっても1954年でステレオ録音というのが奇蹟的です。演奏はとにかくドライブしています。ジャズ風にいえばスウィングしているとでもいったらいいか。また、オケのサウンドも弾力と馬力でシカゴ交響楽団の面目躍如といったところでしょうか。そういう演奏なので、主題提示の第2主題など、幻想的、旋律的な部分はそっちのけ、第1主題の勢いが失せないという風情で、さっさとすっ飛ばしているようなところもあります。とはいえ、この第2主題、展開部では腰を据えてきちんと歌っているので、まぁ、あくまでも解釈なのかもしれませんが....。再現部では提示部以上に猛烈にスウィングして一気呵成にコーダ雪崩れ込むという感じで、痛快この上ない演奏です。
個人的にはリヒャルト・シュトラウスというと弦楽合奏の「変容」が一番好きな作品ですけど、「ドン・ファン」「死ティル」「死と変容」あたりは、苦手とはいえけっこう馴染んでいる作品です。逆にわかんないのは「家庭交響曲」とか「ドンキホーテ」あたりですかね。