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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
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R.シュトラウス 家庭交響曲/メータ&ロスアンジェルスPO

2006年02月25日 19時13分36秒 | クラシック(一般)
R.シュトラウス一例の名作の中で、私が一番馴染みがない作品といったらやっぱこれですかね。20代の前半頃、この曲を私はジョージ・セルの演奏で初めて接した訳ですが、何度聴いてみても音楽が見えてこなかったです。例えばこの曲をテーマを家庭生活みたいなものに置いた標題音楽という点から聴いてみても、解説に書いているような情景らしいものがあまり伝わってこなかったし、プログラムに余りこだわらず交響曲として聴いたところで、なんだかだらだらとして、地味な楽想をやたらこねくり回したあげく、突如賛歌のように盛り上がったりするメリハリがない曲といった印象で、要するに「よくわからない曲」だったんですね。最近、「ドンファン」を聴き比べしたりして、R.シュトラウスの曲が耳に馴染んでいるところだし、久しぶり聴いてみたらイメージが変わっているかもと思い、おそらく10年振りくらいに聴いてみました。

 で、久しぶりに聴いた感想ですが、大昔のように「なんだかさっぱりわかんない」とまでは思いませんでしたけど、やっぱ「捕らえどころがない作品」だなという感じです。今回はじっくりと聴いたせいで、プログラムが音楽でどうか語られているか、大筋のところは分かりました。概略としては、まず家族の紹介があり(第1部)、子供がいたずらして部屋をかけまわり、やがて疲れて眠り(第2部)、夫婦の愛の賛歌みたいな夜の場面があり(第3部)、夜が明けて朝になると子供を巡って夫婦喧嘩になるが、仲直りしてハッピーエンド(第4部)....みたいなところでしょう。確かに物凄いオーケストレーションであり、第3部の盛り上がりなども音楽的にもドラマチックではあるのだけど、自らの手練手管のありったけを駆使して描いたのが、こんなありきたりなマイホームの風景な訳?みたいな空虚な思いがどうしてもつきまってしまうんですね。

 私は「音楽は何を語るかではなく、どう語るかが問題だ」というのが、音楽を聴く上での基本ポリシーでして、テーマが家庭だろうが、なにがしかの哲学であろうと、それが説得力ある語り口で演奏されたものであるのなら、たいていこだわりなく聴ける自信はあるんですが、どうしてこの曲だといいようがないくらい空虚な気持ちを抱いてしまうのかとても不思議です。結局、R.シュトラウスの音楽そのものが、基本的に私とソリが合わないということになるのだとは思うんですが、これだけ定評ある名曲の良さを感得できないというのは、ちょっと悔しいものがありますね。とりあえず、即断せずもう少し腰を据えて聴き込んでみようと思いますが....。
 ちなみにこの演奏はメータが69年にロスフィルを振ったもので、同じくメータ振った「惑星」や「春の祭典」あたりと共通するデッカらしい弾力あるメリハリ感が心地よい優秀録音です。
コメント
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