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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
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R.シュトラウス管弦楽作品集/カラヤン&BPO

2006年02月15日 23時25分26秒 | クラシック(一般)
このところ「ドンファン」を楽しく聴けているので、調子にのってオークションで出ていたのを落札してしまったCDが先ほど届きました。カラヤンとベルリンによる5枚組のR.シュトラウス集です。録音は80年代でカラヤンの晩年にあたり、CD+デジタル録音という新メディアにカラヤンが果敢に挑んでいた時期と記憶しています。 このボックスセットはその時5枚ほど出たR.シュラウスのアルバムをまとめたものですが、オークションで購入した価格は2500円で、これはおそらく当時の一枚分より安いですから、けっこう得した気分です。オークションはたまに掘り出し物に出会うのが楽しいですが、僕にとってはこういうのがまさにそれ(笑)。

 さて、カラヤンのデジタル・メディアに対する意欲は異常に高く、従来から得意としているレパートリーのほとんどをデジタルで再録音するんじゃないかという勢いで怒濤の如く新録音を続けた訳ですが、このR.シュトラウス・シリーズはその佳境の頃に発売されたのでした。音楽誌等の評判も大方は良く、中には「これまでで最高の演奏」という評価をする向きもあったりして、レギュラープライスのアルバムなど手が出なかった私は、次々に出るアルバムを尻目に、「きっと素晴らしい演奏なんだろうなぁ」と指をくわえていたのをよく覚えています。
 ただ、カラヤン晩年のデジタル録音シリーズというのは、ワーグナーやチャイコフスキー、そしてシュトラウスのワルツ集などを実際に聴いてみると、リズムの推進力が大分後退し、かつての誇った壮麗美みたいなものも大分枯れた感じになっていて、期待して購入したはいいが、一聴してがっくりみたいな経験もありましたから、このアルバムもかつてほどには期待はしていないところもあったのですが....。ともあれ、今夜は「ドン・ファン」を聴いてみることにしましょう。

 まず、冒頭のほとばしるようなオーケスレーションですが、これは案の定、大分枯れています。フィルハーモニアやベルリンの演奏では唖然とするような鮮やかさでここを駆け抜けるように演奏している訳ですが、ここではかつての挑みかかるような勢いがなくなって、噛んでふくめるような演奏になっています。これはこれで味わいというものかもしれませんが、やはりカラヤンだと思うとちと寂しいです。そのかわりといってはなんですが、第二主題はとても素晴らしい。70年代のもはやSF的な壮麗さはないとしても、実に老獪な語り口でR.シュラウスが苦手な私でも、陶酔できそうな気分にさせられます。このあたりは、ワーグナー集で「タンホイザー」はつまらなかったけれど、「トリスタンとイゾルデ」の味わい深く感じたのと同じようなパターンかもしれません。なので、いさかダレ気味なムードになりやすい展開部の静かな部分など、老いたカラヤンであるが、その語り口の至芸で聴かせるという感じ。妙なたとえですが、いにしえの落語の大家の語り口を聴いているような、「安心して翻弄される楽しみ」みたいなところがあるといえるかもしれません。

 あと、録音ですが、デジタル録音といってもカラヤン流儀のものなので、特にハイファイな訳でもありません。重厚さという点では以前のアナログの方が雰囲気があったりします。また、かつてのように神経質な録音ではなく、割と録りっぱなしというか、あまりいじくらずそのままマスタリングしたような感触なのですが、それでも細部の見通しが良いというのは確かにデジタル録音の恩恵なのかもしれませんね。
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R.シュトラウス 交響詩「ドン・ファン」 聴き比べ [3]

2006年02月15日 01時10分02秒 | クラシック(一般)
 「ドン・ファン」聴き比べの3日目は、ショルティ、マゼール、ブロムシュテットの3種です。収録は前2者は70年代、後者は88年ですから、演奏内容は後述するとしても、とにかくどれも録音が優秀なのがやはり大きいです。R.シュトラウスのような「オーケストラが絢爛に聴こえてなんぼ?」みたいな楽曲の場合、なんだかんだといっても、録音はひとつの大きな要素たりえますかから、その点今日の三種はどれも大いに聴き映えがします。

○ショルティ&シカゴSO(`73)
 オケは同じシカゴだし、ハンガリー系の指揮者というのも共通ということで、ライナーとシカゴ響の演奏を更にモダンにリファインしたような演奏。全盛期のショルティらしくシカゴ響を極限までドライブさせ、鋭角的なリズムでぐいぐいと進むストレートな趣が強く、かつまた曖昧さとは無縁の白か黒か的なデジタル指向で押しまくった演奏といえます。ただし、第2主題を始めとしたロマンティック部分では、ややスリムではあるものの、ワーグナー風の壮麗な音楽としてきっちり表現していますから、これはこれでR.シュトラウス的な見識に富んだ演奏とはいえるでしょう。
 それにしても太鼓のドロドロや低弦のえぐるような質感はいかにも、70年代のショルティ....否、デッカの音で、このハイファイ感は現在聴いても非常に痛快です。楽器に近接した大量のマイクを使い、まるでオケのど真ん中で聴いているような、こうした録音は、CDの普及とともにより自然なホールトーンを取り入れたワンポイント的な音にとって代わられるようになる訳ですから、私のようなオジさんには懐かしいハイファイ音ともいえますし、今聴いてもなかなか凄い音ではあると思います。

○マゼール&クリーブランドO(`79)
 セルの死後、クリーブランドの常任に収まった当時の録音。この時期のマゼールはかつのようなエキセントリックなところが影を潜めて、次代の巨匠を目指して音楽の風格を会得中みたいなところがありましたけど、この演奏もまさにそういう代物です。クリーブランドの機動性とストイックな美感をそこそこ生かしつつ、適度なドライブ感と大管弦楽を見事にさばくコントロールされた美しさみたいなところで勝負したという演奏だと思います。また、アレグロでほとばしるような部分とロマンティックな部分のバランスも破綻がなくて、良くも悪しくも「R.シュトラウスはこう振ればいいんでしょ」的な秀才の演奏でもあります。
 録音もそこそこホールトーンを取り入れたウェルバランスで、デッカ的エグいハイファイ感のないけっこう自然な音。とにかく全てに渡って過不足のない演奏というべきで、おもしろみ味ないですが、R.シュトラウスの世界を万全に伝えているとは思います。マゼールは近年バイエルンとまとめてR.シュトラウスを再録していますが、そこではどんな演奏をしているんでしょうかね。興味あるところです。

○ブロムシュテット&サンフランシスコSO(`88)
 ブロムシュテットという指揮者の演奏はほとんど知らなくて、実は「どうしてこんなCD持ってのかしらん」という感じなのですが、聴いてみるとある意味地味なくらいゆったりとしたオーソドックスな演奏で、メータの頃は同じデッカでブリリアントなサウンドを炸裂させていたサンフランシスコ響が、妙にしっとりとしてイギリスのオケみたいなくすんだ響きを出しているもの意外です。ところが、これが意外にも説得力あるんだなぁ。ブロムシュテットって北欧出身で、ドレスデンの常任で名を上げ、サンフランシスコに転出したって経歴ですから、そのあたりバックグラウンドが効いているのかもしれませんが、とにかく虚飾を排した音楽的なR.シュトラウスという感じであり、ひょっとするとこういうのが正解なのかもと思ったりさせる演奏です。
 録音はデッカですから、基本的には例の弾力的なハイファイ調なのですが、さすがに90年代近くになってくると、大分ナチュラル指向が強まっていて、時代の流れを感じさせます。しかし、この演奏を70年代にショルティ録ったのと同じセッティングで録音したら、一体どう聴こえるんでしょうねぇ?。
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