私はオーケストラ・サウンドが大好きなもんで、ジャズでも「ウィズ・ストリングス」とか「ウィズ・オーケストラ」なんかには目がないクチです。曲を自由にインプロヴァイズするのがジャズ的な本質的な部分だとすると、スコアがあって初めて成立ストリングスなりオーケストラなりサウンドとは本来相容れないはずですし、あえてやったとすると、ジャズ的な部分がかなり制約を受け、窮屈な音楽になってしまうであろうことは誰でも想像できるところなので、どちからといえばポピュラー・ミュージック寄りなところで受けることはあっても、ジャズという点からするとあまりまっとうに評価されなかったようです。
このアルバムはおそらく「ウィズ・ストリングス物」の走りといえる作品です。とても有名な作品ですからご存じ方も多いでしょう。チャーリー・パーカーといえば、モダン・ジャズの開祖みたいな人で、ダイアル盤を筆頭にした全盛期のめくるめくフレーズの洪水の如く吹きまくる演奏は確かに凄いものがありますが、そうした盛りが過ぎて、結果的に晩年となった1950年にどういう風の吹き回しかストリングスとともに録音したアルバムがこれなんですね。当時はパーカーもヴァーブに映って商業主義に堕したという批評もあったようですが、その出来映えは素晴らしかった。ストリングスの優雅な響きとパーカーの良く歌うサックスが時に寄り添ってみたり、対照的な感情表現してみせたりと、まさにつかず離れずといった感じで、甘くてちょいと苦い、いかにも夜と酒が似合いそうな音楽は、求道的なジャズを理想とする方には、ちょいと軟弱だったでしょうが、これはこれでひとつのジャズの王道だったような気もします。
それが証拠に、このアルバムをきっかけにした後続のジャズ・ミュージシャンは大物になると、そのステータスを証明するように大抵ウィズ・ストリングス物を作るようになったんですね。キャノンボール、ベン・ウェブスター、スタン・ゲッツ、クリフォード・ブラウンなどなど枚挙にいともがありません。でも、結局、このアルバムに匹敵するくらいのウィズ・ストリングス・アルバムってほとんどなかったような気がします。そのくらいここで聴けるエレガントなストリングスとパーカーの歌いまくる組み合わせの妙のようなものは、ある種のマジックのようなものすら感じるくらいですから。「ローラ」のような元々ちょいと退廃的な響きがする曲での、パーカーのフレーズにはほんと陶酔的です。
そんな訳で個人的には大大大好きなアルバムなんですが、ただ、惜しむらくは1950年録音ということで、音が悪いのはちょいと致命的かもしれません、これがせめて10年後に録音されていたら....と思いつつ、音の悪さは酒と想像力で補って聴いております。今ももちろんそう(笑)。
このアルバムはおそらく「ウィズ・ストリングス物」の走りといえる作品です。とても有名な作品ですからご存じ方も多いでしょう。チャーリー・パーカーといえば、モダン・ジャズの開祖みたいな人で、ダイアル盤を筆頭にした全盛期のめくるめくフレーズの洪水の如く吹きまくる演奏は確かに凄いものがありますが、そうした盛りが過ぎて、結果的に晩年となった1950年にどういう風の吹き回しかストリングスとともに録音したアルバムがこれなんですね。当時はパーカーもヴァーブに映って商業主義に堕したという批評もあったようですが、その出来映えは素晴らしかった。ストリングスの優雅な響きとパーカーの良く歌うサックスが時に寄り添ってみたり、対照的な感情表現してみせたりと、まさにつかず離れずといった感じで、甘くてちょいと苦い、いかにも夜と酒が似合いそうな音楽は、求道的なジャズを理想とする方には、ちょいと軟弱だったでしょうが、これはこれでひとつのジャズの王道だったような気もします。
それが証拠に、このアルバムをきっかけにした後続のジャズ・ミュージシャンは大物になると、そのステータスを証明するように大抵ウィズ・ストリングス物を作るようになったんですね。キャノンボール、ベン・ウェブスター、スタン・ゲッツ、クリフォード・ブラウンなどなど枚挙にいともがありません。でも、結局、このアルバムに匹敵するくらいのウィズ・ストリングス・アルバムってほとんどなかったような気がします。そのくらいここで聴けるエレガントなストリングスとパーカーの歌いまくる組み合わせの妙のようなものは、ある種のマジックのようなものすら感じるくらいですから。「ローラ」のような元々ちょいと退廃的な響きがする曲での、パーカーのフレーズにはほんと陶酔的です。
そんな訳で個人的には大大大好きなアルバムなんですが、ただ、惜しむらくは1950年録音ということで、音が悪いのはちょいと致命的かもしれません、これがせめて10年後に録音されていたら....と思いつつ、音の悪さは酒と想像力で補って聴いております。今ももちろんそう(笑)。