透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

平等院鳳凰堂

2008-02-23 | A あれこれ



「建築トランプ」 今回は平等院鳳凰堂。10円玉のデザインに採用されているからこの建築はみんな知っている。でも・・・、建立の経緯などをきちんと知っている人は案外少ないのでは。 歴史に疎い私はこの鳳凰堂のことについてはほとんど何も知らない。オシマイ。

というわけにもいかないので何か書く。

**宇治の別業を伝領していた藤原頼通は、永承七年(1052)に至って、別業を喜捨して仏寺とした。これが平等院の始まりである。ここで、寺の創立やその後の沿革の概略を眺めてみよう。**

カードの背景として写した『日本名建築写真選集 平等院』新潮社(発行1992年)にはこんな書き出しで始まる解説が掲載されている。その要約をここに書いてもいいが、ネット検索するといくらでもこの寺の解説が載っているから省略する。

極楽浄土ってこんなところだ、とそのありさまをを現世に具現化したのが平等院鳳凰堂だということくらいは知識にある。上空から俯瞰するとこの堂が鳳凰に似ているというのが名前の由来だという知識もいつの間にかインプットされている。でも鳳凰堂という名称は古いものではなく、江戸時代になってからのことだろうと先に挙げた写真集の解説で伊藤延男氏は指摘している。

鳳凰をモチーフに造られたわけではなく、江戸時代に誰かがそのように見立てたのだろうか。



同書の図面を転載させていただきました。

中年オジサンにはこの配置図が鉄腕アトムに見える。アトムってこういう格好で飛んでいた。中堂の両側の翼廊(アトムの腕の部分)をピロティ形式にして空中に浮かべているのは翼を表現する為だ、と何かで読んだような気がする。でもそれも後世の人がそのように「解釈」したに過ぎなくて創建当時には何か別の「意図」があったということだろうか。

残念ながら宇治には行ったことがない。やはり京都、奈良にいつか出かけなくては・・・。


 


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