■ 終戦記念日の夜、NHK衛星第2テレビで「あの夏 60年目の恋文」というドキュメンタリー番組を観たのは全くの偶然でした。
新聞のテレビ欄で「食は文学 荷風と谷崎」という番組を見つけて、観ようと思っていたのですが、観ることが出来ずにその後に放送されたこのドキュメンタリー番組を偶々観たのでした。
この番組の元になったのがこの『あの夏、少年はいた』という往復書簡集だと知って、早速注文しておいたのですが、昨日届きました。
太平洋戦争の末期、昭和19年の夏、奈良の国民学校の4年生だった岩佐さんは教生として教壇に立った10歳年上の雪山汐子先生に淡い恋心を抱いたのでした。
それからおよそ60年という歳月を経て、NHKの「戦争を伝える」という番組で汐子先生の消息を偶然知った岩佐さんは**あの昭和19年の夏、御本人の計り知れぬところで、あれほどまでに恋い焦がれていた少年のいたことを、素直に受け止めていただきたいと思うのです。**と先生に「恋文」を送ったのでした。この手紙から始まったふたりの往復書簡を収録したのが本書です。
ふたりの豊かな表現の手紙に惹かれました。岩佐さんは映像作家として活躍しておられ、雪山(旧姓)さんは歌人であり児童文学作家ですから当然かもしれません。
60年経っても岩佐さんにとって雪山さんはやはり先生なんですね。手紙からそんな雰囲気が感じられます。
当時雪山先生がつけていた「教生日記」が見つかってふたりの前に60年前の夏が甦ってきます。日記には岩佐少年の「このごろの雨」という詩も記されていて・・・。
「「往復書簡」を読んで・・・」という章には8人の感想が載っていますが、女優の吉行和子さんの「羨ましい」という文章が印象的でした。
吉行さんは新宿の喫茶店で直接岩佐さんからこの奇跡としかいいようのない体験を聞いた時、今日はこれで帰りますと早々に席を立ってしまいます。そして泣きながら新宿の地下道をずっと歩き続けたのでした。
一体なぜ泣いてしまったのか・・・、**あれはきっと、羨ましくてたまらなかったのだ。そんな素敵な思い出を持っていることに、そして、私なんか、何もないよ、と情けなかったのだ。**と吉行さんは振り返っています。
60年ぶりに初恋の先生と奇跡の再会を果たした上に、交わした手紙をまとめた本まで出版できたなんて、岩佐さんが羨ましい。
『あの夏、少年はいた』川口汐子、岩佐寿弥/れんが書房新社