透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

髪結い伊三次捕物余話 「月は誰のもの」

2016-03-29 | A 読書日記



 髪結い伊三次捕物余話シリーズの11巻目「月は誰のもの」を東京に向かう電車の中で読み終えた。窓外を流れる風景の中に火の見櫓を探しながらの読書だから、以前ほど集中できないが、それでも電車は読書空間として好ましい。

カバーには伊三次とお文、ふたりの息子の伊与太が描かれている。遠くに火の見櫓も描かれている。火の見櫓が描かれたカバーというのは記憶にない。おそらく初めて。 

**遠くから半鐘の音が微かに聞こえる。お文はその音で眼を覚まし、じっと耳を澄ました。**(5頁) このような書き出しも初めて。不思議なもので、火の見櫓に関心を持ち続けていると、それに関係することをよく目にするようになる。

9巻目の「今日を刻む時計」では前作から一気に10年の時が経過していて、32歳の伊三次もお文も42歳になっていた。「月は誰のもの」はこの空白の10年間を描いた長編。

この小説の前半のハイライトはお文が実の父親と再会すること。

**「ご隠居様。もしや、わっちが美濃屋のお内儀さんとの間に生まれた娘と思っていらっしゃるのですか。それは勘違いというものですよ」 (中略) 「勘違いかね。しかし、あんたは若い頃のおりうにそっくりだよ。その眼も、口許も、顎の線も」**(36頁)父娘だとお互いに分かっていての交流。 芸者とお客という関係だが、心が通じている。

この件を読んでいて、やはり父娘の再会の場面が出てくる松本清張の「球形の荒野」を思い出した。状況は全く違うけれど。(過去ログ

お文の父親の海野要左衛門は温厚で情に厚い人で、大火で家を失ってしまったお文に、早く家を見つけろと、二十五両という大金を用意してくれる。

**「いいてて親だな。普通は知らん顔で通すもんだが、海野様はそうじゃなかった。美濃屋のお内儀の分までお前ェに情けを掛けようと思っているんだよ。お前ェは果報者だぜ。(後略)「本当だね。でも、わっちはこれからも娘というつもりはないのさ。お座敷で元気なお顔を見られるだけで十分さ」**(47頁)

やがてふたりの間に娘が生まれる。名前はお吉。男の子だったら文次、女の子だったらお吉(きち)という海野様の希望を受けて付けた名前だったことが明かされている。そうだったのか・・・。

物語の後半には伊三次のちょっとした色恋沙汰も出てくる。 作者の宇江佐さんは常にマンネリ回避ということを考えていたようで(「時を刻む時計」のあとがき)、いろんな展開をしていく。

さて、この先どのような展開になって行くのだろう・・・。これはもう一気に読むしかない。