透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

精度について

2012-04-12 | A 読書日記



 30年以上も前、1979年に読んだ『時間・空間・物質』小野健一/三省堂選書。この本の「はじめに」から少し長くなるが引用する(この部分を以前も引用して書いた)。

**物理学は精密科学である。ところが精密というのがまたいろいろ誤解の多い言葉である。精密とは一口で言うと適用限界を心得ていることであって、有効数字の桁数の多いことではない。実験値をグラフの上にプロットした結果が散ってしまって、あまりきれいに一つの曲線の上に乗ってくれなかったとしよう。

物理学者ならば目分量で大体の傾向をにらんでなめらかな曲線を一本引くであろう。あるいは、鉛筆の代わりに太いチョークを使って、どの実験値も曲線の上に乗るように太い線を引くであろう。こんなやり方に対して反応の仕方に二つのタイプがあるようである。

第一のタイプは若い研究者に多いタイプで、物理学は精密科学なのだから、太いチョークなどを使うのは飛んでもない。データが散ったらそれはそれで仕方がないから、測定値をそのままぎざぎざの線で結ぶべきという反対である。(中略)

第二は技術者に多いタイプで、はじめのデータが散っていたこと、それを太いチョークで結んだことを忘れて、太い線で描かれた公式を使って小数点以下何桁でも計算するタイプである。(中略)

物理学者が太いチョークを使うのは少しもさしつかえない。物理学が精密科学であるというのは、細い鉛筆を使うことではなくて、使った鉛筆の太さを最後まで忘れずにいることなのである**(8、9頁)

以上の引用はこれから書こうとしていることを的確に指摘しているとはいえないかもしれないが、根っこにあるものは同じだ。

求められる精度を遥かに超えるような精度で仕事をするというのは、いかがなものかと思う。

例えば建築工事でコンクリート土間のレベルの精度について、±10mmであれば充分だとする。その次の床下地の工事でこの程度の誤差を問題なく吸収できるから、というのがその理由というわけだ。

でも精度にこだわる左官職人がいて、±5mmに仕上げたが予定より時間が余計かかったとする。このことで次の工程に支障を来したとすれば、問題になる。必要以上の精度の仕事をすることは、このような場合には自己満足のために過ぎないのではないか、と私はみる。これでは困るのだ。もちろん必要な精度を確保できていない仕事も困るのだが。

トータルに考えて求められる精度を見極めて仕事をする。それが共同作業の場合の基本、というか常識のはずだが、どうも世の中そうでもないようだ。小数点以下1桁の計算で充分なのに、3桁までするといったことが結構あるのではないだろうか・・・。ざっくりと概算する場合、円周率は3.1で差支えない場合だってあるだろうに常に3.14で計算するなどというのはナンセンス。逆に円周率を小数点以下10桁くらいまで求めなくてはならない場合もあるだろう。えーと、3. 1415926535・・・ かろうじて10桁くらいまでは覚えている。

必要な精度を仕事の全体像から見極め、的確に応える。これは何も技術的な仕事に限ったことではないだろう。