信州・塩田平(長野県上田市、上田駅から車で20分)に、「無言館」というちょっと変わった名前で十字架のような形の美術館があります。
1997年に作られたもので、太平洋戦争で志半ばに戦死した画学生80余名の遺作・遺品600余点を収蔵・展示する戦没画学生慰霊美術館です。
1977年8月、戦時中に東京美術学校(現・東京芸術大学)に在籍し戦死した画学生の遺作を集めた『祈りの画集・戦没画学生の記録』が日本放送出版協会から刊行されました。著者は同校を1942年に繰り上げ卒業して翌年満州に出征し、罹病のため1944年に復員した画家・野見山暁治(のみやまぎょうじ)氏と詩人の宗左近(そうさこん)氏、評論家の安田武の三人でした。
同書の刊行から10数年経った1994年、窪島誠一郎氏が館長を務める「信濃デッサン館」で講演会に招聘された野見山氏が「死んだ仲間たちの絵が今どうなっているかと思うと気が気ではない」という一言から、窪島氏は「今なら間に合うかもしれない。一緒に戦没画学生のご遺族を訪ねませんか」と戦没画学生の遺作の収集のために全国行脚を始めたとのこと。当初は東京美術学校の卒業者だけでしたが、対象を帝国美術学校(武蔵野美術大学・多摩美術大学の前身)ほかに広げ全国57遺族から遺作を集めたそうです。
美術館の建設にあたっては全国約3800名の篤志家から約4000万円の支援金が寄せられ、上田市が「信濃デッサン館」に隣接する市有地の貸与を申し出てくれたとか。
その館長・窪島氏は、この美術館について次の詩を書いています。
ここに建っている美術館は
「棺」(ひつぎ)のような形だが「棺」ではない
だれもが「祈り」をささげる美術館だが
それは死者への「祈り」ではない
若者たちがのこした生命(いのち)の欠片(かけら)を
一つ一つ拾い集めるために私たちが訪れる美術館だ
私たちの貧しい貧しい心の革袋に
かれらのながした涙の雫(しずく)をためて帰る美術館だ
若者たちの絵にあふれた春の陽差しには
私たちがうしなってきた 50余年の月日がある
若者たちの絵に息づく灼い(あつい)友との語らいには
私たちが忘れてきた あの日の哀しくむごい記憶がある
だから ここに建っている美術館は
「棺」のような形をしていても「棺」ではない
だれもが「祈り」をささげても
それは死んだかれらへの「祈り」ではない
「祈り」をささげるとすれば
かれらの絵の前に生きている
私たち自身にささげる「祈り」だからだ
この窪島氏が、戦争の悲惨さや不条理をこの世代に語り継がなくてはと、この7月に著書『無言館にいらっしゃい』(筑摩書房・ちくまプリマー新書・税別740円)を出版しました。
窪島氏は美術館を訪れる若者に言います。
人間には「いのち」が二つあり、尊い「命」を生かすのが「生命」だと。そして画学生の「命」は立派な「生命」となって絵の中に生き続け、人々に感動を与えているのだと。だから誰かを感動させ幸福に役立つことをしよう、そのとき君たちも「生命」をもったことになる、と。
■「とだ九条の会」公式ホームページもご覧ください。
http://www15.ocn.ne.jp/~toda9jo/
1997年に作られたもので、太平洋戦争で志半ばに戦死した画学生80余名の遺作・遺品600余点を収蔵・展示する戦没画学生慰霊美術館です。
1977年8月、戦時中に東京美術学校(現・東京芸術大学)に在籍し戦死した画学生の遺作を集めた『祈りの画集・戦没画学生の記録』が日本放送出版協会から刊行されました。著者は同校を1942年に繰り上げ卒業して翌年満州に出征し、罹病のため1944年に復員した画家・野見山暁治(のみやまぎょうじ)氏と詩人の宗左近(そうさこん)氏、評論家の安田武の三人でした。
同書の刊行から10数年経った1994年、窪島誠一郎氏が館長を務める「信濃デッサン館」で講演会に招聘された野見山氏が「死んだ仲間たちの絵が今どうなっているかと思うと気が気ではない」という一言から、窪島氏は「今なら間に合うかもしれない。一緒に戦没画学生のご遺族を訪ねませんか」と戦没画学生の遺作の収集のために全国行脚を始めたとのこと。当初は東京美術学校の卒業者だけでしたが、対象を帝国美術学校(武蔵野美術大学・多摩美術大学の前身)ほかに広げ全国57遺族から遺作を集めたそうです。
美術館の建設にあたっては全国約3800名の篤志家から約4000万円の支援金が寄せられ、上田市が「信濃デッサン館」に隣接する市有地の貸与を申し出てくれたとか。
その館長・窪島氏は、この美術館について次の詩を書いています。
「棺」ではない
ここに建っている美術館は
「棺」(ひつぎ)のような形だが「棺」ではない
だれもが「祈り」をささげる美術館だが
それは死者への「祈り」ではない
若者たちがのこした生命(いのち)の欠片(かけら)を
一つ一つ拾い集めるために私たちが訪れる美術館だ
私たちの貧しい貧しい心の革袋に
かれらのながした涙の雫(しずく)をためて帰る美術館だ
若者たちの絵にあふれた春の陽差しには
私たちがうしなってきた 50余年の月日がある
若者たちの絵に息づく灼い(あつい)友との語らいには
私たちが忘れてきた あの日の哀しくむごい記憶がある
だから ここに建っている美術館は
「棺」のような形をしていても「棺」ではない
だれもが「祈り」をささげても
それは死んだかれらへの「祈り」ではない
「祈り」をささげるとすれば
かれらの絵の前に生きている
私たち自身にささげる「祈り」だからだ
この窪島氏が、戦争の悲惨さや不条理をこの世代に語り継がなくてはと、この7月に著書『無言館にいらっしゃい』(筑摩書房・ちくまプリマー新書・税別740円)を出版しました。
窪島氏は美術館を訪れる若者に言います。
人間には「いのち」が二つあり、尊い「命」を生かすのが「生命」だと。そして画学生の「命」は立派な「生命」となって絵の中に生き続け、人々に感動を与えているのだと。だから誰かを感動させ幸福に役立つことをしよう、そのとき君たちも「生命」をもったことになる、と。
■「とだ九条の会」公式ホームページもご覧ください。
http://www15.ocn.ne.jp/~toda9jo/